それゆけ三成さま!
パソコン損傷でデーターが飛んでしまい、無事残っていた作品を保存のために投稿したのですが……むしろ、なろうに載せる方が危ないかもしれないと、今更気づきました。
時は戦国末期。
応仁の乱より続いた全国各地での紛争は、豊臣秀吉による天下統一によって幕を閉じた。
だが平穏な日々は続かなかった。秀吉が死んだのである。
秀吉の子、豊臣秀頼はまだ若く、諸大名の中には、今や一番の実力者となった徳川家康を頼ろうとするものもあった。また豊臣政権内でも、石田三成をはじめとする文治派と、福島正則らの肉体派による争いが起きていた。
密かに天下を狙う徳川家康は、その争いに目を付け込み、やがて日本を二分する一大決戦が行われようとしていた。
♂♂♂
慶長5年9月15日。場所は美濃国関ヶ原。
関ヶ原の盆地の西北に位置する笹尾山の中腹に白い旗が風になびいていた。西軍の将、石田三成の陣地である。
三成は立ったまま、小高い丘の上から前方に目をやる。
太陽が昇り始めてまださほど経っていない時間帯で、今は霧に隠れて見えないが、徳川家康ら東軍の軍勢は目と鼻の先に陣取っているはず。おそらく桃配山あたりだろうか。
「いよいよ、家康との決戦か」
三成がこの後行われるであろう大戦に思考を巡らせていると、山の下に敷かれた陣地から、一人の大男が山の上に向かっていた。世に言われる「三成に過ぎたるもの。佐和山の城と島左近」。その男が島清興――島左近であった。
「三成さま」
左近は野太い声を陣中に響き渡らせた。
「や ら な い か ?」
石田三成は扇子の角で島左近の頭をたたいた。
左近の業界にとってはご褒美です。
「いつものことながら、戦の緊張をほぐそうとしてくれる、そなたの心遣いには感謝する。だが今はそのようなときではない」
左近はよだれを拭きながら答えた。
「恐れながら、ここは戦場。死とは常に向かい合わせの場所でございます。ならばこそ、精一杯今を生きるのが人として当然ではございませんでしょうか」
「左近……」
「というわけで、や ら 」
「ないぞ」
その時だった。
朝霧がやや晴れ渡ってきた盆地に銃声が響いた。
兵の叫び声、馬のかんなぎが覆いかぶさるように響き渡り、静かな盆地を一変させた。
「……始まったか」
三成がはるか前方を見つめ、拳をぎゅっと握る。
東軍の井伊直政・福島正則の軍勢が先陣を争うかのように、西軍の宇喜多秀家の軍勢に襲いかかる。
それを機に東西の両軍が一気に動き出し、各方面で一進一退の攻防を繰り広げる。
三成の陣地にも東軍の黒田長政らの軍勢が迫ってきた。その勢いにひるむ三成を左近が励ます。
「恐れることはありません。殿は、この左近を魅了した巨砲をお持ちではありませんか。今こそ、それを存分に露出するべきでございます」
「う、うむ。そうだな。一軍の将たるもの、この程度でうろたえていれば、兵に示しがつかないな」
いつもの調子を取り戻した三成を、左近は頼もしげに見つめる。
「それでこそ殿でございます。拙者は戦場の様子を見てまいります」
「うむ」
左近はそう言うと、三成の陣を去っていった。
その大きな背中を見送った三成は勃ち上がって言い放った。
「さぁ。あの左近を落とした巨砲を見せるのじゃ」
三成の叫び声とともに、家臣が三成の袴に手をかけ――ではなく、五門の大砲に火をつける。
轟音とともに、砲弾が黒田軍の真ん中に炸裂する。その威力に兵士たちが混乱を起こし、突撃の勢いが鈍る。
「それ突撃じゃ」
三成の采配を合図に、精鋭たちがいっせいに攻撃を開始した。
♂♂♂
左近は戦場を視察しながら、満足げにうなずいた。
戦いが始まって四半とき(約15分)。前線の兵力に劣る西軍は奮闘していた。関ヶ原の盆地は西から東に下って、なだらかな坂道が続いている。攻める東軍にとっては、坂をのぼりながら戦うはめになるので、地の利は西軍にあった。それに加え、家康の背後の南宮山の毛利軍が控えて、敵本陣を取り囲んだような形になっている。三成の布陣は理にかなっていた。もちろん島左近も助言している。
すなわち、二人の共同作業である。
「むふふ」
含み笑いをしつつ左近が向かったのは、三成の同僚で親友でもある小西行長の軍勢だ。商人の息子として性を受け、三成と共に豊臣秀吉の元で出世した武将だ。アウグスティヌスという洗礼名を持つキリシタン大名でもある。
「小西行長殿」
「おお。左近殿か。残念ながら出来んぞ。キリシタンは男色を禁じられているからな」
三成との付き合いから、左近の性格を知り尽くしている行長が先に言う。
「はっはっは。相変わらず行長殿はお堅いですな」
左近は気にせず行長に近づくと、彼の鎧直垂に手をかけて、さり気なく無理やりずらした。隙間から見えるのは見慣れたフンドシではなかった。
「おお。さすがキリシタン。鎧の下から見えるのは、噂に聞く西洋の下着『ぱんつ』でございますな」
「うむ。なかなか履き心地がよくての。これは近い将来、この国でも広がるだろう。世界は広い。わしはこの戦いが終わったら、英吉利に行ってみようと思う。わしは見たいのじゃ。海の向こうの幼きおなごが穿くという『うさぎちゃんぱんつ』を」
無理な希望かもしれないが、と行長は思っていた。
まとまりに欠ける豊臣側は、たとえこの戦に勝利し徳川を滅ぼしたとしても、平穏の日々が訪れるか疑問である。秀吉が世を平定する前の乱世が続く可能性はある。そもそもこの一戦に勝てるだろうか。
次々と押し寄せてくる徳川型の軍勢を見て行長は不安に思う。
「……わしはキリシタンだから、例え敗色濃厚になったとしても、自害はせぬ。だがそなたたちは」
言葉が先細る。左近にも分かっていた。三成のことだ。家康に下るぐらいなら、死を選ぶだろう。
「もし何かあったとしても、三成は死を急ぐでないぞ。彼は秀頼様に必要な人材なのじゃ」
「うむ。分かっております」
豊臣秀頼の三成への信頼は厚い。実は秀吉の子ではなく、三成と淀殿が密通して生まれた子ではないかという説があるくらいである。まぁ滑稽無糖で、いかにも狸親父が流しそうな噂である。だがしかし――
不意に、左近は一つの事実に行き当たった。
もしその説が史実なら、三成×秀頼は、親子丼となるということに――!
「左近殿。鼻血が出ておるぞ。まさか流れ弾にでもあたったのか」
「いや、些細ない」
左近は雑念を振り払った。
行長ではないが、この戦に勝利した暁には、秀頼公と三成と三人で夜を楽しもうと、決心した。――淀? そんなの関係ねぇ。
「それでは行長殿。拙者はこれにて。健闘を祈る」
「うむ。左近殿もな」
左近は戦場からやや離れた西へ移動した。関ヶ原の端、天満山のふもとに、直立不動でたたずむ一軍があった。
「島津義弘殿」
「左近殿で、ごわすか」
左近の姿を見つけ、ガチムチの男が席を立った。日本だけではなく、あの明をも恐れあがらせた猛将である。
「戦はもう始まっておりますぞ。後方で待機とは『鬼島津』らしくないですな」
「すまんとすが、島津軍は動かないでごわす」
その鋭い眼光を見て、左近は察した。
「やはり先日の奇襲の件でごわすか」
左近の言葉に、義弘は無言でうなずいた。
先日のことだ。強行軍で美濃までやってきた徳川軍に左近は奇襲をかけ、大勝した。その勢いをかって、更なる奇襲を義弘は提案したのだが、正々堂々決着をつけたい三成と意見が対立し、結局却下となった流れがある。
「うむ。アレにより千載一遇の勝機を逃してしまったでごわす。もともと兄の指示もなく兵を連れてきた身。これ以上の勝手な行いは薩摩男子として、もうむりぽ」
左近は周りの状況を確認した。
無謀にも襲い掛かってくる敵軍に対しては鉄砲で応射しているものも、積極的に打って出るようなことはなさそうだ。
左近の様子を見た義弘は、その心を見透かしたかのように軽く笑った。般若の笑みである。
「安心するでごわす。少なくとも徳川に寝返って味方を襲うようなことはしないでごわす」
「そうでごわすか。我々としては、はなはだ不本意ではございますが、いたし方ありませぬな」
左近は深々と頭を下げて、陣地を後にした。
島津軍に協力してもらえなかったのは痛い。これでは西軍一二を争う精鋭部隊も宝のも乳房れだ。
――この戦、厳しくなりそうじゃな。
左近は尻を引き締めた。
前線では激しい戦闘が繰り広げられていた。その中で、東軍の名立たる歴戦の武将たち相手に奮闘しているのは、若き総大将。宇喜多秀家であった。五大老のひとりであり、立場的には西軍の副大将を務めている。動員した兵力も西軍最多で、士気も高い。
「左近様。どうなさいました」
左近も含めて壮年の武将が多い中、秀家はまだ三十前。背も高い美丈夫であった。
左近はごくりと唾を呑んだ。
「――若さというのはそれだけで魅力的なのだ」
特に身体的に。締りが違う。
「は?」
「いや。戦の状況を見て回っております」
「それはご苦労様です。ですが心配には及びません。秀吉様は我が父同然。弟、秀頼のためにもこの戦に勝ちます」
秀家が頼もしく言い放ったとき、前線で叫び声が響いた。兵が乱れている。
「何事かっ?」
「はっ。敵前方に猛将が現れ、お味方が混乱しております!」
混乱する前線に、ひときわ目立つ長槍と猪の角のかぶとが見えた。
「くっ、あれは本多忠勝か」
徳川軍きっての猛将である。宇喜多軍にも明石全登という猛将がいたが、肉体派筆頭の福島正則軍と交戦中で、手が回らない。
「それでは、拙者が参ろう」
左近が言った。
「おお。それはかたじけない」
宇喜多軍のため、味方のため。
だがそれ以上に同じ武の達人として興味があった。
秀家の礼を背に受け、左近は敵軍に突っ込んで入った。
「本多忠勝殿」
「むっ。お主は、島左近殿か」
戦場で敵同士とはいえ、ともに武勇を全国に響かせた武将である。二人は矢や鉄砲玉が飛び交う中、平然と会話を交わした。
「聞きしに勝る四天王の忠勝殿にしては率いる軍勢が少ないのでは」
左近は周りの兵士を見回した。
おそらく千にも満たない少数である。一万を超す宇喜多軍とは対照的である。
「はっはっは。わしも年をとったからな。家臣の主力は息子に預けてある。今は呑気に、上田城のあたりで遊んでいるみたいじゃがな」
「そうか息子か……」
「うむ。息子だ」
左近は忠勝の下半身に視線を移した。
時代の流れを感じた。せめてあと十年早ければ……
「忠勝殿は戦場で一度も傷を負ったことがないと言われているが」
「うむ。だがそれはあくまで『戦場』で、ということだ。実際はほれ、このとおりじゃ」
そういうなり、忠勝は戦場の真っ只中だというのに鎧を脱ぎ捨てた。さすが豪傑、見事な脱ぎっぷりである。そのまだまだ現役で通用する肉体には、無数のみみず晴れが見て取れた。しかも真新しい。
「どうじゃ。これは上様と夜の営みでつけられたものよ」
忠勝は誇らしげに胸を張る。
左近は戦慄した。おそるべきは徳川家康。老いてなおこの鞭さばきとは!
ここでゆっくり談笑はしていられない。戦況を確認しなくては。
「では。突き合うときは戦場でな」
そう言って、左近と忠勝は別れた。
ここが関ヶ原の戦場であることは、裸のつきあいをした二人には些細なことだった。
再び西軍陣地に戻った左近は南に向かい、大谷吉継の陣にたどり着いた。
「むっ。その気配は島左近殿か」
顔の大部分を布地で覆った吉継が言った。文部両道の名将も、今は病気で歩くどころか瞳も見えなくなっていた。吉継と三成は親友同士で、左近との突き合いも当然ある。
「そちと交われないのが残念至極」
「それはお互い様じゃ」
時たま東軍の藤堂高虎隊が攻めてくるが、三成本陣から離れているせいか、本格的な戦闘にはいたっていない。
「三成はわしの身体を気遣ってこのような場所に配置したようじゃが、わしの真意は違う。わしは、小早川秀秋の備えをしておる」
「秀秋殿か……」
左近は、前方にそびえたつ松尾山に眼をやった。
高い山には数多くののぼり旗が見受けられた。名門小早川家の軍勢である。もともと三成はここに違う軍を配置していたのだが、昨日のうちに押し出すように居座ってしまったのだ。
戦が始まって大分経つというのに、一向に動こうとする気配はない。
「おそらく、徳川に寝返ってわれわれを攻めてくるだろう。はっはっは。どうせ先の短い身。ここが死に場所よ」
「ご忠告痛み入る。では秀秋公にじかにお目にかかり、我々に味方するよう説得してみせましょう。性交すればわれわれの勝利に近づきますな」
左近は席を立った。
「ま、まて。説得されたら、わしの立場が……」
吉継の小さな呟きは、左近の耳までは届かなかった。
笹尾山よりはるかに高い松尾山。登りきると、関ヶ原の盆地が一望できた。
「おお。ここはよく見える。見たところ一進一退のようだが。なるほど。これはどちらに味方するべきか悩みどころですなぁ」
「何しにきた島左近。三成殿を守らなくてよいのか」
「ふっふっふ。英雄は遅れてやってくる。釣り橋効果。そのほうが効果的なのですよ」
笹尾山から三成本陣の様子も見える。情勢は悪くない。迫りくる敵を上手く撃退している。とはいえ兵力の差は如何としがたい。このまま小早川軍が動かなければ、押し切られてしまうのは時間の問題だろう。だからこそ、ここで秀秋の説得が情勢を左右する。
左近は、目の前で不機嫌そうにしているのが小早川秀秋を観察する。御年十八。秀家より十歳も若いが、若さゆえの魅力というより、まだ熟しきっていない印象のほうが強い。背丈は意外と高い。
行長たちと違って、左近は秀秋と対面する機会がほとんどなく、彼のことはあまり知らない。――さて、こいつは「攻め」か「受け」か。
様子を探ってみる。
「秀秋殿。戦のさなかにこの様なところで日和見よりとは。まさか山頂で弁当を食べているだけではござりませんな」
「ふん。吉川ではあるまいし」
秀秋はぷいと顔を背けた。
毛利家・小早川家・吉川家。三本の矢といわれた中国の雄も、複雑な利害関係が絡んで、今は一枚岩ではないようだ。
「それとも家康側について我々を襲いますか。目先の欲に駆られて安易な裏切りなど起こしたりすれば、お笑いでございますな。後世、道化者としてオレンジ君呼ばわりされるの間違いなしですな」
「左近。そなたはわしが味方になるようにお願いに来たのであろう。それならそれ相応の態度が必要ではないか」
なるほど。甘やかされて育ったおぼっちゃんか。
――仕方あるまい。
左近は決心した。
言ってわからぬ相手には、身体で覚えさせるべき。
左近は近習を適当に言いくるめて協力させ、秀秋の鎧を脱がせた。
「な、なにをするきさまらー」
・・・
「い、入れたねっ? パパにも入れられたことないのにっ」
「はっはっは。どうだ。心は拒否していても身体は正直だぞ」
秀秋は初めての感覚に戸惑っていた。
思わず口から声が出る。
「くやしいっ。でも感じちゃう……っ」
びくびく。
・・・
「では拙者はそろそろ殿の元に戻る。秀秋様も早々に準備なさるように」
左近はよろいを再装着すると、すっかり塩らしくなった秀秋を置いて山を下っていった。
「あの、秀秋様……」
乱れた着衣のままぼんやりと空を眺めている秀秋の元に、恐る恐る家臣が進み出た。
「なんじゃ、いまわしは賢者刻なのじゃ」
「いやその。若殿様に客人が」
「……客人?」
「ふぅ。こんな高い山に陣を置くとはな。登るのもそうじゃが、降りるだけでもくたびれるぞい」
愚痴をこぼしつつ帳に入ってきたのは、一人の老人。だが言葉とは裏腹に足腰はしっかりしており、息も乱れていなかった。
「徳川家康公っ!」
左近のときの横柄な態度とは対照的に、秀秋は思わず席を立った。家康はじろりと秀秋を舐めるように見つめる。秀秋はつい視線を逸らした。
「ほぅ。その顔。すでに左近の手によって落ちたか」
「いや。その……」
下手な言い訳が通じないほど、家康の眼光は鋭い。さすが武田信玄や織田信長とやりあってきただけのことはある。
「だが、そなたの性格はされるほうより、するほうではないのかのぉ?」
にやりと家康が、秀秋の長身ながら華奢な身体を見定める。
「どれ秀秋よ。織田信長のアニキをテゴメにした、『黄金の口壺』の巧みをみせてやろう」
帳は人払いされた。
半刻後。
帳から家康が出てきて、何事もなかったかのように山を下って行った。
不審がる兵士たちの前に、続いて秀秋が出てきた。その瞳には力があり、なぜかお肌はつやつやに光っていた。
「みなのもの、出陣じゃ」
秀秋が開口一番言った。
周りの兵士たちから歓声が上がる。
だがいったいどちらに味方するのか、それが分からない。
「どちらに?」
問う家臣に向けて、秀秋は不敵に笑った。
「痴れたこと。三成の陣じゃ」
秀秋は、居並ぶ兵士たちに向かって、叫んだ。
「我々は徳川家康様に味方する。――西軍に向かって、全力で突撃せよ!」
松尾山のふもと、大谷吉継の陣地に緊張が走った。
「小早川秀秋の軍勢が我が陣地へと向かってきますっ」
「……良かった」
「は?」
幸い、大谷吉継の呟きは家臣には聞こえなかったようだ。
とりあえず、これで死に場はできた。とはいえ、簡単に打ち取られるつもりはない。
「迎え討て」
小早川軍がくねくねした山道をくだる。不安定な足場を下る兵士に勢いはない。そこを待ちかまえていた意気揚々の大谷軍が襲いかかる。
吉継自身は馬にも乗れなければ刀も振るえない。それでも、家臣が一致団結して当たる。小早川軍には、西軍を裏切るのをよしとせずに思うものもいる。大谷軍は、数に勝る小早川軍を何度も押し返した。
だがそのとき。吉継とともに秀秋の見張りをしていたはずの、脇坂安治が吉継軍に襲いかかった。地味だけれど賎ヶ岳の戦いで活躍した七本槍の一人。一身に秀秋軍に向かっていた味方が不意を突かれて崩れてゆく。
「もはやこれまでだな……」
勝敗は決した。少数で踏ん張っていたけれど、もう限界だ。一万を超える小早川軍の参戦は大きい。豊臣側の敗戦は濃厚だろう。
もとより深い病の身。大谷吉継は死を覚悟していた。けれど、三成や左近にとっては不条理だろう。吉継は天に祈った。願わくば、自分の命と引き換えに、二人を生き延びさせてほしいと。
秀秋の裏切りが、島左近の菊門攻めと徳川家康の口技によるものだとは、真面目な吉継は思いもよらなかった。
「おのれ。秀秋。恩を仇で返しおって。やはり『攻め』ではなく『受け』にするべきだったのか」
本陣に戻る最中、松尾山から次々と兵が降りてきては、西軍に襲いかかるのを見て、左近は自らの知略が敗れたことを知った。さすが徳川家康である。
このままだと三成が危ない。急いで本陣に戻らないといけない。
左近は愛馬に鞭を走らせた。
痛みと快感の絶妙な狭間の鞭裁きに応えて、愛馬は荒野を失踪した。
――仕方なく、左近は徒歩で陣まで帰った。
「おお。左近。無事だったのか」
三成が陣を敷く笹尾山には大将首を取ろうとたくさんの兵が押し寄せていたが、前に気を取られ無防備に後ろを晒しているのは、左近にとっては愚の骨頂。二重の極みである。左近は背後から襲いかかり、次々と戦闘不能にしていき、愛しの三成の元までたどり着いた。
「餅の論にございます。……しかし大勢はあまり芳しくございませんな」
「うむ。小早川秀秋が徳川側につく可能性は頭の中にあった。だが、南宮山の毛利秀元らの軍勢が動かないのは誤算だった」
徳川家康の背後に陣取った毛利軍は徳川に向けて兵を攻めようとするのだが、その先に陣取る、吉川軍が言葉巧みに邪魔をして、先へ進ませない。なまじ味方なだけに、攻撃することもできない。
そんな状況の中、背後の憂いをなくした徳川本隊が桃配山からじわりと前進してくる。その数は三万。必然的に東軍の士気は上がり、味方の軍勢が次々とおされていく。孤軍奮闘していた宇喜多秀家、小西行長の軍勢も、小早川秀秋軍の横槍を受けて壊走している。
「……もはやこれまでか」
情勢を見極めた三成が鎧を脱ぎ捨てた。白くて華奢な肌があらわになる。
左近はどきっとした。
「左近。介錯をお願いできるか?」
「殿のお馬鹿ーっ」
左近の右拳が三成の頬に炸裂した。
「違うぞ。左近。介錯というのは、腹を切った後ずばっと……」
「ツッコミの殿がボケてどうする――いや肉体的には突っ込むのは拙者のほうだが……」
もしかすると三成も混乱しているのかもしれない。無理もない。数々の戦に参加しているとはいえ、元々は文治派。やる・やられる、の命をかけた戦いには向いていないのである。
あたふたしている三成に向け、左近は言った。
「三成さま……」
ここで殿と二人、死を選ぶのもひとつの選択だ。
「殿は生きなければならないのです」
むしろ、心中。いい響きだ。
「もし殿が亡くなられたら、秀頼様はどうなってしまうでしょうか」
だが、肉体なき黄泉の世界で、快感を得られるのだろうか?
「秀頼様を補助すること。それは亡き太閤秀吉様のご遺志なのです」
それは仏ならぬ身としては分からぬことだった。
「ならば目先の快感に惹かれるのが、罪深き人間というもの」
何が何でも落ち伸びて、大坂までお戻りくださいませ。
「う、うむ。確かに目先の死をもって現実から逃げ出すという思いがあったのだろうな。すまん。左近……」
思わず心の声と入れ替わってしまった左近だったが、真意は伝わったようだ。
一兵卒に化けて、ひそかに山を下って落ち延びる三成を見届けて、左近は呟いた。
「さてと……わしはどうするか」
三成を無事逃がすため、時間を稼がなくてはいけない。かと言って、自分自身死を選ぶつもりもない。徳川勢の猛攻を前に、あとどれくらい持ちこたえられるだろうか。
そのときだった。敗色濃厚で精巣する軍勢の中で、ひとつだけ徳川軍に向かっていく軍勢が目に入った。
「あれは……島津義弘殿」
左近はそちらの軍勢に向かって、馬を走らせた。
「おお。左近殿でごわすか。残念ながら、戦の情勢は決まったようでごわすな。おいどんたちもこれから撤退するでごわす」
先走る義弘が左近に気づいて言った。
「なるほど。敵中突破とは、さすが島津殿らしい撤退の仕方じゃな」
一見無謀に感じるが、敵の猛攻に背を向け、背後にそびえる伊吹山を登って退却するより、一度敵中を突破して、松尾山の東の伊勢街道を下って退却するのは理にかなっている。
なにより、家康にひと泡吹かせようというのは痛快ではないか。
左近は義弘に提案した。
「島津殿、拙者も連れって行ってもらえぬだろうか」
「かまわぬが……三成殿は良いでごわすか」
「殿は一足先に落ち延びているはずじゃ。それに拙者もただ引くつもりはない。近くまで連れて行ってもらえればそれで良い。あとはこっそりと軍を離れて、徳川の陣地に忍び込み……」
島左近は舌なめずりをした。
「――家康を、犯る!」
大勢がほぼ決したさなか、島津軍が突如として東軍に向けて動き出した。
殺人鬼と化したその死を恐れぬ突撃を繰り広げる軍団に対し、無謀な攻撃を仕掛ける者はいない。ときおり手柄に焦って無謀に突っ込んでくる部隊を蹴散らしながら、島津軍が徳川本隊に迫る。家康本陣に緊張が走った。
ところが島津軍は本陣を前にして突如右折。伊勢街道を一気に下って戦場から離脱していった。あわてて、井伊直政らの軍勢が追撃を開始するが、またも激しい抵抗を浴びることになる。
――その戦いの混乱のさなか、左近はそっとまぎれて、徳川本隊に忍び込むことに成功した。
さてこちらは徳川本陣。
まだ当人は捕らえていないが、石田三成の軍勢はすでに壊滅。知恵者だけに手間取るかもしれないが、当面の大勢には問題ない。島津の決死の突撃には一瞬緊張が走ったものも、その島津軍も伊勢街道を南下して、当面の危機は去った。
安心した家康は人払いをして席を立った。
年をとれば用を足す回数も多くなる。一人厠に立ち、袴をずり下ろした。
その背後に、左近はそっと音もなく忍び寄っていた。三成に夜這いを繰り返し会得した奥義だ。
家康は無防備にも尻をさらけ出している。犯るには、今をおいて他にない。
左近は一瞬の間に家康の背後に取りつき、己の凶器を一思いに刺した。
「……ぐぅっ」
家康の口から声が漏れた。
左近の武器は、家康の身体の深いところまで突き刺さっていた。
確実に犯っている。
……だが追い詰められていたのは、左近の方だった。
強烈な締め付けが、左近を襲う。とても六十を超えた人間の技とは思えない。
「――まんまと罠にかかったな。島左近」
「……まさか影武者。服部半蔵かっ?」
左近が身動きをとれぬまま叫ぶ。
だが刺されたまま振り返った男の顔は、間違いなく家康のものだった。
「ほっほっほ。それにしてもさすがは噂に聞く島左近じゃ。なかなかの突きじゃったわ。今川義元様との初めての夜のことを思い出すのぉ」
「さすがは家康。老いてもなお健在ということか……」
思わず左近は声を漏らしたが、その口を強引に塞がれる。
「ふっふっふ。左近。動けまい。我が中で果てるが良い!」
「くっ……む、無念……」
左近は果てた。
家康をテゴメにするつもりが、逆にテゴメにされてしまった。
「大殿。ご無事ですか。島左近はいかに」
駆け寄ってきた近習が、乙女のように地面に横たわって気を失っている左近を見て尋ねた。
「ふっ。島左近は我が手中に堕ちた。隠れている三成を探す良い犬になるだろう」
家康は傷口を拭きながら、にやりと笑った。
♂♂♂
関ヶ原の戦いから数日。
石田三成は、同じく落ち伸びた小西行長と合流し、東軍の追手や落ち武者狩りを避けながら、伊吹山の山中を歩きまわっていた。当然、満足な食事を取ることも出来ないので、木の実喰らい、沢の水を飲んで喉の渇きをいやした。
一刻も早く大坂に戻りたいところだが、街道に出ては捕まる恐れがあるため、山の中を行ったり来たりしている。
「まるでボードゲームの駒のようじゃな」
行長が西洋の語彙を用いて愚痴った。
そのとき、前方の茂みが風もなく揺れた。
「行長、静かに。誰かいるぞ」
二人に緊張が走る。ただの獣か、追手か、栗とリスがぶつかった音か?
だが現れたのは、そのどちらでもなく、島左近であった。
「左近っ。無事だったのか」
三成が歓喜の声を上げる。
だが様子がおかしい。
「ミツナリノニオヒ、ミツナリノニホヰ、グヒフヘビバゲパピポ」
「さ、左近?」
「ふっふっふ。こやつは家康様の手に落ちた。今や三成を探すための『犬』よ」
意味不明な言葉を発し四つんばのままの左近の隣から、東軍の武将田中吉政が現れた。左近のほかにも何人もの追っ手を連れている。
「おのれ、卑怯な」
三成は激怒した。あの左近を籠絡するとは。どれほどの拷問を課したのか、想像絶する。
「おお主よ、神よ。この奇跡に感謝します」
「行長?」
「三成よ。案ずることはない。君はただ、この巻物に書かれている文字を読むだけでいいのだ」
行長が懐から取り出したる書状を受け取った三成は、がうがう言いながら、ゆっくり迫ってくる左近に向けて、口を大きく開けて、それを読んだ。
「左近、大好き」
血の雨が降った。
次の瞬間には、吉政ら追手たちが倒れていた。暴走した左近の鼻血にまみれながら。
「おお、三成さま、それに行長殿も。よくぞご無事で」
我に返った左近は、三成の姿を見つめて顔を輝かした。大量出血した面影もない生き生きとした顔だった。
「あ、ああ……」
「ところで、記憶にないのですが、今何か、凄いことをおっしゃいませんでした?」
「……いや別に」
三成は軽く頬を染めプイと横を向いた。
その様子に、記憶がなくとも、ご飯三杯いける左近であった。
並いる落ち武者狩りを、なぶり倒し、裸に引ん剥き、三成たちは山中を抜け、大坂城へと入った。城には無事、関ヶ原から逃れてきた武将たちが詰めていた。その中には、西軍副大将、宇喜多秀家の姿もあった。
「石田様・小西様、ご無事でしたか」
「秀家様も、ご無事で何よりでございます」
「残念ながら、大谷吉継様は関ヶ原にて本懐を遂げたそうです」
「……そうか」
「敵中突破した島津義弘様は大坂に向かわず、直接本拠の薩摩を目指しているようです。ご無事であればよいのですが」
と各々が厳しい戦いを思い起こしているときだった。
「三成。よくおめおめと顔を出せたね。もともとボクは挙兵に反対だったんだよ!」
いい年した男がずかずかと現れて叫んだ。西軍の総大将、毛利輝元である。
「ああもぉ、このままじゃ、みんな家康に捕まってう乳首だよ、もぉ」
その空気の読めない態度に、左近は切れた。
けつの穴に○○○突っ込んで奥歯ガタガタ言わせたろうか、と決心し実行に移す直前、一人の女性が輝元を一喝した。絶世の美女とうたわれている、故秀吉が妻、淀殿である。
「何を言うか、お主が兵を率いて出陣していれば、このようなことにならなかったはずじゃ!」
「えーっ。だって淀様が、大坂城を守るためここを動くなって……」
「それはそれ、これはこれじゃ。文句があるなら兵を二倍引き連れてくればよかろうが」
「そ、そんなぁ、無茶苦茶な……」
輝元が絶句した。けれど淀は関ヶ原の敗戦で色々溜まっていたのか、鬱憤を晴らすかのように輝元をやりこめていく。三成と行長は慣れているのか「やれやれ」といった様子だが、淀を初めて見る左近は新鮮だった。背の高い美女に、女性としてではなく宿敵として左近は興味を持った。
ふと左近は、淀の後ろにくっ付くようにして立っている幼子を見つけた。
「あの幼子は?」
「うむ。あのお方こそ、豊臣秀頼様じゃ」
三成が誇らしげに言った。
少年と呼ぶにも幼すぎる。淀の着物の裾を持ちながら彼女に隠れるように、母と輝元のやり取りを興味深そうに聞いている。
左近は初めて豊臣秀頼に拝した。天下人というにはまだ幼すぎる印象だが、淀殿をはじめとする重臣たちに育てられたおかげか、気品が感じられる。
そのとき、左近に妙案が閃いた。
「……三成さま」
「なんじゃ?」
「拙者に腹案がございます。大したことではございませぬが……」
淀が輝元を言葉攻めしているのを尻目に、三成に一つの策を授けた。
京都二条城の一室。
上座に座って時を待ちながら、徳川家康は、己の一生を思い起こしていた。
関ヶ原の戦いで快勝した東軍がゆっくりと大坂城に向かっている最中、豊臣方が停戦を求めてきた。内容は徳川家康と豊臣秀頼の一対一で会談を行い、講和を結ぶというものだった。
家康はこれを承諾した。表向きは講和だが家康の狙いは違う。かつて家康が秀吉に臣下の礼を取って秀吉が天下人になったように、今日ここで、家康と秀頼の力関係を天下に見せ付けるつもりだった。そして晴れて、家康が天下人となるのだ。
さらに待つことデラックス。ようやく、ふすま越しに近習が告げた。
「秀頼様が参られ早漏」
「……いよいよか」
そういえば、最近は秀頼に会おうとしても淀殿が対応して、彼と会ったのはまだ赤子のときだったことを思い出す。
ばたばたばたという足音が廊下に響いて、ふすまが開けられた。そこに、少しは成長したけれど、まだまだ幼い秀頼が一人で立っていた。
秀頼は家康の姿を見ると、屈託のない笑顔で笑い、ぱたぱたと家康の元に駆け寄ってきて――こけた。
「ふぇぇえ。いたいよぉぉ」
泣いた。
家康はつい昔の癖で「秀頼様」と言ってしまうのをこらえつつ、秀頼の元に駆け寄った。こけた秀頼は身体をうんしょと上体を起こし、上目づかいに家康を見る。
「ん」
「あの……?」
「んっ!」
秀頼はちっちゃな右手を家康に伸ばした。どうやら起きあがるために手を貸してほしいようである。仕方なく手を貸してやった。
「うむ。家康、たいぎであう」
噛んだ。
秀頼は特に気にした様子もなくぱたぱたと部屋の奥に歩いて、さっきまで家康が座っていた上座にぽすんと腰を下ろした。
「あ」
家康は思わず間の抜けた声をあげてしまった。
そんな家康を、秀頼は不思議そうな目で見つめる。なぜ驚くのか、心底分かっていないような純粋無垢で無邪気な瞳を家康に向ける。
その瞳に釘付けとなって二の句を告げられず硬直してしまっている家康を、秀頼は物珍しい生き物を見るかのような瞳で見つめた。
それを見た途端、家康の心に何かが目覚めた。
「秀頼……さま」
「ん、なぁに、家康?」
秀頼が小首をかしげる。
「……わしを、私めを罵倒していただけませんか……」
秀頼は可愛らしく「ん~」と考えて、ぽつりとつぶやいた。
「家康の……へんたいっ」
「うぉっ」
家康の身体が痙攣した。
「ばか、あほっ、うまのほねー」
「もっと、もっと、罵ってくださいっ。秀頼さまーっ」
家康の痴態は、大広間で待機していた諸大名の元まで響き渡ったという。
♂♂♂
かくして、徳川家康は、豊臣秀頼に臣下の礼を誓い、戦国の世は幕を閉じた。
家康が何かに目覚めたように、秀頼もまたそれに目覚め、百戦錬磨の大名たちを次々と可愛らしく罵倒して行き、骨の髄まで心服させていった。秀吉と違って秀頼はまだ若く、これから太平の世が続くだろう。
小西行長は希望通り海を渡って倫敦へ行った。まぼろしの「うなぎちゃんぱんつ」を求めて。宇喜多秀家は大坂城で秀頼の義兄として政務を補佐している。微妙な方向に変わってしまった秀頼を見て、秀家が哀しんでいるか悦んでいるかは定かではない。
小早川秀秋は家康の愛が秀頼に向いてしまったのに失望して伊予の国に隠居し、みかんの栽培に性を出している。本多忠勝は関ヶ原後、小刀で持ち物に名前を彫っていたら指を傷つけてしまい、それが原因か数日後に死去した。この逸話から、後年「はぐれメタル」呼ばわりされることになる。けれど左近だけは知っている。あの全身に出来たみみず腫れを。
そして、石田三成は――
「ふぅ。さすがに事務ばかりしていると、この山道は堪えるな」
石田三成は高野山へと続く参道を登りながら、汗を拭いた。
家康が臣下の礼を取ったとはいえ、徳川家の勢力は巨大なままである。そこで三成は、無理な改易を行って禍根を残すより、自らを高野山への蟄居処分とすることで一身に責任を負い、関ヶ原の戦いのあと始末をつけたのだった。
「三成さまは、夜の運動が足りないご様子。なぁにこれから鍛えても問題ござりませぬ」
三成の横には、当然のように島左近がいた。
「左近。そなたは家臣でなくなったのだから、無理にわしに付いてこなくて良いのだぞ」
「いいえ。三成さまがなんと言おうと参ります」
「左近……」
三成は感動した。
しかし左近はそれに気付かず、うっとりと視線をさまよわせた。
「ふっふっふ。高野山は『女人禁制』……うむ。なんといういい響きなのだろう」
「……そなたには修業が必要だな」
呆れたように三成が呟いた。しかし、その口調に微かな嫉妬が含まれていたことに気付かない左近ではなかった。
「はっはっは。ご安心を。拙者は三成さま一筋ですから。――というわけで、や ら な い か」
いろいろ、すみませんでした。
この作品は、岡本賢一著『それゆけ薔薇姫さま!』(ファミ通文庫)の影響を受けて書いた作品です。
かなり昔に出版された作品ですので、現在手に取るのは難しいかもしれませんが、もし『三成さま!』を楽しめたのなら、ぜひご一読されるのをお勧めします(悪魔のささやき)
改めて、いろいろすみませんでした。