人形使い 6
短縮しようとしたら文字数が凄まじいことになりました。
彼の元へ静と華が慌てるように姿を現した。人混みのなかでも目立つ体格や造形の違いからか遠くからでもすぐわかる。この町にオークやリザードマンを使役する人間はいない。特にランクも低く安いだけのオークなど、魔物使いからみても用はない。盾として、囮として使い捨ての駒にする程度なのだ。
力は強いが、頭が悪い。おおざっぱで暴れるだけの人害。人を襲い、被害をもたらす癖に、利益はもたらさない。細かい作業もできず、得意の力も頭が悪いから指示を受け付けない。
メイン主力として使うのは彼だけだ。
そして、オークを最も活躍させているのも彼。
されど王国でオークの評価が改められることはない。なぜなら使用者が彼であるからだ。知性の怪物だからこそ、使いこなす。
リザードマンは高ランクの魔物であり、器用さもあり、頭も良い。指示を出せば、結果を出す。優等生の魔物である。人に害をもたらしにくく、敵対意識をもたれにくい。忠誠も高く、主人と認めたもののために犠牲になることすら躊躇わない。一度嫌われれば、従わない難しさもある。一度好かれれば、度を越さない限り我慢する精神力。
それは誰だって欲しがる魔物でもある。
誰でも結果を出せる魔物だからだ。
彼のリザードマンはそれを上回る結果を出す。知性の怪物が教育した魔物は、通常の魔物とは異なる成果を導き出す。オークは、一人の戦士に。リザードマンは更なる剣士へ。トゥグストラは制御が効く戦車に。コボルトは捜索関連に。ゴブリンは軽作業に。アラクネは嗜虐性を高めつつ、人間の理を得た。
この町に彼とかぶる魔物は一体もいない。
同じ領域で教育できる人間は誰一人としていない。そんなものはもはや人間としてすらみなされない。だから競わないように、誰も被らないよう気をつけている。同じ魔物を持てば、怪物の魔物と比較される。戦う気はないのに、勝てるわけがない勝負に挑まされるのだ。
彼の魔物が通れば、人は道を開ける。それこそ意識の外から外れた反射行動のようにだ。華もむろん礼儀は示す。でかい図体をもつ道を譲られれば、軽く手をあげ頭を下げる。その礼儀作法はオークが覚えるものではない。この王国にない礼儀方法であっても、作法は作法。人は気にせず、不快にもならずオークに道を譲る。静も同様。
人は道を開け、彼へと行く道に障害はない。
それを小走りぎみに歩き、彼の元へたどり着いた。
彼は歓迎するように両手を二匹に向けて広げた。
「・・・よくきてくれた・・・お願いがあるんだ・・・こちらの方々の護衛を頼みたい」
彼は片手を二人に向けた。紹介するために向けた手のひらに視線を彼は軽く落とす。何も苦労をしらない手だと頭の片隅で思いながらもつづけた。
彼の動きに合わせたように、二匹の視線は二人へ。魔物たちの敵意なき視線、彼に対する視線の熱さは信頼によるもの。それが一辺、二人の方へ向けられれば、急に引き締まった表情を見せる。敵意ではない。悪意ではない。
これは仕事をする人間がよくする、集中したものがみせる気合いの表情だ。
「男性がアルトさん、女性のほうがミズリさん・・・君たちはこの方達に付いていってほしい。・・・何かあれば守ってあげてほしい・・・」
彼の指示を前に二匹は頷いた。重々しくもためらう気もない首肯。
その姿を彼は見ず、二人の方へ視線を向けている。
「・・・この二匹・・オークの名前が華、リザードマンの名前が静と申します・・・お二人の身を守る魔物たちです・・・」
彼の表情に色はなく。
感情は灯らない。
絶対的意見としてオークとリザードマンを配備する。そこに否定を混ぜ込ませない独特の会話。二人は魔物の護衛。とくにオークに対し、疑惑、疑問をもったかのような表情を見せていた。されど彼が話している間は割り込めず、ただ口がもごもごと動くのみ。
そのくせ必死に取り繕うと表情を仮面で覆い隠している。
それを彼は会話中に感じ取ってもいた。
「・・・華が信用できないと・・・お二人を守るのに適したオークが信用できない・・・そういう顔をしています・・・オークが信用できず、人に被害をもたらすだけの魔物・・・そういう情報が・・・そういう教訓があることは知っています・・外の魔物であるオーク・・・誰かが使ったオーク・・・それらの被害が前提情報にあることは事実です・・・そのせいでオーク全体に偏見があることも事実・・・・ですが・・・その疑いは不要・・・」
彼はただ告げる。別に脚色も必要はない。
「・・・これでも・・・有能な魔物です・・・信用のできる子です・・・理論的に説明が必要ですか?・・・正論を混ぜたような門答が必要ですか?・・・対策も・・・運用も・・・そういう情報を詳しく提示したうえで・・・選択肢が欲しいですか?・・・確かに僕には説明する義務があるかもしれません・・・オークの安全的活用を・・・」
彼がそこまで言えば、二人の表情が手に取るようにわかる。彼が言ったことを求めるような表情である。彼の会話が進めば進むほど、求めているものが近づく希望のもの。
ここで彼は思わず微笑を浮かべてしまった。これは彼の本能でもなく、わざとらしく見せた演技ではない。素の微笑である。
「・・・そんなのを求めるなら・・・自分で何とかすればいい・・・僕は・・・あなたたち二人の護衛を請け負った・・・・・・できることをして、やるべきことをする・・・そこでふざけた行為を僕はしない・・・させない・・・・オークの華も、リザードマンの静も・・・有能だと保証できる・・・それ以上に説明義務を求め、安定性を求めるなら・・・頼るべき相手を間違っている・・・」
微笑を浮かべたまま彼は問う。
両手を広げ、彼は訪ねた。
「・・・依頼を取りやめますか?・・・それとも認めますか?・・・ただ現状が不安で、そこに更なる不安要素の魔物が護衛となった・・・・だから疑う気持ちもわかります・・・信用できないのもわかります・・・」
ぎょっとした表情で二人は彼を見た。言葉に出さず、態度にも極力現したつもりはない二人。
されど取り繕った表情など、彼ほどの観察力からすれば見抜けてしまうのだ。
「・・・お二人はまだ口に出していないのだから・・・隠しているのだから・・・きっと誰にもわからない・・・他人のことを読める人間などこの世に存在しない・・・」
彼はそうした前提を合わせたうえで尋ねた。
「・・・少しは信用しなさい・・・これでも僕はお二人に対し、配慮をしています・・・お二人が普段行っているだろう二人だけの時間・・・状況が状況であることも含め、・・・第三者の僕がいることで・・・集中できない。・・この場合は同じ人間という立場が邪魔をしている・・・二人の間に他の人間がいては・・・時間を共有できない・・・・・誰かに会話を聞かれるのも嫌、第三者である僕をはじくような形になるのもできない・・・そういう配慮をみせているお二人に僕からの配慮です・・・自分たちの時間は必要なんです・・・自分一人の時間、二人だけの時間・・・でも二人だけでは不安・・・それを解消し、第三者の人間を減らす。・・・人間じゃなく・・・魔物・・・人ではない存在ならきっと・・多少はお二人の時間も作れます・・・こちらとしても華と静なら・・・任せられる・・・」
人は同じ立場であるものがいると、自分の世界に浸れない。自分の世界は自分だけのものである。そこに同じ立場、同じ種族がいる場合、そこに意識を向けてしまう。
気疲れという問題がおきる。
ペットがいる場合における自分の世界と本当の一人での自分の世界。後者のほうが質は高い世界が広がる。されどペットだからと気にしない場合に繰り広げる自分の世界であれば特に問題はない。会話が通じ、そこに相手からの返答がある場合が厄介なのだ。
それを許せるのは共有すべき価値観を持つ者。友人や恋人などといったもの。それでも自分だけの時間は必要である。
ただその価値観の共有に恋人、夫婦の時間はある。だが関係が深まれば深まるほど、反発するように自分の世界を求める。ペットに対しては向けない反発の心。誰だって持つ、個人の価値観。それを同等の意識や知恵を持つ者に犯されたくはない。夫婦、恋人というのは二人の価値観を一つに落とし込んだ社会制度でしかない。
でも人間は一人、一人、個人の世界がある。個人の世界を薄く広げたものを共有させ娯楽や価値観を生み出す。
そこを彼は配慮した。彼がいるからこそ、二人は二人の世界に入れない。二人が持つ個人の世界に入れない。されど仕事上、護衛は必要だ。
彼自体は弱くても、仕事である以上どこかで目は必要なのだ。護衛の仕事をしつつ、二人を尊重する。そこで白羽の矢が立ったのが二匹である。人間でなく魔物。人型であろうとこの世界のものたちは魔物は魔物と区別をしてくれる。人間より格下という認識が頭にある以上、自分の世界を邪魔しない存在として扱われる。
被害をもたらす害獣でも、結局人は自分の世界に閉じこもる。同等の存在でなければいい。されどもっと疑りぶかい人間は魔物やペットがいたら自分の世界を作れない。そういう人間が持つ傾向を二人は持ち合わせていない。
そこまで彼が言えば、二人は自ずと理解を示していた。魔物の護衛が特に不安だったのかはわからない。されど時間の共有も出来ていないストレスもあった。自分だけの世界、二人だけの世界。ストレスはため込むと爆発する。したいことをできない状況はよろしくない。
「・・・わかっていただけて助かります・・・二匹に任せている以上は、僕は必要ないと思っています。・・・ですがこの区画・・・人混みや人が少ない区画に行く場合は僕の方へ連絡をください・・・その連絡要員として」
彼はそばにいた残りのコボルトを一匹抱え、持ち上げた。コボルトが少し驚愕しかけているが、彼はスルーしている。
「・・・この子をお使いください・・・連絡要員として・・・僕の場所を特定できるのと足がそれなりに早いので結構すぐ情報が伝わります」
掲げたコボルトをそっと下に降ろした。戸惑う二人がお互いを見つめる隙に彼はコボルトに視線を合わせた。余計なことを言わせないような命令の視線を彼は作り、コボルトに向けた。コボルトは彼から与えられる視線に硬直しつつも、本能を刺激されたように敬意の肯定を見せた。その態勢にて彼は言う。下した状態で腰を軽くかがめた状態にて口を開いていた
「・・・あとはお二人の時間をどうぞ・・・必要以上の不安に支配されることなく、未来への不安を抱くことなく、・・・今をかみしめてください」
そうして、彼は一人踵を返す。必要以上の説明はいらない。ただ背中を見せ、歩き出す。されど説明は言うのだ。
「・・・物事が解決するか・・・何か出来事が起きるか・・・それ以外は接触しないようにいたします・・・そのほうがお互い楽でしょう・・・」
彼は背中を見せながら右手を挙げて歩き出す。少しずつ通り下がる彼の背中に対し、口を挟めるものはいない。彼の配下たる二匹も二人も口を挟めず、コボルトは恍惚の視線を彼の背中にむけて終わる。
彼の左手は隠すように額を抑えている。正しくは両目の瞼を抑えている。抑えた手の影、閉じかけた視線のなかで僅かに見える視界のなか、道を歩む。それは人がいない区域。
苦痛にたえる彼の表情。
突如襲った痛み。それはコボルトを紹介した際の前に訪れた痛みである。ただ彼は必死に耐え表に出さないようにした。だが、それでも出た部分はある。痛みに集中しかけ、コボルトに対し拒絶を許さない命令。時間短縮をかけた視線を向け、強制させた。
そして二人に対し、いきなり背中を見せた理由が痛みが強すぎて、まともに顔をむけてられないからだ。
痛みが苦痛を。苦痛が涙を。涙が表情を歪ませかける。だが彼は底辺。無表情にして人形。痛みに弱いが、それで表情を歪ませるわけにはいかない。ここは人混みなのだ。だから必死に冷静に、目元を抑えつつ、隙間から見せる鋭い眼光が人を遠ざける。
彼の視線を見て、避けない者はいない。
この町の支配者にして、好景気の先導者。悪を許容しながらも、理不尽を作りながらも、確かに環境はよくしている。ニクスフィーリドを引き継ぎ、商人を呼び起こし、悪質なものを独自にはじく制度を作り上げた。
彼はやっていないが、誰もが彼が支配者だと知っている。
だから避けた。嫌われないよう、敵対しないよう避けた。目を背け、視線をそらして距離を置く。
彼がどこに行くかは知らないほうが良い。だから視線ですら探ることはない。逆らえば報復が確実にまっているのだ。何をするかはわからない怪物。従ったら利益があるかどうかすら予測できない。人の常識による価値観によって判断ができない。歯向かえば相応の罰が、従っても利益があるかはわからない。
その人の常識によっての価値観が通じない唯一の相手。
それこそ彼。
ただ彼はそこまで考える力は残っていない。
痛みが激しすぎるからだ。
それを極力出さず、されど耐えた痛みは視線の鋭さに転じる。ただの一人の彼にして、この町の経済、暴力、そして独自の治安をもって安定させた怪物の視線。それに耐えられるものはいない。この町の独自の犯罪者ですら彼の前では塵に等しい。
道を開け、媚びる視線を彼へと送る。
経済を握って好景気を引き起こした。ベルクという生き地獄。冒険者の支配を抜け出し、彼の支配下に落ちたベルク。されど昔より今の方が快適である。暴力事件は昔より増えたが、理不尽さは昔より遥かに減った。
それも全て彼、知性の怪物が引き起こした。
この町におけるニクスフィーリド以外の格下の犯罪者も利益を得ている。庶民も商人も犯罪者も、等しく利益を得ている。この町の支配者は表は領主であっても、裏では彼である。そもそも隠しきれてすらいない。
そんな彼を探る者はこの町にはいなかった。
追いかける者も近づく者も視線を直接向ける者もいない。だから彼はただ額を片手で覆い隠すように、隙間から見える眼光が僅かな視界を確保。ひたすら歩く。人がいないほうへ、郊外というものほどでもない。先ほど牛さんが向かった場所とは反対側。先ほどいた場所とも違う場所。
人が少なくなる場所はいくつでもある。この町は人がいる区域といない区域がしっかりしている。
痛みが激しさを増す。
人前でいる以上、耐える。耐えた痛みが余裕を殺し、無すらも演じれない。
両目が激しい痛みを訴えている。自分の両目のはずなのに、誰かの意志が強く働きかけるように暴走している。今すぐに両目を取り外してしまいたい。そういう痛み。
歩くたびに、人は減っていく。
町中を進むたび、人は彼から視線をそらしていく。鋭く睥睨する彼の視線、額を抑える手はまるで怒りをこらえている姿そのもの。その彼の姿は普段見れないほどに窮屈していた。
彼を誰かが裏切ったか、逆らった。
そう第三者が取ってしまうほどのものを彼が作りだしてしまっていた。敵対者がいるためか、よほどの働きが悪い部下に対し怒っているのか。それぞれの憶測を作らせながら、彼は進む。
やがて人は見えなくなっていた。
ベルクにして、廃墟になりかけた区域。郊外という分類でありながら、また懐かしき場所。
冒険者とニクスフィーリドが衝突し、彼が燃やされた住処があった個所。
その戦火の残り香のように、崩れかけた建物や穴の開いた道路。インフラの整備が行とどっていない。行政が金を出さず、住民も金を出さず、冒険者も金を出さず、ニクスフィーリドは解体されている。誰も補償をせず、そのまま放置されていた。
燃え尽きた宿。
住人は誰もいない。もともと住んでいた宿のものたちは別の場所に拠点をかえている。ニクスフィーリドから補償はされており、冒険者ギルドからも補償を受け取っている。本当の被害者など誰もいない事件。
宿の主人ですら、本物の被害者ではない。住人は補償を受けた以上、被害者という立場を返上している。
燃えた宿の残った壁。黒ずんだ地上から空へ切っ先を向けるような壁の残り具合。住居の中であった場所は焦げた柱が倒れ、二階はそのまま一階を押しつぶすように崩れきっていた。
ここは人がいない。
近くにもいない。気配を必死に探り、誰もいないことを確認。
彼は焦げた壁まで必死に歩んだ。そして汚れることを問わず、壁に背を預けて、下に崩れるように座り込んだ。
両目が激しく熱い。燃えるような痛みが両目の奥から表面まで伝達していく。眼球を動き回る痛み、苦痛が彼を攻め立てる。必死に痛みを収めようと念じても制御が効かない。彼の意志を無視し、ただ熱は激しさを増していった。
熱を冷まそうとしているのか、ひたすら涙があふれてくる。だが冷めない。
だが右目はまだましなのだ。痛いだけで、視界は確保できている。問題は左目。彼から見れば、ただの片目。されどこの世界の住人からすれば、悪意を込めた左目。
その悪意の目が強く熱を上げている。その痛みが何もない右目に伝達されているのだ。
「・・・急にどうして・・・・」
こんな痛みなど、原因などわかりはしない。病気の傾向も予兆もなかった。少なくても過去を記憶からたどっても予兆はなかった。目に異物が入った痛みでもない。
痛みが更に激しさを増し、思わず彼は目を閉じた。抑えたとしても消えない痛み。抑えれば抑えるほど痛みが増す気がした。だから放置するように目を閉じた。
まだ痛みがある。彼はとにかく耐えた。表情を出すことを避けたいが、苦悶のものが表に出てしまう。この場に人はいない。
だが隠す。
人の気配ではないが、慣れた気配が音を殺し近づいてくるからだ。
閉じた視界では探れない。だが音は殺しても、臭いはわからずとも。
これが人ではないことがわかる。僅かばかり残る、気配が近づく。その気配は人がもたらすものにしては強く異質感があった。二本の足で歩く人間にしては早すぎる。複数の移動手段を用いているように移動が速かった。
やがて彼の前で気配が止まった。
そして冷たい感触が閉じた左目に当てられた。小さい人の手、そのくせ感じ取れるのは人以下の熱。子供のような小さい手のくせして、当てられたものはどこまでも動じない。
熱が引いていく。その小さな手に熱が吸い取られるように、引いていった。
嘘のようであり、真実である。急に痛みが増したかと思えば、急に痛みが消えていく。だからか、彼はゆっくりと目を開けていく。恐る恐るであるが両目をゆっくり開け、左目にうつったのは影。小さい手が落とした影が左目の視界を奪い、右目が相手の正体を見抜く。
「・・・雲」
彼は半ば気付きかけていたが、それでも確かめたかった。目を閉じていても、雲の気配はわかりやすい。そもそも気配に敏感な彼からすれば、気付けないほうがおかしい。いくら雲が音を消し、気配を消しきったとしても彼は目を閉じてすら気づく。
「くきゅ♪」
その彼の問いに雲は笑う。鳴き声に愉快さを混ぜた雲。
それは挑発の笑みだった。
生意気なほどに優越勘にひたる雲の笑み。
冷たい手が彼の左目を心地よく包む。悔しいが彼は雲によって助けられている。それを彼は自覚していた。
「・・・雲はどうして、ここに。・・・ああ、まさか魔物の中で君だけを頼らなかったから探してきたのかな・・・」
彼は壁に背を預けつつ、苦し紛れの言葉を放つ。だが雲はそんな挑発には乗らない。ふふんといった呼吸音を上げた雲は、彼の顔に対し自分の顔を急接近させた。彼の顔に当てていた手は焦げた壁に押し当てた形だ。
「くきゅきゅきゅ♪」
一人で痛みに耐えるだけの貧弱者。
そう雲が鳴き声で伝えていた気がした。彼は挑発されている。だがそこで彼の心を動かすことはできなかった。
「・・・君の言う通りだ。僕は一人で痛みに耐えた弱い人間だ・・・そんな人間をわざわざ探すなんて・・・雲は暇なのかな?」
彼も負けじと煽る。
相手が同じ人間であれば彼は礼儀を示す建前で、弱さを隠すだろう。
ほかの魔物が相手であれば、痛みに耐える姿は決して見せないだろう。
「・・・ああ、君は暇なんだ。・・・僕と一緒だ。ほかの子たちが優秀だから、やるべきことは任せられる・・・君に頼らずとも」
その瞬間、雲は壁に押し当てた手に力を込めた。焦げた壁がばきりと大きく鳴った。挑発気味で優越感に浸る雲。その雲の笑みの端にはわずかに引きつった物が見えた。
その瞬間、彼は隙をみたのか。
そのまま、自身の手を雲の背に回した。
そして、引き寄せた。急な彼の対応に雲の表情がぐるぐる変わる。それでも雲は魔物、彼は貧弱な人間。彼ごときに体制を崩すまでもなく、すぐ自分の優位を取り戻す。
されど距離は近づいた。
彼が壁から背を離し、雲の耳元まで近づけた。
「・・・そう思っていたら、こんな有様だった。君がいてくれて助かった」
その瞬間、雲が急激に距離を離す。飛び跳ねるように後ろへ逃げる。優越に浸った笑みは崩れ、挑発気味だった態度は混乱した様子に置き換わる。
雲は混乱しつつ、自分の様子を確認しようと手で自分の額、頬、耳などを触っていく。温度は変わらない。いつもの雲。彼と共に行動すると感情の壁が強くなっていく。感情に対し、かなりの自己審判によって耐えきれる性能。
されど今回のはあり得ないものであった。
彼は雲を素直に褒めない。
驚愕が雲を逃げさせた。
そして雲は彼の表情を見た。
ただ先ほどの雲の態度に合わせるように、挑発気味に笑う彼の表情。
「・・・こんな程度のものに、逃げた貧弱者」
そして彼はゆっくりと立ち上がる。焦げた個所に座ったものだから汚れが服についている。だから汚れた個所を手で叩いて落とす。砂埃のように汚れが空を舞い、服の汚れが薄れていく。完全には落とせなくても、ましにはなった。
「くきゅぅぅ」
悔し気に口を噛みしめる雲。
彼は雲に歩み寄る。雲は警戒したように彼を睨み付けている。だが彼は歩み寄って、雲の頭に手を置いた。
「・・・君に頼みごとがある」
彼は雲に説明した。彼の仕事で、二人の依頼者がいること。仕事内容は二人を守ることで、敵対者が一人いること。敵対者が人形使いという名前で、依頼人二人の名前も全部教えた。
罠を仕掛けられたことも、牛さんを向かわせたことも含めて、教えた。
「・・・牛さんを追いかけてほしい・・・もし何かあれば援護を。何もなければそのまま戻ってきてほしい」
彼は雲の頭を撫でた。
「・・・君はこんなところにいた僕を見つけ出した・・・なら牛さんがいる場所もわかるはず。どういう特定手段かは聞かない。これでも・・・僕は雲を評価している。・・・君は実力がある。頭も良く、きっと色々考えている。そのくせ考えを実行するにあたり、ためらいがない。なぜなら、考えを実行するにあたり、必要以上の力を持っているからだと思う・・・雲は実力を隠すけれど、見せつけた自信満々な態度は隠しきれていない・・」
彼は適切に雲を評価している。
雲は隠している。だが態度に乗せた自信満々な様子は彼は見抜いている。それは自画自尊による過剰な自己評価ではない。確かに経験と結果によって導き出された自信。頭の中で考えただけの、自分だけの最強の考えのようなものではない。
ただ雲は目を点にし、撫でられたまま彼を見上げている。額についた冷や汗を彼は気付かないふりをした。
「・・・できないとは言わせないよ」
彼はそうして、雲の頭をぽんぽんと叩く。
雲はそうされるうちに、渋々頷いた。
彼から頼まれた雲は即座に悪意を頼る。この町にいる限り、彼も魔物たちも雲からすれば手に取るように位置がわかる。だから位置を特定。牛さんが反対側の郊外を爆走していた情報。背中にコボルトを載せていた情報まで雲には届く。会話内容まではわからない。
ただ伝えらえる情報と現在の情報位置が噛みあわないのも唯ある。
完全な伝達ではない。即座に伝わる者でなく、時間差がある。距離があればあるほど時間差がある。その差は郊外とその反対側であれば15分ほど。
先ほど彼が痛みに耐えていた時間と同じもの。
位置と予測地点。
この町を漂う悪意から雲は情報を受け取った後、建物の壁を登っていく。僅かな突起、段差、窓枠、壁のへこみなどに足をのせ、手をのせ、器用に上へと昇った。建物から一眼するベルクの街並み。そこに意識を問われることなく、雲は建物の上から上を飛ぶように移動する。
平均的なアラクネの移動速度よりも雲の速度は速い。空気が裂けるような音に同化するように雲は移動。その移動速度に悪意たちの情報伝達速度が遅れていく。だが一度場所を知れば、行くべき場所など予測できた。
コボルトの嗅覚を便りに牛さんが相手を追い詰めている。雲でも予測できるのだ。
向かうべき反対側の郊外は喫茶店よりも奥。
その奥に本当の意味で人は訪れない。なぜなら建物がないからだ。農地ようの場所がありながらも、人が寄り付かない。作物のみのりは悪く、郊外の近くに住む農家は、町の外で作物を育てている。
ここは見放された地。
野生動物のようなものがあちらこちらにいる、農地。ベルクにして狭い領域。今ではゴミ集積場のように扱われている。散乱したゴミ。ごみを漁る動物。
臭いが鼻を突きさす。
コボルトにはきついだろうと雲は思う。
雲はこの程度の臭いには慣れている。だから特に何も思わず、突き進む。駆けて、障害物のような置物は走りながら、糸を使って粉砕。雲が避けるのでなく、障害物を壊していく。
そして急ブレーキをかける。
現場にたどり着く。血の匂いが雲の鼻に届く。濃密な魔を伴った臭い。強烈な突き刺した腐臭がある。この場はゴミ集積所。動物の腐った死体もあれば、作物が腐った毒のようなにおいもある。
だが目的地の血の匂いがある個所から、とくに強烈な嗅ぎなれたものを感じ取った。血の匂い。コボルトの臭い。牛さんの臭い。
それにあわせ、気配を殺しゆっくりと進む。
目的地が近づき、気付かれないようゴミに身を隠す。
窺うように、ばれないように顔をそっと向ければ。
そこには糸に囚われた牛さんがいた。牛さんの眼前に、人の気配をしない人の姿が二つ。それは雲から見てみれば、命のない人形。
その人形二体が手に持っているのは短剣。その向けた先、突きつけた先。牛さんの両目に短剣を突き刺していた。痛みにたいする咆哮もない。突き刺され、糸に絡まれ暴れる牛さん。糸が今にも切れそうなほどに暴れ、されど痛みに対する絶叫は見せ無い。苦痛は見せ無い。
されど両目にさされた短剣を見れば、牛さんは視力を失ったはずだ。
トゥグストラという魔物は目を失えば、再生はしない。失ったものは戻らない。あの状態では役にたたず、相手すら叩けない。
暴れた牛さんを抑えるため、更なる糸がどこからか追加される。その相手は特定できない。雲の位置からは見えない。増えた糸、上空から左右からかぶせるように糸が増加されていっていた。
コボルトの姿はない。
悪意にリンクし、コボルトは安全な場所にいることを確認。この町限定の雲の情報特定装置。
雲にとって牛さんの状態などどうでもよい。所詮は肉体による戦闘のみ。頭脳を使えない脳みそが筋肉の魔物という認識でしかなかった。
だから雲は牛さんから意識をそらした。
その瞬間。
「ぐるあああああああ!!」
巨大な咆哮が響いた。
痛みによる悲鳴ではない。
怒りによる咆哮である。強大な魔の熱が、激しく舞っていく。そのくせ、魔を伴うくせに空間に漂う悪意は急激に吸い込まれるように牛さんの元へ。糸のせいで牛さんの場所を完全には特定できないが、糸に張られた魔力を悪意たちが吸収。吸収された糸は勢いを弱くし、垂れていく。
垂れた糸が激しく燃えだした。
大げさだと思うが、悪意は牛さんに操られるように吸い込まれ、それによって糸は力を失っていく。炎に燃えた糸のなかで短剣が突き刺さったままの牛さんが姿を現す。糸が燃え、ゴミに焼け移る。環境が日の地獄。
牛さんを拘束していた糸すら、垂れて燃えだした。
牛さんが頭を振れば、両目にさされた短剣は勢いよく地面に落ちた。だが両目には赤が移り、血液にまみれている。よくはわからないが、目は失ったはずである。
だが相手がわかるのか、牛さんは人形に対し、飛び跳ねるようにぶつかっていた。距離もつけない突進であれど、人形の体が二つに折れて千切れていく。その千切れた際に赤の液体が環境を汚す。倒れた人形に意識は向けず、次の無事なほうの人形へ突撃。同様の状態にして、人形の赤をまき散らす。
されど血流が地面に付く瞬間、牛さんが瞼を閉じた。
さされた眼孔から血流が涙のように垂れていく。
悪意がさらに牛さんへ吸収されていく。このゴミ集積所から雲がリンクできないほどの量を牛さんが吸い取った。
そして再びあけた牛さんの両目は光を取り戻していた。刺された傷口など見当たらない。再生されていた。
ただ色が違う。
真っ赤だった。
血の色による変化ではなく、一時的な着色のようには見えない。
地獄の炎を宿すかのように悪意を閉じ込めた檻。烈火にして、醜悪なルビーの目。
彼の左目のような変化を牛さんは両目に宿していた。
その姿から雲は目を離せなかった。トゥグストラにそんな力はない。人間が集めた情報も、試しに雲が野生のトゥグストラを狩った際にはそんな力はなかった。
「・・・異常個体・・・」
しがれた声が思わず、雲から漏れた。きっと牛さんにはわからない。激しい熱がゴミに宿りばちばちと焼けている。
だが思うことが一つある。
彼の突然訪れた両目の激しい痛み。それは牛さんが両目に攻撃を受けたからではないかという憶測が雲に立った。そして、牛さんは悪意と魔を利用し、失ったはずの目を再生させた。そのエネルギーたる悪意はどこから来たのか。
考えるまでもない。
あの痛みは彼の精神的防壁によって圧縮された悪意たちが外に出たためだ。あまりに圧縮された悪意たちが、元の形を取り戻す際に彼の目の中で暴れた。その激しい暴れが激痛となって彼を襲った。
雲が触って痛みが取れたのは、雲という媒介を利用して外に出やすくなったからだ。
その外に出た悪意たちは、牛さんの方へ向かっていたのだ。再生するためのエネルギーは彼の中にあって、距離があるほど再生が遅れる。
「・・・とんだ茶番」
ゴミの中から、燃えるごみの中から人形たちが姿を現す。ゴミに埋まっていた個体が、ごみを押し上げるように現れ、地中にうまっていた人形が這い上がるように地上へと姿を現す。隠れていたのか、人形が幾つも現れ、牛さんへ。
人形使いの姿は見えない。されどその操作には雑さがあった。
予想とは違う展開。壊したはずの器官が勝手に再生され、トゥグストラができない能力を牛さんが発動している。
そんな人形たちを前に雲から見た牛さんは、小馬鹿にするように鼻息を荒くする。そんな相手の焦りも余裕のなさも手に取っているのか。甘く見られたことを否定するように
「ぐるあああ!!」
力強く咆哮し、近寄る人形を突進にて踏みつぶす。ゴミが空を舞い、牛さんにぶつかりもかけていた。だが触れる前に燃え尽きた。人形が飛びかかる、距離がない突進程度に人形の体がひしゃげて飛び散る。何体もつぶされ、踏まれ、突進にて砕けていく。
暴れた怪獣の前に手も足も出せない人形。
やがて環境が火に包まれる。人形使いが人形を操る際に使用する魔の糸。それらは手で触っても切れにくく、他者の魔力を伝達しない。そのくせ、空中で途中できっても再接続が可能な扱いやすさがある。
その見えない糸の正体をたどるように、炎が乗り移る。あちらこちらに張り巡らされ、人形に伝わった操る糸に炎が群がり、導線とかしていた。操り主へ炎を伝達するように、糸をたどって炎が追従。
そのままいけば人形使いそのものを炎が襲うであろう。
だが糸が空中で切られ、炎の躍進は止まる。
残った人形はゼロ。
ゴミ集積場は炎上し、臭いも炎の熱が溶かしている。