志摩国問題と内政諸々
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当家が神宮の代官として治める志摩地域は、平井宮内卿を奉行として統治に当たらせているが、当家が治める志摩は、志摩水軍の地頭たちが治めていた地域であり、一般的に志摩と認知されている地域である。
それらは、神宮の荘園があった地域であった。
志摩国の範囲が、一般的に認知される地域になったのは、天正10年(1582年)である。
当時は伊勢国司の北畠家当主であった織田信雄と紀伊新宮城主で熊野別当の堀内氏善が、荷坂峠を境にし、紀伊国牟婁郡と伊勢国度会郡に編入したため、志摩国は一般的に認知される範囲になってしまった。
それまでは、21世紀で言うと度会郡南伊勢町、大紀町の錦地区、北牟婁郡紀北町、尾鷲市全域までが志摩国英虞郡だったのだ。
今も志摩国内は、北畠家の一族や家臣たちなどの北畠の従属勢力や熊野水軍の勢力が割拠しているのだ。
北畠家と当家は、御互いに関わり合わない様にしているし、当家は熊野水軍となるべく関わらない様にしている。
地頭の一人である九鬼氏を降伏させたことで、飛び地として九鬼城を支配下に治めてしまった。
周辺の熊野水軍勢力は面白くなかったのか、互いに関わらない様にし、九鬼城は中継拠点程度に扱っている。
しかし、ジャンク船を持ち帰って来てから、九鬼城近隣の国人たちが接触を図ってくる様になってきた。
熊野水軍も一枚岩ではなく、内部では対立し合っている。
熊野別当として勢力を伸長させている堀内氏に圧迫されている国人は多い様だ。
九鬼城の近隣の三鬼氏や志摩の地頭の向井氏の本家など、小国人たちが、擦り寄り始めているので、余計な騒動の種にならなければ良いのだが。
神宮領内も、神宮の神人が治める地域があるが、当家より納める額も少なく、領地経営も上手くいってなさそうだ。
こちらも厄介事が持ち込まれないと良いな。
志摩では、鳥羽城を中心に鳥羽の街並みを整えている。
鳥羽城の縄張りは、過去の鳥羽城の縄張りを書いた物を、平井宮内卿に渡して、それに近付けて改築している様だ。
茶畑も成長している様だが、まだ収穫出来るほどではなく、薩摩を経由して取り寄せた蜜柑や栴檀の苗も成長途中である。
肥後に派遣した忍たちから、種無し蜜柑の木が届いたので、植えてあるが、やはり縁起が悪いと放置されていた様で、捨て値で譲ってくれたそうだ。
また種無しの木が出来たら、譲ってくれる様に交渉したそうだ。
種無し蜜柑は接ぎ木で増やす予定で、代木の唐橘を取り寄せてもらっている。
順調なのは、海産物事業で、海苔や干物は上手くいっている。
志摩は鰹も取れるので、鰹節も作りたいところである。
常備軍の主力は志摩で訓練をしており、薩摩武士がやってきたことで、かなりの刺激になっている様だ。
常備軍の連中からしても、薩摩武士はヤバいらしく、とても頼もしい。
現在、鳥羽城を政庁として整備しているが、鳥羽と賢島に別荘を建てたいと思っている。
妻の栄子もすっかり回復しており、多幸丸も順調に成長している。
何れは、志摩に連れてきて、新鮮な海産物を食べさせてやりたいのだ。
鳥羽の別荘は、有名なホテルのある景観の良いところに建てたい。
賢島も志摩地域だと高級リゾート地だし、良い別荘が出来ると思う。
賢島は、後世で真珠養殖をしていた場所だから、御倉衆の真珠繁殖所を新設し、甲賀者たちに警備させるのが良いかもしれない。
賢島に真珠繁殖の施設を作る様に命じることにする。
志摩は、当家の実験場的な場所になっているが、着実に成果が出て来ているので、益々の発展を期待しよう。