その6
事務所へ向かう車の中、国栖が「現場付近を見たい」と言うので、僕は阿笠町へ向かう事にした。運転は僕、国栖は助手席を少し倒してダッシュボードに足を乗せ、二階堂は運転席側の後部座席に座っている。
刑事事件の独自調査、まるで海外の探偵小説に登場する私立刑事のような仕事だ。学生時代に刑事に憧れていた僕にとって、正直この依頼が舞い込んできたのはラッキーだ。これでもし、高橋信秀の無実を僕たちが証明して、真犯人を突き止めたら、プロボックス探偵事務所も評価がグンと上がって、警察なんかの捜査機関が頼ってくれるようになるのではないか。不謹慎だが、夢が膨らむ。
「二階堂さん、あの刑事、相当手ごわいのか?」
国栖が二階堂に質問をした。
「ああ、山芋さんですね。あの人は、被疑者に犯行を認めさせる落としの名人でして。どんな取り調べをしているのか判りませんが、手がけた被疑者は必ず落とすと言われています」
「落としの名人、ですか?」
「明日葉、会話より運転に集中したまえ」
お前が運転しろよ。と大声で言いたいところだが、免許レス探偵に何を言っても無駄だ。そして彼は、僕の反応を見て楽しんでいる。そうに違いない。
「ええ。落としだけでなく、どんな細かい物であっても証拠を見逃さない、手強い刑事ですよ」
「だったら、彼に任せれば高橋信秀の無罪も証明されるだろう。私たちがわざわざ出る必要は無い」
国栖が元も子もない事を言う。
「そういう訳にもいきません。依頼人の為に動くのが弁護士の職務なのです。無実であるならば、1日でも早く釈放されるように動かなければならないのですよ。それに1度逮捕しておいてから、別の証拠が浮上したとして、警察と言う組織はそれを必死で揉み消そうとする。私はそういう事件を何度も見て来ました」
バックミラーに、二階堂の伏し目がちな顔が映る。――冤罪。警察が〝組織〟である限り、防ぐ事が難しい問題なのだろう。例え、事件の真相を明かそうとする人間が、証拠を見つけ出しても、上層部の人間がそれを良しとしなければ、無かった事にされる。酷い例では、証拠の捏造までされた事件もある。
阿笠駅のすぐ近く、30台ほど停められるコインパーキングにセダンを停めた。
信秀は通勤にバイクを使わず、事件当日も駅から自宅までのおよそ2キロメートルの距離を徒歩で帰っていた。1日往復4キロメートル。いい運動だ。当然、尾行調査をしていた僕たちも、何度か同じ距離を歩く羽目になったので道はよく覚えている。
阿笠駅から高橋家に向かう道中、青い看板のコンビニエンスストアが1件ある。高橋信秀は帰宅途中にそこへ寄り、毎日300ミリリットルのペットボトル入り炭酸水と、お惣菜、それにお菓子を買って帰っていた。事件当日もそこへ立ち寄っていたかどうかは分からないが、恐らく寄っていた事だろう。
「コンビニが見えてきた。聞き込み捜査だ」
例のコンビニエンスストア付近に着くと、国栖が店を指差す。時刻は16時10分、僕たちは自動ドアを抜けて店内に入った。この暑い季節に10分近く歩いてから入る店内は、まるで天国だ。店内には立ち読みの客が2名、紙パックの清涼飲料水を選ぶ女子学生3人組が居て、レジには1人の青いストライプのユニフォームを着た従業員が暇そうな顔をして学生の足元を眺めている。もう1人居る従業員は、お菓子の棚にならんだスナック菓子の袋を丁寧にシワ伸ばししていた。
「時間はあるかい?」
国栖がレジで暇そうにしていた男性店員に声をかける。大学生くらいだろうか、少し伸びた顎鬚と軽く脱色された長めの髪をした従業員は、「何かお探しっすか?」と、少しヘラヘラした顔で国栖に聞いた。
「いや、水曜日の21時から22時ごろまでの間に、この男が来なかったか?」
国栖はスーツの内ポケットから信秀の顔写真を取り出す。「うーん、覚えてないっすね」男性店員は商品棚の陳列作業を丁寧にこなす、相方を指差した。
「あいつだったら、分かるかもしれないっすよ。昨日もシフトに入ってたし、0時くらいまで居たから。って言うかその人って、奥さん殺しちゃった人でしょ。ニュース見たっすよ。今レジにいるあいつ、割とそのオッサンと良く喋るから、昨日来てたら多分覚えてると思うっすよ」
職業柄、若者と頻繁にかかわる事が無いせいか、若者敬語と言うものを久々に聞いた気がする。学生時代、こんな喋り方をする後輩がチラホラ居たな。懐かしい。
「すみません、昨日の晩の事なのですが、この写真の人は来店されましたか?」
僕が陳列作業をしていた店員に話しかけると、彼はニッコリと笑い「ええ、21時30分くらいですかね」と答えた。
レジに居た店員とは違い、清潔感のある短い黒髪で、髭も無く、良く出来た見た目のアルバイトと言ったところか。ケチをつけるのならば、食品も扱う店の従業員であるにも関わらず、指先の荒れが目立つ事くらいだ。年齢はレジに居た彼と同じくらいに見える。
「いつも通り買い物をされて、帰られましたよ。あと……そういえば昼前くらいでしたかね。僕がシフトに入る前にも1回店に呼び出されて、その時来ていた警察の人にも聞かれたんですよ。あなた達も警察の人ですか?」
「いえ、私は弁護士の二階堂と申します。そしてこの、お2人は――」
「助手の国栖清だ」
「同じく、明日葉直人です」
二階堂に探偵であると紹介される前に僕たちは割り込んで助手であることにした。近隣で探偵であることを知られると何かと仕事がし辛くなる。ましてや客と談笑するようなコンビニで正体を明かすのは避けたい。
しかし既に警察も、このコンビニの捜査をしていた。てっきり、信秀が犯人であると決め付けて、拷問のような取り調べで自白させるだけの捜査なのかと思っていたが、二階堂の言う手強い刑事とは、当然それだけの男ではないという事か。
「高橋信秀さんが、昨日購入した商品の記録と防犯ビデオ、見せて頂けますか?」
僕が、店員にそう言うと、彼は少し困った顔を見せ「バックに店長が居ますので、少し時間を貰えますか?」と返した。そして僕らの返答を待たぬまま、〝関係者以外立ち入り禁止〟と書かれたドアへ消えていった。
「松岡雄一、か」
「ん、どうした国栖?」
「名札に、そう書いてあった」
このコンビニの系列店は全店、従業員はフルネームの名札をしている。名前も知らない不特定多数の人達に、本名と顔を曝け出して最低賃金で働くなんて、今の僕には考えられない。顔と名前を知るだけで、様々な悪用手段の可能性を思い浮かべてしまうのは、ほんの半年余りで身に付いてしまった職業病の1つだ。
そうこうしている内に、コンビニ店員松岡はバックルームから戻って来た。制服を脱ぎ、白い半袖のカッターシャツ姿に変わっていた。
「田中さん、30入ります」
松岡が、相方に聞こえるように少し大きめの声で伝えると、「はいよ」と田中が気怠そうに答えた。
「監視カメラと、レシートのデータの件は店長に確認したところ駄目っぽいです。お話だけならタバコでも吸いながら外で伺います。今から30分、休憩に入りますからその間なら大丈夫ですよ弁護士さん」
と言って、僕たちを外へ案内した。丁度僕もタバコを切らしかけていたので田中に「マールボロ・メンソールを1つ」と頼み、店の外の灰皿に集まる3人の所へ向かった。「ありっとーござっしゃー、またおこしぇっしぇー」もはや何語で喋っているのか、まるで僕には分からなかった。