06
ルイネのもとへ同僚の修道女が訪ねてきたのは、翌日の朝のことだった。
「お使い、ですか?」
同僚の言葉にルイネは問い返した。
「ええ、今度の祭典に必要なものが足りなくって」
王都の市場まで注文票を届けてほしいのだと言いながら、彼女はルイネに一通の封筒を手渡した。裏返すと、ファルナス司教のサインが入った蝋封がされている。
珍しいこともあるものだとルイネは思った。普段、大聖堂で使われる備品の注文は市場から業者が取りに来ることになっているからだ。
「なんでも急ぎの用事みたいよ。今、助祭が二人とも手があかないみたいで。今日はイグナート神父は礼拝に出ないから、あなたの手も空くかと思ったのだけど……駄目かしら?」
困り顔の修道女を前に、ルイネは少しだけ考え込んだ。
幸いにして、今のところイグナートから呼び出しはない。彼は今日一日、溜まりに溜まった書類をひたすら片付けていたはずだ。他の修道女も居るのだし、世話役一人が居ないところで何か困ることもないだろう。
「わかりました、引き受けましょう」
なんとなく司祭と顔を合わせづらかったルイネは、どこか安堵した気持ちで同僚に向かってうなずいた。
◇
王都ロイジェスは、国王陛下のお膝元というだけあって大勢の民が集まる街だ。
最北に王城と大聖堂を構えるこの都は、北に貴族街、東に闘技場、そして西から南にかけて市場街が広がっている。大通りを見わたした限りでも、馬や牛を引いた露店商、旅人や観光客らしき姿を見ることができる。
修道服の上に外套を羽織ったルイネは、人ごみのなかを歩きながら目的地へと向かっていた。
彼女が使いとして向かう場所は、北区と西区のちょうど中間に位置する魔道具の店である。王家御用達と言われるだけあり、白い石で造られた店の構えはとても立派なものだった。
思わずためらいがちになったルイネが、贅沢にもガラス張りのされた扉を開けると、落ち着いた物腰の初老の店主が迎え出た。
「お待ちしておりました。大聖堂の使いの方ですね」
店主も魔法使いだと聞いていたルイネだが、思ったよりも小奇麗で明るい服装の男性の姿に、ほっと胸をなでおろす。魔法が希少なものとされるこのご時世、彼女はあまり魔法使いというものを見たことがない。
「通信機でおおよその話は聞いております。追加注文があるという話でしたが……」
「はい、注文のリストはこちらです」
ルイネはそう言って、預かってきた封筒を手渡した。
「もうじき春の祭典の時期ですか」蝋封を空けながら、店主が笑った。「一年というのは早いものですな。私も歳を取るはずです」
「あら、まだまだお元気そうでいらっしゃるのに」
店主の言いように、ルイネは微笑んだ。そうして注文票のリストを確認しながら他愛ない会話をしていると、店主はふと彼女の顔に目をとめた。どうしたのかとルイネが思わず首をかしげると、
「貴女は不思議な加護を持っているのですね」
「加護、ですか?」
店主の意外な言葉に、ルイネがわずかに目を見張る。
「私も魔法の心得えがあるので分かりますが、貴女のまわりには鎖のように守りの加護がめぐっている。清らかなる力です。まるで聖力のような」
「それはわたしが修道女だからでしょうか」
「いえ、それだけでは加護の力は宿りません」
店主は続けた。
「貴女は過去に、誰かから守りの力を授けられたのです。しかしこれほど見事な加護は珍しい……ルイネ様と仰いましたか、貴女はご自分を大事になされよ」
その言葉を聞いてルイネは思わず、いつも見る夢のことを思い出していた。
待っていて欲しいと彼女に告げる、不思議な青年の夢である。幼いころからずっと繰り返してみていた夢。加護というのは、もしかして彼が?
そう思うと鼓動が跳ねるような気がしたが、その答えを知る物はいない。ルイネは興味深そうに彼女を観察する店主を見やる。
「ええと……、ありがとうございました」
どこか夢うつつになりながら、ルイネは店を後にした。
「――おっ、ルイネじゃねえか」
無事に用事を済ませた帰り、ルイネは誰かに呼び止められて振り返った。
そこに年若い青年騎士の姿を認めて、ルイネは思わず顔をしかめていた。
嫌な相手に見つかってしまった、と内心思う。普段ほとんど大聖堂から出ない彼女なのに、どうしてよりによって。
そして青年騎士は街の巡回中であっただろうにも関わらず、一緒に居た同僚にひと言何かを告げると、堂々とこちらへとやって来た。
「エラルドさん、いったい何のご用でしょうか」
「つれないな、ルイネ。久しぶりに会った会話がそれときた」
目の前に立ち止まった青年を見あげ、ルイネは冷ややかに目を細めた。だがそんな彼女の様子に臆さず、青年はからかうような笑みを浮かべる。
短く整えた赤みを帯びた茶の髪と、灰色の瞳をしたエラルドという人物は、王立騎士団の小隊に所属する騎士である。ルイネとは過去に、式典などの際に何度か関わったことがある。
騎士というだけあって引き締まった体躯を持ち、加えてその整った顔立ちに騒ぐ同僚も多かった。だがルイネにとって、彼はイグナートと同じぐらい苦手なタイプの男でもあった。
「使いの帰りか? せっかくだから茶でも飲もう」
「職務を放り出している暇など無いでしょう」
睨みつけるようにしてやると、エラルドはわざとらしくたじろぐ真似をした。
「おお氷のシスターは恐ろしい。良いじゃねえか、本当は誘われて嬉しいだろう?」
なにが嬉しいものですか。
まったくこれだから、呆れてしまう。ルイネは心のなかで盛大にため息をついた。
エラルドはとにかく女性にもてるタイプの男だった。そしてイグナートと同じぐらい異性に対して自信家で、自分の顔の良さを自覚している厄介な人物なのだ。
その証拠に、彼は「俺の誘いを断るのはお前ぐらいだ」と、慣れたように言ってのけると、ルイネが被ったベールに手を伸ばす。
頭を覆う布地を取られそうになり、ルイネは慌てて抵抗した。人前でベールを外すなどというのは、女性が足を見せるのと同じぐらい、はしたない。
だが騎士の青年にかなうわけもなく、ルイネのベールはあっさりと奪われる。途端、ルイネはまるで自分が裸にでもされたような羞恥に駆られた。
「あ、あなた、いい加減にしないと」
「どうしていつも、そんな色気のない髪型ばかりなんだ?」
エラルドは不思議そうに、ルイネのひっつめ髪を見おろした。後頭部でシニヨンにまとめられた彼女の髪は、ほどくと腰の下ほどもある。
「シスターの髪型は決まってるわけじゃないんだろ? まとめ髪も似合うが、お前の亜麻色のくせっ毛は下ろせばきっと美しい」
美しい、そう言われてルイネは顔を真っ赤に染めた。
いつもの彼女なら『ご冗談を』とでも言って冷静にベールを取り返すところだが、その“いつも”が出来ない自分にルイネは戸惑う。昨夜、アニカに言われたことが尾を引いているのかと彼女は思わずにはいられなかった。
――あんたイグナート様のことが好きになった?
好きになんてなってない。
ルイネはむっとしながら騎士の青年へと手をのばした。
「返してください、わたしのベールです」
「やなこった」
ルイネの意外な反応に気づいたのは彼女だけではなかったらしく、エラルドは面白いものを見たという顔で、からかうようにベールを掲げながら身をかわす。
そうして逃げるエラルドを追いかけるうちに、ルイネはいつの間にか大通りから横道に逸れていたことにはたと気づいた。通りの喧騒が遠くに聞こえる。
しまったと思ったときには遅かった。
「お前は自分の魅力を分かっていない」壁を背にしたルイネに、エラルドは挑発的に彼女を見おろす。「だが頑なな修道女というのも、またそそられるな」
「余計なお世話です」
髪に触れようとしたエラルドの手を払いのける。
だがその拍子にルイネの髪をまとめていたリボンが引っ張られ、はらりとシニヨンが崩れてしまう。亜麻色のやわらかな髪が風に揺れ、敬虔な修道女は年頃の娘の顔になる。
次は絶対に街のお使いになんて出ないわ。
ルイネは内心そう思いながら、目の前の青年から黒のリボンとベールを取り返した。
「わたしは遊びで街に降りてきたわけではないのです。あなたのご友人の女性たちと同じにしないでもらえますか」
「お前は相変わらず堅い女だ」とエラルドが苦笑した。「でもお茶ぐらいはいいだろ? なんなら、王都で有名な菓子店に並んでやってもいいぞ」
「だからあなたは」
呆れ顔で返しながら、ルイネはどこかで鳥が飛び立つ音を耳にした。
ゆるい風に運ばれ、はらりと一枚の羽がルイネの傍に舞い落ちる。今は聞きなれた声を聞いたのは、ルイネがそれを視界に入れたのと同時だった。
「悪いけど、彼女は急ぎの用事の最中でね」
ぐい、とふいにまわされた腕にルイネの体は引っ張られる。あっと思った瞬間、彼女の体は誰かに受け止められた。
肩越しに振り返ったルイネは、思わず目を見開いた。大聖堂で書類の山に囲まれていたはずの、イグナートの姿がそこにある。
「……神父さま何故ここに?」
やや咎める気持ちを含めると、彼はどこか疲れた表情でルイネを見おろした。青の瞳が影になって深みを帯び、いつもより気だるげな表情にどきりとする。
「ちょっとした用事で。ちょうどきみを見つけたものだから」
「他の者に言いつければよろしかったではありませんか。あなた自らが大聖堂を降りるなど」
「誰にも頼めない用事でね」
「だとしても」
「おいおい、こいつは誰だルイネ?」
長い言い争いを始めそうな二人に、辛抱しきれなくなったらしいエラルドが割って入った。彼は不機嫌そうに、ルイネの腰にまわされたイグナートの腕を見つめている。
非常に面倒な場面だと言わざるを得なかった。
ルイネは無言でイグナートの腕をほどくと、エラルドに向き直った。
「……此度、新しく大聖堂にいらしたジュスト・イグナート・ルビニエ神父です。神父さま、こちらは」
「エラルド・バンディネリだ。神父サマどうぞよろしく」
ルイネの言葉にかぶせるように、エラルドはさっと司祭に近づくと手を差しだす。その意図をくみ取ったらしいイグナートがにこりと微笑みながら彼の手を握り返した。
「なるほど、その恰好は王立騎士団ですか。巡視中に女性を口説くとは騎士も立派になったものです」
「お前さんも女の尻を追っかけて来るとは、たいそうな神父だな」
「失礼な。僕はただの、用事で、こちらに来たと言ったでしょう」
ぎぎぎ、と軋みそうな勢いで二人が握手を交わしている。
ルイネは思わずため息をついた。
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