兼定転生
歳三はやっぱり魅力的。なので書いてます。挑戦です。
ゆったり更新かもしれません。
週一、二は更新したいところですが。
死の間際、もしも来世があるのならば、と想じた。
ヒトでは無い何かほかの動物……、鷹とか、あるいは狼とか。
それも面白いかな、などとは思った。
しかし、まさか僕が人斬りの刀になるとは思いもしなかった。
「これからは、君のことを局長と呼ばなくてはな」
僕の主人が、何やら胆力漂わせる豪傑と座している。
凄い遣い手なのだろうな、と思う。でも、僕の出番はありそうにない。
「いや、歳サン。我らは義兄弟。これからも勇と呼び捨ててくれ」
「そういうわけにはいかん。友であるのは今夜が最後。君には、成し遂げてもらわなければならん。組織の長として、御輿に乗って貰わないとな」
「そうか。ならば俺の方も、歳サン、などと呼ぶわけにはいかぬかな」
彼の豪傑の言葉は、僕の主人にとって少し存外だったようだ。
主人は首の筋を掻いて、なにやら思案している。
ひとつ、ふたつ。
みっつくらい、息を吸ってから答える。
「そうだな、歳三あるいは歳、とでも呼び捨ててくれ」
うむ。と豪傑が頷いた。ひと口だけ酒を口に含みやがて、我が主は「局長」の間を去る。
そして自分の間に戻り、
「つらいな」
と呟いた。
「命を投げ出すことに躊躇いなどはない。しかし生涯の友を無くすことが、これほど堪えようとはな」
憔悴している。
「おい。独り言など、君らしくないぞ」
所行に悩む男をただ見るのは、退屈だし、僕の趣味じゃない。
自分に口など無いことを知りながら、言葉を投げかけてみた。
「は」
行灯の炎がゆれる。
主が辺りを見回す。
「いや、誰も居るまい。あるいは物の怪のたぐいか、はは。総司あたりが、吐きそうな言葉だが」
「君には僕の声が聞こえるのかい?」
「おう、聞こえるぞ、物の怪よ。ようやらん酒など嗜むからお前の声など聞こえるのだ。ふふ、京の夜とは異なものよな。これも風流か。俺も風流なら多少は弁えている。それで物の怪よ、お前の名でも教えてみよ」
「兼定」
「は」
「和泉守兼定だよ。君の傍らにある、それが僕」
「これは、また」
主が訝しげに目を細める。
「刀がのたまうとは、面妖な」
そして、小首をかしげる。
「僕からしてみれば、刀の声が聞こえる君の方が面妖なんだけど」
「そうか、なるほど。名刀には命が宿るというし」
「刀の声が聞こえるということは、君はいっぱしの遣い手なのかな」
「ふむ。あまり自信は無いが」
「そうなのか。もし君がオレの知っている人物なら、その弱気は意外だな」
「ほう、俺を知っているか」
「流派は、天然理心流。中極意目録」
「なぜそれを」
「酔いが醒めたか」
「醒めた。理心流はともかく、目録止まりであることは義兄弟たちしか知らぬはず」
「どうやらやはり、君はまごうことなく新撰組副長、鬼の土方歳三のようだ」
「鬼かどうかは知らんが。ふむ、つまり兼定。君から見ると俺は鬼のように見えるというのかな」
「いや違う。いずれ、君はそう呼ばれることになる」
「なぜ分かる」
「分かるのさ、僕には」
「そうか。俺は鬼と呼ばれるか」
歳三が縁側へと歩を進め、夜空を見上げる。
中秋の名月を冷たい風が包む。
虫の音がさんさんと響き、時折ススキが風にかすれている。
どことなく、香も漂う気がする、京の秋。
「また話せるか、兼定よ」
「おそらく、多分」
「それならば、一つ願いがあるのだが」
「はぁ、願いとな」
「俺の事はこれから、歳サン、などと呼んではくれないか」
文久三年、九月十八日。
旧新撰組局長、芹沢鴨の葬儀が執り行われた日であった。
*
始め、僕は自分を巌だと想った。
永劫の刻を静寂の中愉しむ。
今度はそんな風に、生きていくものなのか。
しかし、どうやら僕は巌ではないらしい。
温もりと酸鼻。
どうやらこれは、血だ。歓喜が身にまとわりつく。
愉しい。血を吸えば、意識が目覚める。
どうやら僕は、血で乾きを潤す運命らしい。
一人、二人。三人。
血を吸うごとに、意識が目覚めてゆく。
芹沢鴨。
巨大な鉄扇を操る豪傑の血を吸った時、はっきりと自分が何者であるかを悟った。
僕は、刀だ。衣は玉鋼。
我が名は、和泉守兼定だ。
*
土方歳三が憧れたのは、武士として死ぬことだった。
多摩郡石田村。日野の豪農の元に生まれた歳三は、竹を眺めていた。この竹で弓を作り、武士として敵を狩る。その想いは、齢二十を超えても色褪せることがなかった。
そもそも、土方家には高尾山を超えた外敵から江戸を守る、という強烈な気風があった。
天下太平の世にあっては、孤高の存在。
別段、録を得ているわけではない。しかし、録の問題ではないという気風が、日野の血脈に受け継がれていた。
幕府直轄。天領膝元の気概である。
若き日の歳三は、大店松坂屋に奉公し、商人としての生涯を歩もうとしたことがある。
本家が出世街道に導こうとした、上野松坂屋からの出戻りは、本来なら勘当ものだったかもしれない。歳三は末弟であったから、自らの手で財を為す必要があったのである。
しかし、それは叶わなかった。
「肌に合わぬ」
と帰ってきてしまったのである。
周囲は狼狽した。
だが、あれやこれやと嘯く歳三の商家での話を皆、やれやれと思いながらも心の何処かで嬉しくも思ったりもした。
「それでこそバラガキ」
勇士は善。これぞ多摩の息子だと。
試衛館の実戦主義も、そんな多摩の気風と重なった。
日野が墜ちれば、江戸が墜ちる。
高尾の山峠からの逆落としを止める最後の砦。
騎馬の雪崩を食い止めるには、一にも気魄、二にも気魄。
その気風が、天然理心流の「芯」であり「真」たるものであった。
しかしそれは、田舎剣法とも揶揄される。
「試衛館とはどこぞのものか」
江戸三大道場。
品の鏡新明智流。士学館は南八丁堀新富町。
技の北辰一刀流玄武館は神田岩本町に構え。
力の神道無念流、練兵館は九段坂上で。
それぞれの流派が洗練された竹刀術や学問で隆盛を極めたのに対して、天然理心流、試衛館は市谷柳町で「じっ」と稽古に稽古を重ねていた。
しかし、その気風を愛する好漢たちも集まる。
養子として理心流四代目を継いだ近藤勇の元には、門下の歳三、沖田総司、井上源三郎、はもちろん、北辰一刀流の流れをくむ山南敬助や藤堂平助、神道無念流の永倉新八、宝蔵院流槍術の原田左之助ら手練れが、男所帯に寄り合っていた。
剣先に込める気迫は、嗜みではなく、ましてや護身術でもない。
ただ敵を斃すための剣術。
いくら陰口を叩こうとも、彼らと江戸で実際に打ち合うものはおらず、そして天然理心流は、京で飛翔の刻を迎えようとしていた。
*
「歳サン」
新撰組副局長が、はっとして僕に振り返る。
賑やかしい通り。商店や食い物屋が建ち並ぶ鴨川の通り。
活気ながらもなにやら「凛」ともしている。
「何だよ、兼定。俺は話しかけていないぞ」
「聞きたいことがある。嫌なら、答えなくても良いけど」
「愛刀に答えて嫌なことなどあるまい」
「嫌なことなど、無い?」
副局長として、影で清濁あわせ呑み近藤勇を支える決意をした歳三が、僕だけには何もかも答えるという。
脇が甘いぞ、なんて思ったが、少し、嬉しくなる。
「歳サン。八木の家で鴨居にオレを打ち据えただろう。腰が痛い」
む、と歳三が唸る。
「腰とは、どこだ。刀に、腰があるのか」
「腰という、気がするだけ」
ふむ。歳三が何か思案する。
「按摩など、してやるわけにも行かぬしな」
鬼の副局長が按摩など。僕は苦笑いする。
「笑っているのか?」
「どうも、歳サンにはひょうげたところがあるようだ」
「ふむ。どうせなら、風流、などと言って欲しいものだが」
歳三が鴨川の土手に腰を下ろして言う。
「風流よな、鴨川は。風雅ともいえる。赤い傘など広げて歩くのも良いかな」
「歳サンはさ、鴨川と多摩川なら、どちらになりたい?」
「そりゃあ、鴨川さ」
それは意外。
「だけど、俺は浅川だ」
「うん」
浅川は土方家の隣を流れる中流。
葦が生い茂り、すすき野も続く。
どこにでもある、田舎の川だろう。
「あこがれているのさ、鴨川に」
土方歳三の言葉には、どこか切なさを感じる。
「鴨川は、侍?」
歳三が僕を睨む。
「歳サンは、侍にあこがれている」
「嫌か。侍にあこがれる俺が」
「まさか。鴨川か多摩川かどちらが好きかと聞かれれば、僕は浅川と答えるよ」
「はは。刀が嫌みか?」
そうじゃなくて。
「鴨川が鏡新明智流。多摩川は神道無念流。北辰一刀流は……、まぁ神田川かな」
「ふむ。なかなか面白いことを言う。そう言われれば、そんな気もしてくるな。それで、天然理心流は浅川というわけか」
僕はうなづいた。
「人々に恵みを与える郷土の雄。そういう剣風が、僕は好きだ」
なんだか、化かされているようだ。そう言って歳サンはしかめっ面をしたけど、嬉しそうだ。
「だから、土方歳三は浅川なら、ただそれでいいんじゃないかな。多摩の勇士ってことで」
「そうか、俺は浅川で良いか」
「浅川の、侍さ。浅川が鴨川相手にどれだけできるか。なんて、なんだか、楽しそうだし」
「ふむ、よし。それなら今日は浅川を思いながら、団子など喰うか。赤い傘など、似合わなくなった気がするがな」
「風流ならここは、一献とかじゃないの?」
「酒は好かん」
歳三は、ぶすくれた。
「僕も飲めないな。さびてしまう」
「はは。しかし、北辰流が神田川とは、奴らが聞いたら怒りそうだな。龍馬あたりは、カッカと笑っていそうなものだが。うむ、この団子、うまいな。この団子にだけは、多摩もかなわん。兼定も、食うか?
「だから、僕は食べられないって。僕が啜るのは、人の血だけだよ、歳サン。早く赤い雨を降らせておくれ」