その拾参 ミラヒイ山脈(4)
今回は特殊なパターンで、
『辺境の空は今日も晴れ』 「閑話休題 伍乃弐」と内容がリンクしています。
龍が往く 外伝
――もし現代の異能者が異世界に召喚されてしまったら――
その拾参
前日の酒盛りは大いに盛り上がり、ランカスター公国とカルテンヌ共和国の面々は、お互いに理解を深め、友情を育む事が出来た。
一晩で全ての荷物を積み込み、出発の用意も整ったので、ミラール達はフィオーラの一行に別れを告げ、友軍の待つミラヒイ山脈中腹へと出立した。ミラヒイ山脈はドラゴンやオークなどの棲息地として知られている。また何があるとも限らないので、用心棒として安倍と池端も同行した。
飛空艇で半日ほど進んだ所で、山の中腹あたりに野営地だったらしい地形を発見した。密生した樹林の中で、その部分だけ樹木を切り倒して平地を確保している。しかし、そこには天幕と焚き火の跡、そして戦闘の跡が残されているだけである。
「何者かに襲撃されたのは間違いないね」
ミラールが腕を組んで言った。渋い表情だ。
「二種類の跡があるな」
安倍も難しい表情をしてみる。
「ひとつは、友軍である遊撃隊のものだろう。もうひとつは…」
ミラールは言いながら地面に目を凝らした。
「鈍器の跡があるね」
池端がミラールの横から覗き込んで、言った。
「見えるの?」
ミラールが目を丸くした。
「うん。棍棒で叩いたみたいな跡が。随分大きな棍棒だね。あと、乱れた足跡が一杯」
池端の言葉に、ミラールは一層渋い表情になった。
「やはりオークか。トロールか何かを連れているのか。弱った中隊クラスでは厄介な相手だ」
「いつ頃の事なんだろう?」
安倍が周りを見回しながら言った。
「まだ血の跡が残ってる」池端が辛そうな表情をした。「そんなに前じゃないみたい」
「という事は、それほど遠くないどこかを移動している可能性があるな。オークもトロールも夜行性だ。奴等から逃げるなら、日中に動くしか無い」
ミラールはそう言うと、兵士を二人、小型の浮揚艇で地面に降ろし、現場を検索させた。しばらく痕跡を調べて、二人は戻って来た。
「どうやら南南東の方向へ登って行ったらしいです」
二人はそう報告した。
「よし、では南南東に微速前進。しっかり見張って、必ず彼らを見付け出すぞ」
ミラールの命令が飛び、飛空艇はゆっくりと進み出した。
徐々に標高が上がり、高木限界の影響で地上の視界は良くなって来た。その先は絶壁がせり上がり、岩肌が露出した峻険な崖が行く手を阻んでいる。日没の近い太陽の光は鋭く、尖った岩石を更に剣呑に見せていた。
「これは登れそうもないな。しかし、迂回出来るほど部隊には体力が無いはずだ」
ミラールはそう言いつつ、岩壁に目を凝らした。飛空艇は高度を保ち、岩壁と平行の位値を取る。
「あ、あそこ!」
池端が岩壁の下の方を指差した。
「どこだ?」
ミラールが池端の横に駆け寄った。
池端の指差す方向を見ると、崖の麓にこんもりとした灌木の茂みがあった。ただ、そこだけ他より張り出して見える。
「あれか」ミラールは頷いた。「岩壁に洞窟か何かあって、入口を擬装しているのかも」
「もしそうなら、早く助けないと」
そう言う安倍を、ミラールが押さえる。
「ここでは救助方法に制限がある。接地出来ないからだ。接地出来るように下の森を切り開くには、時間が足りない。じきに日が暮れてしまう」
「松明で照らせば」
「それほどの明るさを確保出来ない。それに、オークの群れに襲撃を掛けられる可能性がある」
「奴らはどこにいるんだ?」
「あいつらは夜行性だ。明るいうちはどこに隠れているか、見当もつかない」
「じゃあ、どうする?」
「そうだな」ミラールは腕を組んだ。「悪いが、二人の腕を見込んで、頼みたいんだが…」
「何なりと言ってくれ」安倍は胸を張った。「出来る事なら、何でも協力するよ」
日は一気に落ちて、周りは星明かりのみとなった。月はまだミラヒイ山脈の向こうから出て来ていない。
日没と共に、オークは再び活動を始めた。執念深く、遊撃隊の足跡を探している。やがて、オークの斥候の一匹が擬装を発見した。どうやら臭いを嗅ぎ付けたらしい。
「何か、ブタみたいな頭のがいっぱい来たよ」舷側から下を見張っていた池端が報告した。「大勢で擬装したところに攻撃してる」
「やはり来たか。噂以上にしつこい奴らだな」
ミラールが言いながら駆け寄って来た。飛空艇は、洞突のある岩壁の二百ノース上の平らな岩の上に接地して、下の様子をうかがっていたのだ。池端の眼は、二百ノース下の暗闇さえ見通す事が出来た。
洞突には、兵隊を一人降ろして、何があっても動かないよう伝えてある。
オークの攻撃に、擬装が剥がれ、即席の丸太壁が露出していた。しかし、即席とはいえがっちりとした防壁に、オークのなまくら剣では刃が立たない。
「あ、おっきいのが来た。二匹。手に棍棒を持ってる」
池端が目ざとくそれを見つけた。下の方から、二匹のトロールが歩いて来ていた。
「奴らの手に掛かれば、あんな安普請の壁なんか一発だ」ミラールが急いで命令した。「発進。地面の三十ノース上空まで急降下。急げ!」
飛空艇は一度浮いて岩の上に出ると、一気に高度を下げた。その間に、ミラールは手投げ弾をあるだけ用意していた。
「空爆戦の準備など考えもしなかった」
ミラールはそう呟くと、安倍に目配せを送った。
「まかせとけ」
安倍は大きく頷いた。
下では、防壁前まで来たトロール二匹が、巨大な棍棒を振り回していた。低脳な怪物の蛮力は、いとも容易く壁を破壊していく。
「みんな、眺しいから気をつけろ!」
安倍はそう言い置いて、印呪を放った。
「唵阿儞地也耶莎訶!」
次の瞬間、飛空艇のすぐ横辺りに光の玉が出現し、一拍置いてから、強く輝いた。手をかざした池端の白く細い指が透けて見える程の強烈な光だった。
突然の光の爆発に、眼を焼かれたオーク達は大恐慌に陥った。もともと光を嫌い、暗闇での高い視力を持つが故に、安倍が生み出した太陽と見紛う光に、完全に視界を奪われていた。
今までは何とか保たれていた隊列も崩れて、てんでバラバラに暴れ回っている。中には同士討ちを始める者もいた。
二匹のトロールも例外ではない。顔を覆ってもがいている。
間髪を入れず、ミラールと二人の兵隊が、火を付けた手投げ弾を手当たり次第に下へ放り投げた。手投げ弾はオークの群れの中に落ち、次々と爆発していった。元々空爆用ではない、対人用の投擲爆弾なので、それほどの威力はない。オークやトロールを完全に吹き飛ばすには至らないが、ある程度のダメージは与えられた。何よりオーク共の気を逸らせて、少しの反撃の余裕も与えない事が目的である。
「行くよっ」
安倍は軽く言うと、舷側を飛び越えて、そのまま下へ飛び下りた。
「唵縛曰羅儗伱鉢羅捻跛多耶沙縛賀」
印呪で身体を剛直させると、減速無しで直接地面に降り立った。ドンッと大きな音がして、両足が少し地面に沈み込んだ。
安倍は、飛び降りる前にミラールから掛けられた、
「あれは、ロック・トロールだ。奴らは、太陽の光を浴びると石になってしまうらしい」
という言葉を思い出していた。
「唵阿尾羅吽欠縛曰羅駄都番!」
安倍は真言を唱えると、掌を天に差し上げた。掌の上に光の球体が生まれ、フラッシュのように爆発した。光は一瞬で消えたが、その光を浴びて、二匹のトロールは完全に石化してした。
「発吒!」
安倍が印呪を叩き付けると、トロールの石像は粉々に崩れ落ちた。
「唵因陀羅耶莎訶!」
安倍は続けて印呪を唱えた。虚空から生まれた稲妻が、パニックになって逃げ惑うオークの群れを打ち、彼らはなすすベも無く吹き飛ばされた。
オーク共がこけつまろびつ逃げて行くのを見届てから、安倍は頭上の飛空艇に合図を送った。
しばらくして、上からミラールと兵隊一人、そして池端が小型艇で降りて来た。
ミラールの姿を認めて、二人の士官が前に出た。同時に敬礼する。
「第四十六中隊長のメジッナです」
「第十二中隊長のラフェルガです」
「南方警備隊第二連隊長のオルテールです」ミラールは敬礼を返した。「救出が遅くなってしまって、申し訳なかった。ところで、何人残っている?」
「カルテンヌ軍との衝突が激しく、又、オークとの戦闘によって、かなりの被害が出ました」メジッナが報告したが、少し言葉に詰まった。「――中には隊から逃亡する者もおり…。現在は、四十三名。うち負傷者が二十名ほどおります」
「判った。辛かっただろうが、良く耐えてくれた。ありがとう」
ミラールはそう言って、表情を和らげた。
思わず涙をこぼした中隊長達の肩を優しく叩くと、ミラールは安倍を振り返った。
「アベ。済まないが、ここで彼らの傷の手当てや食事が出来るように、飛空艇も接地出来るようなキャンプ地を確保したい。手伝って貰えないか?」
「中佐殿、結構人使い荒いっすね」
安倍は笑いながら言うと、池端を見て、小さく手招きをした。池端が横に来ると、安倍は地面に座り込んだ。半迦坐になる。
安倍が数度深呼吸をして、印を組もうとした時、池端が何気なく右手を安倍の肩の上に置いた。
その手から、温かな気が流れ込み、みるみるうちに安倍の身の内を満たして行った。
(凄い!何だこりゃ?)
池端の、優しくも力強いエネルギーの奔流に、安倍は目を丸くしたが、当の本人は何も気付いていないようである。
「凄いぜ、これなら行ける」
安倍は呟くと、印呪を唱えた。
「唵枳里枳里縛日羅縛日哩歩羅満駄満駄吽発吒」
そして、印を以て気の楔を地中深くに打ち込んだ。途端に、岩だらけの地面がゴムのような柔らかさに変質するのが感じられた。池端にもそれが判ったのだろう、安倍の頭の上で息を呑むのが聞こえた。
「唵薩羅薩羅縛日羅鉢羅迦羅吽発吒」
安倍が印を横に回した。それに合わせて地面が伸びて広がった。平らな部分が押し広がり、森の木や尖った岩などが広がった円周の外側に寄せ集められた状態になっている。安倍は三度印を回した。その都度平らな地面は広がり、飛空艇を降ろすのに十分な範囲が確保された。
安倍は地面にもう一度楔を打ち込んだ。すると、揺らいでいた円周の境目が安定して、広い平らな土地が完成した。
大きく長い息を吐いて、安倍は印を解いた。
「ありがとう、芳恵。お陰で助かったよ」
「え、私、何もしてないよ」
可愛く小首をかしげる池端に、安倍は微笑みかけた。
池端に助けられて立ち上がった安倍のそばに、ミラールを押しのけるようにして、兵隊が一人近付いた。右足を外傷している。
「あんた、すげえな。俺達があれだけ手こずったオークどもを、あっさりとやっつけちまうんだもんな。ありがとよ」
「何とか間に合って良かったよ」
安倍は笑顔で答えた。そんな安倍に、兵隊は小さな袋を示した。
「俺はウガタ=ロスファル伍長だ。そしてこの袋は、レファル伍長、俺の幼馴染みの遺髪だ」
ロスファルは顔をゆがめた。笑っているとも泣いているとも見える。
「あんた、魔法使いだろ?そんなすげえ力を持ってるのに、何でもっと早く来てくれなかったんだ?あと二日早く来てくれれば、レファルは死なないで済んだんだ」
ロスファルにそう言われて、安倍は固まった。
「あいつは、二日前のオークの夜襲の時に、俺のすぐ横で、トロールに叩き潰された。メチャクチャな中で、俺はレファルの髪の毛だけは引きちぎって持って来た。オークは人の遺体を食うって言うからな。せめてあいつの両親に何か持って帰ってやりたかったんだ。なああんた、何でもっと早く来てくれなかったんだよ?」
ロスファルがそう言って安倍に掴み掛かろうとした所を、メジッナ隊長が駆け寄って押しとどめた。
「やめろ、ロスファル。アベとイケハタには何の責任もない」
メジッナ隊長は、安倍と池端に謝りながら、ロスファルを引き摺って行った。
ドヤ顔から一気に現実に引き戻された安倍に近付き、ミラールは小さく頭を下げた。
「済まない、アベ、イケハタ。だが、彼の気持ちも察してやってくれ。これが戦争なんだ」
つづく
20180915