その捌 鉱山都市カルカンド(6)
そろそろ、移動の予感がします。
龍が往く 外伝
――もし現代の異能者が異世界に召喚されてしまったら――
その捌(八)
ヴィチャック一座の興業は、ここからが真骨頂である。一度に見世物と芝居とを見せられる旅芸人一座は珍しい。その分、裏方は大忙しである。
一座の興業は、昼は見世物、夜は演劇を三日行い、一日休んで昼と夜を入れ換え三日、また一日休んで入れ換えて、全部で二週間の上演となる。
池端はハープの腕を買われ、伴奏の交代要員に編入された。どんな曲でも一回聞けば覚えて弾く事が出来るので、大層重宝がられた。
安倍は、そんな池端を心配して声を掛けた。
「芳恵、大丈夫か?台所もやって、ハープもやって、裁縫もやってるだろ?体が持つ?」
それに対し、池端は明るく答えた。
「うん。大丈夫よ。すごく楽しいし」
実際楽しそうに仕事をこなしているので、安倍は見守る事にした。
そんな安倍はある日、怪力の持ち主で、巨石を担いで見せるエヴァノフとの会話の中で、重しに使っている石板を割る事が出来るか、という話になり、安倍はそれを割って見せた。安倍にとっては、印呪を用いれば容易い事だったのだが、それにサム翁が目をつけた。
「アベ、それ、見世物になるぜ。明日の回で、是非披露してくれ」
サム翁はそう言うと、どこからか石板を調達して来た。二頭馬車でようやく運べるほどの厚みのある物だった。
それを見て、池端は安倍に声を掛けた。
「晴明、大丈夫?いくら何でもでっか過ぎじゃない?」
「心配してくれてありがとう」安倍は笑って答えた。「でもね、印呪で割るから、どんだけ大きくても大丈夫だよ」
翌日安倍は『キョクシンの達人 マス・オーヤマ』を名乗って、空手着っぽい服を着て、インチキ臭い拳法の形を見せた後、気合い一発、ぶ厚い石板を割って見せた。
その見世物は反響を呼び、目玉のひとつとなってしまった。
安倍と池端を巻き込んで、ヴィチャック一座の興業は連日好評を博し、小屋の周りは露店が軒を連らね、カルカンドの街始まって以来の一大イベントとなった。戦争で疲弊していた住民達にとって、この娯楽は大いに心を慰め、そして奮い立たせてくれたのである。
そんな興業も、とうとう千秋楽を迎えた。最後は、ラレニナの歌で締めくくるのが恒例で、今回も当然その予定であった。
夜の舞台の用意をしている時に、ラレニナが池端の所へやって来た。サム翁も一緒である。
「ねえ、イケハタ」ラレニナは、池端の手を取って正面から顔を見つめた。「私の歌の、伴奏をしてくれない?」
「えっ?」池端は目を丸くした。「だって、楽団のみんなもいるし、私じゃ力不足だよ」
「そんな事ない。勿論、みんなにも演奏はしてもらうよ。でも、最後の曲は、イケハタに弾いて欲しいの」
「まあ、私でお役に立てるなら、何なりとさせてもらうけど…」少し考えて、池端は頷いた。「私としては、最後に凄い大きな思い出になるけど、ラレニナはそれでいいの?」
「思い出になるのは私の方よ」
ラレニナは笑って言った。ただ、顔は真剣である。
「イケハタ、お前さんは自分の力を判ってない」サム翁が珍しく真顔で言った。「お前さんの演奏には、人の心をとらえる力がある。恐らく、ラレニナの歌声と同じモンじゃろう。この二つを合わせたらどうなるか、わしも見てみたい」
「判りました。ガンバってみます」
「あ、それとイケハタ」ラレニナが、少し表情を和らげた。「あなたの国の歌を、何か聴かせてよ。『セーラー服』じゃない奴でね」
教会の中に、初日と同じような舞台がしつらえられ、前回にも増して大勢の客が詰めかけた。ラレニナの歌声はやはり強烈なインパクトを全ての観客に与えたようで、噂を聞いてやって来た者達も含めて、皆が彼女の登場を今か今かと待ち構えている。
「凄いね。今回の興業で一番集まってるんじゃない?」
劇団の誰かが言った。会場の方から聞こえる、人々のさざめきの大きさに、客の多さと、これから始まるショーへの期待の高さが感じ取れる。
「ねえ、ラレニナ、私、こんな所に出て大丈夫なの?」
一人不安げに、池端が言った。劇の間に、舞台裏で弾くのとは訳が違う、とその目が訴えていた。
「何言ってるのよ。あなたの演奏は折り紙付きよ。それより何よ、この服!こんなの見た事ないわ!」
池端は、この世界に来た時に着ていた、丈の短いジャケットとブララス、ギンガムチェックのミニの巻きスカートという出で立ちである。
「なんて可愛いの!こんなイケハタを見たら、みんな恋しちゃうわよ」
ラレニナは言いながら、イケハタを後ろから抱き締め、耳に息を吹きかけた。片手は太ももを撫で回している。
「あっあんっ、ち、ちょっと、ラレニナ、ダメだったら…、んっ」
又も虚を衝かれて、池端は艶かしく身をよじらせた。
「ちょっとラレニナ、もうすぐ出番だってのに、なにサカッてんのよ」
ウォルカにそう言われて、ラレニナは渋々ながら池端を解放した。
「じゃあ、行って来るね、イケハタ。後で、ハープと歌、聴かせてね」
ラレニナは、ウィンクをして待機場所ヘ出て行った。、
その後ろ姿を見送りながら、池端は先程までの緊張が消えている事に気付いた。
ショーが始まると、皆の思いは一気にラレニナに集中した。透明な歌声が生み出す豊穣な情景は、心の中の懐かしい光景を呼び起こし、温かい、あるいは切ない想いを刺激する。初日の「鎮魂と再生」とは違う、癒しの歌声である。
「やっぱり、ラレニナって凄いな」
安倍がそう言って横を見ると、ウェンは目を閉じて、歌声に浸っていた。客席を見ても、皆同じ様に各々の思い出に浸っているようで、これだけの数の聴衆がいるにも関わらず、水を打ったように静まりかえっている。
千秋楽のラレニナの選曲は、全体的に静かな歌が中心で、アップテンポな曲もあまり早いリズムの物はなく、あくまでゆったりとした気持ちのまま、曲に身を任せるようなステージ構成である。客席の中で、ほぼ全てのショーを観覧したフィオーラが、皆と同じ様に目を閉じて、体をスウィングさせているのが見えた。
安倍は、試しに意識を飛ばしてみた。初日の時のように、アルバドの意識を捉えられるか、と思ったが、今回は各々の意識がゆったりとほどけているためか、『意識の回廊』が開く気配はなかった。
やがてラレニナの歌が止まり、池端がステージ上に招かれた。入口でチケットのもぎりをしたり、表に顔を出す事も多かったので、「若くて可愛い異国の娘がいる」と、秘かに話題にはなっていたのだが、舞台に立った彼女の姿に、皆は心を奪われた。特に、ギンガムチェックのミニスカートは男女共に衝撃を与えたようである。
一方、当の池端は、ラレニナのお陰で緊張が取れると、むしろ肚が座った。目の前の大勢の聴衆にも動じる事なく、椅子に座ると、ハープを構えた。横に、池端を力付けるように立っているラレニナに微笑みかけると、ハープをかき鳴らした。
池端の伴奏に合わせて、ラレニナが歌い出した。普段は楽団編成なのだが、ハープ一本の今日は、バラードのようにゆったりと歌い上げた。
亡くなって行った先人を悼み、明日を信じて未来を創る、というラレニナの一番人気の歌『ミラ アスタ(明日を夢見て)』である。
ラレニナの歌と、池端のハープとの息の合った掛け合いに、聴衆達はますます歌の世界に引き込まれて行った。
「凄いな。とても三十分ほどしか音合わせしていないとは思えないな」
ソデで見ていた安倍は思わず呟いた。
歌が終わり、皆が一息ついた所で、ラレニナが口を開いた。
「では皆さん、最後に、このアルラルハープの名手、イケハタが、彼女のお国の歌を披露してくれます」
ラレニナはそう言うと、池端を見つめて、小さく頷いた。池端も小さく頷くと、一呼吸おいて、ハープを弾き始めた。
「Amazing Grace, How sweet the sound . That saved a wretch like me …」
『アメイジング グレイス』だ。池端は、歌って欲しい、と言われた時に、この歌を歌うと決めていた。このカルカンド、そしてカルテンヌの国の人々が戦の痛手から少しでも早く立ち直って欲しい、そんな想いでこの歌を選んだ。
一番を歌って、二番に入る前に、ラレニナが横から人差指を立てた。池端が一番をもう一度歌い出すと、ラレニナが一緒に歌い出した。一度聴いただけで、歌詩を覚えたようだ。その声は、圧倒的な力で聴衆を引き付けた。池端は音を変え、即興のハーモニーで歌う。二番以降は、歌詩を知らないラレニナが、ハミングでハーモニーを続ける。二人の歌声とハープの音が混ざり合い、融け合って、幻想的な空間を作り出した。会場の全員の意識が舞台に集中した。
そこで、安倍は鋭い耳鳴りに眉をしかめた。
この感覚は、以前にも感じた事があった。『意識の回廊』が開いた時のものだ。
「ほう。今度の『回廊』は、お前の連れ合いの力か。見事なものね」
「出たな、アルバド」
「幽霊みたいに言うな」
「明日には移動を始める予定だから、気長に待っててくれ」
「あと半年以内には来て欲しいものだわ。あたしの力はどんどん弱まっているのでね」
「ところでアルバド」安倍はアルバドの物言いに引っ掛かりを覚えた。「何だよその『連れ合い』ってのは?俺達、結婚してる訳じゃねーぞ」
「同じ様な物だ」アルバドは鼻で笑った。「『結婚』など、お前達人間が集合して生きる為に生み出した約束事に過ぎぬ。お前とイケハタとの心の繋がりは、そんな型通りの契約とは違うと思うが」
「そんな恥ずかしい事を堂々と言うなよ」
「まあとにかく、あたしの所まで来てくれるのを待っているよ…」
アルバドはそこまで言って、少し沈黙した。
「何だよアルバド、何か言いたいのかよ」
「…ああ。悪いが、あたしの所へ来るまでに、別の用事を済ませてもらいたい」
「この上更に用事があるのかよ?」
「ああ。非常に大事な用件でな。レッド・ドラゴンを排除して欲しいのさ」
「レッド・ドラゴン?」
「そう。奴らはあたしらの唯一の、天敵と呼べる生物さ」
「天敵ねえ」
「特に、あたしの事をつけ狙っている奴がいるので、とにかく時間を稼ぎたい」
安倍は肩をすくめた。
「判ったよ。何とかするよ。レッド・ドラゴンの情報があったら、また知らせてくれ」
「そうしよう」アルバドは笑ったようだった。「では、またな。連れ合いを大事になさい」
「判ってるよ」
安倍はぶっきらぼうに答えた。そのまま、『意識の回廊』は閉じた。
舞台では、現地の民謡が歌われており、会場全体に手拍子が鳴り響いていた。
つづく
20170909