その4
「面白い……こと?」
二階堂は、きょとんとした表情で国栖に聞いた。僕も、国栖の言いたいことが良く分からない。
「憶測で申し訳ないが、二階堂さん。君は信秀と写真に写る、この人物が誰なのかを知っているね」
さっきの会話にそんな要素があったのだろうか? 僕が思い出すように天井を見上げていると、二階堂が「ええ、その通りですが。何故それを?」と言った。
当たっていたのか! 僕は顔を国栖の方に向ける。
「まず君は、明日葉から受け取った名刺に何の疑問も抱かなかった」
すかさず僕が、
「でも、二階堂さんは弁護士だ。探偵の名刺が目立たないように作られている事くらい知っているだろう」
と言い返すと、国栖は横目で僕を見ながら、「言ったはずだ。私の知る二階堂さんは刑事専門だ、とね。まあ、事務所内の他の弁護士から、そういう話を聞いていても、全くおかしくは無いのだがね」と言った。
「では、何故私と彼女が知り合いであると分かったのですか?」
二階堂が国栖に質問した。
「探偵の名刺のカモフラージュをすぐに理解できる知識を持ちながら、信秀さんの写真を見て、この写真が何を示しているものなのかを、君はまるで理解していなかった。君は説明を受けて『浮気調査だったのですね』と言っている。この写真が浮気調査に見えないのならば、何に見えたのか、そして、この写真の何処を見ていたのか」
二階堂の疑問に、国栖は落ち着いた口調で答えた。相変わらずこの男は他人の粗探しが上手い。続けて国栖は、「恐らくこの女性が誰なのかという事を、高橋涼子も知っているだろう。信秀の調査を終えたあと、特にこの女の調査は依頼されなかった。つまり、この女は高橋涼子と関わる事のある人物。知人、法曹関係者、警察、何らかの犯罪に関わったり巻き込まれたりした人物。そして二階堂さん、君も知っている人物」
「弁護士?」
僕から出てきたこの言葉は、まるで国栖に言わされたような気がした。「その通りです。国栖さん」二階堂が、あっさり認める。
「詳しく、聞かせてくれないか?」
「ええ、この女性は労働問題に強い弁護士、三島麗子先生です。夫婦で小さな弁護士事務所を開いておられます。私とは事務所も専門とする事件も違いますが、同じ栄美市で働く弁護士の顔くらいは知っていますよ。しかし国栖さん、この事件に三島先生が関係あるのでしょうか?」
確かに、この三島という女が関わっていると考えられる根拠は無い。国栖はこの女のどこが気になっているのだろうか? 僕は、少しぬるくなったコーヒーを飲み干すと、カップを皿において国栖を見た。彼はフッフッ、と息を漏らしながら不敵な笑みを浮かべている。
「余計に面白くなってきましたね。二階堂さん、君は信秀と三島の関係を知らない。つまり信秀からは、この関係を聞かされていない。もしかすると、信秀は我々が涼子に渡した調査報告を知らない可能性がある。だとすれば他に動機は?」
「三島と交際するにあたって邪魔になったんじゃ無いのか?」
「だとすれば信秀と言う男は無計画にも程があると思わないかい? 明日葉。既婚者と交際しておいて自分の妻を殺害するメリットを教えてくれ。彼女は夫婦で弁護士事務所を開いているんだろう? 自分の妻を殺しても相手は既婚者。しかもその彼女の旦那は同じ事務所の人間。その上すぐに自分が逮捕されている。犯人が信秀で動機が浮気であると言うには、不自然な点が多すぎるんだよ。恐らく信秀は自分の浮気がバレているとは気付いていないし、もしかすると他に疑う余地のある人間に心当たりでもあるのかもしれないな」
「国栖さん、それは一体どういう意味なのですか?」
と、二階堂はメガネの淵を擦りながら、国栖を見つめて言った。
「刑事事件専門の弁護士な上、旧友でもある二階堂さんに弁護を依頼したそうだな、信秀は」
「そりゃそうだろ。他に頼れる人が居るなら話は別だが」
僕は自分で言っていて、ハッ、と気が付いた。
居る。
誰よりも信頼できる味方が、信秀には居るはずだ。国栖は「明日葉も、だんだん見えてきたようだな」と言ってテーブルをコツコツ、と指で叩きながら、続けて言う。
「居るはずなんだよ。畑違いとはいえ、自分に有利な証拠を捻じ曲げてでも作ってくれそうな、深い信頼関係で結ばれている弁護士が。そんな人に相談もせずに、旧友で刑事弁護専門なだけの人物を真っ先に呼んだ。二階堂さん、君は言ったはずだよ? 『捕まってすぐ私に連絡を入れたのです』と。何故三島に相談できなかったのか、そして二階堂さんに三島の事を言えなかったのか」
国栖はそこまで言った後、飲みかけの、ぬるくなっているであろう激甘コーヒーを飲みほした。彼が言っているのは、あくまで可能性の話。だけど僕は、その一本の細い可能性の線が編み込まれて太くなっていくのを感じた。
「つまり、国栖は三島が真犯人だとでも言う気なのか?」
僕は一応、確認するように聞くと、「それは分からない」と国栖が返事をする。
「そもそも、高橋涼子は『主人に毒を盛られた』といって通報をしている。彼女から見れば疑わしいのが信秀だけだったのだろう。もしかすると、本当に高橋信秀という人物は、無計画な殺人を犯しただけのドジオヤジなのかも知れない。確かめてみる必要が出て来たな」
ニコリと笑った国栖はテーブルに足を乗せて続けて言う。
「憶測だが、警察は既に浮気の証拠を高橋涼子が入手していることを知っている。家探しすれば、彼女が処分でもしていない限り警察の手に渡るだろう。しかし取り調べの切り札にするつもりで、まだ突き付けていないはずだ。もし、突き付けていたら二階堂さんと面会した段階で、その情報は当然に伝えられるはずだ。信秀は、警察が浮気の写真を入手していることを知らないし、疑ってはいるものの確信が持てない三島を、容疑者にしたく無いがために彼女の名前を出すことが出来なかった」
これ以上、事務所で憶測を並べていても仕方がない。3人とも、何も言葉を言わなかったが、意見はどうやら同じようだった。
「国栖さん、明日葉さん。面会に付いてきて頂けますか?」
二階堂が僕たちの顔を交互に見ながら言う。
「もちろんです。行きましょう」
「待て、その前に報酬の話だ」
うっかり、その場の空気に飲まれて、重要な話をすっ飛ばしてしまう所だった。
「着手金は、100万だ。成功報酬は、二階堂さん、貴方の報酬の3割で手を打とう」
随分と、足元を見た金額だ。そもそも、この事務所では依頼で刑事事件を取り扱った先例が無く、他の調査の報酬金額を準用するにしても、着手金なら人探し25万、浮気調査40万、身辺調査30万……この事務所で100万円の着手金を請求するのは初めてだ。信秀の浮気調査の費用ごと回収する気でいるのでは無いのだろうか。
「分かりました。それでお願いします。着手金は来週までに振り込んでおきますので。では、行きましょう」
僕たちはテーブルに空のコーヒーカップを置き去りにしたまま、事務所を後にした。