その拾肆 城都ランカスター(1)
龍が往く 外伝
――もし現代の異能者が異世界に召喚されてしまったら――
その拾肆(十四)
ミラール率いる救出部隊は、ようやく遊撃隊と合流を果たした。しかし、思いの外負傷者、しかも重傷者が多く、その治療だけでもかなりの時間が必要だった。
かがり火を煌々と焚いてはいたが、周りの闇は深い。
オークの群れは、懲りずに様子を伺いに来ていたので、その都度安倍が追い払った。
渋い表情で周りを警戒している安倍の側に、救護を手伝っていた池端が近付くと、横に腰を降ろした。
「ああ、芳恵、お疲れ。けが人の方、大変じゃなかった?」
「ううん、大丈夫。ミラールさんと一緒に来た兵隊さん達、軍医さんなんだって。色々教わったよ」
「そうか…」
安倍は力無く答えると、池端の顔を見て、またすぐに闇に目を戻した。
「…ロスファルさんの事、考えてるの?」
優しい声で、池端が尋ねた。それに、安倍は小さく頷いた。
「でも、仕方無いよね。隊長さんも私達も勢一杯やったよ」
「俺、思い上がってた」安倍は呟くように言った。「この世界に来て、前よりも法力が強くなって、しかもそれを限界まで使って、俺は何でも出来ると思い込んでた」
安倍の言葉を、池端は無言で聞いている。
「俺の仏天の加持力は、確かに人の力を超えたものだ。でも、所詮俺一人に出来る事なんて、限られた、小さな事しか無いんだ。今日は、それを思い知らされたよ」
「それはそうよ。いくら晴明が凄い力を持ってても、全部の人を救けるなんて、出来っこ無いよ」池端は言いながら、安倍の肩を抱いた。「それでも、色んな人を救けたじゃん。自分が出来る事をする、それでいいんじゃない?出来る範囲で、少しでも多くの人の助けになってあげられたら、それで十分だと思うよ」
「ありがとう、芳恵」
「私だって、出来ない事一杯だよ。晴明がいてくれなかったら、何にも出来ないよ。私、晴明に助けられてばっかりだもん」
池端はそう言って腕に力を込めると、頬を安倍の肩に押し付けた。安倍も、池端の腰に腕を回して引き寄せた。
「そうだな」安倍の顔に微笑みが戻って来た。「原点に帰ればいいんだ。俺は芳恵を守る。まずはそこからだ」
二人は、どちらからともなく唇を重ねた。
夜が明けると、朝食として干し肉と野菜のスープが供された。ごく簡単なものではあったが、冷えた体にはありがたかった。
他の兵隊達が出発の準備をしている間、安倍と池端はミラールの天幕に呼び出されていた。
「君達は、アルバドに逢いに行く、と言っていたね。これからどうするつもりなんだい?」
ミラールの問いに、安倍は肩をすくめて答えた。
「カルカンドで聞いた話しだと、アルバドはラウアー山脈に住んでるって話しだったから、オールルって国のカッスルって街から登ろうと考えていたんだけど」
「確かにアルバドはラウアー山脈にいる」ミラールは腕を組んだ。「だが、彼女がいるのは、その中でも最高峰のラフト山だ。あそこは桁外れの高さだ。登るとなると、簡単ではないぞ」
「ミラールさん、ご存知なんですか?」
池端が目を丸くした。それに、ミラールは苦笑混じりに言った。
「まあ、昔の腐れ縁って奴かな。何でも、6000ノースくらいの所に巣食っていると言っていた」
「6000?」
驚く池端に、安倍が囁いた。
「実感無いね。どれくらいの高さ?」
「富士山の山頂で3776mだから、約二倍ね」
「二倍?」
安倍は目を剥いた。
「エベレスト級か…」
「ラフト山はかなりの峻険な山だ。登るにしても、ちゃんとした装備が必要だろう」
ミラールはそう言って腕を組んだ。
「そうか…。登山になるとは考えてなかったな」
安倍も腕を組んだ。この世界に初めて来た時も、カルカンドの街も、共に開発された山岳都市だったので、つい現代の日本と同じような、整備された登山道があるものと勝手に考えていた。
「さすがにこの格好じゃあ難しそうね」
池端も、自分のスカートをつまみ上げて首をかしげた。靴もこの世界では一般的な革底のフェルト製で、とても山登りは出来そうも無い。
「そこで提案なんだが」ミラールが明るい表情で言った。「どうせなら、我々と一緒に城都へ来ないか?」
「城都?」
「ああ。我々の故郷、ランカスター公国の首都、城都ランカスターだ。こう言っては何だが、カッスルは巨大な滝があるだけの田舎だ。城都なら、必要な物資は全て揃っているぞ」
安倍と池端は「対ドラゴンの護衛」という形で飛空艇に乗り込み、城都を目指す事となった。ノンストップで飛行を続けて、四日目、アルス山という活火山を迂回し、ラボック樹海を越えると、肥沃なオートス平原に達する。その平原を流れるアウザム川のほとりに、長大な城壁に囲まれた巨大な都市が見えて来た。
「ご覧」ミラールが前方を指し示した。「あれが、我々の故郷、城都ランカスターだ」
巨大で壮麗な城を中心に、石造りの街が三重の石壁に囲まれており、一番外側の壁の周りは、小さな家が点在し、広大な耕地がとり囲む形となっている。耕地の間を川から引かれた用水路が縦横に走り、そこを船が往来している。物流の運河でもあるらしい。
「凄い。キレイだし、活気があるね」
池端が瞳を輝かせて言った。池端の目は、安倍の力を凌駕している。街の中の何かを見ているのかも知れない。
飛空艇は、城壁を飛び越え、多くの飛空艇が離着陸している空港(とでも言ったら良いか)ではなく、アウザム川から引かれて街の真ん中を流れる堀に囲まれた、城の敷地内にある広場に着陸した。
「船だから、川の中に着水するかと思ったんたけど」
安倍が言うと、ミラールは声を立てて笑った。
「いや失礼。皆そう言うのでね。しかし、着水すると、船底が汚れてしまうだろう。だから着水は、最後の手段なのさ」
船の甲板の高さに広いデッキがあり、そこに迎えの医師団がいて、降ろされた負傷兵達の治療が始められた。
安倍と池端がミラールに促されてデッキに降りた所へ、一人の偉そうな男が、兵隊を二人引き連れてやって来た。背の高い偉丈夫で肩も胸も金モールで賑やかだったが、鼻の下のちょび髭のお陰で、ちょっと貧相に見えた。
男はミラールの前に立ち止まると、後ろ手のまま大仰に目を剥いて三人を睨みつけた。
ミラールは相手に聞こえないよう小さく舌打ちをすると、澄ました顔で敬礼をした。
「おお、オルテール中佐、作戦を成功させてご帰還か。ご苦労だった」
男は居丈高に言った。
「これはこれは、友軍救助隊々長にして、南方警備隊・トーレル師団長のストッケンガル小将におかれましては、ご無事でご帰還になられたご様子、恭悦至極に存じます」
ミラールの木で鼻を括ったような言い様に、ストッケンガルは唇を歪めた。
「何か不満か?」
「いえ。小将どのは我が軍の大事な指揮官です。ドラゴンなどに傷を負わされては、国家の一大損失ですから。卑怯とか、腰抜けなどとは決して」
「言ってくれるな」
ミラールの真っ直ぐな非難にさすがに面食らいながらも、ストッケンガルはミラールを睨み返した。
「あんた、ミラールさんの船がやられると思って、そのまま逃げ帰っただろう。せめて後から様子を確認しに来るとか出来なかったのかよ?」
安倍が横から口を出した。
「何だこいつは?」
「こちらはアベとイケハタ。レッド・ドラゴンを撃退してくれた、我々の命の恩人です」
ミラールが合いの手を入れる。
「民間人が判ったような口を聞くな。戦局が不利になれば、一時退却して態勢を立て直すのは、兵法の基本だ。我々が全滅してしまったら、後続の部隊も出せないんだ」
「実際、後続の部隊は出してないじゃないか。こっちは救助した兵隊達で満員で帰って来たのに、途中で増援部隊と鉢合う事も無かったぞ」
「ドラゴンに狙われて生きて帰れるなどと考えるものか」
「やっぱり見殺しにするつもりだったんじゃないか」
「うるさい。軍人たるもの、将校を護るのも任務だ」
「部下を護るのは、将校の義務だと思うけどな」
安倍のその言葉に、ストッケンガルは言葉を失って、もの凄い目付きで睨みつけた。
「図星を突かれてムカついたかい?」
安倍は挑発するようにうそぶいた。
「おい、オルテール!お前はこんな奴を引き込んで、何のつもりだ?」
「別に。ただ私は、友軍を見捨てて逃げ帰ったあなたの行動が気に食わないだけです。この者達は、見ず知らずの我々の為に、レッド・ドラゴンと真正面から戦ってくれました。あなたの事は、自軍の将として恥ずかしいと感じております」
ミラールははっきりと明言した。相手が上官でもお構い無しである。
「貴様、黙って聞いていれば言いたい事を言いおって」
「お前、全然黙ってないじゃないか」
安倍がストッケンガルの揚げ足を取る。
「無礼な!誰かこの余所者どもを取り押さえろ!」
ストッケンガルが喚いた所へ、後ろから兵隊の一団がやって来た。先頭の男はストッケンガルと同じような軍服だが、後ろに続く者達は明らかに服装が違う。簡略な甲冑を身に着け、大きな剣を帯びている。
「良い所に来たな、近衛兵。このこわっぱ共を引っ立てろ!」
ストッケンガルは振り向く事無く、尊大な態度で吐き捨てた。
「悪いが、用があるのはあなたの方だ、ストッケンガル小将」
落ち着いた低い声に小将が振り返ると、軍服の男が厳しい表情で立っていた。服は質素だが、肩と胸のモールはかなり豪勢だった。
「おお、これはブローワル中将」ストッケンガルは肩越しに声を掛けた。「このような所で、俺に何か用かな?」
「とても上官に対する態度とは思えんな」ブローワルは肩をすくめた。「私が年下だからと侮っているのか?」
「とんでもない、中将どの」ストッケンガルはゆっくりとブローワルに向き直った。「それより、大本営参謀役の中将どのが自らお出ましとは、何事かと思いましてな」
「あなたには、敵前逃亡の嫌疑が掛かっている。軍の監察官が手ぐすね引いて待っているぞ」
ブローワルは冷徹に言い放った。見る見るストッケンガルの顔が青くなる。
「レボネル大隊長、後は頼む」
ブローワルはそう言って、一歩脇へ引いた。替わって、近衛兵の一人が出て来た。こちらもモールが賑やかである。
「アルオット=レボネル大隊長です。貴公を監察局へお連れします。因みにこれは命令です」
レボネルが部下に指示を出すと、屈強な兵隊達がストッケンガルを押さえ込み、有無を言わせず引っ立てて行ってしまった。
小将が連れ去られ、落ち着いた所で、ブローワルは安倍と池端に顔を向けた。
「アベとイケハタだったね。改めて礼を言わせてくれ。彼らを救けてくれてありがとう」
ブローワルはそう言うと、安倍に手を差し出した。安倍はその手を握った。
「俺に出来る事をやっただけですよ」
「ゆっくりしていってくれ。必要な手配はしておこう」
ブローワルは池端とも握手をすると、ミラールの前に立った。
「困難な作戦だったが、良くぞ無事に帰って来てくれた。しかも友軍の救出も成し得た。本当にありがとう、ミラール」
ブローワルの熱い眼差しに、ミラールは顔をほころばせた。
「ありがとうございます、ライドック」
お互いに敬礼をし合う二人を見ながら、池端は安倍に囁いた。
「あの二人、恋人同士なのね」
「そうなの?何で判るの?」
目を丸くする安倍に、池端は微笑みながら答えた。
「恋する女子には判っちゃうんだから」
つづく
20190123