第3話 邂逅、契約
旧日本霊術研究所下川沿支部は、霊術学院から30分離れた場所にあった。近くには大館市の交通の要の一つとも言え、秋田北自動車道へと繋がる大館新南バイパスや小さなショッピングモールなどがあった。ショッピングモールの中心には2階建ての大きなスーパーがあり、買い物客で賑わう場所になっていた。そのため、車や人の通りも多い。そんな場所の一角に、物々しく鉄の柵で囲まれた一つの建物があった。件の研究所の建物だ。地上2階、地下2階の構造で地上部分は一見すると小学校に見える木造建築物になっていた。それは表通りに面した場所にあり、歩道に接する門の向こうには広いグラウンドがあり、その奥に建物があった。
藤堂諒と石川和樹は門の前にいた警備員に生徒手帳と学院からの依頼について話し、許可を得てから自転車を押して土地の中へ入っていった。二人のチェックを行った警備員は、事前に学院や対策室から説明は受けていたが、まさか本当に未熟な生徒をよこしてくるとは思っていなかったようである。その驚きは、表情に出ており諒たちにも用意に察することが出来た。
「全く、あそこまで驚くことねーんじゃないか?『こんな子供が』って顔してたぜ?」
和樹は警備員に声が聞こえないことを確認すると、呆れ顔で愚痴をこぼした。
「まぁ、そう言うなよ。本当に俺たちみたいなのをよこすって普通考えられるか?」
「――考えられないな」
諒が困った顔で笑いながら和樹に聞き返す。その言葉に和樹は「そりゃそうだな」とため息をついて同意した。
二人が建物に近づいていき、見上げるとそこには10年も放置され荒廃した校舎のようなものがそびえ立っていた。研究所は表向きに小学校として運用していたため、このような造りになっているのだという。実際に小学生も受け入れていたらしいが、元々研究所であったためか校則や立ち入り禁止区域などの制限はかなり厳しかったようである。事件当時の7月13日は授業が行われていた日でもあったため、被害はその分大きくなってしまったようである。
「あの事件が13日でしかも、金曜日だったと思うとぞっとしないよな」
「だな。この国がキリスト教国家じゃなくてよかったぜ」
建物を見上げながら苦い顔で呟く諒に、和樹もため息をついて返す。かの有名な「13日の金曜日」のことだ。特にヨーロッパを中心として有名で不吉な迷信だ。何故このような迷信が広まったのかは2043年時点でも定かではない。
諒たちは正面玄関と思われるところの近くに自転車を駐輪すると、それぞれの荷物を持った。二人は顔を見合わせて頷き合うと、警備員から渡された鍵を使ってドアの鍵を開けて建物の中へと入っていった。
早速建物の中に入ると、下駄箱が並ぶ広めの玄関があった。小学校があったころの名残だろう。全体として埃が溜まっているようであり、暫く人が立ち入った様子は感じられなかった。非常に危険であるため、普段は立ち入り禁止であるためだろう。先ほどの警備員によると、どうせ掃除はされないだろうということで土足で入ってもいいということだった。諒たちが玄関の先にある床に土足で踏み入れると、床が軋む音がした。どうやら床は木で出来ているらしい。一部が腐食しているせいか、左右に続く廊下には穴がいくつか空いているようだった。
諒と和樹は来る際にあらかじめ、2階から順番に降りていく形で見て回ろうということにしていたので、玄関のすぐ目の前にあった螺旋階段を見つけると真っ先にそちらに進んでいった。
「それにしても、埃っぽいなぁ。オイ」
「そうだな……。歩くたびに埃が舞い上がってくる」
あからさまに嫌そうな顔で和樹は顔にまで舞い上がってくる埃を手で払う。諒も埃を払いながら同意する。1階は時々人が入ってくるためか大したことはなかったが、階段を登るにつれて溜まっている埃の量は明らかに増えていた。どうやら2階には全然人の手が回っていないらしい。
「2階も下とほとんど同じ作りか……」
階段を登りきって諒が奥へ懐中電灯を向けて確かめると、そう呟いた。玄関がある辺りは吹き抜けになっているようであり、下にある下駄箱の上がよく見えた。諒たちはそのまま歩を進める。他はかつて児童たちが使っていたのであろう教室があり、1階は1年生から3年生で2階は4年生から6年生まで振り分けられていたらしかった。
「それにしても――諒」
「ああ。霊の気配が全然しないな」
不気味と言ってもいいほど、諒と和樹には霊の気配が感じられなかった。1階へ下り一通り調べてもそれは変わらなかった。かつての職員室の前で二人は立ち止まると、和樹が諒に話しかける
「話だと、生きて帰った奴はいないって言ってたよな」
「多分、地下での話なんだろうな。見たところ不自然に壊れてるものもないし、地上では戦闘すらなかったのかもしれないな。だけど――」
和樹の呟きに相づちを打ちながら、諒は腕を組んで考え込む。
「何だよ、難しい顔をして?」
和樹が不思議そうな顔をして諒を覗き込む。
「いや、それにしては違和感があってね――」
諒には、それが不自然にとれるほど地上校舎に荒れた形跡はなかった。せいぜい風化による破損程度しか見られない。彼にはその部分がどうにも頭に引っかかっていた。霊気が感じられない上に、争った形式もない。生きて帰ったやつがいないと言うには、あまりに不自然だった。
「言われてみれば・・・・・・。確かに片付けられているような……」
和樹も諒と同じように考え込む風にしてから、何かに気がついたようにそう言った。
「――それだ」
彼の言葉は、諒にはとても的を射ているように思われてつい言葉がでる。机や備品が綺麗に並んでいるのは、どう考えてもそれしかなかった。
「それと、あの異常に多い埃の量もそうだな。まるで後から『意図的に』積もっているかのようだったね」
諒は和樹が呟いた言葉をヒントに、今まで見た所を思い返しながらそう言った。和樹も諒の考えに賛同する。
「やっぱそうだよな。あの埃の量はどう考えてもおかしいっての」
「――だな。とにかく、職員室に入ろう。ここはまだ調べてなかったな」
諒と和樹は一旦考えるのをやめ、職員室の扉を開けて中に入った。辺りを見回すと、かつて教師たちが使っていたと思われる金属製の机が並んでいた。彼らの前には西へ向かう日の光が差し込んでおり、部屋の中を照らし出していた。彼らから見て右にある壁と左の一番奥にある壁にはそれぞれ、黒板が設置されていた。連絡事項や予定などを書き込むためのものとして使っていたのだろう。諒たちのすぐ傍にあった黒板は「2033年5月13日」の日付がかかれたままだった。
そんな教室を見渡すと、左奥の黒板の前に一際大きな机が置かれていた。
「何だ?あれ」
「たぶん、小学校の校長の机だろうな」
和樹の疑問に、諒は辺りをつけて答える。他の教師たちが使っていた机に比べて、随分と立派なものだったからだった。
「とりあえず、あの机を調べてみよう」
諒は親友に顔を向けて目を合わせてそう言ってから、校長のものと思われる机に向かう。やれやれといった様子で、和樹も彼の後ろについてくる。
諒たちが近づいた机は、やはり校長のものであるらしかった。机の脇に白い三角柱のようなものが横倒しになっており、そこに「校長」と書かれている。引き出しは膝元に当たる場所とその両脇にいくつもあった。二人は左右に分かれてそれを手当たり次第に開けて調べてみる。諒は右を、和樹は左を探すことにした。
「――なぁ、諒。ちょっとこっちに来てくれ」
「どうした?」
左の一番下にある車輪のついた引き出しを調べていた和樹が手を止め、諒へ手招きをしてくる。その顔は、どうも困惑したものらしかった。諒はその様子を不審に思い、彼が手にしていたものを覗き込んだ。そして
「なっ!」
と諒は思わず声を漏らして驚く。
日の光に当てられたそれは、一冊にまとめられた書類だった。その表紙には「日本霊術研究所下川沿支部 最優秀被験者に関する報告書 2033年7月12日」と書かれていた。
「これって、研究所にいたって言う被験者の資料!?和樹、一体どこからこれを……」
「いや、何かこの引き出しを探ってたら薄い板の下にそれが隠されてたんだよ」
思わず声を大きくして訊ねる諒に、和樹は若干仰け反りながら書類のあった場所を言う。諒が確かめると、確かに彼の探していた引き出しの中には薄い板が敷かれているようだった。書類を隠すのには便利かもしれない。諒はため息をつきながら言う。
「しかし、よくこの書類は見つからなかったな」
普通なら、この部屋を調べた何者かがこれを見つけていてもおかしくない。これを見つける余裕がないほど逼迫した状況だったのだろうか。諒はその報告書の表紙をめくる。そこには、諒たちと同じくらいの年頃の少女の写真とその人物に関することがリスト分けして書かれていた。どうもこの人物の個人情報らしい。
「へえ、この子が被験者なんだ。可愛いじゃん」
和樹が興味深々に書類を覗き込んでくる。諒はそれを無視して書かれている内容を読み始めた。写真に写っている少女は、和樹の言うように可愛い人物だった。絹のように細くて長い黒髪にルビーのような赤い瞳、凛とした表情の少女だ。どちらかといえば、美人といった方が正確かもしれない。
名前は「中島咲耶」18歳で、生年月日は2015年4月1日と書かれていた。どうやら諒と同じ誕生日でちょうど10歳上にあたるらしい。住所も所属も、この研究所になっていた。父と母がこの研究所の研究員であったらしい。読み進めていくと、様々な人体実験の内容が書かれていた。新たに開発された霊術の発動実験に使われたり、契約霊とのダイレクトリンクなどあまりに酷い実験が行われていたようだった。契約霊とのダイレクトリンクに至っては命を落としたり精神崩壊をしたりする可能性の高い非常に危険なものだった。
「酷い……」
顔をしかめつつ、諒はページをめくっていく。先の実験の他にも様々な実験の内容が書かれており、幼少の頃から実験に使われているようだった。12歳までは地上の小学校施設に通っていたらしいが、卒業後はこの地下にずっと閉じ込められて実験が続行されていたらしい。事件の前日の日付が書かれている報告書には、その直前のことも書かれていた。しかし、墨で塗りつぶされており読める部分はほとんどなかった。唯一分かったのは、他の被験者と比べても明らかに衰弱しており、事件の4日前に何かの実験で死亡してしまったということだった。
一通り読み終わった諒はふうっとため息をつき、後ろにあった壁に背を預けて座り込む。和樹も険しい顔つきをしていた。
「酷すぎて言葉も出ないよ……」
「ああ、反吐が出るぜ」
諒が放心したように言うと、和樹は吐き捨てるように言って諒に同意する。その中には、学院で教わる霊術の基礎となるものも含まれていた。
「俺たちが使ってる霊術にまで彼女が関わってたなんて・・・・・・」
諒は胡坐をかき、床に視線を向ける。諒たちが使っている「霊術札」のことだ。これは近年開発されたものであり、霊術分野では比較的新しいものであった。霊術札は現在の霊術師にとって必需品と言われるほどの物であり、誰にでも霊術を扱えることを可能にしたものである。札には霊術を行使するための簡単な呪文が書かれている。「我が霊術を行使する」というものだ。複数枚による運用が基本になるが、「我が札よ弾となりて、敵を撃て」と「我が札よ盾となりて、我が身を守らん」を詠唱して使う。大気中に漂う霊気を一気に凝縮し、力を発揮することが出来る。実用化される前は、「霊力」を持つ人間しか霊術を使えなかった。現在霊術がここまで普及しているのは、この霊術札によるところが大きい。
暫く二人は放心して座り込んでいると、諒はかすかに何かが空気中に漂っているのを感じた。諒は身を起こして和樹に話しかける。
「おい、和樹……。これ……」
「ああ、霊気だな。だけど、微弱すぎてどこからくるのか……」
「なら、これだな」
首を振る和樹に諒は持っていた荷物の中から学院の支給品を取り出す。あらかじめカスタマイズされた霊術札だ。霊術札はベーシックなものの他にカスタマイズした使うことの出来るものがある。諒が手に持っているものは、霊気を探知する札だった。それを2枚持つと、諒はおもむろに立ち上がって片方の札を右手の人差し指と中指の間に挟んで片方の札を虚空に投げて短い詠唱をした。
「我が札よ、流れる霊気の元を捉えよ」
彼がそう口にすると、2枚の札が青い光を発し虚空を漂う方の札が霊気の流れの元へと飛んでいった。飛んでいった札は、校長の机の後ろにあった黒板横と窓際の間にある壁に張り付いて霊気の流れ出す場所を示した。
「隠し扉かよ」
和樹が呆れるようなため息を吐く。和樹が諒と目を合わせると、
「行こう」
と諒は頷き、札のもとへ向かった。和樹も仕方ないとばかりに頭を掻きながら、そちらへ足を向ける。
諒が足を止めると、そこには彼の顔くらいの高さに先ほど投げた霊術札があった。札の周りには明らかにボタンと分かるような長方形の切れ込みがある。諒が確認を取る為、和樹に顔を合わせると、彼は手の甲をこちらに向けて振りながら早く押すように促してきた。
「余計な荷物はここに置いて必要なものだけ持っていくか」
そう言うと、諒は手に提げていた学院からの支給品バックを下ろして最低限の霊術札と小型の通信機を取り出して学生服のポケットに仕舞い、布袋から霊刀矢島を取り出して左腰に添えた。和樹も諒にならって準備をする。
和樹の準備が終わったのを確認すると、諒は目の前のボタンを掌全体で押し込んだ。寸瞬、壁が奥にずれてから扉のように轟音を立てて開く。その先には地下へと続く階段があった。その奥からは血生臭い匂いと大量の霊気が漏れ出てくる。二人は思わず袖で口元を覆う。
「何だよっ、この霊気!?しかもかなり血生臭いぞ」
「人が死んでるってのはホントみたいだな。割と最近も来ていたらしい」
吐き気を催すその匂いと霊気に耐えながら、二人は階段を下っていく。12段の階段を下りたその先には左右にコンクリート造りの廊下が続いている。その廊下の脇には、実験施設と思われる部屋が転々としている。諒たちは、地下2階へと続く階段のある右の西の方角へ歩を進めていった。
廊下は地上施設の廊下と比べても明らかに長く、先が見えなかった。
100mほど進んで、諒は刀の柄に右手を置いて身構えた。霊の気配がしたのだ。和樹も気がついたらしく、諒の後ろで霊術札を出して身構える。諒は刀を鞘から抜くと、両手でそれを構えて後ろの和樹に尋ねる。
「和樹、ランクB-の悪霊が10体ほどいる。準備はいいよな?」
「ああ。いつでも」
「このまま下の階まで敵を倒しながら走るぞ!」
「分かった!」
諒の合図と同時に二人は駆け出す。前後してうろついていた悪霊たちが襲い掛かってきた。諒が刀を一気に左へ振り切り、霊を一体倒す。普通の刀ならば、霊に触れることすら不可能だが、彼の霊刀矢島は霊的な加護を受けた刀であり意図も容易く霊を切り裂くことが出来る。
次々と霊を倒していく諒の後ろでは、和樹が風の霊術を使って敵の攻撃を凌いでいた。彼の霊術には風の属性があり、基本的に自分でカスタマイズした霊術札を使って運用している。風の盾であるエアー・シールドで身を守りつつ、敵を縛る空気の鎖であるエアー・バインドを使って諒の攻撃をアシストしていた。
「諒!そっちに渡すぞ!」
和樹は敵を縛ったエアー・バンドをしならせて諒へ渡す。
諒は和樹が作り出した敵の一瞬の隙を見逃さず、刀を一閃して霊を倒していく。
「はあっ!」
和樹と前後を入れ替えながら、諒は敵を撃破していく。諒は師匠の矢島から教わった剣閃を遺憾なく発揮し、敵を一掃して地下2階へ続く階段を和樹と共に走っていた。下へ続く階段は今までと違い、長く続いている。それだけ地下2階は大きな造りなのだろう。
「流石、諒だな。刀のさばきが綺麗だ」
息を弾ませながら、和樹が諒に話しかける。
「和樹の助けがあったからね。とってもやりやすかったよ」
諒も息を弾ませながら和樹に礼を言った。
一言二言交わしていると、ようやく目的の地下2階へとたどり着いた。階段を下りた先の空間は、どこにでもある学校の体育館とさして変わらない広さがあった。その割には明るく、奥まで見渡せる。辺りには機材が散乱していた。今まで漂っていた血生臭さと霊気の強さがいっそう増す。強烈な匂いと霊気に耐えながら、諒と和樹は次の交戦に向けて身構える。依頼にあった怨霊と思われる黒い瘴気を纏った敵の姿があったからだ。その霊の周りにははっきりと分かるほど真っ黒い瘴気が漂い、取り囲んでいる。その瘴気に煽られ、黒く長い髪が不気味に揺れている様子が確認できた。
「――ッキライ――」
「え?」
諒と和樹の耳に少女の声が聞こえ、諒は声を漏らす。思わず二人は周りを見回した。
「人間、大ッキライ――。殺ス、殺ス、殺ス、殺ス――!」
少女の声が続く。どうも少女の声は二人の目の前にいる霊が発しているらしかった。霊が声を発するたび、瘴気が凝縮されて炎へと変わる。それにつれて、怨霊のぼやけていた姿がはっきりとしてくる。
「お、おい。諒、あの炎って……。しかもあの姿……」
和樹の驚愕した声が諒の鼓膜を震わせる。
「ああ。俺の霊術の属性と同じだ……。それにあれは……」
諒も目を見張りながら、その霊の姿を見つめる。瘴気は完全に炎へと変わり、霊の正体を露にしていた。黒く長い髪に不気味に赤く光る瞳と、同年代の女子にしては高い身長の少女の姿がそこにあった。服はこの場所に違和感があるほど白いワンピースであり、裸足で白いヒールのついたサンダルを履いていた。凝縮された炎はその霊の首の周りにマフラーのように纏われている。
「―――中島……咲耶―――」
「アァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」
諒がその霊の正体を呟くと同時に、中島咲耶と呼ばれた少女の怨霊は上を向いて拳を握り締め、おぞましいほどの雄叫びを上げる。この世のものとは思えないその叫び声は、諒と和樹に恐怖の鳥肌を立たせていた。
諒は両足に力を込めて炎の霊術「炎霊術」の準備をし、和樹は諒を援護する準備に入る。一方の少女の霊は、マフラーの炎を一部だけ切り離し、右手に鞭のような形にして持つ。
一瞬、体育館ほどの広い空間に静寂が訪れる。諒は前かがみになって左足を前に踏み出す。
どこで滴る水の音が広い空間を満たすと、それを合図に両者は一気に動き出す。
「はぁぁぁぁぁっ!」
「ガァァァァァァッ!」
諒の覇気と少女の霊の叫び声が重なる。次の瞬間、諒は自身の周りに発言させていた炎を両足へ一気に集めて、ブースターのように噴かして「業炎跳」を発動する。すると、彼の体は一気に前へ押し出されて霊との間合いを一気に詰める。噴かされる炎は足元から勢いよく噴出されており、それが推進力となって彼の体を前へと押し出していた。少女の霊も駆け出して炎の鞭を彼に打ちつけようとするが、振り下ろす瞬間に手首を和樹のエアー・バインドによって阻まれる。その一瞬を狙って諒は霊の頭へ刀を振り下ろす。
「でやぁっ!」
「ウゥゥゥゥゥゥゥッ!」
一気に振り下ろされた刀が、重い衝撃を諒に伝えて何かに阻まれる。諒が見ると、少女の空いていた方の左手に炎が纏われており、それが彼の刀と衝突していた。
諒は足の裏から炎を噴かして滞空しながら鍔迫り合いをしていたが、炎の拳の重さに耐え切れなって来ると、それを自分の後方へ振り払って自分は真上へと跳躍して宙返りをした。そのまま噴かしている炎を切って着地する。
「邪魔ダ!!」
霊が低い声を上げると縛られていた右手を使って逆に和樹のエアー・バインドを振り回し、和樹を壁へ勢いよく叩きつける。
「がはっ」
和樹は悲鳴をあげてその場に崩れ折れる。打ち付けられた壁は大きく窪んで崩れていた。
「和樹ッ!――炎よ、我が刃に火の加護を与え賜え!」
打ち付けられた和樹に叫び、すぐさま諒は詠唱を必死の面持ちで行う。すると、彼の身体の周りの炎が霊刀矢島へと集まり、その姿を炎の刃へと変えていた。
「――業炎斬!」
彼の声を聞くや否や諒の方へ身体を向けた少女の霊は、左手を伸ばしたかと思うと炎の弾丸を連射し始めた。諒は思わず目を見開く。
「くっ!」
――速い!
歯軋りをしながら諒は、襲い掛かってくる弾丸を駆け足でかわしたり炎の刃で無理矢理弾いたりする。弾丸は際限なく打ち出され、風の如く諒へと襲い掛かってくる。再び刀で払おうとするが、思いの外重い弾であるために一瞬動きが止まる。そこへ間髪入れず発射された炎の弾が彼に直撃し、背後の壁まで吹き飛ばしていた。
「ぐはっ!」
壁に打ち付けられた衝撃であばら骨が一本折れて、声が漏れ出す。諒はそのまま床へとずり落ちた。
――強すぎる
それが彼が率直に思ったことだった。これで弱っているというのだ。万全の状態だったなら既に死んでいたかもしれない。激痛を堪えながら少女の霊を見つめる。彼女の周りには今にも全てを焼き尽くしそうな勢いの炎が舞っていた。
「りょ、諒……。大、丈夫かっ……」
先ほど壁に打ち付けられていた和樹が何とか身体を起こして、諒に声をかける。彼もまた、どこかの骨を折っていたようだった。
「ああ。なんとか。ただ、あばらがイった」
諒も声を絞り出して視線の先にいる和樹に答える。彼の言葉を聞くや否や、和樹は霊術札を取り出して何事か詠唱を始めた。彼の体の回りに空気の流れが円状に出来る。
「風の癒しよ。その力を持って彼の者の傷を癒せ――ヒール・エアー」
苦しそうな顔をしながら彼が詠唱をすると、彼の周りにあった空気の流れが風となって諒の元へ飛んできた。諒がその風を受けると、たちまち彼の傷が癒えていく。諒が体を動かすと、折れていたはずのあばら骨が治っていた。
「さすがだな……。お前の霊術。助かる」
どこにも異常がないことを確かめると、諒は壁を伝って和樹のもとへと歩いていく。
諒が少女の霊の様子を窺いながら彼のもとへたどり着くと、和樹は諒に話しかけてきた。
「大丈夫そうだな。諒は」
「ああ。お前はどうだ?」
「左足の骨が折れた。ここから動けそうにない」
諒が身体のことを尋ねると、和樹は顔をしかめて答える。彼の「ヒール・エアー」は一般的な回復霊術と比べて非常に効果が強力で、一瞬で患者の骨折すら治してしまうものである反面、自分自身へ効果を適用するのは不可能だった。そのため、一般回復霊術を使って和樹は骨折の痛みを和らげて凌いでる状態である。
「このままじゃ倒せそうにないな……。何とか立て直さないと」
「それなんだけど……」
再び霊の様子を窺いながら思案する諒に、和樹が左手に持っていたものを取り出す。そこには小さい熊のぬいぐるみがあった。両手に簡単に乗ってしまいそうな可愛らしい大きさだ。全体として汚れており、首元からは綿が醜く少し飛び出していた。
「それがどうしたんだ?」
諒は和樹に問いかける。すると和樹は薄笑いを浮かべてそれを半ば押し付ける形で諒に渡す。
「あの報告書に書いてただろ。たぶん、あの子の大切なぬいぐるみってのはこれのことだ」
「そういえば……」
諒は報告書にあった内容を思い出す。確かに、中島咲耶が昔から大事にしているものとして、ぬいぐるみのことが書かれていた。何のぬいぐるみかまではかかれていなかったが、他にぬいぐるみらしきものは見当たらない。諒に渡された熊のぬいぐるみでほぼ間違いないだろうと考えられる。和樹が再び諒に提案する。
「こいつを使ってあの子と契約出来ないかって思ってね。使う力も炎だし、諒との相性も抜群じゃないか?」
「そうか――。仮に無理矢理にでも契約出来れば、倒すことは出来なくともどうにかすることも出来る――」
諒はすぐさまその考えに至り、和樹の提案に頷く。しかし、和樹は少し残念そうな顔をしてため息をつき、やれやれと呆れ顔で首を振る。
「ったく。変なトコで真面目だよなぁお前。苦しんでるお姫様を助けるとか、そんなロマンチックな考え方は出来ないのかねえ?」
なじる様な目つきで和樹は諒を見やる。確かに、少女の霊は苦しんでいるように諒にも見えた。しかし、今は目の前ことで頭が一杯で諒にはとてもその考えに至ることが出来ない。
「?この状況で何を言って――!!」
諒が困惑しながら和樹に聞き返そうとすると、暫くおとなしかった少女の霊が再び炎の弾を二人のいる方へ放ってきた。今度の弾は先程よりも大きく、諒の刀ではとても振り払うことは出来ない。諒は思わず防御の姿勢をとる。ふいに、骨折した足の痛みに耐えていた和樹が身を乗り出して霊術札を前に構える。
「我が風の盾をもって、我らの身を守らん!エアー・シールド!」
彼がそう詠唱すると、一気に空気が風となって竜巻のような渦を作る。諒が目を開けた次の瞬間には、二人を守る強固な風の盾として諒の目の前にそびえ立っていた。打ち込まれる炎の弾は、その風の盾に阻まれて次々に掻き消えていく。
「和樹、いつの間にこんな強固な盾――」
諒が気がつくと、和樹の身体には緑色のオーラのような光が纏われていた。彼の風の盾も同じであった。暖かな緑の光が、和樹の身体から溢れ出す。諒は、今まで和樹のこんな力は見たことがなかった。
「俺だって分かんねよ。急に身体が軽くなったと思ったら、これだぜ。それより、弾が止んだら目くらましするから、その隙にそのぬいぐるみで契約してきやがれ!」
和樹は足の痛みに耐えながら、諒にそう促す。選択肢はない。諒は迷わず頷いて次の行動へ移る準備へをして刀を構える。契約をするといっても、ダメージを与えなければする隙などない。再び刀に炎を纏わせ、諒は風の盾の内側で炎の弾の雨が止むのを待っていた。
「ハァッ、ハァッ!」
連射をしすぎたせいか、少女の霊が息切れを起こす。その瞬間、炎の弾の雨は止んだ。
「今だ!エアー・スモーク!!」
その一瞬を和樹は見逃さず、盾を収めると次の霊術札を取り出して上へ振り上げて叫ぶ。すると、緑色に光る風の渦が周囲の埃を集めて少女の霊のもとへ迫る。霊が次の攻撃をしようとした瞬間、風と共に彼女の周りを大量の埃が撒き散らされて少女の霊は一瞬怯んだ。諒はその瞬間を見逃さない。諒が両手で刀を前に構えて詠唱する。
「炎よ、我が刃に燃盛る炎の加護を与え賜え!炎熱斬・業!!」
彼が詠唱をすると、刀を纏っていた炎が刃を覆いつくほどに一気に燃盛る。まるで、鍔から炎が噴出すかの様な状態になっていた。
「はぁぁぁぁ!」
諒はそのまま一気に埃の中へ飛び込むと、溢れんばかりの炎を纏った刀を少女の霊へと振り下ろした。その斬撃は左肩から斜めに走り、一息に切り裂く。
「キャアアアアアアアア!」
物凄い悲鳴を上げる彼女のもとへ、諒は刀を素早く振って炎を振り払う。刀を鞘へおさめると腰のベルトに縛り付けていた熊のぬいぐるみを右手で押し付け、左手で彼女の右肩を掴んだ。彼には、人が普通触ることの出来ない霊を「直接」触ることが出来る。和樹が提案したのはそういった一面もあった。
諒はポケットから契約に必要な霊術札を取り出し、少女の霊の胸元へ貼り付ける。
「汝、我が契約霊として従え!!」
すかさず彼が詠唱すると、霊術札と熊のぬいぐるみが青い光を放つ。その瞬間、彼らの周りの埃が一気に吹き飛ばされ、彼女の纏う炎も霧散する。諒が貼り付けた霊術札は、少女の霊が纏う瘴気を一気に吸収すると剥がれて足元に落ち、燃え出した。対象の霊の瘴気を浄化する札だ。
少女の霊は暫く抵抗していたが、熊のぬいぐるみが纏っていた青い光が彼女を包みこむと、その瞬間に気を失う。諒は崩れ落ちる彼女の身体を左腕で受け止める。そのまま熊のぬいぐるみを自分の胸元へ持っていき、同時に彼女も抱きしめる。青い光は、彼をも包みこむ。
「リミッター設定――従来ランクからA-へランクダウン。悪霊化及び能力リミッターオン――」
諒は、霊と契約するために必要なリミッター制限をかける。このリミッターは人間から霊へ一方的にかけられるものだった。このリミッター制限は多かれ少なかれ、過剰な部分がある。特に霊のランクが高ければ高いほどその傾向は強い。多くの制限をかけなければ制御出来ないと同時に、人間の霊への恐怖の証でもあった。
「契約完了――契約者、藤堂諒」
最後にぬいぐるみへ契約者の名前を登録する。すると、二人を包んでいた青い光はゆっくりと消えていった。
広い空間に再び静寂が訪れる。
その様子を見ていた和樹が恐る恐る尋ねる。
「諒、やった……のか?」
「ああ。成功だ!――」
諒のその言葉を聞き、和樹は安堵するとその場に倒れ込んだ。どうやら緊張の糸が解けたらしい。大の字でその場に仰向けになる。
「良かったぁー!一時はどうなるかと……いっててっ!」
安心するあまり、足が骨折していたのも忘れて身体を投げ出すと激痛が走り和樹は悶える。
「その調子なら大丈夫そうだな。学院に連絡するか」
そう言って、諒はズボンのポケットから緊急用連絡端末を取り出す。「通信霊術札」と呼ばれるものだ。瘴気が満ちて電波などが遮られて回線が一切使用不能になった際に、非常手段として用いられるものだ。電話や無線機などの回線の代わりに、瘴気を利用して外と通信を取ることが出来るようになる。反面、瘴気が満ちていない通常の空間では機能しない。
「ああ。それに救急車もなー」
和樹がそう付け加える。諒は「ははっ」と笑いながら彼に言葉を返す。
「分かってる。足折れて動けないしな――」
諒は不意に言葉を切らす。
「んあ?どうした?諒?」
和樹は不審に思って諒に尋ねていると……。
諒が抱きしめていた少女の霊が目を覚ます。
「ん――。あれ、ここ……。あたしどうして――」
何事か呟くと、自分が置かれている状況に気がつく。諒の左腕が彼女の背中に回されてそのまま、彼の胸元にきつく抱き寄せられている。彼の胸には、少女の柔らかく膨らんだ胸が自然と押し付けられている格好になっていた。不意に、諒と少女の視線が交わる。数秒間沈黙して、そのままみるみる彼女の顔が赤くなっていく。諒がふと気がついたときには、彼女のグーに握られた拳が彼の左頬のすぐ傍まで迫っていた。
「このっ、ド変態がっ!!」
気がついたときには床に殴り飛ばされており、ふと飛んできた方向を見ると胸元を押さえて涙目でわなわなと全身を震わせて顔を真っ赤にし、こちらを睨みつける少女の姿があった。
「だ、だから人間は大嫌いなんだっ!」
彼女のその言葉を聞くと、不意に諒の意識は遠のいていった。
続く