その膝 鉱山都市カルカンド(5)
先行きが見えて来た事で、二人の仲も進展するのか?
龍が往く 外伝
――もし現代の異能者が異世界に召喚されてしまったら――
その膝(七)
安倍と池端が教会の宿舎に帰ったのは、日が暮れてからだった。サム翁とウォルカの夫婦が玄関で待ち構えており、二人の姿を認めると、小走りで出迎えた。サム翁は安倍に、ウォルカは池端に取り付くと、開口ー番こう尋ねた。
「どこ行って来たんだい?ちゃんとヤって来たのかい?」
二人が完全否定すると、特にサム翁が肩を落とした。
「どうしたんだアベ。大勢で寝泊まりしてる所じゃ気を使うと思ってだな…」
「ごめん」安倍は頭をかいた。「気を使ってくれるのはありがたいんだけど…」
「どうした?勃たないのか?」
「違うよ!ただ、こう、何て言うか、その、誘うにしても、タイミングって言うか…」
「おい」サム翁が、急に声をひそめた。「お前、童貞か?」
「はっきり言うなよ恥ずかしい」
「今時奇特な若者だな。プラトニックで駆け落ちとは」
「駆け落ちってのも正しいとは言えないんだけど…」
「俺がお前くらいの頃は、未亡人相手にヤりまくってたけどな」
「どう言う事だよ?」
「このカルテンヌに限らず、ここいらの国は、断えず戦火にさらされておるでな、未亡人が増えるんだ。ランズー正教は離婚を禁じてるからな、若後家さんは、ずっと一人身、という事もあり得る。で、言わばその抜け道のひとつでな、若者の筆下ろしは、未亡人にお願いして良い、という事になっとる」
「何だそりゃ」
安倍は首を振った。
「お前はさぞかし平和な国で育ったんだろうな。未亡人問題は切実な話なんじゃぞ」サム翁は結構真面目な顔で言った。「兵隊に行った男達が帰って来ない、という事は、子供が生まれん、という事じゃ。と言う事は働き手が減る、生産力は落ちる、兵隊も足りない。土地は荒れ、国は滅びる、という訳じゃ」
「ジリ貧って事か」
「で、女は十五歳からでないと結婚出来ない、となっておる。しかも、結婚前の性交渉も禁止じゃ。そこで、男は十三歳から十五歳までの二年間で、未亡人に『男にしてもらう』という通過儀礼があるんじゃ。もちろん二年間は、何回でも、誰とでも構わん」
「随分と男に都合の良い儀礼だな」
「これで救われる事もある。女だってな、女盛りを棒に振るのは辛いだろうぜ」
「ところで、何の話なんだい?」
「いや、そりゃあアベとイケハタがよろしくやったかどうか心配で…」
「それはもういいよ」安倍はサム翁の言葉を途中で止めた。「何か別に、言いたい事があるんじゃない?」
「ん…、まあな」饒舌だったサム翁の口が、急に重くなった。「今日、あれだろ。グロッフトって占い師ンとこへ行ったんだろ?」
「何で知ってるんだい?」
「お前達が帰って来る少し前に、穀物ギルドのフィオーラ女史が来たんだ。で、『アベとイケハタが行くべき道を見出した。だから、引き止めるな』ってな」
サム翁は、呟くように言った。既にウォルカと池端は、話しを終えてサム翁と安倍の会話を聞いている。
「判っちゃいるぜ、俺もよ。アベとイケハタは、たまたま道が同じで、ー緒にこの街へ来ただけだってな。でもなあ、もうお別れっていうのも寂しいじゃないか。まだ三日ぐらいだろ?せめてー週間くらいは一緒に仕事を手伝っちゃくれねえかな?」
「ちょ、ちょっと待って」安倍は両手を振りながらサム翁を止めた。「一体、フィオーラさんに何を吹き込まれたんだい?確かに次の道は見えたけど、今すぐに出立するって訳じゃないぜ」
「えっ?」
サム翁は、目を丸くした。
「一応、今回の公演が終わるまでって約束だし。今後の事も考えて、二週間分きっちり貰っとかないとな」
最後の方は、照れ隠しでぶっきらぼうな言い方になったが、サム翁には安倍達の本意は伝わったようだ。
サム翁は、いきなり安倍を抱き締めた。
「ど、どうしたんだよ翁さん」
安倍がどぎまぎするのも構わず、サム翁は言った。
「良かった。もう少し、お前達といられるんじゃな」
「ありがとう。もう少しお世話になるよ」
安倍は、サム翁の背中を優しく叩いた。
そこから、サム翁と安倍は、ウェンを引っ張り出して酒を呑み始めたので、ウォルカは池端を促して、教会前の石段に腰掛けた。
「ありがとうね、イケハタ」
ウォルカにそう言われて、池端は慌ててしまった。
「何で?お礼を言わなきゃいけないのは私達の方なのに」
「あんなに喜んでるウチの人、久し振りに見たよ。もちろん、一座の皆も家族みたいなもんだし、息子や娘みたいなもんだけど、やっぱりアヴァカックとイフェーリアとは違うからね」
「息子さんご夫婦ですね」
「そう。それもね、アヴァが兵役に出たのは、終戦の三ヶ月ほど前だったんだ」
「お嫁さんは?」
「イフェーリアは元々心臓が弱かったんだけど、頑張ってくれてたんだ。でも、兵役に出てひと月も経たないうちにアヴァの戦死の報せが届いて、床に伏せっちまってね。二週間ほどで亡くなっちまった」
「そうだったの」
「イヴァークがね、二人にそっくりでね」ウォルカは、孫の顔を思い出して、微笑んだ。「あの二人が残してくれた宝物だ。一人立ち出来るようになるまで、ちゃんと面倒見てあげなきゃね」
「そうですね」
「そんな所へ、あんた達が来たもんだから、あたしゃ驚いちまってねぇ」
「二人ほどいなくなった、ていうのは、息子さん達の事だったんですね」
「ホント、ごめんねイケハタ。決して代わりにするって訳じゃないんだけど、若い夫婦に何かしてあげたいんだ。この興業が終わるまで、付き合っておくれ」
「ん一ん、こちらこそよろしくね、おばさん」
池端はそう言うと、ウォルカを優しく抱き締めた。
そこへ、間を計ったかのように、ラレニナがやって来た。手には、百弦のアルラルハープを持っている。
「良かった。イケハタも、アベも、もうしばらくいてくれるのね」
ラレニナは、ハープを軽く瓜弾きながら、歌い始めた。ケスロス風の明るい、跳ねるようなリズムに合わせて、初々しい恋の歌を唄う。まだ声が少しかすれている所に、昨日の余韻を感じる。
ー小節を唄ったところで、ハープを池端に差し出した。
「あなた、手先が器用そうだから、弾けるんじゃないかな?」
池端は結構大きなハープに戸惑いながら、手に持ってみた。丸い胴から長いU字形の首が出て、片方は頭の上に来るほどの高さで、自分側四十本、外側六十本の細い弦がびっしりと張ってある。使い方はさっぱり判らなかったが、とりあえずハープを持ち、弦を鳴らしてみた。
と、池端の頭の中で何かのスイッチが入り、まるで今までちょっと忘れていたのを思い出したかのように、ハープの演奏法が理解出来ていた。今は、見るだけで何でも弾ける。
池端は、さっきラレニナが弾いた曲を、記憶を頼りに弾いてみた。ラレニナが弾かなかった和音の部分も弾く事が出来た。
「凄い、イケハタ。本職も顔負けだよ。何で今まで隠してたのよ」
ラレニナにそう言われて、池端は首をかしげた。自分でも、なぜそんな事が出来るのか判らなかったからだ。
(こっちに来た時に、私にも何かの力が具わったんだ)
池端は、とりあえずそう思って自分を納得させる事にした。せっかくなので、何か弾いてみる。この間のカラオケではうろ覚えだったのに、今は完璧に思い出せる。
「♪セーラー服を 脱がさないで イヤよダメよ 我慢なさって…」
『セーラー服を脱がさないで』をフルコーラスで歌い切った。
池端が歌い終えると、ラレニナが笑顔で言った。
「何か、不思議な感じ。凄く異国風だけど、リズムも良くて、明るくて楽しい歌だね」
「でもさ」ウォルカが笑いながら言った。「明るくて楽しいけど、何だかエロいよね」
「そうそう。その歌って、イケハタの国のだよね?『セーラー服』って何?あと、『H』って、"イェムス"の事だよね」
ラレニナが勢い込んで尋ねて来て、池端は少し後悔した。
(よりによって、何でこの歌をチョイスしちゃったんだろ、私)
二人からの質問にしどろもどろに返しながら、"イェムス"というこちらの言葉が翻訳されなかった事を不思議に思った。
と、ラレニナが池端の背後に回り込み、首に腕をからめて、頬を寄せて来た。サラサラな素肌と美しい小さな顔は、同性でも思わずドキリとしてしまう。
「ねぇ、イケハタ」ラレニナは艶っぽい声で囁いた。「もしかして、あなた、処女?」
池端は胸元まで真っ赤になった。
「やっぱりそうなんだ。可愛い」
ラレニナは言いつつ、池端の耳朶を甘噛みした。
「あっ、ちょっと、あん、やめて…」
不意を突かれて、池端は艶かしく反応してしまった。
「イケハタ、ホントに可愛い。このまま食べちゃいたい」
ラレニナに吐息まじりに囁かれ、池端は本気で警戒心を抱いた。
「ちょっとラレニナ、そんな事は部屋でやって」
ウォルカは笑っているだけで、助けてくれる気配はない。
「あなた、本当に可愛いね」ラレニナは頬を池端に密着させた。「あなた達の国では、男女のルールが私達と違うのは判る。でも、アベもあなたの事が大好きだから、きっと上手くいくよ。だから、私達の言う事なんか気にしないで、あなた達の想いに正直にね。そしたら、いつの間にか"イェムス"しちゃってるよ、きっと」
「うん。ありがとう」
池端は、ラレニナの腕に顔をうずめるように頷いた。
(私が"知らない"から、判らない言葉なんだわ、きっと)
「もし悲しい結果になったら、いつでも私が面倒見るからね」
ラレニナは池端をギュッと抱き締めた。
「不吉な事言わないで!」
池端はラレニナの腕に爪を立てた。
つづく
20170727