その壱 物語の始まり(1)
「龍が往く」の本編の続きを書く事は出来なかった(二十歳の頃のピュアな文章は再現出来なかった)ので、改めて今の感性で書く事にしました。
ただそのままではアレなので、今風の異世界転移を取り入れてみました。
龍が往く 外伝
――もし現代の異能者が異世界に召喚されてしまったら――
その壱
昭和六十三年(1988)早春。静岡県立浜名湖高校からの卒業を控え、安倍晴明にはひとつの大きな目標があった。それは、
「池端芳恵に正式に告白する」
であった。中学校入学時に引っ越して来たご近所さんで同じクラスで、いつの間にか付き合っていた二人は、まだどちらからも正式には告白がなされていない。
手をつないだり、軽く唇が触れる程度のキスは経験した。しかし、お互い奥手なので、それ以上は進めないでいる。地学部の観測会で、二人で一枚の毛布にくるまったり、一組の布団で抱き合って寝た事もある。だがそこには、決して性的な感情はなかった。安倍的には、全くなかったとは言い切れないが。
卒業式の後、二人で酒でも呑んで、ちゃんと告白して、ホテルで「大人の関係」に……。
式が終わると、伊藤敦志や矢野享等、いつものメンバーが、制服から着替えた後に再集結し、繁華街の居酒屋で大宴会となった。二次会でカラオケボックスへ行き、皆で散々に唄い倒した。
再々々延長の後、カラオケはお開きになり、矢野や馬場などは三次会と称してゲーセンに行き、伊藤と永野は二人で何処かへ消えて行った。
安倍と池端の二人は、有楽町のア一ケードを駅に向かって歩いていたが、安倍は急に立ち止まった。二歩ほど前に出たところで、池端も立ち止まる。池端はゆっくりと振り向くと、二人は正面から向かい合った。
「池端さん」
意を決して、安倍は声を上げた。
「はい」
「今まで、ちゃんと言った事がなかったから」
「うん」
「芳恵、好きだ。これからも付き合って下さい」
安倍は言い切ると、口を閉じて返事を待った。池端は、瞳を潤ませて安倍を見つめていたが、やがて優しく微笑んだ。
「ありがとう、晴明。私も好きよ。これからもよろしくね」
はにかんで笑う池端に、大きくー歩踏み出した安倍は、優しく彼女の肩を抱いた。池端は、安倍の顔を見上げて、目を閉じた。
(芳恵のキス待ち顔!可愛い過ぎる!)
安倍は破裂しそうな心臓を押さえ込みながら、ゆっくりと唇を近付けた。安倍の胸に両手を当て、背伸びして最後の距離を縮めたのは、池端だった。
安倍は、舌で池端の唇に触れた。池端は唇をそっと開き、安倍の舌を受け入れた。ゆっくりとお互いの舌を絡めて、濃厚で愛情のこもった口づけを交す。
その最中に、安倍は目眩のような感覚に襲われた。
最初は、キスの感動で目が回っているのか、とも思ったが、池端の手に、安倍にしがみつくように力が入るのを感じて、彼女も目眩に襲われている事が知れた。
目眩が治まると、辺りが昼間のように明るくなった。もう夜中の一時に近いはずなのに。
名残惜しかったが、安倍は池端から唇を離した。彼女の肩を抱いたまま、周りを見回してみる。
「……何だ、こりゃ?」
思わず間抜けな声が出た。
今まで立っていた浜松の繁華街は消え去り、周りは巨大な針葉樹の原生林と、頭上遥かに雲を衝く大山脈、そして手荒く開墾された畑が広がる見知らぬ土地であった。
思わず池端は安倍の腰に腕を回して体を寄せる。
そこへ、ぶ厚い上着と長いスカート姿の農民風の女が、何やら喚きながら近付いて来た。髪は黒いが彫りは深い。よく見ると、どうやら安倍達は苅り取った作物の上に立っていて、それに怒っているらしい。
最初は、何を言っているか全く聞き取れなかったが、段々大まかな意味が理解出来るようになり、じきに多重放送のように、原語に被さるように日本語で聞こえるようになった。
「とにかくそこを降りなさい!」
女の言葉に、二人は急いで下に降りた。
「おばさんすいません。決して悪気があった訳じゃないんです」
そう言った安倍の言葉も通じたようだ。
「まあ、そんなヘンな成りをしてるんだ、よっぽど辺鄙な所から来たんだろうが、その作物は、形が崩れると値が下がるんだ。気をつけとくれよ」
おばさんはそう言うと、すぐにその場を去って行った。
「本当に、どこなんだろ?ここ…」
おばさんの背中を見送りながら、池端は呟いた。
「外国かな?」
「でも、全然聞いた事ない言葉だし…。そもそも、何で私達、あの人の言ってる事、判るの?」
「最初は、全然判らなかったけどね。それに、こっちの言葉も通じてたよな」
「何だか凄くご都合主義的よね」
池端のその言葉に、安倍は思わず笑ってしまった。
「確かに。マンガやアニメでよくある奴だな」
「…寒い」
池端が自分の肩を抱いた。二人とも、春物を着ているが、ここの気候は寒冷地か、高地のそれである。
そこへさっきのおばさんが戻って来た。手に何やら色々持っている。
「あんたら、そんな格好してたら寒いベ?これでも着な」
毛布のような、マントのような上掛けである。毛織物だが、見た目よりずっと軽い。
「踊り子さんは、長い方を使いな。肌が見えすぎだ」
「踊り子?」
「ああ、ありがとうおばさん。助かったよ」
怪訝な顔をした池端を押さえるように、安倍は礼を言った。
「それと、腹減ってないかい?これでも食べな」
そう言って、固いパンに干し肉を挟んだものをくれた。
「ここから一 時間ほど下ったら、トルカンって鉱山町があるよ。すっかり寂れちまってるが、宿はまだやってるから、そこ行くといいよ」
おばさんはそう言うと、池端の手に古びた皮巾着を置いた。ずしりと重い。
「えっ?これは?」
「これで一晩の宿代くらい出るだろ。あとは自分達でガンバりな」
「そんな。こんなたくさん、受け取れません」
「いいのよお嬢ちゃん」おばさんは意味深に笑って言った。「若い二人が駆け落ちしようってんだ。色々物入りだろ?いいから取っときな」
「駆け落ち?」
「若いっていいね。あたしもあと十歳若かったら、今のダンナ放っといて、こんな所オサラバするんだけどね」
「ところでおばさん」安倍が恐る恐る訊いた。「何で俺達が駆け落ちだって思った?」
「だって」おばさんはけらけらと笑った。「あんだけ熱烈なキスしてたら、誰れでも判るよお」
そこからか!
安倍と池端は真っ赤になった。
「じゃあね、お二人さん、お幸せに。気を付けてな」
おばさんは、颯爽と去って行った。
おばさんがくれた皮巾着にはかなりの小銭が入っていたので、トルカンで宿を押さえてから、リュックや着替え等を入手する事が出来た。ただ、本当に寂れ切った鉱山町で、人も物も少ないので、選り好みは出来なかった。
とりあえず現地の服に着替えると、付近を歩いて回った。かなり標高は高いらしく、下界が遙か向こうまで見えた。背後に主峰らしき山が聳え立っており、天を覆い隠していた。
「飛行機、飛んでないね」
空を見渡して、池端が呟いた。
「高層ビルもないし、工業地帯も見当たらない」
安倍も呟く。太陽は沈みかけ、巨大な山並みが茜色に染まっている。山あいに見える道路には、ガードレールも街灯もなく、何より舗装されていない。
「どうやら、本当に別の世界に来ちゃったようだね」安倍は肩をすくめた。「とにかく、情報が少なすぎる。もう今日は日が暮れちゃうで、明日、市場に行ってみまい」
「うん」
池端は不安げに頷いた。
夜になると一気に気温が下がり、氷点下近くまでになった。室内に暖を取る器具がないので、安倍と池端は身を寄せ合って毛布にくるまると、お互いの体温を感じながら眠りについた。
つづく
20170315
細かい設定は、「龍が往く」「辺境の空は今日も晴れ」それぞれの本編をご参照下さい。