闘技場 魔物の感情
彼は闘技場の外に居た。すぐ後ろの建物の中では血と暴力の世界が繰り広げられている。そういうものは好きじゃなく、新鮮な空気を吸うという名目で、闘技場から出た。
別に空気を吸うとか伝える相手もいないけど。
牛さんの頭をなで、近くのベンチに座る。その背後にはオークとリザードマンがついた。
人がいなければ彼は普通に話せるぐらいにはレベルが上がっている。
「開いてるから座れば?」
後ろの家族に伝え、とんとんとベンチをたたく。
遠慮するように横に頭をふる二匹。先ほどは激戦を繰り広げていた二匹ではあるが、別に疲れても居ない。
あの程度なら魔物ならば簡単に行える。疲れるよりも、大変だった。攻撃はやむことなく続き、一瞬でも隙を見せれば容赦なく迫ってくる参加者達。体力は余裕があるが、精神に余裕はない。
皆、強かった。
二匹、お互いに協力し合ったからこそ、彼は怪我をせずにすみ、勝利を得た。もし、自分勝手で単独行動を行っていたら負けていたことだろう。
負けなかった理由。
オークからすればリザードマンのおかげ。
リザードマンからすればオークのおかげ。
お互いがお互いを守ったからである。
この協力関係の防衛時は牛さんでも簡単には突破できない。普段から何かあるたびに吹き飛ばされてきた二匹は悔しさから少しは抵抗しようと小さな協力をし始めた。
最初は散々吹き飛ばされたが、体の成長とともに、どうやったら防げるか、守りきれるか、とい思考能力が出てきた。考えながら、吹き飛ばされながら生み出した結果がお互いの弱点をカバーし合うというありがちではあるが大切なものだった。
それにプライドを刺激された牛さんが本気になって襲いかかり、吹き飛ばされて、また防ぐ。
何度も繰り返し。
繰り返しては負けて。
負けては防いだ。
彼だったら死んでいる戯れを二匹と牛さんは日常としてやってきたのだ。草をとっていたときも戯れを繰り返してもいた。でも、すぐに草をとっている間だけは戯れなくなった。
草をとっているとき、集めたバックを戯れの最中に吹き飛ばしたときの話。バックから集めた草がその場にばら撒かれ、その地面に落ちた草を牛さんと二匹が豪快に踏み潰して、ダメにしたとき。
彼が本気で切れた。
「座れ」
いつもは無表情で、人形のような根暗男。そんな彼が始めて放つ命令。
心の端々に怒気が含まれ、顔は痙攣している。
まっさきに座ったのは牛さんで、その次に戸惑うように二匹が座った。二匹はわけがわからなかったが、隣で怯えるように四つんばいになる牛さんの姿に驚きを隠せなかった。
いつもなら感情的に飛び掛ってくる牛さん。
だが、震えていた。
「これ、皆の食事代になるんだけど?」
声は冷たい。彼の声はいつも冷たいが、その中には温かみは少しはある。
それが今は無かった。
背筋が寒くなる。二匹よりも牛さんががくがくと先ほどよりも震えだしたのが恐ろしかった。
ぺしぺしと牛さんの頭を軽く叩く。
痛くはない、だが怖い。いつもならなでてくる彼も今回ばかりは手段が違った。
でも彼も痛くないように、ブラッシングするときよりも力を抜いて叩いていた。
別に痛くさせるつもりで叩いたわけじゃないし、本気で叩いたとしても彼では力不足。
この草がどういうものか教える為に彼は叩いて、草を見させた。ねずみ一号のとき餌をあげるとき、音を出して与えていた。
そうすると音を出すと餌の時間だと思ってねずみ一号が小屋から出ていた経験から、牛さんにそうしていた。
そんな行動に、全員彼を片手間に倒せる存在なのだが、怯えていた。圧倒的弱者に対し、強者が震えていた。
子供にとって、親は絶対の存在だ。
だからこそ、ここにいる全員は彼に手を出す気はないし、出したら負けだとも思っている。
彼が本気で叩いてないのは家族と友達はしっている。でも、普段と違うからそのギャップで怯えているだけなのだ。
長かった。
普段あまり話さない彼の説教は長かった。別に時間としては8分だった。
普段とは違う彼、怒られて、怖がる強者牛さん、そんな見慣れない光景は二匹にとっては長い時間のように感じられていた。
そしてルールができた。
草をとるときだけは、何もしない。
それ以外はいつもと変わらない。
喧嘩して、仲良くして、草をとった。
二匹もたまに牛さんに対し、このやろーとか思うが本気で殺すとかそういう野蛮なことはおもわない。
牛さんも二匹が彼の注目をあびているものだから、このやろーと思うが殺そうとは思わない。
野蛮人が主人ではない。
優しさと温かみ、そして厳しさをもった主人。最初は怖かった。彼も牛さんも二匹は恐れた。だけれど、ありとあらゆる面で屈辱と痛みをしらない生活は二匹に感情を持たせることに成功した。愛とか優しさとかそういう馬鹿にされるけど、必要なものを手に入れた。たった数ヶ月でも、大切な時間。
そんな彼と暮らす同じ仲間どうし。だからこそ、本気で関わって、怪我をさせないように襲う。手の抜き方だってしったし、全員が全員の力量さをしった。
一緒にくらす仲間。
家族。
あの闘技場で一丸となれたのは。
協力できたのは家族だからだ。
大人になってからの家族よりも子供のときからの家族のほうが心のつながりは強い。自身の成長と家族とのすごした時間は同じ時間なのだ。
血はつながってなくとも義理という家族ではない。
本物の家族だ。
大切で、必要で、切れない強力な鎖。
それが家族というものだ。
そんな家族の鎖の長たる彼に傷をつけようとする蛮行をゆるせるわけがない。必死だった。大変だが、疲れは無い。
この程度なら牛さんのほうが恐ろしい。手数が多いだけ、捌くのが大変だけだった。
こんなものより、兄貴分の牛さんのほうが恐ろしい。
それに嬉しさもあった。
牛さんが普段はぶつかって、ふきとばす二匹に対し、最も大切にする彼を託されたことだ。
何事も彼から離れない牛さんが。
過保護な牛さんが。
二匹に託した。
それは紛れもなく、信頼の証拠だ。
信用された。
心が踊らないわけが無い。
感動を覚えないわけがない。
二匹にとって彼は主人だが、牛さんは兄だ。我侭でプライド高くて、彼を独り占めすることに本気を出す横暴な兄。
そんな兄が下の弟達を信じたのだ。
主人たる彼に信用されるのとは違うもの。同じ家族という立場でありながら上に立っていた存在が自分達を頼った。
何か心に熱いものが沸いてくる。
大変な戦いだがあきらめることはない。
弟がいるから兄が動ける。
兄がいるから弟は動ける。
同じ目的、志をもった仲間ならば負けることは無い。二匹はそうした精神で攻撃を防ぎきって、撃退もした。
そして、勝った。兄がほとんどの敵を粉砕したけれど、第一グループ400人を相手に負けなかった。
それをたった3匹で生き残った。
たっていた人間は彼のみ。
完全勝利である。始まる前の、馬鹿にしたような顔も、声も今じゃ聞こえない。油断して、侮ったことが罰の対価として怨嗟と恐怖の表情に成り代わった。
魔物とは暴力を好むものだ。いくら平和だの愛情だのいっても必ず手がでる。足がでる。それはどんな生物ももっている。人間は当たり前のことで、可愛らしいペットして扱われる動物達も必ず残酷な一面をもっている。
二匹もそうだ。
ただ彼に心の底から服従しているだけだ。彼にその矛先を向けないだけで、他の人間なんかしったことではない。
ただし、彼の知り合いだけは別とする。にらみつければ必ず彼が怒るからだ。怖いし。
身の程をわきまえろ、人間。
人間が魔物に勝てるわけが無いだろう。
魔物は人間が勝てないから魔物なんだ。
決して彼には見せられない残酷な一面。圧倒的優位性からの見下した感情が二匹にもあった。弱者への優越感、それを表に出さないだけで裏では感情を高ぶらせていた。
それは決して彼には向かない。
向けられない。
親だから。
家族だから。
もし誰かが、親に対し家族に対し牙を向くのであれば。
そいつは家族の敵だ。必ずつぶす。
綺麗な部分だけでは物事は進められないのである