心の渇き
今日の執行件数は三件だった。いずれも殺人、それと同等以上の重い罪、社会に対し大きな影響を与えた罪を犯した者たちだ。裁きを下されて当然の者たちが最後に見せる表情は多様で、絶望に打ちひしがれた者から、安堵の表情を浮かべる者、鬼気迫る訴えを続けながら世の行く末を憂いた者、猟奇的な者、皆一様に刑を執行された後は、眼の光が消えた。老若男女、千差万別、あらゆる者たちが刑を受け、その生涯を閉じていった。理性ある動物として生を受けた人間だが、こんな結末を本心から望むものは、きっといないだろう。結果的に人生の終着が死刑になったことを悔いているだろう。死刑を覚悟の上で犯罪に手を染めた者がいたとしても、望んで罪を犯した人間はいないはずなのだ。
私は、生物が生へ執着することを望んでいた。あらゆる生物は皆生き続けることを望んでいるはずだと思っていた。だからこそ、この職業に就いた時、死ぬ運命を付された者たちは、同じ表情をしながら後悔し、逝くものだと思っていた。ところが最後の瞬間まで、皆浮かべる表情や話は異なり、死後のその眼だけが同じだった。職に就いた当初は、この多様性に少し驚いたが、すぐに妙に納得できた。生きてきた時間や、作り上げてきた人生が全く同じ人間がいないように、死に様が同じ人間など一人もいないのだろうと、そう思えた。私はやがて心を乾かせ、罪人の行く末を見ても動じなくなった。これが「仕事」だと自分の考えを固定させていった。昨日の執行件数は覚えていても、罪人の顔は思い出せない。仕事でやっているだけだから。