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赤き炎の霊術師  作者: ハチカレー
新学期編
2/38

第2話 春、決断

 連投失礼します。今のところ第5話まで連投する予定です。

 霊的大災害から10年が経った。当時小学4年生だった少年・藤堂諒は18歳の高校3年生となっていた。災害の後、小坂町の数少ない生き残りとして国の機関から報道機関まで、様々なところから調査を受けた。当時の彼は起こったことをありのままに話した。あまりにものショックで、当時の彼は状況が飲み込めてるとは言えなかっただろう。それから、隣の自治体である大館市へと避難をして避難先にある小学校へと転校することになった。

 特に当時は大変なことばかりであった。国の援助があるとはいえ生活は厳しく学校でも上手くいかないことが多くあった。特にクラスメイトとの関係である。避難先で出会った新たな友人に助けられたとはいえ、いじめられることも多かった。

災害での悔しさから、彼は日本霊術学院へと進学することになる。大館市にも秋田支校の分校が置かれており、そこの中学校へと入学した。5年間、特に霊術にかけてはひたすら勉強したり訓練したりしてきていた。小学校高学年から始めた剣術も続けており、初段を有する程度には成長を遂げていた。


「おい、諒。学校遅れるぞ」

 幼馴染の声を聞いて、諒の自分の2段ベッドの上で昔のことを思い出していた諒はふと我に返った。今日は2043年4月1日、彼の誕生日であり学院の始業式でもある日だ。急いで彼は体を起こし、ベッドから飛び降りる。彼の住む寮は学院の第一学生寮であり、南側に位置する101号室だった。部屋は綺麗に片付けられており、二人分の学習机とクローゼットに本棚、それに2段ベッドがあるのみである。テレビやパソコンといったものは、2階の共有居間に置かれていた。

 諒の身長は178cmで茶色い目をしており、体格は普段から鍛えていることもあって若干細身ではありながらも引き締まった体つきをしている。髪はショートカットに切られており、よく整えられている。

 諒が着地した視線の先には寮のルームメイトであり、幼馴染でもある石川和樹が、部屋のドアの傍からこちらを見つめる姿があった。彼は諒と比べて1cmほど背が高く、こちらは諒と比べてがたいの良さは感じられない。髪はつんつんと立てており、一見すると不良に見間違えられそうな風貌をしていた。

「すまん。ちょっと昔のこと思い出してた」

 諒はそういいながら自分の勉強机にあるカバンを手に取ると、親友である彼にそう言い訳した。和樹は少しため息をつく。

「そういや、来月でもう10年になるのか。早いな」

「―――ああ。そうだな」

 思い出したように呟く和樹に、諒は投げやりな返事をする。あの日のことはなるべく思い出したくない彼であったが、忘れることはどうしてもできない。街が消えたことやたくさんの人が死んだことよりも、姉がいなくなってしまったことの方が彼に決して小さくない心の傷を負わせていた。

「悪い。嫌なこと思い出させた」

 和樹は俯き加減になり、部屋のドアを開ける。諒は「気にしなくていい」と首を振り、彼の後に続いて玄関へと向かった。

 玄関を出ると東の空には朝日が昇っており、辺りを照らしていた。二人はそのまま学校へと足を向ける。表の通りには諒たちと同じく学校へ向かう者や仕事へ向かう人の車が行き交っていた。学校は寮の敷地から出て西の方角にある。徒歩でせいぜい10分くらいのところに霊術学院は建っている。


「4月なのにまだ寒いよなぁ」

 学院敷地前の、校門へと続く通学路の歩道を歩きながら諒は未だに残る雪や花を咲かせていない桜の木を眺めてぼやいた。

「そりゃね。北国だからな。先月なんてまだ吹雪く日もあったわけだし」

 和樹も諒に同意して言葉を返す。

 彼らの住む秋田県大館市は東北地方にある雪国だ。3月に入っても未だに雪が降っていることも珍しくなく、桜も5月にようやく満開を迎える。また、山々に囲まれた盆地であるため、昼と夜の寒暖差があるのも珍しくない。諒たちの住む寮の東の方角には鳳凰山と呼ばれるこの街のシンボルとも言える山がある。山の中腹には京都にある大文字山と同じく、大きく「大」の字が書かれている。そのため、地元では「大文字山」と呼ばれることもある。

 諒と和樹は学校に着くと、そのまま自分たちの教室へ向かう。高校1年生から変わらない、D組へと向かっていた。学院の高校にある霊術科の教室だ。

「A、B組はまだ来てないのか」

「普通科は確か午後からだったな」

 諒の言葉に和樹が答える。この学院の高校では、諒たち霊術科の他に普通科が置かれている。国語をはじめとする基本教科と霊術科目を半々に授業する科だ。CからE組まである霊術科では霊術科目を中心に扱う。

 諒たちは自分の教室へ入ると、それぞれ席へと向かった。諒は窓際の一番後ろの席で、和樹はその前だ。教室はクラスの生徒がほとんどそろっている状態だった。男子33人女子22人のクラスである。教室は新学期ということもあってか少し浮ついた空気になっていた。

 諒が席につくと、同じく席についた和樹が後ろに振り向いてきた。

「そういや諒、お前確か特別カリキュラムとかってのが出てたよな?」

「ああ、学院からの個別の案内にあったやつか。2年次の成績上位者20名に、始業式の日に特別カリキュラムを行うって書いてたな」

 始業式の1週間前に諒のもとへ届いた学院からの案内のことだ。始業式が終わった後のホームルームで説明があるとのことだった。

「今まで特別カリキュラムなんて聞いたことないぞ。寮を出た先輩にもそれとなく聞いたけど、去年までそんなこと無かったんだってさ」

 和樹は怪訝な表情を作りながら諒にそう教えた。

「へぇ……。一体なんだって言うんだろう」

 諒は少し驚く。彼には、特別カリキュラムの目的がよく分からない。どうやら霊術科の者にのみ出ているカリキュラムらしいことは寮生との会話で小耳に挟んでいたが、和樹の言ったことについては初耳だった。

 彼らが雑談に興じていると、教室の前の引き戸が開く。1年からD組の担任である武下綾子が入ってきた。身長は諒の目の高さくらいまでしかないが、全体として引き締まった体をしており、女性物のスーツの上からもスタイルのよさがはっきりと取れる。黒い髪は肩に届くくらいの長さまで伸びている。

「みなさーん。おはようございます!始業式が始まるので屋内訓練場に向かってくださーい」

 彼女は明るくハキハキした声で生徒たちを始業式の会場へ促した。担任の言葉に生徒たちは腰をあげ、次々と訓練場へ向かう。「綾子ちゃーん。今日もかわいいね!」など男子生徒が担任にからかう言葉を投げかける。綾子は大館分校の学院生の間では有名人で人気があり、特に男子生徒からはその親しみやすさや可愛らしさからよくからかわれていた。彼女は困った様子で早く行くようにその生徒の背中を押していた。

「まーた始まったよ。まぁ、からかいたくなるのも分からなくないけどな」

「クラスで一番綾子さんをからかってるのはお前だけどな」

 呆れた顔で口を尖らせる和樹の頭を諒は軽く小突く。その手を払いのけ、和樹が寄りかかってくる。

「諒だって自分の担任をさん付けで呼んでるじゃないか」

 諒は和樹の体を押しのける。和樹は少しつまらなさそうな顔になる。

「否定はしないけどさ……。何というか、担任って感じがしないんだよな」

「おま、それ綾ちゃんが聞いたら泣くぞ……」

 親友から発せられた言葉に和樹は声を潜めて言った。

「そう言う和樹もあだ名で呼んでるじゃないか」

「お前が――言うかっ!」

 指摘され和樹は諒の頭をぐりぐりと弄る。同じことを諒もやり返し、軽く組み合う。二人とも悪戯っぽい表情を浮かべていた。

 そんな二人の頭の上にげんこつが落ちる。

「「いてっ!」」

 諒たちが同時に小さい悲鳴を上げ、後ろを向くと彼らの担任が膨れ顔で立っていた。

「もうっ、二人とも。早く行って!仲が良いのは悪くないけど、遅れるよ!」

 担任はそう言って二人を急かす。しかし、二人はこちらを向いたまま一向に動く気配が無い。彼女が不審に思ったその矢先、彼らの口が動いた。

「「――可愛い――」」



 始業式が終わり、諒たちは自分のクラスへと戻っていた。

「あー。まだ痛む。綾ちゃん何も本気でげんこつすることないだろ……」

「仕方ないよ……。俺たちが悪いんだし」

 若干涙目でぼやく和樹を諒は諭す。頭の上には小さなたんこぶが出来ていた。

 二人が席に着くと、担任の綾子が手を叩いて生徒たちの注意を自分のもとへ向ける。

「はい。無事始業式が終わったので、ホームルーム始めますよ」

 そう言うと、担任はテキパキと今後の日程について話す。学年の初めであるため、健康診断や各授業のことについてだ。霊術科であるため、霊術に関する内容が多い。1,2年は座学が多かったが、3年生になると実習の数がぐっと増えることになる。2コマ1組で霊術科目がほぼ毎日組まれることになる。基本教科もおろそかに出来るはずはなく、水曜日はこれに割り当てられる。最も、授業は翌日から始まるのだが――。

「えーっと。学院からの案内が来ている方は、この3階の視聴覚室に移ってください。学院の方から説明があります。それと、藤堂くんは石川くんと一緒に学長室まで来てください」

 担任のこの言葉に、諒と和樹は顔を見合わせる。クラスも少しざわついていた。

「静かに。それじゃ、呼ばれた人は移動を始めてください」

 言い終えると、綾子はさっさと教室を出て行ってしまった。生徒の動揺はまだ収まっていない。その場で説明があるのかと思いきや、いきなり別室に移動である。諒たちに至っては、学長からの直々の呼び出しでかなり戸惑っていた。

「ま、まぁ呼び出されたし早く行くか」

「お、おう」

 動揺しながらも、諒はそう言って立ち上がり和樹も返事をよこしながらそれに続く。学院からの案内があった生徒は既に移動を始めていた。とは言っても、このクラスでは5人程度であった。

 廊下に出ると、他のクラスからも呼び出されたであろう生徒たちが次々と視聴覚室へ向かっていく様子があった。そんな彼らをよそに諒と和樹は2階に降り、学長室を目指す。


 学長室は2階の教員棟の一番奥にあった。教員室や他の部屋と違い、学長室は一際存在感を放っていた。

 西洋風の装飾が施されたドアの前に二人は立つと、諒は唾を飲み込んでからノックをした。

「3年D組の藤堂諒と石川和樹です」

「――入っていいぞ」

 自分たちの名前を告げると、奥から老人の声が聞こえてきた。重みと威厳のある声だった。諒が緊張しながら、ドアを開けると目の前には担任の武下綾子がいた。学長室の中は、ドアと同じく西洋式の作りで床は大理石で出来ていた。学長が普段使っているであろう大きな机の両脇には大きな本棚があり、その後ろには大きな窓が配置されていた。接客スペースはその机の前に置かれていた。

 思わず諒の表情がきょとんとしたものに変わる。

「綾子さん……?」

「彼女は君たちの担任だからね。彼女の耳にも通しておきたくてね」

 諒が声をした方へ振り向くと、温厚な顔をした老人が手前の接客用のソファーに座っていた。しかし体格は黒いスーツの上からもがっしりしたものであり、相当鍛えていることが分かる。この霊術学院秋田支校の学長・真田義之だ。「失礼します」

 諒と和樹がそれぞれ緊張しながら挨拶をして学長室に入ると、学長が接客スペースの空いている方のソファーを勧めてきた。彼らはそれに従ってソファーへ座った。綾子も同じソファーへ座り、真ん中に諒で右には綾子が座り、左には和樹が座った。

「わざわざ学長室まで足を運んでもらってすまないね」

 温厚そうな老人はそう言ってから咳払いをすると、諒と和樹に視線を合わせてきた。思わず二人の背筋が伸びる。

「君たちには、特別カリキュラムという名目である依頼を受けていただきたい」

「依頼、ですか?」

 学長の言葉に諒は緊張した声音で返す。老人は鷹揚に頷くと、次の言葉を紡いだ。

「率直に言うが、本日とあるオーバーSランクの怨霊の『退治』を頼みたい」

「――なっ」

 一瞬、何を言っているのか諒には理解出来なかった。視線を素早く横に走らせると、それは和樹と綾子も同じらしかった。

 世の中には様々な霊がおり、S,A,B,C,Dの大まかに5段階に分かれているがその最大ランクを超えるレベルの霊を倒せというのである。今の諒たちでは、せいぜい頑張ってもS-ランクが精一杯というところであった。AランクとBランクの時点で霊たちの強さは段違いなのである。オーバーSでしかも怨霊など、とても無理がある。精鋭の霊術師たちが10人で掛かってやっとというレベルである。

「驚くのも無理はない。本来なら君たちではとても敵うことのない相手だ。しかし、本県の『対霊特別対策室』は他の案件で人員不足でな。つい昨日も霊術師を派遣したのだが、全滅でね。アレを倒すのを可能にする人材をよこせと言われてな。学院では何とか契約霊に出来ないかという話も持ち上がったが、それも不可能ということで完全に倒すということに決まった。そこで、君たちを呼んだ次第だ」

 学長が口にしたことは信じがたいものだった。しかも、その目標を契約霊にする可能性を学院側が探っていたことにも諒は驚いた。契約霊は霊術師になる上で、必須レベルであると言われている。自らの身を守るだけでなく、様々なメリットも受けられるためだ。

「しかし、何故自分たちなのでしょうか……。自分らよりも優秀な生徒はいるのではないですか?」

 諒は動揺を隠して声を潜め、学院長に訊ねる。

「どうも、対策室の調査隊によると昨日の戦闘で一時的にだが弱っているらしくてな。留めを刺すには絶好の機会だということだった。そこで私は依頼に相応しいであろう生徒を探すことにした。そこで探し当てたのが、君だ」

「自分、ですか?」

「そうだ。君は、矢島くんに剣術を教わっていただろう?」

 学長の言葉に、諒は思わず「えっ」と声を漏らした。両隣からも息を呑んでいる様子が見ずとも伝わってきた。老人は穏やかな笑みを返す。確かに、彼は被災した直後から矢島という男に剣術を教わっていた。彼の矢島一刀流というものを教わっていた。彼が行方不明となる諒が15歳になるまで彼の師事を受けていた。現在愛用している霊刀「矢島」は彼から授けられたものでもある。

「私は彼の友人でね。全く、今はどこにいるのやら―――。君の話は矢島くんからよく聞いていた。刀鍛冶としても優秀だった彼が、自分の名を与えた刀を君に授けたことも聞いているよ。学院への入学後も時折、影から君の様子も見させてもらっていたよ。刀を振るう者としても、霊術を使う者としても今後に期待を持っている。そこで、今回の一件だ。私は君に賭けずにはいられなくなったのだよ」

 学長の言葉に諒は言葉も出ない。何より、小学生の頃から師事していた矢島と学長が友人だったということに驚いた。

「どうだい?内容としては怨霊を可能な限り弱らせる。倒せるのなら倒してしまって構わない。君との相性がいい和樹君もいる。この依頼、受けてもらえないだろうか」

「待ってください!」

 学長が最後の一押しとばかりに言葉を紡いだ直後、黙っていた綾子が立ち上がって机を叩いた。諒と和樹はぎょっとして自分たちの担任へ目を向けた。

「言っていることが無茶苦茶です!学院の生徒を怨霊、しかもオーバーSランクの霊に向かわせるなんて!万が一のことがあったらどうするんですか!?私の大事な生徒たちですよ!!」

 綾子は物凄い勢いで言葉を畳み掛けた。諒と和樹は今まで見たこともない担任の剣幕にあっけにとられていた。おまけに、相手は学長である。若干26歳とは思えない言動だった。諒が気付くと、彼女はわなわなと体を震わせ目に涙を浮かべていた。

「ま、まぁ落ち着いてくれ綾子君。応援の霊術師も呼んでいるんだ。そんなに心配かね」

 さすがの学長も戸惑っている様子だった。彼はそんな綾子を両手で制する。ある程度のことは覚悟していたが、涙まで流されるとは思っていなかったようである。

「心配に決まってます!第一――っ!」

 綾子が泣き声交じりに言葉を続けようとすると、諒は一息に立ち上がって彼女の言葉を遮るように担任の肩を押さえた。そして顔を学長へと見据える。学長もそんな彼の眼を見つめ返した。

「やらせてください」

「おいっ、諒――」

「いいんだ。一度は強い敵と戦って自分の力も試してみたかったし」

 戸惑う和樹に諒は微笑む。

「それに俺たちは相性もいいんだ。無理にとは言わないけど、助けてくれると嬉しいよ」

 諒はもう一言そう付け加えた。その言葉を聞くと、和樹は降参したように姿勢を崩して、一拍おく。

「仕方ないな。付き合ってやるよ」

 呆れた顔で、和樹は親友に言葉を返した。「ありがとう」と諒も微笑む。ふいに、諒が綾子に掛けていた手が払われ、今度は彼女が諒の両肩に手を掛けた。

「藤堂くんたち、ほんとにそれでいいの!?死ぬかもしれないんだよ!?」

 泣きはらした声で二人に声をかける綾子の表情は必死そのものだった。余程生徒を危険な場所に向かわせたくないのだろう。それに、諒は姉が亡くなった8歳の頃から何かと世話になっており、彼にとっては二人目の姉のような存在でもあった。諒は微笑みながら彼女の腕に手をかけた。

「大丈夫ですよ。俺たちは簡単には死にやしませんよ。這ってでも帰ってきますから」

「そうそう。だから綾ちゃんは待っててくださいよ。舐めてもらっちゃ困りますよ」

 諒の言葉に和樹もうんうんと頷きながら呟く。綾子は萎れた花のような顔で諒を見、和樹を見てから再び諒を見た。

「ほんとに――、ほんとに大丈夫なの?」

「ええ。だから待っててください、――先生」

 「先生」という諒の言葉を聞いたとたん、再び綾子の目から涙が溢れ出しそのまま俯いて諒の胸に頭を預けた。そんな彼女の体を諒は支える。その様子に「ひゅぅ~」と和樹が口笛を吹いた。

「ちゃんと、ちゃんと帰ってきてね。約束だから」

 綾子は俯いたまま、諒の胸元で手を握り締めて涙声で言う。

「ええ。必ず」

 穏やかな笑顔でそう言って、諒が綾子の頭を撫でていると

「――あー。オホン。いい雰囲気を壊すようで悪いんだが――」

 と、学院長が咳払いをした。その途端、諒と綾子は自分たちが学長室にいたことを思い出して顔を真っ赤にし、咄嗟に離れて慌ててソファーへ座りなおした。

「し、失礼しましたっ」

 綾子が顔を赤くしながらにこやかな笑顔の老人に謝る。諒の左隣では和樹がニヤニヤしていた。どうやらこの二人は、彼らの様子を見て楽しんでいたらしい。

「それは構わないよ。藤堂諒君、本当にいいんだね?」

 綾子を手で制して、学院長は諒へ確認をとる。

「はい。覚悟は出来てます」

 姿勢を正した和樹も後に続くように頷く。それを確認すると、老人はにこやかな笑顔になって頷き、依頼の開始時刻を告げてきた。

「本日2:00から、旧日本霊術研究所下川沿支部に行ってもらうことになる。場所は――」

 そういうと、老人はテーブルの上に予め用意していたであろう地図を広げて場所を指差した。

「ここだ。表向きは、下川沿小学校として運用していた場所だ。ここに先ほど説明した霊がいる。必要な装備は整えてある。それと、あくまで学院の実習として扱うため君たちには学院から特別に支給される自転車でここへ直接向かってもらう。装備はその自転車と一緒に置かれているはずだ」

 学院長の説明がすらすらと進んでいく。旧日本霊術研究所下川沿支部は、10年前まで存在し、県の予算を使い秘密裏に様々な実験を行っていたらしかった。ある一人の被験者がいたと言い、その人物を使って霊術に関するありとあらゆる実験を行っていたらしい。

 現在確立されている契約霊のシステムについても、その研究所による成果であったようだ。どうやらその被験者は優秀な実験対象であったらしい。しかし、非道ともいえる実験方法を繰り返しておりその最中10年前に何らかの事件か事故が起こり下川沿支部は廃止されることとなった。

 当時、施設にいた関係者は全員死亡しており被験者は行方不明となっていたのだそうだ。調査隊を派遣したものの帰って来る者は誰一人としておらず、原因を特定できたのはそれから3年後とのことだった。

「―――その被験者が怨霊となって、施設にいた者を皆殺しにしたんですね……。」

 学長の説明を一通り聞き、諒はその「原因」の答えを口にする。研究者やその関係者の遺体は何とか確認できたものの、被験者だけはどうしても見つからなかったと言うのだ。そして、死亡した者の全員が霊によって殺されていたとのことだった。そうなると、自然と答えが導き出されることになる。

「―――酷いっすね・・・・・・。その被験者というのは誰なんですか?」

 和樹は眉間に皺を寄せつつ、学長へ訊ねる。

「それが、研究所の東京本部に問い合わせたところ『情報の公開は出来ない』の一点張りでな……。他のルートも使って突き止めようとしたが、これといった収穫は得られなかった」

 学長は肘をついて頭を押さえて険しい顔をし、諒たちを見つめる。

「ただ、あの研究所に真実があると私は考えている。今回、特別に立ち入りを許可されたんだ。君たちには、その辺りについても出来る限り調べてみてほしい」

「分かりました――。その、怨霊の退治とのことですが『撃破』といことでいいんでしょうか」

 諒は学長に気になっていたことを訊ねる。「退治」という曖昧な言い方だったからだ。完全に倒してしまうことも出来るし、撃退して追い払うとも受け取ることが出来る。そんな彼の疑問に学長は笑みを作り答える。

「君たちに任せよう。『撃破』や撃退というのもありだが、それ以外の選択肢もあることを覚えていてほしい」

 諒は納得したようなしていないような顔をしてから「分かりました」と答えた。ふふ、と学長は笑うと立ち上がり、手を腰の後ろに組んで諒たちに顔を向ける。

「まぁ、気を引き締めることも大事だが緊張しすぎるのも良くない。いざというときに体が強張って動かなくなってしまうからな」

「――はい」

 諒は唾を飲み込み、学長の目を見つめ返した。


 諒と和樹、それに綾子は一礼すると学長室を出て自分たちの教室に向かって廊下を歩き出した。

 肺のそこから息を吐くように和樹がため息をつく。

「はぁー。学長こえーっ」

「石川くんはその割りに大分リラックスしてるように見えたけど?」

 ぼやく和樹に綾子が呆れ顔で話しかける。その言葉に和樹はじっとりとした目つきになって口を尖らせる。

「綾ちゃんだって諒とイチャイチャしてたじゃんかよー。学長の前でよくそんなマネが出来るよなぁ」

「あっ、あれは――もうっ!」

 彼の言葉に綾子は耳を赤くしてその頭を小突く。和樹は「いてっ」と言って小突かれた自分の頭を撫でる。綾子は視線を諒に向け、ため息を吐く。

「だいたい、諒くんも諒くんだよ。昔っから無理ばっかりして――」

「ははっ。すいません」

 膨れ面で愚痴る綾子に対し、諒は頭の後ろを掻きながら苦笑いになる。この担任には8歳の頃から世話になっており、膨れ面になる癖も見慣れたものだった。頭の裏でそんなことを考える諒をよそに、綾子はまだ膨れ面で諒を見つめていた。そんな綾子の様子をニヤニヤと見つめながら、和樹は自分の両頬をつまんで見せる。

「綾ちゃん、そんな膨れ面ばっかりしてると年取るよ?」

「――こらっ!言わせておけばっ」

 からかう和樹に綾子は掴みかかる。その表情は、どこか楽しげなものに諒には見えた。

 取りとめのない会話をしながら、諒たちはD組の教室へと入る。呼ばれなかった生徒は学院から帰るように言われたらしく、教室には誰もいない状態だった。

 コホンと綾子が咳払いをすると、諒と和樹の方へと向き直る。

「それじゃあ、早速行ってもらうことになるんだけど――大丈夫?」

「ええ。大丈夫です」

「そうそう。だから綾ちゃんは俺たちが帰ってくるの待っててよ」

 彼女の不安そうな問いかけに諒と和樹はそれぞれの態度で答える。短く息をつくと、綾子は表情を引き締めて言葉を続けた。

「学院からの自転車を含めた特別支給品は玄関前に置いてあるわ」

 その一言だけ二人に伝えると、彼女は振り返って教室を出て行く。ふと、一度足を止めたと思うと綾子は顔だけをこちらに向けて付け加えた。

「こんなことしか言えないけど――。頑張ってね、待ってるから」

 最後に笑顔を付け加え、綾子はD組の教室を後にした。諒にはその笑顔は、どこか儚げにも寂しげにも見えたのだった。



 玄関を出ると、言われた通りの場所に学院からの支給品が置かれていた。二人分の自転車があり、そのカゴの中にはコンパクトなバックが置かれていた。二人が中身を確認すると、霊術の行使に必要な霊術札や緊急用連絡端末、懐中電灯や応急処置セットが入っていた。二人はそれぞれ自分の荷物も確認すると、早速自転車の鍵を開けてサドルに腰を下ろす。諒の左肩には霊刀<矢島>の銘を持つ刀を入れた細い布袋が担がれていた。

「しっかし、綾子ちゃんもずるいよなぁ」

 和樹がげんなりとした顔つきになる。

「最後に言ってたあの言葉か?」

「そうそう、それそれ。ったく、どこのマンガかアニメのヒロインだよ」

 諒の問いかけにうんうんと頷きながら和樹はぼやく。諒は苦笑いを返してから自転車のペダルへ足をかけた。

「それはそうと、早く行こう。さっさと片付けて綾子さんを安心させよう」

「それもそうだな」

 諒の言葉にやれやれと首を振りながら和樹もそれに同意し、自転車のペダルに足をかけた。

「出発!」

「オウよ!」

 二人は新たな一歩へ向かって、自転車のペダルを勢いよく漕いで走り出した。


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