その拾弐 ミラヒイ山脈(3)
龍が往く 外伝
――もし現代の異能者が異世界に召喚されてしまったら――
その拾弐
少破部分を修理して、ミラール中佐の船は、とりあえずカルカンドへ向けて発進した。彼女の属するランカスター公国では、飛空艇と呼ぶらしい。
カルテンヌ共和国は、現在はラフヌス共和国連邦の配下に戻っているが、先般の大戦中は、アルセア帝国の支配下にあって、公国とは敵対状態にあった。旧制時代から、両国は決して友好的な関係ではなかったが、帝国の支配者であったグァルタ帝王は、暗黒神に操られ、自国すら恐怖政治で統治していた。その帝王を倒し、暗黒神を封じた公国はむしろ恩人であり、現在両国はつかず離れずの友好的関係を維持している。
「ただ、国境に近い事もあり、カルテンヌとは直接剣を交じえた事もある。双方に死傷者が出た、激しい戦闘だった」
ミラールは、腕を組んで渋い表情を作った。
「でも、カルカンドに寄らない訳にもいかないんですよね?」
池端の問いに、ミラールは頷いた。
「先程のドラゴンとの戦闘で、船体を軽くする為に、食糧や水、衣類などの戦闘に必要ない物はほとんど捨ててしまったんだ。このままでは、残留兵達を救助しても、着替えや、食べさせてやるメシさえない」
「要は、必要な物資を補給して、船体の修理が出来れば良い、て事だよね」
「ああ。それ以外で私達が長居をする理由はない」
「それなら、何とかなるかも」
安倍は、慎重に言葉を選びながら言った。
「何とかなる、とは?」
「俺達、カルカンドにしばらく居たって話はしたよね。その時の様子では、相手国に対する恨み事って、あまり聞かなかったから。むしろ、敵国の兵士の事も供養してあげてたから、多分協力してくれると思う」
「かもな」ミラールは頷いた。「ただ、戦争ってのは、そう簡単に割り切れるものではないからな。必ずしも政治的思惑と民衆感情が同じとは限らない。何かの切っ掛けで、急に感情が噴き出す事もあり得る。身内を戦争で亡くしている人もいるだろうしな」
「そんな事もあるかも」
池端も神妙に頷いた。
「勿論、こちらは無理強いをするつもりもないし、協力してくれるならば必要な対価も支払う。我々は、取り残された兵達を帰還させたい、ただそれだけだ」
「とにかく行ってみよう」安倍は振り切るように言った。「きちんと説明すれば、きっと判ってくれるさ」
飛空艇はカルカンド付近へやって来ると、街の少し下の森の中に接地して、ネットを被せてカモフラージュした。そして、安倍、池端、そしてフード付きコートですっぽりと姿を隠したミラールが街へと入って行った。
下町風の下段の街を通り抜け、三人は上段の街へとやって来た。もう既にヴィチャック一座は出発した後で、既に街は昨日の興奮も治まり、日常を取り戻している。
三人はカテドラルにほど近い、ギルド本部の館の前までやって来た。
「来てはみたものの、姐さん、どこにいるのかな?」
安倍が首をかしげた時、正面の重々しい扉が開いて、中から数人の男女が出て来た。皆、高価そうな衣装に身を包んでいる。
「あら、アベとイケハタじゃない。良かったわ会えて」
その中のうちの一人が声を掛けて来た。捜していた、穀物ギルド長のフィオーラその人である。
「丁度良かった。フィオーラさんに頼みがあって来たんですよ」
「あらん、私に出来る事かしら?」
フィオーラはそう軽く答えたが、フードを真深に被ったミラールを見て、一瞬動きが止まった。
彼女は一緒にいた男達に適当な言い訳をすると、安倍達を連れて建物の中に戻った。少し奥にある穀物ギルド長の執務室に入ると、扉の閂を降ろす。
「ちょっとアベ、どうしたの?」フィオーラは小声で言った。「この人、公国の軍人じゃない。公国とは微妙な関係なの、判るでしょ?」
「一応ね」
「さっきの男達、白いヒゲが織物ギルド、背の高い方が牧畜ギルドの長でね、どちらもこの戦で損害が大きかったから、公国、それも軍人にはあまり良い感情は持ってないの。ついさっき、戦後の賠償問題をどうするか、なんて話しをしてたトコなのよ」
「複雑な感情がある事は、重々承知しております」
ミラールは、フードを取って口を開いた。スリアク語である。
「あら、スリアク語がお上手ね。それに、女なのね」フィオーラは目を丸くした。「南方戦線で、グァルタ軍をコテンパンにした公国の女将校って、あなたね」
「恐らくはそうでしょう」
ミラールは頷いた。言葉がぎこちないのは、スリアク語に慣れていないからか。当然、安倍達は両方とも自然に話せる。
「で、アベとイケハタが一肌脱いだって事は、何か困ってるのね?」
「ええ。私はランカスター公国南方警備隊第二連隊長のミラール=オルテール中佐です。私は、ミラヒイ山脈中腹辺りに取り残された友軍を救出に来たのです。あなた達現地の方々には迷惑は掛けたくなかったのですが、途中でレッド・ドラゴンに襲われて、応戦の為に荷物を投棄してしまったのです」
「その分の物資を補充したい、と」
「ご協力をお願いします」
ミラールは深々と頭を下げた。
「私達からもお願いします」
池端も一緒に頭を下げた。安倍も池端に合わせて頭を下げた。
さすがのフィオーラも、即答は出来ないようで、腕を組んで首をかしげた。しかし、それもほんの僅かな間だった。
「……判ったわ。ただ、私の一存では答えは出せないわ。あの方の所へ行きましょう」
「あの方?」
池端が首をかしげた。
「カルテンヌの王様。カルクアン様よ」
「ああ、宴会場で、芳恵とラレニナをはベらしてたスケベおやじっ!」
安倍が言いかけたのを、池端が安倍の足を踏んで止めた。
「王様に直接お尋ねして、大丈夫なんですか?」
「逆に、王様が許可してくれたら、誰も文句は言えないからね」
フィオーラはそう言って、自らを励ますように笑って見せた。
カルテンヌ城は、街の中心にある『カルクアン坑』採掘現場がそのまま規模を拡大させて出来上がったもので、国の創始者たるカルクアン一世から数えて現在は三代目が国王である。この鉱山が、百年近くに渡ってこの国を支える最大の収入源ともなっている。
カルクアン三世とフィオーラは年齢も近く、即位前にはギルド会議で良く呑み明かした仲で、今でも関係性は深い。彼女がお目通りを願うと、すぐに許可が下りた。
現役の鉱夫でもあるカルクアン三世は、謁見の間に普段着である作業服のまま現れた。昨日の、王としての服装も地味ではあったが、今日はそこいらの民とほぼ変わらない。
「お前がミラール=オルテールか」
カルクアンは威厳のある声で、重々しく言った。
「はい。ランカスター公国南方警備隊の中佐です。この度は、お目通り頂き、感謝致します」
ミラールは慇懃に頭を下げた。
「スリアク語も達者だな。勇猛果敢な女将校として、噂は聞き及んでおるぞ」
そこで、カルクアンは安倍と池端に目を向けた。
「お前達の事も覚えているぞ。昨日の一座の興業は、見事だった。ところで、お前らがミラールと一緒にいるという事は、お前らがこの者の面倒を見る、という事で間違いないか?」
「まあ、これは行き掛かりで。とにかく同胞を国に連れて帰るのに協力出来ればなあ、と思って」
安倍は気を使いながら言った。王に気嫌を損ねられたら、物資の補給もままならないからだ。
「そうか。ならば一つ条件を出そう。イケハタ、俺の夜伽をしろ。そうすれば、お前らに協力しないでもない」
「はい?」
池端は、思わず聞き直した。
「何を言ってるんだ、王様?」
安倍も思わず一歩前に出た。
フィオーラも何か言いかけたが、カルクアンに目で止められた。
「お前らが面倒を見る、と言ったのだ。それくらいの覚悟はあるのだろう。我々カルテンヌと、ランカスター公国とは先の戦争中には敵対していた間柄だ。こちらとしても何か落とし所がなければな」
カルクアンはそう言って、悪そうな笑みを浮かべた。
「何だコイツ、王様だと思って遠慮すりゃあいい気になりやがって」
ムカっ腹を立てた安倍を、ミラールが止めた。
「王よ、彼らはドラゴンに襲われていた私達を助けてくれただけで、貴国とランカスター公国との間に立って、責任を取る立場にはありません。もし、交換条件としてお夜伽が必要であれば、私がお相手を致します。少々とうが立っておりますが、それにて、ご容赦頂けませんでしょうか?」
ミラールはそう言って、膝をついて深々と頭を下げた。
カルクアンはしばらく無言でミラールを見つめていたが、やがて笑い出した。
「もう少し小賢しい将校かと思ったが、勇猛な軍人だという噂は本当なのだな。この状況を有利に使おうとは思わんか」
「彼らは命の恩人です。それを無下には出来ません」ミラールは頭を上げて、背を伸ばした。「私は、友軍を救いたいだけなのです」
「お前の本気はよく判った。ミラール大佐、物資の補給を許す。フィオーラ、手配してやれ」
「ありがとうございます、陛下」
フィオーラは深々と頭を下げながら、内心胸を撫で下ろしていた。
王は自らのサインと印爾を入れた許可証を発行して、フォオーラに託したので、ミラールは滞りなく物資を調達する事が出来た。
ただ、荷物が結構な数なので、揃えて積み込むのに一晩は掛かる、という事で、その時間を利用して、フィオーラは乗組員達を連れ出した。
上段の街と下段の街の丁度中間のあたりにある酒場兼宿屋である。
「ここは、私の古い知り合いの店だから、安心して。普段から閑古鳥だから、他の人も来ないわ」
フィオーラは笑いながら言った。
「ひでぇ事言うなよ姐さん」大将がさすがに苦笑いしながら応えた。「まあ、誰だろうと大切なお客さんさ。ゆっくりして行きな」
ミラールの船には軍人四名と船乗り六名が乗り込んでいるが、軍人一名と船乗り二名は荷上げの監督を兼ねて当直をしている。
最初は、お互い遠慮もあって固苦しいやり取りだったが、酒が回って来ると、溝も無くなり、打ち解け合う事が出来た。そもそも直接敵対していた間柄でもなく、政治的関係に関わりなく、ごく普通の庶民同士である。むしろ文化の違いが目新しく、酒も話しも大いに進んだ。
「今はまだ、戦争の痛手からお互いが抜け出せていないけど、いずれ皆でこうして仲良く酒盛りが出来る日が来たらいいですね」
酒にほんのり頬を染めて、ミラールが笑って言った。
「きっと出来るわ」フィオーラは胸を張って受け負った。「ランカスター公国の人達がこんな良い人ばっかりだったら、カルテンヌの人達も良い人ばっかりだから、きっと」
「そうね、きっと」池端も大きく頷いた。「ラレニナの歌みたいに、皆が仲良く、幸せになれるね」
酒盛りは、当直を交替しながら夜半まで続いた。
つづく
20180506