9:不穏、その予兆
「射るぞ?」
「待て、もう少しひきつけろ」
二人の男が気配を殺し、木の上から弓を構えている。狙うのは一匹の熊。それは、獣ではなく、確かに魔物。その証拠に、動物とは違い、熊ではありえないような、長い尻尾が生えている。そもそも魔物とはそういう存在だ。この世界では、野に存在する獣は、二、いや三種類に分類される。
通常の人間同様に、物理法則に真面目にしたがっているのが、動物。体長は大きいものでも、数メートル程度。一般的な猟師が、罠を張って複数でかかれば、基本的に狩れない物はいない程度の生物。
そして、何らかの要因で魔力がたまっていた場所に、入り込んだ獣が魔力をその身に取り込み、魔力に適応した体に変異したのが、魔獣。人類が想像力によって魔法を行使するのとは違い、牙や爪を操るように、自然に魔法を操る。人類の魔法使いと違って、複数の属性を持つものは存在せず、基本的には、固有の魔法のみを操るが、獣とは、隔絶した戦闘能力を持つ。その体長は、時に数十メートルにもいたり、人類の生活圏に、大きな影響をもたらす。しかし、やはり生物故に、出血で死ぬこともあれば、恐怖も感じるのでひるむこともある。多少腕のある戦士であれば、単独での討伐も可能なものも多く存在する。その程度の力と、力を得た故に、動物よりも、本能の劣った獣。それが魔獣だ。
そして最後に。これを動物と、生物と言っていいのかは分からないが、化獣というものが存在する。大気中に存在し、魔法行使のさいに、手を貸すのが精霊という存在だが、精霊は本来、意識を持たない。しかし、何らかの要因で、それが多量の魔力を取り込むと、意識を持つようになる。それを真精というが、真精は、人でも見ることが出来るようになる。たいていは、不定形の揺らぎであるそれが、生存に必要な魔力を得られなくなると、実体を形成したり、魔物に取りついたりと、現実に関与できる体を持つようになる。そして、魔力を持つものに、見境なく襲いかかるようになる。並の魔獣なら、数十匹は軽く屠ってしまう、そんな、狂暴性を持った、ただ暴れるだけの獣。それが化獣だ。
今駆が相手しているのは、その中でも、魔獣と呼ばれる、一般人にとっては恐ろしい、けれど、狩人である人狼たちにとっては、一部の例外を除き、恐ろしいものではないそれの、その中でも、対して危険性のない一体だ。ゆえに、まだ、本格的に人狼として生活し始めてから四か月しかたってない駆に、初めの矢を放つ役割を任せてもらえた。魔獣の多くは、動物以上の力を持ったが故に、その本能をかなり失っている。そのため、気配を全て殺すことは必要ないが、それでも、できる限り気配を殺していて損はない、と駆は、その気配のほとんどを殺していた。四か月しかたってないにしては、十分な練度だ。そのまま、一矢のうちに頭を射抜こうとするが、
「待てっ!」
と、カンクに制止される。
「あいつ、何かおかしくないか?」
「どこがだ?」
カンクと違って違和感を感じていない駆は、なおも射ようとするが、次の瞬間、カンクは気づく。
「あいつ、もしかして、化獣化してないか?」
そう言われて、駆もようやく気付く。魔獣のその目と牙は、生物としてあるべきそれではなく、その魔獣の魔法属性であろう氷と、同じ物体でできていた。そう、まさに氷精と一体化が進んでいるように。
「どうする?仕留めれるか?」
化獣が、完全に魔獣と一体化してしまえば、討伐ははるかに困難になる。今ならまだ、三人でも仕留めれるのではないか。そういう意図を持った駆の質問に、カンクはうなずく。
「ああ。これ以上化ける前に倒さねえと、手に負えなくなるぞ」
そもそも、死にかけた真精が、魔獣に憑くのはかなりまれである。死にかけた真精が、適合するのに時間のかかる魔獣と一体化しようとしても、その前に消滅してしまうこともあるのだ。
しかし、そうして死なずに化獣化した魔獣は、真精が実体化しただけのそれよりも、はるかに強力な、まさに化け物になる、らしい。これは、すべて言い伝えでしかない。前回、一体化に成功した化獣が確認されたのは、百年ほど前に帝国のある都市で起こった、“炎の化獣暴走”の中でだけだ。その後も、何度か化獣暴走は起きているが、一度も確認されていない。そんな怪物が、未熟とはいえ、目の前にいる。並みの人狼なら、恐怖するかもしれないが、そこは、人狼の中でも、指折りの変人扱いされているカンクとレイド、そしてもっとやばい化け物を知っている駆だ。恐怖など感じていない。
別の茂みに隠れているレイドに、カンクが合図を出している。囮の合図と、自分を指さして、木の上から飛び降りる。それを、化獣の出来損ないに弓を向けたまま、駆は見守る。
飛び降りたカンクは、人狼化して叫び声を上げる。それに反応した化獣は、即座に反応して振り向き、頭や肩に突き刺さった矢を無視して、カンクに向かって突進する。結合の真っ最中なため、痛みもなく、化獣は、駆に気付いていない。同様にレイドも無視されている。ターゲットが変わらないのはありがたいが、大したダメージも見受けられず、駆は舌打ちを一つ。樹上から飛び降りる。
その時には、カンクに向かって、化獣が、五メートルクラスの跳躍を果たしていた。
「危ねえなッ!?」
間一髪で回避したカンクが、化獣が跳躍した距離以上に、その攻撃が生み出した影響に驚愕の声を上げる。
カンクの向こう側にあった木は、化獣の一噛みで、きれいな氷のオブジェクトへと、姿を変えていた。
よく見れば、駆とレイドが放った矢も、すでに氷になり、砕け始めている。物質を氷に置き換えてしまうその攻撃に、駆とカンクの顔から血の気が引く。
「食らったら終わりじゃねえか……!」
「駆、あの下まで誘導するぞ!」
駆よりも先に、状況に対応したカンクが、その腰から二本の剣を引き抜き、走り出す。最初の叫び声で、カンクに気を引かれていたのか、化獣は、カンクの後をついていく。それについていきながら、カンク同様に腰から剣を引き抜いた駆は、化獣の横から、人狼化したまま、幾度も斬撃を叩き込む。しかし、切り傷は、斬ったところからすぐに凍結してしまい、さらなる硬度を持ってしまう。
「無駄に硬えな、おい!」
「レイド、準備はいいか!?」
「いいのだよ!」
駆が気が付くと、すでに化獣は、レイドの潜む木の下まで来ている。いったいどう倒すのか、駆には見当がつかないが、二人にはついているのだろう。カンクにも、応えるレイドの声にも、微塵の動揺も感じられないのだ。
(こいつら、まじでどんな神経してやがる……!)
一歩どころか半歩失敗すれば、死ぬという状況でなお、化獣を倒すことしか考えていない二人に、駆は舌を巻く。駆の夢に出てきたあの男も、大概いい神経をしていたが、一度目の人生でこれとは、カンクもレイドも、かなりおかしい。
「駆、離れろっ!」
「はいよっ!」
カンクの合図とともに、駆とカンクが、化獣から距離をとる刹那。樹上から落ちてきたレイドの、その手にする槍が、化獣の頭から喉までを貫き通し、地面に縫い付けた。
「死んだか?」
「流石にな。もう少し遅かったら生きてたかもしれんが」
どうやら死んだ様子の化獣を足でつつきながら、レイドが言う。
「それにしても痛いな」
「強化が下手なんだろ」
レイドがやったのは、若干捨て身気味の攻撃だ。自分に重力強化の魔法と、身体能力強化の魔法をかけ、重い、固いという重装甲車ばりの状況で上から攻撃するというものだ。よく槍が折れなかったものだな、と駆は思うが、かつて人狼の英雄様が使った戦法らしく、強化魔法に適性の高い人狼の間ではなかなか人気の戦い方だ。
「とりあえず村に戻って報告だ」
「「了解」」
三人は一度報告のために、村に戻った。この時誰も、更なる厄介ごとが待ち構えているとは思わなかった。




