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その2

 僕は、うっかりタバコを咥えていることを忘れて大声を出してしまった。 阿笠町は3日前に終わった浮気調査の依頼人、高橋涼子の住んでいる所だ。殺人事件なんて、毎日どこかしらで起こっている事など分かっていても、自分との関わりがある場所での事件となれば無意味に緊張してしまう。

 口からするりと落ちた火の点いていないタバコはソファーとテーブルの間に転がった。テレビに映る中年のタレントは続きの原稿を淡々と読む。

『殺害されたのは千葉地方検察庁の検察官、高橋涼子さん――』

「なんだって? そんな馬鹿な!」

 僕が驚きの声を発する前に国栖が、飛び上がって叫んだ。殺人事件の対象が自分と関わりのある人物であれば、ニュースに対する関心や緊張が一段と増す。僕も声には出さなかったものの彼が叫ばなければ同じことを叫んでいたのだろう。彼女に渡した浮気の証拠写真と報告書が夫婦喧嘩の原因になってしまって、信秀に殺されたのだろうか。

 いや、さっきも国栖が言っていたはずだ。信秀は気弱で、ましてや後先考えずに妻を殺すような男だとは思えない。ニュースの続きが気になり、テレビを見ていると、

「明日葉! 今すぐインターネットで詳しいニュースを確認したまえ! 私はこれから通夜の準備でもしているであろう高橋の夫に報酬と経費を請求しに行く! あの気弱なオヤジならば、捲し立てるだけで簡単に支払ってくれるに違いない」

 ニュースの続きを待たず、国栖が僕に指示を出した。依頼人の高橋涼子が死んだことよりも国栖の神経の方が驚きだ! 妻が殺害されて傷心しているのであろう信秀に浮気の疑いを掛けられていたことをバラした上で金まで巻き上げる気か?

 しかし彼女が死亡した以上、支払われていない報酬を回収する手段は夫である信秀への請求のみであるのもまた事実。込み上げて来る良く分からない感情を抑えて僕は指示通りニュースサイトにアクセスする。

「ちょっと待て、国栖!」

 背広に腕を通しながら玄関に向かう国栖を大声で止めた。

「逮捕されたのは、高橋信秀だ!」

「なんだって?」

 パソコンの前に座る僕に駆け寄ってくる国栖。僕はニュースサイトの内容を掻い摘んで読み上げる。

「逮捕されたのは高橋信秀で、夫婦関係の破綻が動機では無いかと見て捜査を進めているらしい。浮気現場の証拠写真を突きつけて夫婦喧嘩になったんじゃないのか? えっと、死因は亜ヒ酸による中毒で涼子さんの飲み終わった酒から大量の亜ヒ酸が検出されたらしい。涼子は自分で119番通報をして、『主人に毒を盛られた』と言ったが隊員が駆け付けたころには死亡していたそうだ」

「まて、突発的な夫婦喧嘩にしては毒殺なんて手が込みすぎだ」

 少し冷静になった国栖はパソコンデスクから少し離れ、ソファーに座って落ち着いた声で言った。

 僕は椅子をくるり、と回して国栖の座るソファーに体を向ける。

 国栖は床に転がっていたままの僕の煙草を拾い上げてゴミ箱に投げ入れたあと、

「私たちが報告を終えたのは3日前、月曜日の23時30分。その後すぐに突きつけたとしても、そこから50時間しか経っていない。その間に亜ヒ酸を準備した訳だろう? おかしいと思わないか?」

 ミステリー小説の影響なのだろうか。国栖はまるで信秀が犯人ではないかのような事を言った。しかし舞台は現実、人は小説の登場人物とは違うのだ。僕は、そんな彼に言い返した。

「証拠を突きつけられて逆上してしまったら、人は何をしでかすか分からないってだけじゃないか。何もおかしくはない」

 国栖は左手の親指の爪を噛み始める。

 ガリガリガリガリ――

 ガリガリガリガリ――

 国栖が口から指を離すと、両肘をテーブルに乗せて指を組み、僕を見つめながら言う。

「亜ヒ酸とやらは、とっても美味しい毒物なのかい?」

「昔ニュースで取り上げられていたが、無味無臭らしい。仮にお前がさっきまで飲んでいたコーヒーに入っていても、恐らくそのまま飲み込むさ。毎日の食事に少量ずつ混入させて毒殺した事件だって存在する。しかし、髪の毛などから検出されて殺害方法がすぐに特定される事などから[愚者の毒]と呼び名が付くような毒だよ」

 僕はニュースや小説で得た知識を国栖に披露してやると、国栖が表情を変えずに質問する。

「君は、毒物を入手したことはあるかい?」

「お前を殺してしまいたいと思ったことは何度かあったが、そんなものは入手したことが無い」

 国栖の呆れた質問に答えると、国栖は続けて質問をした。

「本人をしっかりと調べないと何とも言えないのだが、亜ヒ酸って言うのはコンビニかどこかで簡単に購入できる物なのかい?」

「除草剤とか、殺鼠剤の成分に含まれていたりするよ」

 と、僕は国栖に答えた。

 すると彼は首を横に振りながら、

「涼子のお酒から亜ヒ酸とやらは検出されたんだろう? もしそれが色々な物の混ざった薬なら、一口飲んだら味がおかしいと思わないのか? ましてや刑事事件を取り扱う検察官、いわば犯罪のプロだ。妙な味がする飲み物をそのまま飲み込むとは、とても思えないね」

 確かに、それ自体は無味無臭であることは昔にあったニュースで知っている。しかし亜ヒ酸の入った薬が無味無臭とは限らない。それに人を殺そうと思えば致死量を飲ませなければならないのだが、口に含んで吐き出されたら元も子もない。しかし、国栖の意見には隙がある。

「ほら、インターネットで入手したんだろう。無味無臭の毒そのものを。大手通販サイトでは頼んだ次の日に届くぞ」

 僕が彼の意見の隙を突いてやると、彼はフッ、と鼻息をつき、

「注文確認後、すぐに発送してくれる毒物販売専門の大手通販サイトが存在するのか。私も飲み物に気を付けなければ、いつか君に殺されるな」

 と、皮肉めいて笑いながら言った。

 僕の眼は自然と大きく開く。

「明日葉、君の表情から察するに、毒物そのものを売ってくれる大手通販サイトなんて存在せず、仮に裏サイトのようなものがあっても受け渡し方法や支払い方法が特殊であったりして準備に手間でもかかるのだろう?」

「そ、その通りだよ」

 完全に隙を突かれていたのは僕の方だった。続けて国栖は言う。 

「私が彼女の夫で、殺意を持ったのならば、面倒な準備をしたにも関わらず逮捕されてしまうようなヘマをする毒殺などせずに、さっさと撲殺するよ。気が向いたら死体だって埋めるさ。もし、毒殺をするのであれば自分に容疑が掛からない様にもっと工夫をするよ」

 確かに、わざわざそこまでして準備をするくらいならば証拠が残らない様にするかアリバイ工作をするのが普通だ。そこはただのドジで片付く問題かもしれないが、国栖の言う通り、注文した翌日に届くような大手通販サイトにそんなモノなんか売っている訳も無い。つい逆上して殺意を抱いたとするならば僕でも刺殺なり撲殺、絞殺なんかを選ぶだろう。不可能ではないにしろ、不自然だ。しかし、僕はニュースを読んである事に気が付いた。

「涼子さんは、自分で救急車を呼んだんだろ? 自分の妻の異変に気付いたら普通、涼子さんに自分で救急車を呼ばせたりはしないだろう。やっぱり信秀さんがやったんじゃ――」

「明日葉、そこがおかしいんだよ」

 僕の意見を国栖が遮った。

「涼子が毒を盛られた事に気が付いて自分で通報をしたのならば、そのとき信秀は一体どこに居たのだ? 私が犯人ならば『主人に毒を盛られた』なんて言われるような盛り方をするならば通報されないように彼女の動きを封じるさ。毒で弱った女を拘束するくらい、いくら気弱オヤジでも出来ない事は無いだろう?」

 国栖に指摘をされればされるほど、ニュースの内容が段々怪しく見えてくる。僕がとうとう何も言えなくなると、国栖はこう言った。

「しかし信秀が捕まった以上、どうすることも出来ないな。報酬は諦めて、消費者金融の世話になろう」

 2人とも黙り込み、ただただ時間だけが過ぎていく。

 10分ほど経ったのだろうか。番組に飽きた国栖はテレビを消して座っているソファーに寝転がり、僕は二人分のコーヒーカップを用意してヤカンを火にかける。まさにその時だった。

 ジリリリリリ――

 ジリリリリリ――

 電話の着信音が事務所の沈黙を破った。

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