その伍 鉱山都市カルカンド(3)
龍が往く 外伝
――もし現代の異能者が異世界に召喚されてしまったら――
その伍
夜のカルカンドの上段の街の中央に位置する教会は、追悼ミサに参加する人々でごった返していた。
追悼のミサには、死者を弔う意味もあるが、同時に今を生きている者達が前を向いて歩く為の激励の意味もある。つまり、追悼ミサとは、悲しみに区切りをつける娯楽の場でもあるのだ。
祭壇前の広い空間を舞台に仕立て、両脇には衝立を立てて、舞台袖にしている。
その物陰から、教会の礼拝堂を覗き込みながら、安倍は溜め息をついた。
「凄い人だねえ」
横で同じように覗き込んでいるウェンに言うでもなく、安倍は独り言のように呟いた。池端は、歌手の式典様衣装の着付けを手伝う為、奥の控え室へ行っている。手先が器用でよく気が付き、愛嬌があって人当たりの良い池端は引っ張りだこであった。
「イケハタがいないからって、そんなつまらなさそうにする事ないだろ?」
ウェンにそう言われて、安倍は慌てた。
「べ、別にそんな事は…」
そうは言ったものの、当たっていなくもないので、それ以上は言い訳はしないでおいた。
(それよりも…)
安倍は客席に目をやりながら、感覚を研ぎ澄ませた。この巨大な教会の礼拝堂には、数百名の観客が詰めかけている。この中に「声の主」がいないかどうか、探っているのである。
そんな中で、最前列の特当席に座っていたフィオーラと目が合った。フィオーラは安倍に対して妖艶に手を振って来たので、無視する訳にもいかず、手を振り返した。
「何だいアベ、あれって昨日会った、穀物ギルドの偉い人だよな。いつの間にそんなに仲良くなったんだ?」
ウェンが目を丸くして訊いて来たので、安倍は適当に答えておいた。
今日この場に来ている者達は、戦没兵士の遺族以外にも、政財界の大物も来ている。そんな中で、魔法の力で人間を召喚出来るような奴がいるのか。
安倍はしばらく探ってみて、やがて諦めた。小さく首を振る。
そこへ、歌手達の着付けを終えた池端が駆け寄って来た。安倍に身体を寄せるのを見て、ウェンは気を使って少し間を空けた。
「お待たせ。凄い人だね」
池端は頬を上気させながら、明るい声で言った。豪華なドレスを扱った事で、大いに乙女心を刺激されたようだった。
「メインボーカルのラレニナさんも、他のみんなもすっごくキレイだったよ。きっと素敵な鎮魂歌を聴かせてくれるわ」
そうこうしている間に、口上士が正面に立った。この教会の副司祭で、上背のあるイケメンである。その後ろの一段高い祭壇には、精緻な細工が施された球形の香爐を持った司祭が立つ。
「これより、戦没兵士の魂の平安と、カルテンヌの民の日々安寧を祈り、追悼の祭典を執り行う」副司祭が朗々と口上を述べる。マイクもなしに、広い礼拝堂に響き渡る。「カルテンヌの兵達、そして戦地で敵として剣を交えた兵達、共に全能なるランズーの御心により、死後の安息を得られるよう。そして我らを守りし兵達が死して尚我らと我が国を守りたまえるよう、ここに祈りを捧げん」
副司祭の言葉の終わりに、皆が一斉に指を胸前で組み、頭を垂れた。ウェンも同じように頭を垂れるのを見て、安倍と池端も合掌をして、頭を下げた。
その一堂の頭の上を、副司祭の祈りの聖句が厳かに流れた。司祭が香爐をゆっくりと左右に揺らし、香の薫りを振りまく。
祈りを拝げつつ、安倍は「敵」に対しても敬意を表するその精神性に感嘆していた。
やがて聖句が唱え終わり、司祭が席を降りた。
「それでは、カルテンヌ随一の歌い手、ラレニナ=カルジャン嬢による鎮魂歌を」
副司祭はそこまで言うと、舞台袖に引っ込んだ。入れ違いに、ラレニナと他四人の歌手が正面へと立った。礼拝堂内は水を打ったように静まり返る。
両脇の四人が歌い出した。アルトの声から入り、メゾソプラノの二人、そしてソプラノの声が続き、同じフレーズを和音で合わせていく。四人の声が揃ったところへ、ラレニナが声を重ねた。他の四人の声を圧する事なく、しかも圧倒的な存在感を持って響き渡った。中音域からソプラノの上の高音域まで、伸びのある明瞭な歌声がさざ波のように拡がって行く。ソプラノ・リリック・スピントと呼ばれる、高度な表現力を持った歌い手の真骨頂である。
客席はすすり泣きの声で埋め尽くされた。近しい人を喪った悲しみに胸が締めつけられ、涙を堪える事が出来ない。
(何だ、これは?)
安倍は、押し寄せる悲しみの波に必死で抵抗した。自分が直接受けた悲しみではないのに、切なさに捕らわれてしまう。
横を見ると、池端は既に顔を涙でぐしゃぐしゃにしてしゃくり上げていた。
(声と、音階と、歌詩―言葉をフル活用した魅惑の呪文なのか?)
そう考えても、安倍も溢れる涙を堪える事が出来なかった。
客席全体の悲しみの感情を全て抱えたまま、歌はゆっくりと終わった。しかし、アルトのスキャットが低く途切れずに皆の感情の足元をたゆとうている。
悲しみの余韻を保つような間があって、そこへラレニナの澄んだ高音が響いた。ほとんど眠っていたような状態になっていた客達は一気に覚醒した。
歌は一転して明るく軽快なテンポを刻み、生きる喜びを表現していた。先程までの悲しみが吹き払われ、心の中に爽やかな希望が芽生えて来るようであった。
人々は苦しみと悲しみの底から一気に喜びと優しさの頂きに引き上げられ、幸せな思いで舞台上のラレニナに眼差しを送った。今、礼拝堂を埋め尽くす数百名の心がラレニナのもとに一つに繋がった。
その時、安倍は「声」を聞いた。
「ようやく『意識の回廊』が開いたか。やはりラレニナの力は見事よな」
それは、この異世界に来て以来、最も明瞭な「声」であった。その「声」に気付いた瞬間、安倍は声の主が誰なのか、はっきりと判った。
「あんたが『声』の主か」安倍は声に出して言った。「この世界に来た時、おぼろげながら聞こえてたんだけど、それからは全然聞こえなくなっちまった。何故だ?」
「いかにも、あたしがお前達を呼び出したのさ」『声』は深い威厳を湛えた重々しい「女」のものであった。「是非お前に助けてもらいたくてねぇ」
「何で芳恵まで巻き込んだんだ?」
「それは事故さ。申し訳ないがな。召喚には付き物だろう」
「声」には笑いが含まれていた。
「何笑ってんだよ?」
「何しろ、あれほど熱烈に抱擁していては、お前だけ引き抜く訳にも行かなくてな」
「畜生、誰だか判らん奴にまでイジられるのか」安倍は赤面しながら毒づいた。「そんな誰兵衛が、俺に何の用があるって言うんだ?」
「あたしの力が、とても弱まっていて、恐らくあと数ケ月後には、ほぼ失われてしまう。更にその後数ケ月を耐えれば、また力は戻って来るだろうが、力を失っている間、あたしは無防備になっちまうのさ。だから」
「だから?」
「お前にあたしを護って欲しいのさ」
「護るって、ボディガードって事か?それはお角違いだろう。『西部警察』にでも頼んだ方が良いんじゃないか?」
「大門軍団ではあたしの敵は止められぬ」
『声』がそこまで言った時、急に強固だった『意識の回廊』に乱れが生じた。
ラレニナの歌が地方の流行歌になり、観客達の思いがそれぞれの気持ちに向かい始めたので、場の力が崩壊し出したのだ。
「残念だがこれまでか。アベよ、あたしの意識は常にお前に開いておるからな。頼んだよ」
「おいおい、ちょっと待ってくれよ。名前だけでも教えてくれ!」
そう叫んだ安倍の意識に、「声」が滑り込んだ。
「我はアルバド。我の元へ…」
そこで、彼女の思考は途切れた。『意識の回廊』が閉じたのだろう。
安倍が我に帰ると、その横では池端がウェンとー緒に歌に合わせて手拍子をしていた。
「芳恵、顔、大変な事になってるぞ」
安倍は笑いながら、池端の顔を両掌で挟むようにして、親指で残った涙をぬぐった。池端は、安倍の右掌に少し頭の重みを預けて微笑んだ。
「ありがと、晴明」
それを横目で見ながら、ウェンは知らんぷりを決め込んだ。
池端に微笑み返すと、安倍は舞台に目を戻した。ショーは大いに盛り上がっていたが、安倍は先程までの『意識の回廊』でのやり取りを思い出していた。
(アルバドか。一体何者なんだ?)
判ったのは、「女」であるという事だけである。
(明日、下段の街の〈まじない小路〉へ行ってみるか)
安倍は、皆とー緒に盛り上がっているフィオーラを目で追った。
(御贔屓のグロッフト導師のお手並み拝見といこうか)
そう決めると、安倍は改めてラレニナの歌に耳を傾けた。
ラレニナの声は衰えを知らず、ショーは益々盛り上がっていった。
つづく
20170602