その肆 鉱山都市カルカンド(2)
龍が往く 外伝
――もし現代の異能者が異世界に召喚されてしまったら――
その肆(四)
夜が明けると、ヴィチャック一座はいきなり忙しくなった。
今日の夜には、戦没兵士の追悼ミサが行われる。一座はミサでの鎮魂歌の為の前準備に追われていた。専門の歌手は五名なので、それ以外の団員は舞台設営や、明後日から行う歌劇の大道具等の準備に当たっていた。
安倍もー団に混じって力仕事に励んでいた。体を動かす事は嫌いではないので、皆と混ざって荷物を運んだり、大工仕事に精を出した。
池端は力仕事は無理なので、座長の妻であるウォルカ婆さんについて、食事の用意に回った。三十人いる一座の食事の用意は、そう簡単な事ではない。今まで、用意は全てウォルカ婆さんと助手のミレンダの二人で賄って来たのである。勢い、手間の少ない簡単なスープ物や焼き物が多くなる。
池端はまず卵と酢、塩と食用油を使ってマヨネーズを作ると、ゆで玉子を作っている間に小麦粉でホワイトソースのルウをこしらえた。パンとハムとジャガイモとニンジンは山のようにあったので、サンドイッチとホワイトシチューを作った。パンの耳は切って、油で揚げてスナック菓子にした。
一座の全員が、見た事もない料理に驚いたが、食べてみて更に驚いた。
「何じゃこれ!美味いのう!」
サム翁がサンドイッチを両手に持ってかぶり付きながら言った。
「シチューも美味しい!ミルクでもないのに白いってのが不思議」
「カリカリのお菓子もいいね」
料理は好評で、池端も胸を撫で下ろした。
そんな食事の最中に、安倍は小さな声を聞いた。思わず周りを見回したが、誰もその声に気付いた様子はない。
安倍は席を立って、部屋の隅に行くと、改めて耳を澄ませた。やはり何か聞こえる。
ようやく来たか。
安倍は、口の中で小さく呟くと、耳をそばだてた。肉声ではないので、心の耳のアンテナを伸ばす。しかし、声は弱々しく、はっきりと聞き取れない。
安倍の様子を見ていた池端が側にやって来た。
「晴明、どうしたの?」
「声だよ。声が聞こえたんだ」
「ホント?」
「ああ」答えてから、安倍は小首をかしげた。「ただ、こないだ聞いた時は、もっとこう、力強い感じだったんだけど、今回は…」
「弱々しい?」
「か細いというか…」
安倍は呟きながら意識を集中しようとしたが、やがて首を振った。
「このままじゃ場所が特定出来ない。ちょっとしんどいけど…」
安倍は呟くと、印を組み、佛眼佛母真言を唱えた。。
「唵勃陀魯娑儞莎訶」
真言が終わると同時に、球形の力場のようなものが安倍を中心に拡がって行くのが、池端には見えた。やがてそれが収縮して安倍を包み込んで止まった。安倍はしばらくしかめっ面で何かを確かめていたが、素早くある方向を向いて、印呪を唱えた。
「弱吽鑁斛!」
それは、池端も以前に聞いて知っていた。
「捕縛の真言だね」
「うん。どうやら見つけたみたい。見失わないよう縛っておいた」
安倍は言いつつ皆の横を通り抜け、そのまま玄関へ向かった。
「どうした?メシがなくなっちまうぞ」
サム翁が陽気に声を掛けて来た。
「しっかり食べてよ。ごめん、ちょっと出掛ける」
安倍はそれだけ言って、外へ出て行った。
「ごめんなさい。洗い物は、私がするから置いといてね」
池端も急いで安倍を追って出て行った。
「何だい、仲の良いこったねぇ」
ウォルカ婆さんが笑って見送った。
街ヘ出た二人は、安倍の感覚を頼りに雑踏の中を歩いて行った。丁度昼時なので、どこもかしこも人で賑わっている。そんな中で、安倍は人気のない細い路地に入り込んだ。奥は行き止まりになっており、物陰に何か動くものがあった。
安倍がそっと持ち上げた物を見て、池端が小さく声を上げた。
「まあ、可愛い小猫」
親とはぐれたのか、小さな声でミーミーと鳴く小猫を、安倍は腰に差していた手払いで拭いてやった。
「確かに『たすけて』と思ってただろうけど、お前さんには俺達を召喚する力はなさそうだなあ」
安倍は小猫を撫で回しながら言った。
二人が路地から出た所で、一人の女性が声を掛けて来た。ラフな格好ではあるが、明らかに高級そうな仕立ての服装で、周りの鉱夫達とは気品が違っている。
「ねぇ、お二人さん、この周りで小猫を見かけなかった?」
そう問われて、安倍と池端は顔を見合わせた。
「この子の事でしょうか?」池端が、安倍の腕の中の小猫を示した 。「この路地の奥にいたんですけど」
「んふ、多分そうね」
女性は艶やかに笑った。
「多分?」
安倍はその言葉を聞き咎めた。
「あら、ごめん遊ばせ。私はフィオーラ。フィオーラ=リッツゲラルド」そこで、フィオーラは池端を見た。「あなた、昨日の晩餐会にいたわよね」
「あなたも上座の方にいらっしゃいましたよね」
池端も返した。それを聞いて、安倍は肩をすくめた。
「全っ然覚えてない」
「確か、穀物ギルドの元締めさんですよね」
池端は記憶をたぐり寄せながら尋ねた。
「そう。この辺りの穀物は私が取り仕切ってるんだけど」フィオーラは答えると、小猫を見ながら微笑んだ。「うちの穀物倉庫が、最近ネズミに荒らされて困ってたの。そしたら丁度小猫の声が聞こえて来たから、うちで雇おうと思って」
「雇う?」
「リッツゲラルド家は代々穀物ギルドで、穀物倉庫を守る猫は、穀倉守備隊長として正式に雇い入れてるのよ。ただ、先代がもうおばあちゃんで、かなりしんどそうなのよ」
「それで、この小猫ちゃんを…」
「そう言う事。若いうちから仕込むと、有能な守備隊長になれるわ」
「そう言う事なら」安倍は笑いながら、小猫を差し出した。「あなたにお譲りします。しっかりと鍛え上げて下さい」
「ありがとう」フィオーラは小猫を受け取ると、高そうな服が汚れるのも構わず抱きしめた。「初めまして、ミラちゃん。これからよろしくね」
「もう名前まで決まってるのか」
安倍は思わず笑ってしまった。
「ところで、お二人さん。あなたたち…」
フィオーラが小猫に頬ずりしながら尋ねて来た。
「あ、俺は安倍、こっちは池端」
「アベとイケハタ、何とも異国情緒のある名前ね」フィオーラはクスクスと笑った。「アベとイケハタも、小猫ちゃんを捜してたの?」
「あ、いえ、そういう訳ではないんですけど…」
ちょっと名残り惜しそうに池端が答えた。
「本当は、別の探し物があったんですが」寂しげな池端を気にしながら、安倍が答えを引き継いだ。「こう、何というか、『心の声』を辿って来たら、この子だったって訳です」
「あら、あなた、魔導師なの?」
フィオーラにそう尋ねられて、安倍は虚を突かれた。そうか、そういう世界観だったっけ。
「いや、ちょっと違うと言うか…」
「もし何か探し物なら、良い人を紹介するわ」
安倍の逡巡をどう受け取ったのか、フィオーラは明るい声で言った。
「良い人?」と、池端。
「そう。私の贔屓のまじない師なんだけど、なかなか良く当たるし、的確な助言もしてくれるもんだから、結構重宝してるのよ」
「なるほど。プロの魔導師なら、気配を辿れるかも知れないな。魔法って概念が盲点だったよ」
安倍は池端に向かって肩をすくめて見せた。
「自分だってマホー使いみたいなもんなのにね」
池端が笑って返した。
「その人ね、グロッフト導師って言って、下段の街の〈まじない小路〉でうらないの店をやってるわ。私の名前を出せば、すぐ判ると思うから。今度時間があったら行ってみて」
「ありがとうございます。是非行ってみます」
「とりあえず、今日の鎮魂歌、期待してるんだから。がんばってね」
フィオーラはそう言ってウィンクをした。
「俺達は出ませんよ」
安倍は笑って言った。
「何言ってるのよ。一座はまるまるひと家族みたいなもんなんでしょ。あなた達もがんばってね」
フィオーラはそう言って、また艶やかに笑った。
つづく
20170516