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雲と彼 2

 激しい熱をまき散らし、ばちばちと瞬間的な破壊が起きている。破壊とは火。対象は宿屋。彼の足取りの終着点において炎が舞っていた。灼熱が石造りの宿屋を焼きこがさんと、勢いを強めていた。密集地帯にしては、飛び火することがない。また、木造でもないというのに、石に対しての着火点。



 自然発火にしては歪だ。


 部屋が燃えているわけではなく、外壁部分から建物全体を炎が包んでいる。内部を浸食せんと炎が舞っているのだ。



 燃え尽きてはいない。形が残っているし、外壁も焦げているだけである。


 宿屋の目の前のとおりは人だかりができている。観客などではなく、野次馬だ。その野次馬の集団は何することもなく、普段目にしない火事に視線を奪われていた。娯楽なのだろうか、人の不幸を楽しむ心を驚愕という偽りに隠すのが野次馬達だ。



 それもすぐに収まる。



 怪物たる彼が野次馬達の視界に映れば、すぐさま道が左右に分かれた。ふさがれた道は、瞬時に巨大な抜け道となって、彼の帰りを邪魔することもなかった。



 宿屋の前で、炎の熱が彼の顔面へと叩かれた。顔をふさぎそうになるが、そういうわけにはいかないのだ。宿屋から離れた厩舎には何の影響もないこと、そして彼の魔物がこの場にいないこと。リザードマンと牛さんは厩舎の中であろう。観客の中を確認し、宿の住人も誰一人この場にいない。オークとコボルトとゴブリンの三種族。


 いれば、住居が燃えている現状で平然と出来るわけがない。この場に集まったのは、他人事の連中だ。


 


 彼の魔物と住人は取り残されたというわけだ。今いる魔物は雲一匹。どうすることもできやしない。だが、彼には慌てた様子はない。この程度の炎で死ぬわけがないことを予感しているからだ。彼の魔物はこの程度の炎で死にはしない。


 彼は叫ぶまでもない。


 二階の彼の部屋の窓際から視線を感じ取ったからだ。それは信頼ある幹部の一匹、オークの華。怪我をしている様子はない。彼の微弱な表情の変化に気付ける数少ない華に、彼は軽く目配りをした。軽く顔を上げることで、相手へ背後に意識しろという表現。言葉にもならない指示であるが、華は理解した。華がとるべき行動の一つ、それはゴブリンとコボルトの二匹を外へと逃がせというものだ。



 建物の中であろうと彼の指示に逆らうわけがない。彼は何もない空間でありながら、何かをかぶる動作をする。フード自体、彼の服装にはついていない。だがフードをかぶるかのような動作をした。



「ぶいっ!」


 その動作を理解するのも華の得意だった。華は、部屋を荒らすようにして、動き出した。どたばたと布団や、皮の生地などをかき集め始めた。火に強いであろうものかき集め、それらをゴブリンやコボルトに手渡した。華も自分の体から見れば小さいけれど頭部から首にかけて防火の布を装備し、桶に組まれた水を全員で分け合う形で振りかけた。



 突然の発火。その中でも部屋に待ち続ける華の思いと、それに答えるかのような的確な指示。彼は以前から教育をしていた。現代における避難訓練と呼ばれる行為を簡単に説明していたのだ。深夜あたりに静かに実践もさせていた。


 だから怖がることなど何もない。



 階段から出るなんて非効率である。オークの華にとって二階なんて在ってないようなものだ。ほかの二匹ですらそうだ。彼だけが怪我をする高さであって、この世界の魔物にとって障害にすらならない。



 全てを準備し終えた華が窓枠に再び歩み寄った。窓から見下ろすように彼を見つめた。分厚い豚の魔物が視線を強く彼へと送る。それは行動の合図だ。華から送られた初めての合図、それを彼は理解した。理解したが、何をするかはわからない。普通に階段を下りてくるものであろうと考えた瞬間、窓枠が吹き飛んだ。破砕音とともに窓は砕け散り、その中に芯として形あるのがオークの腕だ。


 オークの腕が窓をぶち破っただけのこと。それでも彼の表情に変化があった。先ほどの野次馬達と同じような驚愕を音に対して浮かべたのだ。そして、彼を不安そうに見るような観客たちと同じ表情でオークの蛮行を見届けた。


 しかし変化は一瞬。



「・・・雲!!」



 一言でいい。彼の言葉は短く、されど一言に思いを込めた。執念を込めた思いを受け止めた雲は、卑劣さを増した表情をもって行動を起こす。口元に両手をつっこみ、そして引き抜く。引き抜く指につられたかのような糸が瞬時に口から放出される。軽い手ぶりは、炎の中に糸を突き刺し、また宿屋の対面の建物にも展開される。そこから蜘蛛の巣状に糸をゆびの動作と共に構築されていく。野次馬たちの頭上を越え、ピンと張り詰めた糸の巣が数秒もたたないうちに出現した。


 それと同時にオークの華が、ゴブリンとコボルトを窓枠から放り投げる。順番仲良く飛び降りることも面倒だと、華はオークらしき豪快さを発揮。小さな魔物たちを救い出してから、更に窓枠を囲む壁を拳で破壊していった。破壊していく音とともに、オーク一匹が余裕で抜け出すほどの穴ができた。

 

 それでよかったはずなのだ。だがオークは部屋の奥へ姿を消した。そして外からも聞こえる破壊音とともに再び姿を現した。


 宿屋の主人と二階に住む数人の住人を共に引き連れた。オーク以外の全員が悲惨な感情を表して、死に対する恐怖を全開に振り切っている。一階は火が回り切っているため、建物内部から降りることは不可能だった。また、一階は受付のみで、誰も済んでいない。三階の住人は現在誰も済んでおらず、二階のみ。人が少ないのは初心者向けのボロさと彼という恐怖が住んでいる点。


 だが、それが暗雲を分けた。


 連れてきた理由、助けるため。


 華が何故助けるか、宿屋の主人の食事を失うのが怖いため。住人を助けたのは数少ない彼を否定していないため。怖ければ逃げるのが生物の根源である。その根源を気にしつつも、必死に住み続けた度胸を華は買っていた。リザードマンであれば見捨てたであろうが、華は気にしなかった。



 オークは魔物の中で誰よりも彼を見ている。小さな変化を見逃すことはない。彼は住人が好きではないが、一緒の宿屋に暮らすという微弱な安心感を放出していた。それを華は理解し、また住人たちの度胸もあって、助けることにした



 オークは言葉を交わすことなく、手ぶりで降りる指示を出した。後ろから前へ送り込むかのような手ぶりであった為、住人や主人も飛べということだけは理解した。されど恐怖がある。こういう高いところから飛ぶという、恐怖が。躊躇いが行動を躊躇させている。


 


 だが魔物は魔物。人間が躊躇しようが関係がない。


 面倒になった華は、住人たちを片腕ずつに一人。計二人を抱きかかえると、そのまま糸の巣へと投げ飛ばした。後は流れ作業のように住人たちを気にすることなく投げていった。されど投げる位置だけは変えている、誰もぶつからないように大げさに投げ飛ばす。悲鳴をあげつつ住人は糸の巣に落下し、衝撃でぐわんぐわんと跳ねていた。


 

 そして最後の一人。


 宿屋の主人に関しては、両の手で大切に抱きかかえた。悲鳴と恐怖を表情に貼り付けながらも、華は気にしなかった。


 だが、大きく笑みを浮かべた。



「ぶいっ!!」


 大きな返事、されど顔は邪悪にならないようにする。上から見下ろしたときの雲の卑劣さを増した表情。それが余りにも酷かったというのもある。また初めてのまともな食事を作った宿屋の主人に対して、安心させるように元気な鳴き声だった。



 抱き留めて、少しぎゅっとする。宿屋の主人は年寄りだ。それを考慮しつつ、力を最大限下げていく。彼を相手にするときのように扱い、そして少しばかり玄関口まで歩き出した。空いた壁から若干の距離をあけ、助走した。


 そして飛び出した。


 恐怖も何もない。気にすることなく糸の巣へと体ごと落下した。


 糸の巣は全ての魔物の落下を受け止めた。人の重みにも余裕で耐えた。されど糸は丈夫であろうと、支える建物が丈夫なわけではない。


 燃え盛る宿屋と対面の建物。対面の建物の壁深く突き刺した糸は大丈夫だろうと、宿屋の方の糸がだらんと下がり始めていた。この高さなら彼でも足から落下すれば怪我をすることがない。そういう高さだ。



「・・・降りる準備をして」


 彼はそう告げた。安心感という感情が半分ある。もう半分は少しばかり暗いものだ。住むところが燃えたという現実もそう。されど現実味がないというのもある。


 雲が空を切るように、指を振る。その瞬間糸は魔物たちがいるであろう部分からゆっくりと千切れていった。一匹、また一匹と地面に落とされていく。そこから住人たちがゆっくりと落とされた。最後に華が着地するのと同時に、宿屋の方の糸が完全に切れた。燃えることのない糸であったが、繋ぐ壁が燃えてしまっては意味がない。



 誰も死んでいない。


 生還しきったのだ。




 


 だが、彼の足は動き出していた。オークの元へと歩み寄っていた。されど視線は華ではない。両腕に抱きかかえられた宿屋の主人だ。命の危機から脱した宿屋の主人は更なる危機に体を硬直させていた。知性の怪物という存在。その噂を主人は知っている。


 やっていること、やってきたこと。凄惨な結末をもたらす非道の怪物。




 それを知りつつ、主人は泊めていた。対応するたびに震えそうになる体を無理して、泊め続けていた。金払いは要求通り支払われ、滞納も一切ない。食事というオプションも彼だけが常に頼む。優良客の一人。まずいと馬鹿にされ誰も食べない。宿も汚い。料金の安さだけが唯一の利点といわれ続けた自身の宿。


 掃除は出来る範囲でこなしてもいる。だが歳のためにできないことも多い。その中でも利益を生み出し続ける金の鶏。それが彼なのだ。彼が来てから客は減った。だが金は増えた。魔物一匹ごとに食事を用意させ、その対価をきちんと支払う。正直食事の代金の方が、泊めるより利益になる。



 利益になる彼が、自身の宿で日々を過ごし、食事をとる。宿屋明利である。それも終わりである。知性の怪物は破滅を呼び込む。それは宿を燃やしてしまった始末を自分がとる未来。



 死にたくないとかではない。


 宿が崩壊するのが気に入らない。



 体を硬直させつつ、そのたびにオークの抱き留める腕がぎゅっと理性を取り戻させる。今あるのは怪物に対する恐怖と、宿が崩壊する憤激からくるものだ。



 怪物と主人の距離が近くなる。手を伸ばせば、ぎりぎり届く。そんな距離で彼の足は止まった。


 主人の心臓の鼓動が早くなった。急に歩き出して、止まる。怪物たる存在が自信を見つめる姿に不安が大きくなったのだ。



 無表情をもって、怪物は口を開いた。



「・・・けがは?」



「・・・あ、ああ無事だ」



 主人の口から咄嗟に出たのは無事という言葉のみ。あっけないというか予想外というか。そんな普通の言葉をかけられたことに対する、僅かな抗議がぽかんとした口元だ。



「・・・それはよかった。皆さんも無事でよかった」



 怪物は地面に横たわる住人と魔物たちを見つめていた。表情の変化は一切ない。秘めたる思いもあるのかもしれないが、主人には理解できない。



 されど。



「・・・なら聞きたいのですが」



 怪物はいったん口を開いて、閉じた。



 そして、口元を大きく歪ませた。その変化は怒り、悲しみ、恐れ、憎悪、色々予測できたかもしれない。寝ていた獣が目覚めてしまったかのような考えを抱かせるほどに、歪なものだった。



「・・・何がありました?」


 底知れぬどんよりとした闇。主人はその闇に飲みこまれる前に、口を開き返した。



「・・・焼かれた、奴らに!」



 それは恐怖に飲み込まれるより先に湧き出た怒りの声。心から秘めた復讐に近い憎悪の熱が、言葉となって主人の口からあふれ出ていた。



 知性の怪物は恐ろしい。されど今回は怪物のせいで感情が出たわけではない。宿屋の主人は怪物に対して若干の耐性をもっている。常日頃から接しているためか、いきなり殺されるわけがないという自信を持っていた。



「・・・奴ら・・・」



「・・・冒険者たちにやられたんだ!!ギルドに巣くう悪漢どもが、この場所を奪おうとしている。雇ったのは誰かはしらない!!ここを狙う理由も本当に知らない。だが、あんたが外に出てから、時間がたって燃えだした。それは事実なんだ、信じてほしい。相手が狙う理由はわからない。わかっているのは一つ、相手はあんたとだけは敵対したくない!」


 怪物は逡巡するように目を閉じていた。



「アンタがいたから、ここは無事だった。あんたが外出して、数時間何もなかったのは確認のためかもしれない。戻ってきたところで燃やしたら、あんたの恨みを買う。だから数時間何もなくて、確認後燃やした。それだけしかわからないんだ。頼む、殺してくれてもいい、命も宿の財産もくれてやってもいい。だから頼む、助けてくれ」




「・・・」



 怪物は答えない。



「命を助けろとかいっているんじゃない。儂の命は奪っていい。老い先短い命などアンタにくれてやる。だが、そうじゃない。助けてほしいのは宿のほうだ。火事になっても燃えないものもある。土地であり、残った宿の遺産だ。今まで共に過ごしてきた思い出を助けてほしい。儂の人生が歩んできた実績を否定させんでほしいんだ」




「・・・助ける方法は・・・」



「守ってほしい、この土地を。宿の一部の残骸でも守ってほしい。崩れたものはもとにもどらない。だが残り続ける思いだけは本物なんだ」



「・・・止めればいいと?」



「止めてくれるというのであれば」


「・・・止めても、何もないかと・・・」


 怪物が指摘するのは、もはや回復しようがない宿屋の現状。火が全体に巻き込まれていて、なおかつ他の建物に一切飛び火していない。ありえない現場をもって、崩壊し続けている。



「宿を再建する野望がある!」


 

 怪物の指摘であろうと、主人は物怖じすることなく答えていた。夢は大きくなると野望になる。野望という表現を用いた覚悟。


 


 怪物は閉じていた目を開いた。普段通りの表情である。



「・・・僕も個人的に用事が出来ました。ついでにというのであれば努力はしてみようかと・・・」



 怪物は両の手の指を組み合わせていた。組み合わせた両の手は怪物の眼前に持っていかれ、そして勢いよく解かれた。



「・・・成功した際の報酬は・・・最初のお客さんにしてください。それでいいです」



「それだけなら、ずっと無料で泊めてやる!!」


「・・・・いりません、過剰な報酬は腐るだけなので」




 怪物は、そうして魔物へと振り返った。








 


 彼は魔物たちに向き直った。いつもの表情、いつもの感情。何事もなく、不安定な底辺そのもの。



「・・・少しばかり挨拶にいこう」



 されど家を燃やされたことに対する、報復の炎は彼の心に灯っていた。















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