その7
「すみません、外で立ち話になってしまって。一応、店長にはバックルームに通しても良いかと聞いたのですが『警察以外の部外者は通すな』と言っておりまして……」
「いえ、構いませんよ。こちらこそアポイントも取らずに申し訳ありません」
被用者である以上、使用者の命令は絶対だ。松岡の協力的な姿勢に感謝の言葉はあれど、不満を漏らすような人間は此処には居ない。
「それにしても、暑いな。店外にエアコンは無いのか? 酷いものだ。信じられん」
居た。
とても近くに居た。
「国栖は無視して頂いて結構です。警察の方にもお話されたかとは思いますが、幾つか質問があります」
「はい」
「松岡さん、あなたは逮捕された高橋信秀さんとは、親しくされていたと伺っておりますが、普段はどのようなお話を?」
「そうですね、買ってるお惣菜が奥さんの好物で、いつも買って来いと言われているとか、健康の為に家から駅までは徒歩で通勤しているとか、あと体重の話だとか。そういった何でもない話をしていましたよ」
「なるほど。では水曜日の夜、高橋信秀さんが買った商品は覚えていますか?」
「はい、控えを印刷してお渡しすることは出来ませんが、言うだけなら」と前置きし、「いつも買っている炭酸水と、奥さんの好物のビッグメンチ、それと王冠製菓の〝いのししの街・トマトチョコレート味〟ですね」
と、松岡は言った。
いのししの街……そういえば今週、新商品が出たんだ。僕は〝うさぎの村〟派なんだけど、いのししの街のトマトチョコレート味も多少気になる。今度、面会するときに感想を聞いてみよう。
「では、高橋信秀さんは、この店によく来店されていたそうですが、殺害された涼子さんは、どうでしたか?」
「殺害された奥さんは、この店に来たことは無いと思います。ニュースを見て、初めて顔を知ったくらいですし」
今までの話から考えられる限りでは、信秀は完全にパシリにされている様に思える。
「とりあえず、コンビニで収集できる情報は、このくらいですかね」
二階堂は、タバコを胸ポケットから取り出し、空になったロングピースのソフトパックをくしゃ、っと丸めてゴミ箱に投げ入れた。
いきなり手掛かりになる情報なんて得られるわけが無い事など、予想は出来ていたが仕方ない。
「あとは、なんとか防犯カメラを見せてもらう事くらいですかね。無実の証明につながるとは限りませんが」
僕は、あえて松岡に聞こえるよう言った。無駄な事であるのは承知の上だが。
「それに関しては、本当に申し訳ないのですけれど。コンビニの防犯カメラは部外者以外が見るには、警察の捜査関係事項照会書って言うのが必要なんです。昼頃に来られた刑事さんにも、説明したのですけれど」
やっぱり、ドラマみたいにホイホイとカメラの映像を提供するような企業なんて、あるわけが無いか。恐らく昼頃に来た刑事と言うのは山芋の事だろう。
「それでしたら、私も後日、弁護士会照会書を持ってきますので、念の為フランチャイズ本部の方に確認を取っておいて貰えますか?」
と、二階堂が言った。聞き慣れない単語だ。
「弁護士会照会書、ですか?」
松岡は、ぽかんとした顔で二階堂を見ている。
「はい、聞き慣れていないという事はマニュアルや掲示物にそのような注意書きがされていないのだとは思いますが、恐らく本部の方に『弁護士法第23条の2第2項に基づく弁護士会の照会を受けた』と伝えれば、指示が与えられると思います。出来ればここ数日間の録画映像を確認しておきたいので」
「わ、わかりました」
弁護士と一緒に、刑事事件に関わる仕事をするのは初めてなので、そんな便利な制度があったんだ、と僕は感心した。それに意外と、コンビニのような小さなお店であっても、しっかりと個人情報が守られている事に驚いた。映像を部外者に見せることが無いのは当然だが、警察であっても書類が必要なのか。刑事ドラマでよく見る、「防犯カメラを見せろ!」「はい!」と、いった流れはフィクションの物でしか無いのだろう。
学生時代に法を学んでいた事はあったが、現場で必要な法律知識といったものは、今まで誰も教えてくれなかった。学校だけ一丁前に出ていても、現実社会で必要な知識が不足しているという事実を痛感させられる。
「それでは、また」
僕が松岡に別れを告げると、「あ、その前に」と、国栖が言った。
「松岡君、君はプラモデルを作っているね」
また国栖の、良く分からない詮索が始まった。「ええ、どうしてそれを?」と、松岡が返すと、
「いや、君の指先だけが荒れた手を見ると、業務で薬品に触れるような現場作業員や医療関係の従事者を掛け持ちしているようには思えなかった。彼らは手袋を嵌めて作業することが多くて、指先だけ綺麗に破けることは在り得ないだろうと思ったからね。同じ理由で洗剤に荒れたという線も消えた。そして指先の肌荒れは怪我のようにも見えない。パテだね? 手袋が幾ら薄くても、細かい作業になると邪魔で仕方がないからね。そんな作業をする人は、趣味でプラモデルを作る人くらいだ」
そういえば、国栖もボトルシップを作っている。完成する事は無いが、こういった知識は何処かしらで仕入れているのだろう。
「良く判りましたね。そうです、車やバイクのプラモデルを良く作っているんですよ。カスタマイズするのが好きで、ついつい熱中しちゃうんです」
「分かるよ、松岡君! プラモデルはついつい熱中して時間がたつことも忘れてしまう」
嘘だ。
僕は国栖の完成したボトルシップを見るまで絶対にその言葉を信用しないぞ!
今度こそ松岡に別れを告げた僕たちは、高橋家へと向かう事にした。
家の周りにはパトカーが2台、停まっている。家探しなどはさせてもらえそうに無いが、玄関の近くに、信秀が当日ゴミを捨てに行ったであろうバイクがある。ホンダ・スーパーカブ90にプレスカブの装備を取り付けたものだ。ナンバーの色で、やっと分かる。これは浮気調査をしていた時に国栖に教えてもらったバイクの薀蓄だ。車の免許は興味が沸かないせいで取得する気が無いようだが、バイクに関しては大型自動二輪免許を取得している。一度、彼がバンディット1200のタンデムシートに乗せてくれたことはあるが、あんな恐怖体験は二度とごめんだ。当然、それ以降バイクには乗っていない。