人形使い 7
雲は牛さんの奮闘を目におさめ、確信する。この人形劇の罠は牛さん程度で終わる。その一幕に雲の出る場面はない。出なくてもよいという環境下で、意味もないことをするのが雲。あえて雲は足元のゴミの塊を蹴飛ばし、牛さんのほうへ勢いよく送り付けた。
人形を燃やし、粉砕する牛さんの顔面へと迫るゴミの塊。それはぶつかることなく、炎の渦がムチの形となって迎撃。炎のムチに触れたゴミが焦げる一部始終を残し、音を立て塵となる。
ほとんどの人形を再起不能にした牛さんが気付かないわけもない。ゴミが蹴られた音や気配を察知し、すぐさま視線を合わせてきていたのだ。不敵な面をもって雲が立ち、牛さんと距離を置いたうえで対峙していた。
牛さんの動きは止まるが、炎はやまない。牛さんの体から湧き出る炎は鞭のようにしなり、意志を持つかの如く自動的に人形に狙いを定め襲来。そして燃やし尽くした。
人形が焦げる臭い。焼ける臭い。生肉を焼き尽くす焦げ臭さが雲の鼻にも届く。距離は離れているが、先ほど焼き尽くしていた者たちの臭いが風を伝って届いてきたのだ。もともと臭いはあったが、ごみの臭いに紛れて雲には届かなかった。嗅ぎ分けられるほど嗅覚は強くない。
牛さんの炎によってゴミは少なりすぎた。焦げた臭い、焼けた臭い。肉の臭い。これは新鮮なほどのものが急激な熱によって焼かれた臭い。
人形は肉体がある。物をつなぎ合わせただけの人形じゃない。生身の新鮮な肉を紡ぎ合わせられた人形。いや、そうではない。雲は笑う。嘲笑う。
これは人間だったものが、人形にさせられたのだ。肉を紡いで人形にしたにしては、先ほどの元気だった人形の動きは活発すぎる。誤差もなく、狂いもなく意志をもたず、誰かの意志によって動かされる完璧な人形。作りものであそこまで動かすには正直常識を疑ってしまう。されど元々動けるように構築されている人間の肉体を使うのであれば迷うこともない。操り人形なのだから、人間が無意識に制御した能力などはない。ただ操り手のなすがまま真価を発揮する。
生きているからこそ、未来の為に無理をせず抑制する制御システム。疲れによる制御、怪我による修復の機会を教える痛みの制御。それを人形使いが操れば、無視できる。
意志は無いようだろう。
なぜならこの場に魂はない。死んだものがもたらす魂はここにはない。肉体から死後に零れる魂はなく、ただ死体を操られただけの劇場。人は意志を持ったまま、死んだ場合、その場に思い残すように魂を出現させるのだ。
だからこの場で死んだのでなく、元々死んだものが人形にさせられていると判断。
この場に人形使いはいない。
人形だけだ。気配と町の悪意による診断における判断。
雲は人差し指で額を叩く。軽く振動を生じつつ、何回か叩く。頭に刺激を与え、思考を活性化させるためだ。実際に効果はない。されど活性化させているという意志を動作によって確かにしている。
牛さんが強く雲を睨みつけている。
その強固なまでの眉をしかめさせた凶悪な牛さんの睨み。それを受けても雲は平然としていた。
「くきゅ?」
君は全員を壊してしまったのかい?馬鹿だな。
鳴き声の意志にて雲は牛さんを煽る。本当の意味で馬鹿にしている。だが牛さんの様子は変わっていない。雲の煽りにも馬鹿にした態度にも変わらない。
雲はやりにくさを感じていた。
牛さんという存在は、彼がいた場合では感情的である。だが彼がいない場合、どこまでも冷静に冷酷に淡々と暴力を用いて解決するタイプの魔物だ。彼という制御装置がある場合にては、暴力を見せず、ただ感情のように平和的に吠えるだけなのだ。
彼がいない場合において、牛さんは危険だ。
だから雲は体の力を抜くようにし、相手の動きを見る。牛さんは地面を前足で何度も削るように前後に動かしている。標的は雲、そこに暴力の臭いが混じっている。ごみを蹴り飛ばされたからというわけじゃない。雲はそれなりに牛さんや彼の魔物たちを観察している。彼ほどの観察力はなくても、わかることがある。
牛さんは彼自体を肯定する魔物。たとえ無様であろうと怖かろうと疑わない。常に共にいる存在。
厄介だと雲は思っている。
殺すわけにもいかず、かといって平和的に住む場面でもない。
雲は複数の足全てに魔力を、命を、悪意、善良たる感情をそれぞれ込めた。
牛さんが雲に対し攻撃的な意志を見せているのは、二匹しかこの場にいないからだ。彼も他の魔物もいない。二匹だけ、彼を肯定的に守護する牛さんと、彼を否定的に守護する雲。肯定と否定がまじあったときに生じる矛盾。
それこそ疑問。
牛さんは彼の全てを認める。そのうえで考えて従う。
雲は彼の全てを疑う。そのうえで考えた結果、従う。
雲は彼をまず否定する。やり方も手段も否定したうえで、肯定に転じる。牛さんは彼を妄信するのでなく、ただ肯定し、その責務を背負っていく。
だから違う。
牛さんも雲もやり口もやり方も違う。
結果は彼のためであろうと、過程の時点で彼の為に動く牛さん。過程でこそ彼を否定しつつ、結果は彼の為に動く雲。
そして、一度だけ衝突する。
雲は複数の足に全力を込め、駆け出した。やられる前にやるというわけではない。雲が動かなければ牛さんは動かない。同時に牛さんも前足を強く踏み出し、駆け出した。その速度は短い距離であっても、人間がもたらすスピードを大幅に超える。
牛さんと雲の距離が先ほどより半ばの立ち位置。
その瞬間雲は地を蹴り、空へ舞う。空中に足が着くかのように、何もない空間を蹴り上げていく。そのさなかも牛さんは足を止めない。ただ衝突する瞬間と確信したように雲は感じ取っている。むろん、雲だって同じ。空中をけって舞っているのも僅かな距離を舞うだけ、ただ体制を整える。
空を蹴り、そして複数の足に混ぜた魔力、悪意、善意、命のそれぞれの能力を込めた力。複数の足を一つの足に束ねるように集め、それを駆けだす牛さんに向けた。そして、雲の背中に発射口でもあるかの如く、爆発が転じた。その爆発は風だけをもった勢いあるもの。雲の背中を後押しするように爆発し、切っ先は複数の足が一つに重なった一撃。飛び蹴りである。足の軸から生じる四つの力、魔力、命、善意、悪意。それぞれの重みがある一撃をもって地上に急降下した。
並みの魔物、たとえ高ランクの魔物であれど当たればただでは済まない。
破壊のエネルギーを込めた雲の飛び蹴りを牛さんは駆けたまま、ぶつかった。突進と飛び蹴り。牛さんの頭部にぶつかった一撃は、大きな破壊の衝動を呼び起こした。燃えカスとなった人形の墨、塵となったゴミをまき散らすどころか、大きな爆発を呼ぶように、二匹の足元は大きく地面がはじけた。
一撃は一撃。
牛さんの皮膚が裂けた。頑強な肉体や毛皮が剥がれ、大きな血しぶきを上げた。本来であれば、頭部どころか肉体自体がはじけて消えるのであろう。だが肉体がはじけ飛ぶことはなく、僅かに見せた牛さんの頭蓋骨の白が見えただけだった。足は牛さんの頭蓋を壊すことなく、頭上で止まっている。
雲は本気の一撃を叩きこんだ。
個の一撃は相手の肉体どころか、存在そのものを殺す一撃だ。当たれば、相手を即死させる力を持つ一撃。されど牛さんを殺すどころか、頭蓋骨の一部を見せただけの怪我で終わってしまっていた。雲は手抜きをしていない。だが殺す気はなくても、殺すつもりはあった。
本気で殺そうとした。倒そうとした。牛さんはそれでも耐え、そして突如牛さんの体が赤く燃え上がるように炎の鞭を出現。そのまま牛さんの頭部に君臨する雲の足を薙ぎ払う。牛さんの頭部を踏み台に、空へ舞うが、完全には避けきれない。足をすくうように炎の鞭がはなたれ、焼かれた。ただ足を軽く焼かれただけだが、空中で体制を崩し地面に転がった雲。
痛みか屈辱か、されど決して弱みは見せない雲。
所詮、雲と牛さんは相容れない。仲良くはなれない。
不敵な笑みをそれでも見せる。苦痛はあり、激しい熱が足を焦がしたと訴えている。あの一撃は雲最高のものだった。だが牛さんは耐えた。だがダメージを受けたのか、牛さんの動きも遅い。足を焼かれすぐには立ち上がれない雲。
脳が揺れたのか牛さんですら歩行はままならない。脳震盪によるものだろうか、されど牛さんですら、雲をにらむことをやめない。
地面に崩れた雲、立ってはいるものの、まともに動けない牛さん。
お互いはお互いのポリシーを持って、その場にいた。
なぜ戦闘に及んだのか、簡単だ。彼がいないからだ。対立し、反目しあう者同士が緩衝材なしに合えば、ぶつかることは必然。彼の傍では決してしない。なぜなら彼は緩衝材にして、牛さんや雲の制御スイッチなのだ。
牛さんや、雲はお互いを殺す気はない。殺すつもりだっただけのことだ。決して生ぬるいものではない。殺す気とかいうやさしさなど生じていない。
きっと彼の前では雲や牛さんは仲良く演技をするだろう。そういう関係だからだ。だが彼がいない場面では争う関係でしかない。
嫉妬とかいうものでなく、あくまでやり方の違いによる争いでしかない。結果は彼のために動く二匹。対立する理由や前提が違うだけの細やかな争いだった。
二匹はままならず、一撃は一撃。
「くきゅ」
暴れ牛、少しは満足したか。脳筋。
雲は苦し気に不敵な態度で言う。牛さんはそれを鼻で笑っていた。そこには会話はなく、牛さんは相手に会話のようなものを見せる気はなかった。
この場にて付いた決着は引き分け。
元々、二匹は思っていた。彼がいないところで、一度だけ戦ってみようという考え。強さとか弱さとか関係ない。気に食わないから一度ぶつかって相手の意志を確かめる。それだけだった。次はない。次は戦う事自体が無意味なのだ。
「くきゅきゅ」
お前は、元々強かったことはわかった。
雲の小馬鹿にした笑顔であれど、認めた。
人も魔物も、種族的に強いことはあっても最初から強いわけではない。人から見た猛獣は強い。人の肉体は脆く、猛獣の肉体は強固だからだ。だが猛獣と猛獣の争いでは知恵と特技を生かしたものだけが勝利する。人間の知恵の前に猛獣は敗北する。猛獣の浅はかな知恵より人間の知恵は高度だからだ。武器や道具を作って、猛獣対策の武器にする知恵を持つからだ。
ただすぐに思いつく特技や知能ではない。
人は訓練し、努力し、特技を伸ばす。伸ばした力が新たな発想を生む。道具を生み出し、使い方を構築。足を止めず、その向く先に突き進み手にした対策。
努力や訓練が一番の近道なのだ。
ただで得られる能力などは一切ない。
並みのトゥグストラにしては強すぎる牛さん。雲の一撃は並みのトゥグストラ如きなら頭部に当たった時点で肉片に変えている。それがないのだから、牛さんは並みのトゥグストラではない。雲も同様に並みのアラクネではない。牛さんの突進は並みのアラクネであっても肉片に変えている。
牛さんの炎は魔物の魂を焼き尽くす煉獄のものだ。痛いだけでは済まない。たえられる苦痛ではない。
二匹は互いに相手を認めざるを得なかったのだ。
「くきゅきゅ」
君はそれほどの力をどこで?
雲は地面に転がったまま尋ねた。
だが牛さんは答えない。揺れる頭や、避けた頭皮を炎が包みこむ。人の視界を覆う炎が牛さんを包み、そして数十秒後、炎は晴れた。その後には傷跡どころか無事な状態の牛さんの頭部の姿。傷はなく、揺れた脳震盪によるままならないものもなかった。
普通に歩き出す牛さん。雲は足によるダメージから回復していない。
「くきゅきゅ」
予想外といった雲の反応。
回復が早すぎるのだ。
雲の本気の一撃はそう簡単に修復しない。回復しない。あれは呪いの一撃、相手を殺す呪いである。破壊力をもった呪いなのだ。だから雲は予想外なのだ。目を点にしつつ牛さんから目を離さなかった。
だが動けない雲に対し、牛さんは手を出す気はないようだった。
踵を返すように、牛さんは背中を見せた。
去り際に牛さんは告げた。
「ぐるああ」
選ばれた者の力だ。決して自分の力ではない。
「くきゅきゅ?」
選ばれた?誰に?
雲の疑問に対し、牛さんは答えず自分の都合だけを告げていく。
「ぐるる」
この力は負担を与える災い。あまり多用してはいけない選ばれた力。
「ぐるあああ」
この力は大切な人の思い。意志を持つ力だ。それを持っている以上、決して負けない。
借り物であっても、決して負けない。
そう牛さんは告げて去っていた。
雲はそれを聞き届け、地面に横たわった。背中を地面に預けるようにし、空を見上げた。ゴミ集積所であっても空がある。空には雲があり、地面には雲が横たわる。
雲は自分で能力を得た。牛さんは能力を与えられた。
雲は自分だけで完結し、牛さんは誰かによって完結した。
「おもしろくない・・・おもしろくない!!!!」
中年のようにしがれた声で子供のように吠えた。努力をして、最低なことをして手に入れた能力。それを誰かから望んで渡されたという牛さん如きに引き分けになった。
奪うことしかできない雲、与えられた牛さん。
むしゃくしゃしたような思いが雲の心をざわめつかせた。
「・・だしおしみしやがって!!」
雲は気に入らないのだ。自分で手に入れたことと、与えられたことの差に対してではない。どんな形にせよ力があったのだ。いきなり力を手に入れて強くなるということはありえない。もしあったとしても、手に入れた力を使いこなすための訓練がいる。どんなに素晴らしい武器も防具も装備しても、いきなり真価を発揮できはしない。普段から身に持ち、慣れるまでは性能など引き出せないのだ。
力も装備も同じこと。価値を引き出すことこそ強さ。手に入れただけで満足するだけの者に強さは得られない。
それを雲は知っていた。
だから牛さんは引き出している。訓練している。力があることを自覚し、それを使いこなしている。
そのくせ、隠してきていた。
知る限り、一切そぶりは見せなかった。
ただのトゥグストラで、ただの彼にまとまわりつく魔物の一匹でしかなかったのだ。
それが実は強くて、雲と同等の力をもっている。
なにより釈然としないのが、同じことをしていたのは雲も同じ。
雲も牛さんも両方隠して、強かった。
「くそ!くそ!くそ!くそ!くそ!!!!!!!」
こんなところで止まっている場面ではない。
決意が、己の意志が心で爆発した。
雲は強制的に魔力を体に張り巡らせる。命の力を足に送り込む。傷をおった足を強制的に再生させる。その炎で焼かれたところは、魔力の浸透が極端に悪かった。命の力も薄く、悪意も善意も薄く効き目がない。だがとにかく量を叩きこんだ。注ぎ過ぎた力は傷口から外へ漏れ出した。
だが気にせず投下。
雲の足は回復の兆しを見せた。それでも油断せず力を発揮、次第に回復していった。
「・・・こんどはこっちのばんだ・・・おぼえておけ」
再生能力の時間だけで言えば雲も牛さんも同等。戦闘能力も同等。意志も覚悟も同等。
違う事は少しだけだ。
雲は一匹なのだ。牛さんを選んだ誰かがいる。
その差だけ。あとは何も変わらない。
それを知らされて、むしゃくしゃしないわけがなかった。一匹でも寂しい気持ちは全然ない。悔しい気持ちも全然ない。同じ強さの魔物、同種族よりも異常な成長を見せた異端者。異端者同士、同じ環境下であろうと思えば全然違う。
まるで苦労を知らず、努力をしただけで済んだかのような考え。手に入れた力を訓練して身に着けたのはわかる。その力を手に入れる過程がよくわからない。
与えたのは誰か。
そんなのは悩むまでもない。
彼であろう。あそこまで牛さんが執着し、やたら媚びるのはそうだろう。執着、依存、共存、粘着、吸着。異常なほどに彼に対し、従い。逆らわず求めることを求められる以上に返す牛さんの姿。それを見れば嫌でもわかる。
彼が牛さんに力を与えた。
だが彼は弱い。
力を持っているようには見えない。いやそもそも力どころか何も持たない。確かに悪意を片目に宿してはいるものの、貧弱なのは変わらない。
どういった理屈で与えられたかは不明。彼の肉体に、牛さんを強化させたほどの力が宿っていたようには一切見えない。そもそも宿っていないと雲は思っている。
だが彼に執着し、依存する牛さんの姿こそ、真実。
確実に彼が牛さんに力を与えた。
その血からは野生のトゥグストラよりも固く、強く、呪いも跳ね除ける。そもそもトゥグストラは炎を出したりはしない。その力を与えた彼の秘密。
この世界のどこに弱者が、自分より強いものを強化させられる疑問。
疑問はつきない。
だが疑問じゃないものがある。
牛さんは脅威である。
もし人間が定めたランク、魔物の脅威度ランクで定めるならば。
「・・・Sランク」
牛さんを本気で殺すならば雲だけでは勝てない。
引き分けに終わる。どんなに努力をしても、知恵を回しても、引き分けだ。雲の知恵を上回るほどに肉体が強固すぎる。結局悪知恵も罠も通じる相手にしか効果がない。あそこまで引き上げられたステータスを前に浅はかな悪知恵は効果をなさない。
正々堂々と不意打ちをしてでも、勝てる可能性は一切ない。
思わず拳を握りしめた。爪が手のひらを突き刺し流血するが雲は構わない。
雲は牛さんが先ほどまでいた場所を強く睨み付けた。誰もおらずとも牛さんの残り香を感じ、まるでいるかのように睨み付けていたのだった。