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02


 イグナート司祭の、お世話係。

 そんな名誉ある役についたひとりの乙女は、司教室に呼び出され、むっつり顔で立っていた。

「ルイネ、もう少し笑ったらどうだ」

 彼女を部屋に呼び出した張本人――ファルナス司教は、そんな彼女を見つめながらにっこりと笑う。

 この大聖堂のトップと言える彼だったが、意外に若いのだというのは周知の事実だ。ぎりぎり二十代だというファルナスは、肩まで伸ばしたこげ茶色のくせ毛が特徴の、精悍な男だった。いまは赤紫のラインが入った普段着のスータン(司教服)という格好だ。

 しかし、彼の顔もまた整っている。

 かなり女性の信徒からはモテるのだったが、幼い頃から彼のことを兄のように慕ってきたルイネにとっては、唯一、恋愛沙汰抜きで信頼できる男と言えた。

「さて、ルイネ。最近悩んでいると聞いたのだが」

 ファルナスはさっそく本題を切りだした。彼女の同期の修道女から、一度話を聞いてやってはくれないかと頼み込まれたのは、つい先日のことだった。

 彼の言葉に、ルイネは小さく体を揺らした。

「ファルナス座下、わたしもう耐えられません……!」

 ルイネはいきなりそう言ったかと思うと、わっと顔を両手で覆った。泣いているわけではない。ただ単に、精神的に疲れただけだ。

 そして頭痛が酷くなったのも、ここ最近。

 なにせ、頭痛の種のイグナート神父が、事あるごとに彼女を司祭室に呼び出すものだから。

「あの人、すっごくどうでも良いことでわたしを呼び出すんですよ」

 ルイネは顔をあげると、まなじりを吊り上げながらファルナスに訴えた。

「聞いてください、座下。あの神父ときたら……お茶を淹れて欲しいだとか、書類を持って行って欲しいだとかはまだ許せます。でも今朝なんて!」

「今朝なんて?」

「急ぎで来てくれだなんて言われたので、掃除を途中で放りだして慌てて行ったんです。なのに彼が言ったことと言えば、会いたかったよルイネだなんて、花束を突き出して。いったい何の用で呼び出したのかと訊いたら、朝日が眩しいからカーテンを閉めて欲しいって! わたしはどこぞの小間使いですか、ありえませんっ」

「多分、きみに会いたかっただけなんだと思うぞ」

 ファルナスは妹に接するかのように、よしよしとルイネの頭を撫でた。だが納得しない彼女だった。

「おかげでわたし、世話係以外は仕事になりません。お願いです、座下。どうにかしてくださらないと」

「うーん」

 ルイネの嘆願に、ファルナスは顎に手をやって考え込む。「だがしかし、彼は類まれなる人材だ。あまりぞんざいな扱いは出来ないんだよ、ルイネ」

「それでも、あなたから一言いってやるぐらいは……」

「まあ、やるだけやってみるかね」

 なんだかやる気が無さそうに、ファルナスは頭をかいた。

 彼は、言っても無駄だろうと思っていた。なんせイグナートがこのセン・レナール大聖堂に来る条件が、『ルイネという修道女を専任の世話係にすること』だったのだから。

 どこで彼女のことを知ったのかは分からないが、イグナートは端からルイネに執心だったようである。

 そんなことはまるで知らないルイネだったが、「お願い致します、ファルナス座下」と、彼の前で祈るように手を組み合わせた。



  ◇



 ルイネがイグナート専任のシスターとなってから、はや十日ほどが経っていた。

 初っ端から巨大な花束という、ルイネに強烈な印象を残したイグナート司祭だったが、やはりそれからのことも強烈なこと続きだった。

 お茶を淹れて欲しいだとか、書類を持って行って欲しいだとか、先ほどファルナス司教に訴えたことは、彼女が体験した苦労の一部にすぎない。

 彼は自分以外の人を使うときは、必ずといっていいほどルイネを呼び出した。

 それも、わざわざ人に言伝てをさせてまで!

 そんな手間をかけるぐらいなら、その言伝てに使った者に頼んではどうかと思うのだが、かの神父に『ルイネで頼む』と言われては誰も断れないのだった。

「ルイネ、ご指名よ」

「なんでわたしばっかりなんです!」

 ところ変わって、修道院の一室だ。

 そこで編み物をしていたルイネは、にっこり顔でやってきたアニカの手から書類の束を渡された。今月の祭事の予定表に、教会の備品の管理がどうこうという書類、信徒からの嘆願書など。

 ルイネが持っていかずとも、誰か手の空いた修道女が彼のもとに持っていけば事足りるはずなのに。だがそうすると司祭の機嫌が悪くなるのだという。

「まあ、正直あんたが持っていかなかったら争奪戦が起きるんだけど」

 アニカはのんびりとした口調で言った。

 曰く、新しく着任した【格好いい司祭】をひと目見ようと、大聖堂の一部の修道女の間では『我こそが』と争いが起きているのだとか。まるで見世物を見るような真似、神に仕える身分で情けないこと。ルイネは思わずこめかみを押さえた。

「だから、あの方はわたしに全て用事を任せるわけですね」

 ルイネが【氷のシスター】だから。

 いまや男になびかない女の代名詞として認識される、不名誉なあだ名だったが、ルイネが男になびかないというのは本当だ。情けない一部の修道女とは違い、彼女は決してイグナートを好奇の目や色目といったもので見ないのだ。


「たぶんそれだけじゃないと思うけど……」

 アニカは含んだもの言いで、傍のテーブルに目をやった。

 イグナート様、今日は小ぶりの花束か。内心そう思ったアニカをよそに、ルイネは息をつきながら立ち上がった。

「仕方ないので行ってきます。アニカ、すみませんが代わりに続きをお願いしますね」

 そう言って、ルイネは編みかけの靴下を彼女に手渡す。

 大聖堂に併設される孤児院宛てにと、修道女が協力して編んでいるものだった。その見事な飾り編みを見たアニカは、途端にまずい顔になる。

「ルイネ、あんたまた凝ったわね。私に続きが編めるわけないじゃない」

 まるで売り物のような完成度だった。ルイネはことさら、編み物が得意なのだ。最初に孤児たちに靴下を、と言いだしたのも彼女だった。

「だったらそのまま置いといてくださいね。……いつ戻って来られるか分かりませんけど」

 げんなり顔のルイネだった。

 一度イグナートの司祭室に入ったが最後、一時間は帰ってこられないというのは通例だった。彼はあれこれ言ってはルイネを引きとめるのだ。

「あなた相当気に入られてるわね、あのイグナート様に」

「嬉しくないですよ」

 だがお似合いだと思うアニカだった。

 恋愛はできても、結婚は許されない修道女。

 だが、ルイネとてまだ十七歳の乙女なのだから、恋のひとつやふたつぐらい許されてしかるべきだ。それが、いかな【氷のシスター】であろうとも。

「ルイネはどうして、あの方が嫌いなの? どう見ても好かれてると思うんだけど」

 アニカはずっと疑問だったことを口にする。問われたルイネは、慌てたように振りかえる。彼女はこの手の質問には格段に弱い。

「べつに嫌ってるわけでは……」

「でも態度が明らかに冷たいわ。ファルナス様への態度と比べて、接し方が全然違う」

「そんなことないです」

 ルイネは困った顔になる。

「あなただって、細々とこき使われれば同じことを思いますよ」

「そうかなあ」

 アニカは思案する顔になる。

 話を聞くに、ルイネが今までイグナートに頼まれたことと言えば、書類を持って行ったあとに一緒にお茶をするだとか、一緒に施設案内という散歩に繰り出すだとか、一緒に礼拝に出て補佐をしてもらうだとか、そういったことばかりだ。

 そして極めつけの、日々の花束。手を変え品を変え、イグナートはルイネに花束を押し付けている。

 ルイネはあくまでも、『あの神父にこき使われる』と言って認めないだろうが、明らかにこれは好かれている。いいえ、むしろ愛されている。

 その彼を間近にして全く気づかないルイネは、さすが【氷のシスター】だった。

「お互い結婚が認められないのが残念よね」

「なにか言いました?」

「いーえ、なんにも」

 小さく微笑むアニカは、怪訝そうに彼女を見やる友人に向かって口を開く。

「あなた、行かなくても大丈夫なの? 確かその書類、一枚だけ急ぎのやつが入ってたけど」

「えっ、う、うそ!? 早く言ってくださいよ」

 慌てて部屋を飛び出したルイネを見て、アニカは苦笑した。

 氷のシスター、神に仕える隙のない乙女。

 あんな顔をするのはイグナートが赴任してきてから初めてだ。

「悪くないんじゃない?」

 アニカはそう呟いて、手もとの編み物へと手を出した。



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