その拾壱 ミラヒイ山脈(2)
「龍が往く 外伝
――もし現代の異能者が異世界に召喚されてしまったら――
その拾壱
空から突然降りて来た池端に、赤毛の女兵士はあからさまな不審感を表しながら、誰何して来た。
『お前は何者だ?』
あ、言葉が違う。
今までヴィチャック一座、そしてカルカンドで喋っていた言葉とは響きが違う。発音も、少し上品な感じがする。
『お前の言葉はスリアク語のようだが、アルキス語は解るか?』
更に女兵士が言葉を掛けて来た。池端の耳に、徐々に言葉の意味が解るようになって来た。
「お前は空から降りて来たが、魔道士か何かか?」
池端の耳は、完全に女兵士の言葉に順応した。最早普通に理解出来る。
「私は違いますが、あの人は」池端は安倍が飛び去った方を示した。「魔道士みたいなものだと思います」
「何だ、アルキス語が解るのか。で、その魔道士のようなものは、この船に何の用なんだ?今取り込み中なんだが」
「その事で来たんです。船が一隻逃げちゃったから、この船だけではドラゴンに勝てないって」
「私達を救けてくれるって言うのかい?」
「はい」
「ドラゴンを見て、逃げない奴がいるなんて」
「あなたもそうですよね?」
池端がそう返すと、女兵士は輝くような笑顔を見せた。
「まあ何にせよ、救けてくれるのは有難い」彼女は手を差し出した。「私は南方警備隊第二連隊長のミラール=オルテール中佐だ」
「私は池端。あちらは」池端は少し頬を染めた。「連れ合いの安倍です」
池端はミラールの手を握った。ミラールはその握り方の優しさに、また笑顔を見せた。
「イケハタとアベか。で、私達はどう動けば良い?」
ミラールが池端に問い掛けると、二人の頭の中に安倍の声が響いた。
「ドラゴンはあくまで船を狙ってる。俺を脅威に感じるまでは、船に攻撃を仕掛けるハズだ。出来るだけ回避行動を取ってくれ」
「うわっ、びっくりした!」
池端とミラールが同時に飛び上がった。
「今のは、念話か?」ミラールが呟くように言った。「何度やられても慣れんな」
「そっちへ行ったぞ。まだこちらの印呪が調整出来てないから、奴には効いてないんだ。もう少し時間を嫁いでくれ」
そう言う安倍の言葉に合わせるように、ドラゴンが接近して来た。左舷後方から急降下して来る。
「来るぞ!奴が火球を放つ動作に合わせて回避だ!イケハタ、中に入ってろ」
「安倍がいますから」
池端は、明るい表情でミラールの指示を明確に拒否した。それに対し、ミラールも笑って返した。
「じゃあ、しっかり掴まっとけ」
ドラゴンは近付いて来ると、口を大きく開いた。
「今だ!取舵!」
ミラールの合図で、船は左に回頭した。ところが、ドラゴンは火球を吐かず、減速して船の動きについて来た。
「くそっ!やられた!逆に良い所を取られた!」
ドラゴンを見上げつつ、ミラールが叫んだ。ドラゴンは丁度船の艦橋の真上を押さえている。池端にも、ドラゴンが口を開けるのが見えた。
どうしよう?
池端の頭の中に、以前の鴨井観音での状況がフラッシュバックした。
「おん、あろりきゃ、そわか!」
ドラゴンが火球を吐き出した瞬間、池端の真言が口から滑り出た。
「総員!弾着に備えろ!」
ミラールは怒鳴ったが、ドラゴンの火球は船の手前の空間にベチャリと張り着いた。粘着質の燃える物体が、透明な壁に添ってずり落ちて行く。
「芳恵!凄いぞ!良くやった!」
安倍の声が頭の中で快哉を叫んだ。
「俺も負けてられねえな」
安倍はそう言うと、旋回して上昇して来るドラゴンの上空を取った。
「ドラゴンめ。痛い目に合わせてやるぜ。見るがいい〇ピュタの雷を!」
安倍は印呪を放った。
「唵因陀羅耶莎訶!」
安倍の印が輝き、電撃がドラゴンを直撃した。ドラゴンの体が硬直し、一瞬飛行する力が消えた。
孤を描いて墜落コースを取り、山腹の針葉樹海に落下した。樹々が何本もなぎ倒され、爆発的に燃え上がる。
「あいつ、どんだけ熱いんだ?」
思わず呟いた安倍の眼に、炎の中から首を伸ばすドラゴンの姿が捕らえられた。頭を数回振って、安倍を睨み上げる。
「あんまり効いてないか。むしろまだ無傷だな」安倍は船の位置を確認した。「しかもあいつ、ただのトカゲじゃない。知能も高いな」
そこへ、もの凄いスピードでドラゴンが上昇して来た。巨体に似合わぬ素早さだ。至近距離で睨み付けて来る。
安倍はその眼光の中に強い思念波を感じ取り、少し距離を取った。
「何か呪文を掛けようとしたな?やはり、魔法が使えるのか!」
ドラゴンの眼に残念そうな表情が浮かんだ。
「レッド・ドラゴンもアルバド並みって事か」
アルバドが天敵と言う意味が判った気がした。
そんな安倍の目の前で、ドラゴンが口を大きく開けると、間髪入れずに口から炎を吐き出した。炎は安倍の力場に纏い付き、中の安倍自身にも熱が感じられた。
「これが"ドラゴン・ブレス"か!」
力場に揺らぎが出たのを見て、安倍は感嘆の溜め息をついた。これまで、真っ正面からこの力場を破られた事はない。しかし、このままでは破られる事も否定出来ない。
安倍は、一旦炎から距離を取って、力場を張り直した。と、新しくなった力場の表面に、火球がへばり着いた。張り替えるスキを狙ったのだろう。
「あんにゃろう、油断もスキもねえな」
安倍が体勢を整えている間に、ドラゴンはまた船へ向かって行った。
「唵因陀羅耶莎訶!」
安倍がその背中に印呪を放つと、ドラゴンの体の直前で力場に阻まれた。
「もう対応されちまったか」
安倍は猛スピードでドラゴンを追い掛けた。
「発吒!」
安倍は更に攻撃を加えたが、それも力場にはね返された。
ドラゴンは船に火球を放った。それは池端の力場に張り付くだけで終わった。しかしドラゴンはそのまま船へ突進すると、力場に両脚の爪を立てた。透明な力場に穴が空き、太い爪が突き込まれた。それだけで力場内の温度が急上昇した。
力場に爪を立てた状態で、ドラゴンが船を覗き込んだ。池端と目が合う。ドラゴンの目が笑ったように見えて、池端はちょっとイラッと来た。
負けないんだから!
池端は、今度はドラゴンを吹っ飛ばすイメージを思い描いて、真言を唱えた。
「おん、あろりきゃ、そわか!」
次の瞬間、船を覆っていた力場が発光したと同時に、ひと周り膨らんだ。ドンと空気が鳴り、ドラゴンが吹き飛ばされた。その衝撃で、直下の針葉樹がなぎ倒され、火災の一部が吹き消された。
「何だ!?凄え威力だな」
衝撃波に翻弄されながら、安倍が呟いた。見ると、ドラゴンは力場も失い、衝撃にふらついている。爪が一本割れたらしく、血が炎を引きながら流れ落ちている。
「今だ!」
安倍は体勢を整えると、ひとつ深呼吸して、印呪を唱えた。
「南莫三慢多没駄南勃嚕唵!」
その衝撃波はドラゴンを直撃し、もの凄い金属音を立てた。初めて、ドラゴンの口から苦痛の悲鳴が漏れた。
レッド・ドラゴンは遂に戦意を喪失して、どこへともなく飛び去って行った。それを見て、船の乗組員達が歓声を上げた。
安倍は船に近付き、甲板に降り立った。池端の作った力場は既に消えていた。池端は安倍に抱き付いた。
「良かった、晴明無事で」
「芳恵こそ大丈夫だった?」
そこへ、ミラールが歩み寄った。
「アベ。ありがとう。君とイケハタのお陰で救かったよ。私はミラール=オルテール中佐だ」
「安倍晴明」
ミラールと安倍は握手を交わした。
「さっきの船は大丈夫だったかな?」
安倍はミラールに尋ねてみたが、ミラールは小さく肩をすくめて見せた。
「まあ、見事な転進振りだったからね、無事に危機的状況は回避出来ただろう。南方警備隊・トーレル師団長のストッケンガル小将におかれましては、ご無事で何より、としておこう」
「ところで、大佐は何をしにここへ来たんです?」
安倍の問いに、ミラールは小さく手を上げた。部下達に矢次早に命令を出してから、改めて安倍達に向き直った。
「済まない。――君達は、つい先頃まで戦争状態だった事は知っているか?」
「まあ一応は」
「一応、ね…。とにかく、このミラヒイ山脈近辺も大規模な戦闘があってね。特にこの辺りは敵陣深く入り込んだ戦域の最先端だったんだ。終戦近くになって、国境線での膠着が長引き、逆に奥まで入り込んだ部隊が敵陣に取り残されてしまったんだ。私達は、その残留部隊を救出にやって来た訳だが…」
「そこを、レッド・ドラゴンに襲われた、と」
「その通り。今から行く所も、ドラゴンの巣だ、と言われている所だから、用心はしていたつもりだったんだが」
「ちなみに、どちらへ?」
池端が尋ねた。
「ミラヒイ山脈のセプター山付近。ここからもう少し南になるか」ミラールが指差したのは、山脈の中に一際聳える主峰であった。「途中、カルカンドという鉱山街で補給するつもりだ」
「俺達、今日カルカンドを出て来た所ですよ」
「何と!」
安倍の言葉にミラールは目を丸くした。
つづく
20171212
※一部不明な部分は、『龍が往く NAGA IS GOING』第三話「鴨井観音の怪」を参照して下さい(笑)。