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享禄3年(1530年)後半の日常

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 享禄3年(1530年)も年末に至り、本年は昨年に比べると穏やかな年だった様に思われる。


 猿啄城での戦いを除けば、戦らしい戦も無く、美濃にいる常備兵を訓練するぐらいだった。

 わしも適度な運動と体を鍛えるため、訓練には参加している。

 まだまだ育ち盛りであり、肉をよく食べているからか、背は伸びているしな。

 身長は160cmを超えているので、170cmぐらいは欲しい。


 政務では、板間に直に座っても、書類作業などし辛いことから、わしの執務室には、木工職人に作らせた机と椅子を使っている。

 黒田下野守など、一部の家臣たちも真似しているものがいる様だ。


 政務や軍務の合間を見て、狩りに行く様にしている。

 弓の名人である大島甚六たちとともに狩りに行き、鹿や猪を狩るのだ。

 いつも猟果が一番良いのは、やはり大島甚六であった。

 たまに、九條稙通卿も狩りに参加するが、猟果はイマイチである。本人は楽しんでいる様なので、まぁ良いだろう。

 東天竺屋では、皮革技術を持った河原者を雇っている。

 そのため、鹿皮や猪皮は皮革にされ、狩った獲物の皮を無駄にしなくて済んでいるのだ。

 近い内に、鷹匠を招いて鷹狩が出来る様にもしたい。

 朝倉太郎左衛門尉宗滴殿とも、敵方ながらも文通を続けており、交流を保っている。


 大物が取れた時や、祝い事があった時は、邸で宴を開く様にしている。

 そう言った宴の際は、わしが料理を作れる時はなるべく作る様にしているし、段取りやら、料理人に指示したりし、客人や家臣を招いていた。

 当主自ら料理をして、客人ら家臣をもてなすのも、戦国の世の嗜みだからな。

 客人は、いつも九條卿だが、近隣の国人たちも招いたりしている。交流の深い明智や妻木を招くことが多い。

 琉球との交易で、砂糖が手に入るので、甘辛い味付けの料理や甘い菓子を出すと、客人も家臣も大喜びする。

 妻子有る者は、甘い菓子を持って帰って食べさせてやりたいと言うので、土産に菓子を持たせる様にしていた。

 そのため、客人や家臣に喜ばれ、当家の宴に参加したがる者は多い。



 九條稙通卿も兼山に来て一年が過ぎ、ここでの生活にも大分慣れたと言うか、適応している。

 来た当初は、古典の研究やらを熱心にしていたが、段々と外に出る様になり、当方からの要望も有り、家臣たちに礼法や教養の指導をしてくれる様になった。

 近所の童たちを集めて戯れたり、農民たちを眺めたりなど、牧歌的な様子を見せることもある様だ。


 以前、津島を訪れる際には付いて来たがったので、連れていった。

 それ以降、津島や弾正忠家を訪れる際は、付いてくることも多く、弾正忠とも何度も顔を合わせている。

 そのため、弾正忠も九條家を支援せざるを得なくなったため、弾正忠を巻き込む計略は上手くいった。

 九條卿の関白就任を支援するのは、当家だけでは負担も大きいので、信頼の出来る同盟相手であり、尾張随一の金持ち大名である義兄を巻き込んだのだ。

 弾正忠としても、摂関家の九條家と繋がりは出来た意味は大きく、更に声望を高めることとなった。

 妹の養父である清華家の久我家とも繋がりがあり、中央との繋がりはより強まっている。


 ある日、猟師がオコジョの子供を捕まえてきたらしく、わしが動物好きであることを知ってか、持ってきたので、当家で飼おうとしたところ、九條卿が飼いたいと言い始めた。

 仕方ないので、九條卿にオコジョを譲り、オコジョもフェレットも同じ様なものだろうと、21世紀のフェレットの育て方を教えたところ、上手くいった様だ。

 オコジョを飼い慣らしたことで、飯綱の法を会得したとか騒ぎだしたのは勘弁してもらいたい。後、わしを勝手に飯綱の法の師匠にしないでくれ。


 九條卿は、兼山の生活に慣れてから、鹿や猪などの山の獣肉は食べる様になったが、鳥羽から運ばれる海産物が特に好みの様である。

 わしの邸で食事する際も、よく食べるし、何々が食べたいと我儘を言うときもあるくらいだ。

 わしが、鳥羽に赴いた際に食べた新鮮な海産物の話をすると、九條卿も鳥羽に行きたいと言い始めたが、志摩は下国だから、摂関家の当主が行くのはどうかと言ったところ、不貞腐れていた。九條卿の食いしん坊も大概である。

 まぁ、九條卿も当家での生活を楽しんでいる様なので、都で関白に就任するまでのモラトリアムとしては良いだろう。


 本年は日常生活も充実しており、来年もより充実して欲しいものである。

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― 新着の感想 ―
[一言] 考察としての意見だったのですが言い争いのようになることは本意でないのでこのテーマは終わらせたいと思います。 作者様失礼しました。
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