その拾陸 城都ランカスター(3)
龍が往く 外伝
――もし現代の異能者が異世界に召喚されてしまったら――
その拾陸(十六)
昼食を終えた安倍と池端、そしてカルロッタは、平民街を歩き出した。
「誠に申し訳ないんだけど」カルロッタは本当に済まなさそうに言った。「俺はもうそろそろ仕事に戻らないといけない。家まで案内するから、必要な買い物は、自分達でやって貰えるかな」
「いやいや、ここまで親切にして貰って、かえって申し訳ないよ」
安倍は手を大きく振りながら言った。
「本当に、何から何まで気を使ってくれて、ありがとうございました」
池端も丁寧に頭を下げた。
「こちらこそありがとう。本当は、君達を官舎へ送り届けるだけで良かったんだけどね。色々と話が面白くて、ついつい長居をしてしまったよ」
言いつつ、カルロッタは一軒の家の前で立ち止まった。『獅子の壁』から少し離れているが、大きい道路沿いにある二階建ての立派な家屋である。
「ここが、君達の仮住まいだ」
「へえー、立派な家だね」安倍が家を見回しながら溜め息をついた。「俺達はどの部屋に入ったらいいんだ?」
カルロッタがその質問を理解するまで、少々時間が掛かった。
「何を言ってるんだ、アベ」カルロッタは笑いながら言った。「"この家"が君達に住んでもらう所だよ。どの部屋を使ってもらっても構わないぜ」
「そうなんですか?」
池端も驚いた所を見ると、二人ともこの一軒家だとは思っていなかったらしい。
「そんなに驚く事はないさ。所帯持ちならこれぐらいの家で丁度良いくらいだ」
カルロッタはあっさりと言ったが、それを聞いた二人は同時に顔を赤らめた。カルロッタはそれには気付かずに話を続けた。
「この辺りは買い物にも食事にも困る事はないはずだ。ラフト山に登るらしいな。だったら、ここから一丁ほど向こうにある『アーツの店』なら、大方の装備は揃うはずだ。行ってみるといい」
「ありがとう。行ってみるよ」
顔が赤いまま、安倍は答えた。
家の中を確認したのを見送けて、カルロッタは部隊ヘと帰って行った。荷物を置いた安倍と池端は、改めて家の中を見て回った。基本的な調度品、タンスやベッドはひと通り揃っていた。鍋や食器類は申し訳程度しか無く、買い揃える必要があった。
しばらく使われていなかったらしく、家の中は埃っぽくカビ臭かったので、二人して窓という窓を全て開けた。通りに面したバルコニーは南向きだったので、ベッドの寝具をはぎ取り、天日に干した。
バルコニーから見る街の様子は、大勢の人や馬車や騎馬が行き交い、人々の喧騒が耳に届き、活気に溢れていた。
「浜松の街中と変わらないね」
周りを見渡しながら、池端が言った。
「カルカンドでも凄いと思ったけど、城都の賑わいは全然違うね。この世界を甘く見すぎていたよ」
安倍も池端の横に並んで通りを見渡した。
「ね、お買い物に行こうよ」池端は声を弾ませた。「調理道具とか、日用品も買わなきゃ。ご飯の材料も見てみないとね」
「そうだね。冒険用の装備を揃えるのも大事だけど、まずはここで暮らせるようにしないとね」
安倍も明るい表情で答えた。
戸締まりをして家を出ると、どちらからともなく手を繋いだ。そうしていないとはぐれてしまいそうな喧騒ではある。
カルロッタが描いてくれた簡単な地図によると、『獅子の壁』の内側、城下町には巨大な門前市があり、下町には東西に同じ規模の大市がある。東の市は肉系の食材や皮製品が強く、西の市は野菜や衣製品が強いらしい。二人の住む家は、東西のほぼ真ん中の西寄りにある。全部で八方向にある『獅子の壁』の城門の、南門と南西門の中間くらいにあり、城都のどこへ行くにも利便性の良い位置である。
安倍と池端は西の市へ向かった。途中にある『アーツの店』の場所を確認しつつ、通りを歩いて下町を見物しながら、異国情緒を満喫していた。
西の市は、言わば巨大なテント村で、国が運営する管理棟が中心となる広大な敷地があり、そこへ各人が好きな品目を屋台形式で売りに出す、そんなシステムである。
農作物は、作っている農民達が直接売りに出しているので、良い物が安く手に入る。役所は、底値を設定して値崩れを防ぐ役割を担っているらしい。
「すごーい!浜松の中央市場より凄いかも!」
池端は瞳を輝かせた。
「行った事あるの?」
「うん。中学校の社会見学だけどね」
市場で売られている野菜や果物は、日本で目にする物と姿形がほぼ同じ物もあれば、結構違っている、或いは全く別物の場合もあった。しかし、二人でしばらく屋台を見て回っているうちに、何がどの作物に対応するのかが判って来た。二十分ほどぶらぶらしている間に、大方のものは日本で手に入るものと対応する形で理解出来るように知識が補完された。
買うべき物が判ると、池端は手近な店で大きめの籐編みの手下げかごを買い、店を廻りながら食材の買い物を始めた。
「冷蔵庫が無いから、考えながら買っていかないとね」
そう言う池端は始終楽しそうだ。
「芳恵、すごい楽しそうだね」
安倍は思わず池端に尋ねた。
「楽しいよ。だって、晴明と一緒に二人で食べる食材を買ってるんだよ?何だか」そこで池端は少しはにかんだ。「新婚さんみたいじゃん?」
そんな池端の笑顔に、安倍の動悸が高まった。
「キュンってなった?」
「なった」
安倍と池端は寄り添いながら、市場をゆっくりと歩いて回った。
色々な食材や鍋、フライパンや皿などを買い、結構な荷物になった二人は、官舎への帰り道を歩いていた。官舎の前を通る道は『アウザム通り』という、城都の横を流れる大河の名前がついており、『獅子の壁』から同心円状に走る幹線道路の一つで、かなりの往来がある。ちなみに、壁のすぐ横、「ヒメール・コクィーナ」がある『アルス通り』から『アウザム通り』、『ネイル通り』『タネオ通り』『オートス通り』『ラボック通り』の六本が所謂環状線である。
家まで二ブロック手前の『アウザム通り』の道沿いに、一軒の屋台が出ていた。その屋台から流れて来る匂いに、安倍と池端の意識は針付けになった。
「えっ?この勾いは?」
「もしかして、"かつお節"?」
安倍と池端は顔を見合わせた。この世界に来てから、初めてこの勾いをかいだ。
前を通り過ぎかけていた二人は、慌てて引き返すと、その屋台を覗き込んだ。店に立っていたのは、今まで見て来た白人系では無かった。
「もしかして、日本人?」
思わず呟いた安倍の言葉に反応して、その男が口を開いた。
「ちょっと違うな。ヒノモトから来たんだ。ニホンってのは知らないな」
その言葉は、スリアク語でもアルキス語でも無かった。
「日本語だ!」
安倍はつい大きな声で言ってしまった。他の言語のように同時通訳のように聞こえず、直接聞き取れるのは、池端との会話の時だけだったからだ。
「言葉が直接判るって初めてだね」
池端も目を丸くしている。
「あんた達の言葉も良く判るよ」事情を知らないヒノモトの男は、嬉しそうに笑って言った。「俺はまだこの城都に来て間も無いからね。まだアルキス語も上手くなくて、結構大変なんだ。あんた達が同じ言葉で助かったよ」
「まあ、それも驚いたんだけど」安倍は屋台に並ぶ料理を見ながら言った。「この料理、かつお出汁使ってない?」
「良く判ったね」男は目を見張った。「それが判った人は初めてだ」
「実は和食の味に飢えてたんだ」
安倍と池端は、料理を見ながら言った。肉じゃが、ナスの揚げ浸し、オクラのごま和えなど、どう見ても和食である。
「あ、おでんもある!」
「お豆腐も作ってるんだ」
安倍と池端は大はしゃぎである。
「ご飯はおにぎりだ。みそ汁もあるぞ」
男は、はしゃぐ二人を笑って見ている。
大きな声で騒ぐ二人に、道行く人々も思わず足を止めて、様子を伺う者が出て来た。
「あ、これ美味しい!とても味が染みてる」
おでんを口にした池端が声を上げた。
「ありがとう」
「大将、みそ汁も美味いよ」
安倍も親指を立てた。が、池端の態度が少し変なのに気付いた。
「どうした、芳恵」
安倍の問い掛けに、池端は口ごもった。
「お嬢さん。料理の味の事なら、是非ご意見を下さいよ。俺に何が足りないか、教えてくれると助かる」
大将の真摯な言葉に、池端は思い切って口を開いた。
「プロの板前さんに失礼だとは思うんですけど、私がカルカンドとかこの城都で食べたご飯から考えたら、この辺の食事って、結構味が濃いと思うんです。大将のお料理は、とっても美味しいんですけど、この街では少し薄味すぎるかも、です」
「なるほど」
「和食の真髄は繊細な味付けにあると思いますけど、もっとこう、ガツンと来る濃い目のメニューがあっても良いと思います。お出汁も、かつおと昆布だけだと優しすぎるから、屋台で出すなら、いりことか、椎茸なんかも使って強めの味でいいんじゃないでしょうか」
「そうか」
大将は大きく頷いた。
「ごめんなさい、何だか偉そうな事を言っちやって」
池端は頭を下げた。
「いやいや。こちらこそ礼を言わなきゃ。俺は、ヒノモトの料理で身を立てよう、と考え過ぎて、ちょっと頑なになり過ぎてたと思う。この土地の味覚を考慮に入れた上で、ヒノモトの料理の良さを活用したものを提供すれば良い。そんな基本的な事を忘れてたよ。ありがとう」
大将はそう言って笑った。
そこへ、様子を伺っていたおばさんが声を掛けて来た。
「ねえ、ずっと前から気になってたんだけど、これ、どこの料理なの?」
「ヒノモトです」
「へえ!また随分遠くから来たんだね」
一度地元の人間が声を掛けると、後から続々と客が集まって来た。皆、気にはしていたらしい。
「ありがとう大将。ごちそうさま」
安倍と池端は、突然大忙しになった屋台を離れた。
「こっちこそありがとう。また来てくれよ!」
大将はそう言って一礼すると、殺到する客の対応を始めた。
屋台を離れた安倍と池端は、再び家への帰途についた。
「美味しかったね、お料理」
池端が溜め息まじりに言った。
「うん。やっぱり和食が一番だな」
安倍も満足げに言った。いつの間にか周りは薄暗くなっており、等間隔に並んだ街灯に、司祭服を着た男達が長い棒の先に着いた火を着けて回っていた。
「街灯もあるんだ」
「夜も真っ暗にはならないのね」
「さすが大都会だ」
安倍はしたり顔で頷いた。
二人は家に着くと、荷物をテーブルの上に置いた。
「何か、さっきの屋台でお腹ふくれちゃったね」
安倍は笑いながら椅子に座った。
「今日はお料理しようと思ったのに。また明日でいい?」
「全然大丈夫」
「何だか、普通の生活が始まっちゃったね」
「そうだね。でも、これも元の世界に帰る為のワンステップだからね」
「うん」
池端は、窓を開けてバルコニーに出た。安倍も追って出る。日は完全に落ち、空気も一気に冷えて来た。
「明日から、本格的にアルバドに会う準備だね」
安倍は言いながら池端の肩を後ろから抱き締めた。
「だね。向こうではどうなってるんだろうね、私達の事」
「行方不明で捜索してるのかな?」
「みんな、心配してるかな?」
「そりゃあ心配してるさ。だからこそ、一日も早く帰れるようにしなきゃ」
「うん」
そう話しつつも、二人はお互いの唇を求めた。池端は安倍の腕の中で体の向きを変えると、お互い抱き締めながら、唇を重ねた。
唇を離すと、安倍は池端を見つめながら言った。
「そう言えば、二人っきりになったのって、久し振りだよね?
」
「そうだね」
少し頬を染めて、池端は頷いた。
「お腹も一杯だし、もう寝よっか?」
「うん。でも、体洗いたいな」
「いいよ明日で」
安倍はそう言って、再び池端に唇を重ねた。
つづく
20190615
註 :
通りの名前の由来
『アルス通り』 ―アルス山 城都の南方の活火山。常に噴煙が上がっている。
『アウザム通り』 ―アウザム川 城都のすぐ横を流れる大河。タネオ山を源とする。
『ネイル通り』 ―ネイル川 アルス山を源とする火山性冷泉水の川。健康効果が高い事から『ネイルの黄金の水』と呼ばれる。少々濁っている。
『タネオ通り』 ―タネオ山 城都の北方にある緑豊かな山。
『オートス通り』 ―オートス平原 ランカスター公国のあるオルメール小大陸中、最も肥沃な土地。城都もここにある。
『ラボック通り』 ―ラボック樹海 アルス山を囲む巨大な樹海。城都の南方にあり、迷い込むと二度と出られない、と言われている。