6:人狼、その住処
「よし、そろそろ着くぞ」
さも楽な運動をした直後だと言いたげに、いや実際にアリクにとってはそうなのだが、そう声をかけたアリクに、駆は若干というか本気で切れて叫ぶ。
「あんたさらっと言うなあっ!?こちとら連日歩きづめで疲れてんだ。もともと人間そんなに歩けるようには出来てねえんだよ!」
「いやだってお前人間じゃないだろ?」
さらっと言い返すアリクに駆は叫ぶ気力もない。魔王城を出てから半月。人狼の住処に案内するというアリクから出された条件はたった一つ。
『人狼に変身せずに俺についてこい』
そう言って人間のままアリクは歩き出した。楽勝だな、と笑っていた駆はその日のうちに後悔した。アリクのその無尽蔵のスタミナに。歩く速度としては速いが、走ればついていける。そんな速度で歩くアリクは、だがしかし、一度も休まず、たとえ上り坂下り坂、獣道すらなかろうと、その速度を変えなかった。一日にして瀕死の駆は、悟った。
_______この世界、想像以上に甘くない、と。もちろん異世界だ。厳しいことは覚悟していたが、ここまでとは。かつて人類は、大陸を、大海をすらわたり、その住処を開拓したらしい。しかし、その祖先である現代人には、もはや欠片ほどにしか、その血を引く片鱗が見受けられない。ましてや、特に鍛えていない一般人など、言わなくてもわかるだろう。
駆が歩けたのも、ひとえにこの体に支えられたのが大きい。
「それじゃ、さっそく中に入るが、一個だけ言っておく。お前が勇者だというのは、明かすな、魔王に救われて俺に預けられた。そういうことにしろ」
「いや、人狼って嘘を見抜いたりできるんじゃないのか?」
それにアリク、まるで駆の疑問はよくわかるというように答える。
「それは、地球の物語だろ?あいにくと、こっちの人狼そこまで万能じゃねえんだ。人間の、今の俺たちの状態なら、並の人間と何も変わることはないし、例え人狼形態になったところで、多少力が強くなるぐらいだ。時間制限もあるしな」
「時間制限?」
「そうだ。俺たち魔族が、魔族としての種の姿をしていられるのは、1日にそう何時間もない。俺たち人狼や、犬人族、猿鬼族、吸血族なら、日に四時間、もっと上位の、龍人族や大鬼族、骨人族それに魔人族なんかは、個体にもよるが、良くて二時間半、普通は二時間しかもたない。それを超えるとその姿を保てなくなる」
そう言い切ったアリクに駆は驚くと同時に気付く。この世界の魔族だいぶ弱い、と。その上数も少ないらしく、どう生き残ってきたのかがだいぶ疑問だ。
「そういう訳で、嘘をついてもばれない。だから隠してろ」
そういうアリクに、だが駆。それが嘘だと気付く。その、瞳に試す光があると気付いた駆は、その言葉に従う。何か意図があるんだろう。そもそも、その程度の設定では、無理があるのだ。たとえば、記憶があるのに、狩りができないこととか、それなのに、どこから来たのかを言えないこととか。それでもやれというのならば、何かの意図があるはずだ。それならば、従えばいい。それ以上の手段はない。
柵すらないその集落に、アリクと共に入った駆は、すぐに一人目の住人と遭遇した。
それは、
「あっ、アリク兄ちゃんだ!」
そう駆け寄ってくる、一人の少女だった。
「やあ、ハンナただいま」
「お帰りなさい!どこに行ってたの?」
そう問う少女を見るアリクの目は、魔王と相対していた時のそれとも、旅をしている時のそれとも違う、優しい目だった。
駆は、アリクに対する認識を訂正した。普通の男ではない。普通に大それた夢ではなく、小さな幸せを大切にできる、そんな優しい、どこまでも人間臭い男。別の世界から来た駆にもわかりやすく話してくれるあたり、それがよくわかる。わかりやす過ぎる。
そう気づいた駆は愕然とした。『地球』。その言葉がこちらにあるとは思えない。間違いない、この魔族としても特殊と呼ばれる性格もそれで説明がつく。アリクは、この狼人族の長は、転生者だ。確信には至ってないが、間違いないだろう。ならばなぜ。
そこまで考えて駆は、思考を止める。アリクが隠しているのなら、確かに意味があるのだ。それを詮索する必要はない。自らの師。それがわかっていれば十分。
「魔王様のところさ」
「何があったの?」
明るく聞く少女に、アリクは優しく答える。
「こっちのお兄ちゃんが、魔王様に保護されてたらしくて、それを回収に行ってたんだ」
「回収って……」
絶句する駆にアリクは意味ありげに言う。
「記憶のないお前なんか、ホントに荷物じゃないか」
そう思え、と。そう瞳が物語っている。それを察知した駆は、話を合わせることにした。あとで絶対やり返すことを心に誓って。
「こんにちは。アンナちゃんだっけ?俺はカケル。よろしく」
「こんにちは、カケルお兄ちゃん!」
明るく言う少女に駆も笑う。
「さあ、アンナ遊んでおいで」
アリクがそう言うと、アンナは笑って走っていった。明らかに、子供への対応に慣れている。
「何で、彼女を追い払ったんです?」
「あ、わかった?」
へらへらと。そういうアリク。これが素なのか。それともカモフラージュなのか。だがあくまで笑いながら言うアリク。
「今からちょっと吠えるからな。いくら人狼とはいえ、子供にでかい声を聞かせたくはないだろ?」
「吠える?」
駆の疑問の声にかえってきたのは、体を突きぬけるような、そんな咆哮だった。
「っつう!?」
あわてて駆が耳をふさぐ頃にはアリクは叫ぶのをやめ、人の姿に戻っていた。
「なんのつもり……。もしかして人を集めた?」
前世で見聞きした人狼に関する知識の中に、こんなものがあった。
『人狼はその咆哮を用いて会話する』
その知識から、そう聞いた駆に、アリクは笑う。
「正解だ。そうやって自分で判断しろ。この世界の物理的な知識についてはこの世界から学び、歴史、宗教、学問、政治。そんな、主観の介在するものには、自分の、己だけの感覚で向き合え」
途中から、笑顔のままその口調だけを変えた言葉は、確かな実感を持って、響く。
「わかった」
「まあ、できるようにやれ」
そういうアリクに、だが駆。
「それじゃ足りないんだよ」
「あん?」
「いや何でもない」
一瞬、いや半瞬程の間に、雰囲気が変わった駆は、だがしかし、今は言いたくない、いや言えないと、すぐに戻る。
そうこうするうちに、人狼たちが集まってくる。
人間で走ってくるもの、人狼に変身してダッシュしてくるもの。その姿はまるで、有事の際の、いやまさに有事そのもので、
「あんたなんて言った?」
あまりの彼らの必死さに、ついそう聞いた駆に、アリクは、ニヤリと。
「最大レベルの緊急事態の時の叫び声だ」
道理で必死なわけである。性格が悪くないだろうか、この人狼の長。
集まってきた人狼たちは、だがしかし、アリクと駆の、和気藹々とは言えないまでも、落ち着いた雰囲気に『騙された』と。
「なあアリク、緊急事態ってなんだ!?」
そう、人狼の中の、他とは違った毛色をした、男が叫ぶ。
「ありゃ嘘だ。それよりロウ、お前ラウはどうした?」
「どうしたって、あれ?」
周りを見回して首をかしげるロウ。どうやら、ラウと呼ばれた誰かを置いてきたようだ。
「お前ら何してた?」
アリクがそう問うと、
「えっと、昼寝?」と。
そんな間抜けな答えが返ってくる。
はあ、とため息を一つ。
「じゃあ寝てんだろ」
そう言って、男から目線を話し、周りを見渡してアリクは話し始める。
「今回の要件はこいつです」
俺の方を指したまま、続ける。
「こいつは人狼ですが、記憶をなくしていて、魔王様に保護されていました。そこで預かれと、そう言われまして、預かることになりました。かなり面倒をかけると思いますが、仲良くしてやってください」
アリクがそう言うと、駆を疑うような目をしていた人狼たちも笑顔になって頷いてくれる。
「わかったよ。その子は、前から決めていたけど、うちで預かるよ。うちにはレンナもいるし面倒を見れるよ」
「ありがとうございます。けど、狩りとかは俺が教えます。役立たずのままでは困りますし」
事前に話を通していたようで、特にトラブルもなく、駆の滞在先も決まる。
信用してくれるのはうれしいが、それにしても、と。そう思った駆はアリクにこっそり聞いた。
「なんでこんな人を信じやすいんだ?」
「ん?同族だからだろ。数少ない同族を疑ったところで意味がない」
全体数が少ないがゆえに、信じられるものが少ない。ゆえに、信じられると仮定できるものは信じざるをえない。それが魔族の哀しさだ。
「そういうわけだから、とりあえずは信用してもらえる。お前がポカをしなければな」
「へ?」
意味ありげに言うアリクに、駆が疑問の声を上げるが、すぐに、後ろから別の声をかけられる。
「カケル君だっけ?うちにおいで。当面はうちに泊まっていきな」
そう声をかけたのは、さっき駆を預かると言っていた女性だ。
「私はカンナ。こっちは娘のレンナさ。よろしく」
「あ、よろしくお……」
そう言おうとして、ふらりと。
「あれ?」
駆の体が傾き、カンナやアリクが支える前に、ドン、と。
地面へと吸い込まれ、意識を失った。