中編
中編です。
夏の盛りが過ぎ夕暮れが早くなり始めた頃、砂浜で観光客から袋ごとくすねたスナック菓子を漁っていた波ノ介のところへ、チビ煤が息せききって走ってきました。
「おじさーん!」
「おう!?」
波ノ介にぶつかるギリギリのところでチビ煤は止まりました。
「赤ちゃん、うまれた!」
波ノ介は、ああと応えるとうえを向いて口にくわえたスナックをぱくりと食べました。
「何匹だ?」
「五ひき、ぼくのときとおんなじ。まだきちんとあってないんだけど。お母さんのハコ、いえに入れた銀次さんがおしえてくれた」
よかったじゃん、とスナックを飲み込みながら波ノ介はモゴモゴと言いました。
「はやくあいたいな。クロシロと、茶トラがふたりずつと、ぼくみたいなススだって! すごいかわいい声なんだ。あんな声で、おにいちゃんって言われたら、ぼくもう……」
チビ煤が照れながら、しきりに前足で砂を踏み踏みするようすを波ノ介はくちばしを歪めて見ています。
「銀次さん、アオイ先生にでんわした。ほかの赤ちゃんも、うまれるとでんわして、ずっとおはなししてる」
「そのわりにゃ、銀次のヤツぱっとしない顔して漁にでてたぜ」
波ノ介に言われると、何かに気づいたように動きを止めたチビから笑顔は消え、しょぼんとうつむきました。
「うちの赤ちゃんうまれてすぐに、ポンタさんがしんじゃったから」
ふーん、と波ノ介は思案顔になりました。
「そうか……それってチャンスじゃねえか」
「ちゃんす?」
チビ煤は意味がわからず首をかしげました。
「銀次の家で飼ってもらえよ。空きができたんなら」
チビ煤は、ぽかんと口を開けました。
「そんな……そんなことできないよ。だって銀次さんのかぞく、きっとポンタさんみたいに大きくてりっぱなネコがいいはずだもん。いつもいってた。うちのネコくらいりっぱなネコはいない、って」
波ノ介は深呼吸するように空を見あげて、翼を広げました。
そして、ふーんというと波ノ介はチビ煤のことを冷ややかに見ました。
「ぼやぼやしてたら、はしっこいヤツが銀次の家に上がり込んで赤ん坊たちを追い出しちまうぜ!」
チビ煤の目が見開かれました。
波ノ介はチビ煤を見ないふりをして鰯雲の空へ舞い上がりました。
「冬が来る、ってんだよ!」
一声いい残すと、隣の島へと海のうえを渡っていきました。
波ノ介はそれからしばらく、チビ煤と言葉を交わしませんでした。
そうはいっても、なんどか隣の島から飛んできては、声をかけてはいたのです。
チビ煤は漁協のまえにいません。いつも銀次さんの家の近くにいます。
家の玄関先にいるチビに声をかけましたが、チビ煤は、細くあいた扉に頭を突っ込んで、中のようすを見るのに夢中でした。そして庭先で小さな小さな猫たちと遊ぶようになってからもチビ煤を訪ねましたが、波ノ介の姿は目に入りもしないようでした。
波ノ介は空の上から胸をジリジリさせながら見ていたのです。
子猫たちが生まれてまもなく三月というころ、日差しから激しい暑さがうすれ、島の木々が色づき始めました。
波ノ介は島のうえをぐるりと飛んでいました。そして、日当たりの良い銀次さんの縁側にチビ煤ときょうだいたちが丸まって寝ているのを見つけました。
波ノ介は静かに家の向かいの小屋の屋根に降り立ちました。
「おい、チビ煤」
波ノ介のこえに、チビ煤が目をぱちくりさせて起きました。
「あ、おじさん」
チビ煤の声に起こされたのでしょう。毛糸玉のようにしてチビ煤にくっついて寝ていた子猫たちも目を覚まして、いっせいに波ノ介をみました。
「お、おう」
十個のつぶらな瞳に一斉にみつめられて、波ノ介は思わず言いよどみました。
「にーにゃん、だれ? とり?」
チビ煤によく似た赤ん坊猫がたずねます。
「カモメのおじさんだよ」
「波ノ介だっておしえたろうが!」
波ノ介の声に悲鳴をあげて、子猫たちはチビ煤の後ろにかくれました。
「しばらく来なかったね。どうしてたの_」
「ああ、となり島の釣り客から小魚もらってたんだ。釣りにはむこうのほうが来るからな」
ほんとは何度も来ていたことを波ノ介は言いませんでした。
それに気づきもせず、ふーん、とチビ煤はこたえました。
「銀次のとこで、飼われることになったのか」
「ううん、いつもどおり。ごはんもらってるだけ、ちびちゃんたちもさいきんは小屋のほう」
銀次さんの庭先では他のおとなの猫たち数匹も日向ぼっこしています。ごはんをくれる家には、猫たちがいつくのです。
「母ちゃんはどうした?」
「もうおチチはあげなくてよくなったから……」
チビ煤は言いにくそうにうつむき加減で話しています。母猫は、乳離れするとすぐに子どもから離れてしまいます。たぶん、島の中で自由にすごしているのでしょう。
「なあ、教えてやる。冬がくるんだよ」
「ふゆ……?」
「ああ、これからどんどん寒くなる。白くて冷たい雪ってやつも空から降ってくる。そしたら、エサやら寝る場所の取り合いになる」
春に生まれたチビ煤は冬を知りません。だから、波ノ介に言われても小首をかしげるだけです。
「しんぱいないよ、ごはんは銀次さんちでくれるもの。それに、おやつなら観光客のひとからももらえるから」
「気づいてないのか? さいきんは、船でくる客が少なくなってんだぞ」
チビ煤は、きょとんとしました。このごろは港の方まであまり行っていないのです。いつもどおり、お客さんはたくさん来ていると思っていたのです。
「島に客がたくさん来るのは暖かいうちだけさ。寒くなったら、フェリーだってガラガラだ」
そんな、とチビの声にきょうだいたちがチビを見つめます。
「もうぼく、おとなとおなじくらい大きくなったんだから、赤ちゃんたちのおせわできるよ」
波ノ介は、チビ煤の体を穴があくほど見ました。確かに大きくはなりましたが、せいぜいが大人の手前の中猫ていどです。
「寝るとこはどうする? おまえら寒いと狭い箱にギュウギュウに詰まって寝るだろうが。チビども、押しつぶされちまうぞ」
とつぜん、チビ煤がふるふるとふるえ出しました。
「だ、だめ。ぎゅうぎゅうなんて! くるしいの、そんなくるしいの、だめ!!」
しぼりだすようなチビ煤の声に波ノ介は思わず後ずさりました。
「だいじょうぶ、ぼくがどこかぼくらだけで休めるとこを……」
「そんないい場所は、大人猫にとられちまうよ。どうすんだよ、それでなくたって夏生まれの猫なんざ風邪ひきやすいんだ」
波ノ介の声に、寝ていた猫たちが片目を開けて不機嫌そうにしっぽを揺らしています。
「だから銀次に媚びてだな……」
波ノ介の言葉をチビ煤がさえぎりました。
「おじさんの、おじさんのイジワル!」
「な、なに!?」
「銀次さんたちは、ポンタさんがダイスキだったんだよ!! そんな、いなくなってすぐに、ぼくなんかがしゃしゃり出ていけるはずないじゃない!」
チビ煤は赤い口を開け、牙をむき出して叫びました。赤ん坊猫たちが、チビ煤に味方するように、波ノ介をにらんで声を合わせて、にゃあにゃあ鳴きました。
「ぼくが、きょうだいをまもるんだ!」
「ああ、うるせえ!! あとで泣いたって知らねえからな!」
波ノ介はやにわに飛び立ちました。
波ノ介はお腹のなかがムカムカしました。はらいせに電柱に留まって波ノ介とチビ煤のやり取りをニヤニヤして見ていたカラスを蹴り飛ばして高く舞い上がりました。
「けっ! エサのもらいかた、教えてやったのはオレじゃねえかよ」
波ノ介はいつにないほど荒々しく羽ばたきました。
「勝手にしろー!」
青い空に浮かんだ雲が太陽を隠しました。
とたんに波は鉛色に変わり、肌をさすような冷たい風が海をひと撫でしていったのでした。
「おばちゃん、しばらくこなかったね。なにかあったの?」
「最終で落ちて脱力していたのさ!!」
「きゃーっっ」
逃げるチビ煤、しんぱいして追いかける波ノ介。
ほえる、おばちゃんは肩を怒らせたまま。
後編へと続きます。