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赤き炎の霊術師  作者: ハチカレー
週末の修行編
16/38

第16話 師匠と弟子

 諒が矢島と呼んだ人物は6cmほど彼よりも背が高く大柄でヒゲは剃られており、スキンヘッドになっている。服は黒を基調として、黄色いラインが腕や脚の側面に入れられているシンプルな作りのジャージだ。そのジャージ越しからは、その人物がよく鍛えていると分かる筋肉の盛り上がりが見てとれる。その全身からは、只者ではない気配が発せられているように思われる。

 その人物は諒たちの姿を目に捉えてから、ダイニングテーブルの自身が座っていた席からゆっくりと立ち上がると、扉のところで驚きのあまり立ち尽くしていた諒の元へと歩いていく。

「ははは、暫く見ないうちに随分と背が伸びたもんだな」

「ええ、まぁ――」

 諒が辛うじて声を出すと、矢島は彼の頭をがしりと掴むようにして撫でた。諒は驚きのあまり、されるがままになる。

 一頻(ひとしき)り撫でると彼は満足したのか、頭の上に乗せていた右手を離して腰に添える。その腕の動きは何処か洗練されており、隙が感じられない。彼に撫でまわされたことで髪が乱れていたが、諒は驚きの方が優っていたために直すのを忘れてしまう。

 ふと諒の後ろに立っていた咲耶と松葉杖をつく和樹に視線を向けると、彼は太く芯の通った声で、にこやかに笑って自己紹介を始めた。

「そこの二人は初めてになるな。俺は、矢島信康という。今日、61歳になったばかりだ。『矢島一刀流』創始者で、諒の師匠でもある」

 矢島はそう言って一息つくと、彼の存在感に呆気にとられていた二人は我に返ってそれぞれ自己紹介を慌ててする。

「え、えっと。俺は、石川和樹18歳です。諒とは、10年前の災害の後からの縁です」

「君が、和樹君か。諒から度々聞かせてもらっていたな。災害の後も、何かと助けてもらっていると聞いている。礼を言おう。これからも、諒と仲良くしてやってくれ」

「は、はい。それはもちろん」

 何時になく恐縮しきっている和樹と言葉を交わして満足そうな笑みを浮かべると、今度は諒の左斜め後ろにいる咲耶の方に視線を移した。

 優しげでそれでいて瞳の奥から発せられる、射抜くような眼差しに咲耶は身体を竦ませて、諒の制服の裾を掴んだ。掴まれた裾から諒に、咲耶の身体の震えが微かに伝わってくる。

 そっと顔を後ろの方へ傾けて、咲耶を勇気づけるように視線を送る。

 咲耶はそんな諒の目を見ると、意を決したかのように息を吸い込んだ。

「あたしは、中島咲耶です。こう見えて、一応諒の契約霊をしています」

「ほう、君がか。真田――学院の学長を務める彼と久しぶりに話したときに、その名前を聞いたな。実体化しているとのことだが――諒といて不便はないか?」

「い、いいえ。諒にはとても良くしてもらってます。不便はないわけではないですが――それを補って余りあるものを、彼からもらっています」

 身体の震えは止まらないようだが、それでも咲耶は矢島の瞳をしっかりと見据えて話している。諒にとってはどこかこそばゆいものがあったが、それを言っては場の空気を乱すだろう。そう思って、諒は口を(つぐ)むことにした。

「そうか、そうか。そして、そこの明美君や寮生――。いい友達や仲間を持っているようで安心したぞ」

 二人の自己紹介が終えると、矢島はしきりに頷きながら諒に言葉を向けてきた。

「ありがとうございます。彼らがいなければ、今俺はここにいないかもしれません」

 諒の本音としては、まずあれこれと聞きたいことは山ほどあったがそこを抑えて師へ言葉を返す。そこで、先ほどの会話で引っかかる部分があり続けて質問してみる。

「そう言えば、師匠。真田学長とお会いしたと言っていましたが――それはいつ頃なのでしょうか」

「ああ」

 矢島は聞かれて、思い出したように声を上げる。

「今日、久しぶりに真田のやつと会ってな。その時に咲耶君のことも聞いた。何せ、日本霊術学校時代の同級生だからな」

「そうだったんですか」

 そう答えながら、諒は真田の口から矢島の名が出てきたときのことを思い出す。あれは、下川沿の研究所に関することで呼び出された時のことだっただろうか。彼の懐かしむような瞳を思い出して、諒はどっか得心がいった。

 言葉の外でそんなことを思っていると、矢島が苦笑いをしながら頭を掻いていた。

「まぁ、ちょっと色々あってな。真田には話してなかったんだが――ちっとばかし叱られたよ。妻の方にも話してなかったら、随分と心配させてるだろうな」

「ほんとに、あの時はびっくりしましたよ。道場に行ったら、急に閉まってて他の門下生も戸惑ってたし――由紀さん、大変そうでしたよ」

 諒の言葉に、矢島はさらに申し訳なさそうな表情を作った。

 3年前のある日、諒は学校の帰りに道場へ当時一緒に住んでいた母親に車で大館市釈迦内にある道場まで送ってもらうと、何故か門が閉じられていたのだ。門には「私事ですまないが、道場を閉鎖する」という文言の張り紙があり、その脇では困り果てた表情で門下生やその保護者などとやりとりしている、矢島由紀の姿があった。矢島信康の妻である。

「まぁ、弟子たちは(みな)基本的に自宅から通わせる形にしていたからな。その節については、すまなかった。あまりに急を要したものだったのでな」

 矢島は、その言葉と共に諒へ頭を下げた。彼の運営していた道場では、市内の各学校に通う年齢層の多彩な者たちが門下生として鍛えられていた。距離も様々なため、保護者による送り迎えの形式を基本としていた。その意味では、道場というよりも剣術教室と言った方が良いのではという者もいたが、矢島は道場であることを貫いた。

 矢島の言葉に相槌を打ちつつ、諒はふと疑問に思ったことを口にしてみた。

「そういえば、矢島師匠は何故急に帰ってくることになったんです? こうしてこの寮に来ていますし、その話し方からするとまだ釈迦内のご自宅には帰っていないのですか?」

 そう尋ねると、先ほどまで苦笑いをしていた矢島の顔が切り替わって一見無表情のような顔になった。咳払いをして真剣な眼差しで、諒の瞳を見つめながら彼は話し始めた。

「帰ってくることになった理由の方は、今はまだ言えないが――真田と会った際にお前のクラス内模擬戦を見せてもらってな」

「えっ」

 その言葉に、諒は驚いて思わず声を漏らす。矢島は特にそれを気にする風でもなく、そのまま話し続けた。

「なるほど、俺がいなくなってからの3年間も鍛えていたこともあって確かに強くはなっているようだ。しかし、だ。諒――あの(ざま)は何だ。この3年のうちに、強くなることばかりに気を取られて、俺たちの流派の精神を忘れてしまったか?」

 諒は言われて、先ほどの学校での裕史との模擬戦を思い出す。

 確かにあの瞬間頭に血が上って激高し、今になって考えてみるとあまりに無茶な戦い方をしていたように思う。刀で相手を斬ることで頭が一杯になり、それ以外は何も考えられていなかった。

「『情熱的心』と『清浄な心』――」

 そう言って、諒は矢島一刀流で教えられている二つの精神を思い出してみる。あの瞬間、「情熱」を持っていただろうか――ある事に向かって気持ちが燃え立つという意味では、確かにそうであっただろう。しかし、「清浄」といった意味ではどうだろうか――否。あの時の自分は怒りで心が染まっており、汚れがなく清らかであったとは到底言えないだろう。

 己の心の中で振り返りながら思い当たる節を見つけ、諒は自分の表情がだんだんと強ばっていくのを感じていた。一方で表情とは裏腹に、頭が冷えていく思いもする。

 黙って諒を見つめていた矢島は彼の表情を認めて、再び口を開く。

「どうやら、心当たりがあるようだな。あの時のお前に欠けていたものは、『清浄な心』だ。『清浄な心』をもってすれば心が落ち着いて冷静になり、冴え渡る資格と感覚によって敵を音もなく切り裂いていく――。これが教えだが諒、お前は冷静さを欠いていた。心構えに関する技はお前に教えてはいないが、あのような有様では教えたとしても無駄になるだろうな」

 腕を組み、矢島は諒に対してそんな言葉を口にする。

 ふと、先ほどから黙って二人の会話を聞いていた咲耶が口を開いた。

「ちょっと、その言い方は無いんじゃないですか? 諒はあの時必死で――」

 その言葉に、矢島は咲耶の方を一瞥(いちべつ)した。その視線に、咲耶は一瞬怯む。

「いいんだ。咲耶」

 身を乗り出し、矢島に抗議をしようとした咲耶に対して諒が遮る。諒が彼女の方を振り返ってみると、咲耶は物言いたげな表情をしていた。

 諒は彼女に微笑みかけ、宥めるようにして言う。

「いいんだ。矢島師匠の言う通りなんだからさ。確かに、あの時の俺は冷静じゃなかった。頭に血が上って周りが見えていなかったわけだし。あいつに負けるのも当然だよ。まぁ、それでなくとも実力差は大分あったようだけど――」

 諒はそう言って、模擬戦のことを再び思い返す。裕史は、闇の属性の霊術を駆使して有利な戦いを進めていた。霊術を高校生としては異例の、二つ同時に操る術を見せてもなお彼は冷静沈着かつ余裕を持って戦っていたように思われる。

「で、でも――諒。あいつはあいつで、挑発してきたじゃない。何も諒だけが悪いんじゃないんだよ?」

 思い出しながら沈痛な面持ちになっていく諒に、咲耶が彼の制服の左の袖を握りながら身体を寄せ、覗き込むようにして心配そうな表情で言う。諒は反対の右手をそっと咲耶の左肩に置き、柔らかい口調で彼女に言った。

「確かに挑発してきたのは向こうだけど――それに乗ってしまったのは俺の方だ。そのせいで、冷静さも欠いたし怒りで頭が真っ白になっていたし――。まぁ、咲耶が心配してくれるのはありがたいけど」

「当たり前でしょ? あたしは諒の契約霊なんだよ。心配しないわけ、ないじゃない」

 咲耶は額を諒の左腕に当て、そう呟いた。その表情は隠れて、諒からは窺い知ることは出来ない。しかし、彼女の肩の震えは右手を通して微かに伝わってきていた。

 その震えを感じて諒は袖を掴まれていた方の左手でその右手の甲を包み、彼女の肩に乗せていた右手で更に挟み込むようにして握り、胸元に持ち上げる。

 その行動に驚き、咲耶が思わず顔を上げると彼女を見下ろす諒と視線が重なる。諒が見ると、彼女の目は少しばかり充血しているように思われた。

「ありがとう。咲耶――だけど、俺は大丈夫だから」

 励ますように言って、彼は咲耶のルビーのように紅い瞳をじっと見つめる。

 ほんの少しの間そうしていると、矢島が咳払いをしてそろそろ続きを話したいという態度を取る。

「あっ」

「すっ、すみません――」

 咲耶と諒は慌てて手を離すと、不自然なまでに綺麗な気を付けの姿勢を取って先を促す。諒は自分の頬が熱くなっているのを感じていた。咲耶の方を確かめたかったが、それは何となく躊躇われるような気がしてそのまま矢島の方を見つめる。

 矢島はそんな諒と、隣の咲耶を見比べると溜め息をつくとともに呆れたような表情で再び口を開いた。

「まぁ――何だ。今から諒は咲耶君と一緒に荷物を纏めてくるんだ」

「荷物――ですか?」

「そうだ。今日の晩から月曜日一杯まで、釈迦内の道場でお前を鍛え直す。真田の方にも話は通しておいたから、学校の方は心配しなくていい。何、火曜日の朝になったら学校まで送って行ってやる。ただし、条件がある」

 矢島は一拍置いて、諒の瞳を見据える。

「条件――?」

「『清浄の心』を伴ったお前だけの技を一つ獲得しろ。月曜日までに、だ。それがいつか、お前に矢島一刀流奥義習得のきっかけを作ることになるだろうな。3年前までお前に教えなかったものだ」

「奥義――『熱浄剛流』……という名前でしたよね?」

「そうだ」

 諒の問いに、矢島は鷹揚に頷きながら肯定する。矢島一刀流の奥義であり、流派の教えを内包した強力なものだ。習得は難しく、習得したとしても更にその技を磨き上げていかなければない。「熱浄剛流」はその最終形である。これには4つの型があり、それらを一つずつ習得して初めて、「奥義・熱浄剛流」を獲得出来るスタートラインに立てる。

 諒は奥義の名を聞き、心なしか全身が熱くなっていく思いがした。先ほどの気恥ずかしさとは別の類の熱さだった。

「今回の修行には、俺の契約霊であるフィリーネにも協力してもらう。確か、お前と剣を交わせた回数は1,2回というところだったな。剣に関しちゃ、俺より強いからな。――今、透明化を解くわけにはいかないが……」

 フィリーネとは、矢島信康の契約霊であるフィリーネ・エーゲルという両手剣の使い手である女性のことだ。矢島の言う通りの回数ほどしか彼女とは手合わせをしたことが無かったが、全く歯が立たないどころか完膚なきに叩きのめされた記憶しかない。

 また、契約主である矢島は無属性であるが彼女の場合は炎の属性を持っている。その属性付加による攻撃力は今までに経験したことがないほどの威力を持つ。日本刀と西洋の剣という点での違いはあるが、それを差し引いても諒が戦った中で一番強い相手だった。

 ただ、フィリーネは矢島の弟子の中でも郡を抜いて諒のことを可愛がるあまり度を過ぎた行動をしてしまうことがあった。そのため、矢島は彼女を透明化させたまま控えさせている。

「そうしてくれるとありがたいです……」

 そう言いながら、諒と矢島は互いに苦笑いの表情を作る。諒は諒で決してフィリーネが嫌いというわけでは無いが、透明化を解いて接すれば挨拶代わりとばかりに所構わずスキンシップを取ろうとするため、ほとほと困っていた。

「まぁ、そういう訳だから早く準備してこい。すぐに出るぞ。俺は駐車場に置いてある車に戻ってるから、準備が終え次第出てくるように。シルバーのステップワゴンだ」

 表情を切り替え、矢島は諒の肩を叩くと脇を抜けて玄関の方に歩いていく。

 矢島が玄関から出て行ってから、今までその場で立ち尽くしたまま黙っていた和樹と明美がやっと口を開いた。

「――っぷはぁ。何だよ、あのオッサン。威圧感がすげえな」

「うん。私もびっくりしたよ。諒たちが帰ってくる前に色々話はさせてもらったし、悪い人じゃないのはよく分かるけど」

「あはは――まぁ、俺もあの威圧感みたいなものには流石に慣れない部分があるかな」

 口々に言う二人に対し、諒も肩の力を抜いて笑う。それと同時に、諒は身体から力が一気に抜けていくような感覚を覚えた。久しぶりの師匠との再開で、緊張していたのだろう。

「でもあの人、諒のことよく見てるよね。3年ぶりに一度見ただけで、簡単に今日の模擬戦の悪いところを見破ってた」

 咲耶も会話に加わり、感嘆した声を上げる。咲耶にとっては1ヶ月程度と言えど誰よりも近い距離で彼のことを見ていて、良いところや悪いところに得意不得意なところを間近で見ていたつもりだった。しかし、矢島はそんなことなど関係なく今の諒に足りていないものをいとも簡単に見破っている。

 その事実に、咲耶は少しだけ悔しさを覚えていた。

「矢島師匠には8歳の頃から刀を教わってたからね――あの人には敵わないよ。俺と咲耶はまだ1ヶ月くらいしか一緒に過ごしてないし、ましてや何十年もあの人が生きていることを考えたら――当然といえば当然だと思うよ」

 諒はそう言って微笑みながら、悔しさを覚えて気落ちした表情を見せる咲耶を励ます。

「ってことは、あの浮ついた時期の諒のことも覚えてるってことだよな」

 不意に和樹に言われ、思わずそちらの方に視線を移す。そこには何やら面白げなことを思い出してニヤニヤとしている和樹の姿があった。

「浮ついた時期って――?」

 明美がそう尋ねると、和樹は待ってましたと言わんばかりに話し始めた。

「いや――ね。こいつ、中学の頃に初恋してたみたいでさ。誰なのかって聞いたら、大人の女性だって言うのよ」

「あっ、ちょっと。和樹、その話は待って――」

 和樹の話に心当たりがあり、諒は慌てて遮ろうとする。それは、他の人には知られたくない中学時代の恥ずかしい記憶のことだ。

 しかし、和樹はどこ吹く風でそのまま話を続ける。

「そんで、その女性(ひと)の話を聞いてみると何でも幽霊らしくってさ。金髪が綺麗だの、スタイルがいいだの、剣を振るう姿が綺麗だの、やたらとくっついてくるだの――まぁ、最後の方に関しては困ってる節もあったけど――とにかく、楽しそうに話してきたのを覚えてるな。その人のことを考えると、諒のやつ阿呆みたいな顔になってたんだよな」

 そこまで話されて、諒はもう駄目だと諦める。今でこそ、その女性に対する気持ちは初恋で終わっているし、現在は恋縛の気持ちも抱いていないが中学時代ということも相まって、恥ずかしい記憶だった。

「ふーん……」

 咲耶の何とも言えない相槌の声が聞こえ、諒は背中に刺さる視線に痛さを覚える。

 恐る恐る振り返ると、そこにはやはり半目になって諒を見つめる咲耶と何とも形容しがたい微妙な表情で見つめてくる明美の姿があった。

「――取り敢えず、今日は諒くんと咲耶ちゃんの分は無しっと」

 諒と視線が合うや否や、明美はそそくさと踵を返して台所へと向かう。

「ま、諒にだって初恋の相手くらいいるよね」

 脇に視線を移すと、ブツブツとぼやいて諒から視線を逸らす咲耶の姿がある。

 溜め息と共に再び親友の方に向き直ると、和樹は先ほどと変わらない表情のまま諒の左肩を叩いた。

「この前のお返しだ。悪く思うなよ?」

 トドメと言わんばかりのその言葉に、諒はがくりと肩を落として項垂れるのだった。


 諒と咲耶は4日分の荷物を纏めて明美や和樹に挨拶を適当に交わすと、そのまま玄関を出てまっすぐ矢島の車へと歩いていく。

 彼の車は車道に程近い部分に停められており、その銀色の車体は夕日の光を反射している。

 ある程度近づくと、運転席で待っていた矢島が手招きで合図して後ろの方に乗るように示してきたため、諒と咲耶はそのままステップワゴンの後部座席の方へと向かう。

 車体の左側にあるスライド式のドアを開けて咲耶を先に車に乗り込ませ、すぐに諒も車に乗り込んでドアを閉める。二人がシートベルトを装着して準備し終えると、それを確認した矢島がエンジンをかけて車を発進させた。

「――そう言えば、諒の初恋の人って誰なの? 金髪でスタイルが良いって和樹は言ってたけど……。外国の人?」

 ふと思い出し、咲耶は左隣に座る諒に尋ねてみる。

「ああ――まぁ、そうだな」

 諒は言ってもいいかどうかの判断に迷い、曖昧な返事を返す。事実は事実であるので、どうも否定しづらい部分があった。

「ああ。それ、フィリーネのことだろ」

「師匠!? 何で知ってるんですか!?」

 運転しながら二人のやり取りを聞いていた矢島が、唐突に口を開いたと思えばあっさりと相手の名前をばらしてしまった。

「それって、矢島――さんの契約霊だっていう……」

「そうだ。透明化しているから、見えなくてもすぐそこにいるけどな。俺もフィリーネも最初から知ってたぞ。確かあいつと対面ついでに引き合わせたのは、諒が中学1年のときだったな。1回でコロッといったもんだから、俺たち二人は面白がって見ていたな。フィリーネなんて、『可愛い』なんて言って悶えてたぞ。まぁいつの間にかその初恋も、終わっちまったようだがな」

 咲耶に問われて、矢島は当時のことを思い出しながら簡単に話してしまう。慌てすぎて止めるのも忘れている間に、事実をあっさりと話されてしまい諒はますます慌ててしまう。

「あっ、ちょっと! 師匠、知ってて何も言わなかったんですか!? おまけにフィリにまで知られてたなんて――」

 そう言って、諒は恥ずかしさの余り頭を抱える。「フィリ」というのは、彼がフィリーネと初めて会った時から呼んでいる彼女の愛称だ。

「――ったく。フィリーネ、道場に着くまで我慢してろ。運転の最中に俺のハンドルが狂ったらどうするんだ」

 諒が恥ずかしさで頭を抱え込んでいると、矢島が見えない誰かと何事か話している。恐らく、彼の契約霊であるフィリーネであるのだろう。矢島の言葉から察するに、フィリーネは今にも諒に飛びつかんばかりの勢いであるようだ。

 姿は見えないが、少なくとも3年間の付き合いはあった諒にとってそれは想像に難くないことだった。中学時代に片思いをしていた時期であっても、その点については困らされていたことだ。

 あまりにもスキンシップが過ぎるのだ。ただ抱きしめられるのならば当時の諒は内心喜んで受け入れただろうが、実際には抱きつくどころか身体のあちこちを(いじく)り回られたりやたらと擽られたり――そんなことを過剰に行ってきたのだった。

「――はぁ」

 溜め息を吐きつつ、諒は隣に座る頭を抱えたまま咲耶をちらりと盗み見る。

 咲耶は顔を窓に向けて一見外を眺めているように見えるが、その方は小刻みに震えていた。左手は口元に添えられている。彼女が必死に笑いを堪えていると分かるのに、諒にさほどの時間は必要なかった。

「さ、咲耶さん? 何笑ってるんだい?」

 引きつった笑みを浮かべて身体を起こし、諒は咲耶に尋ねる。ふと身体の震えが止まると思うと、咲耶は彼の方に顔を向ける。

 二人の視線が交わった瞬間、咲耶は遂に耐え切れないといった様子で腹を抱えて笑い始めた。

「ぷっ。ぷはっ、あっははは――。りょ、諒が――片思いってっ……! しかも気付かれてるしっ――」

 咲耶の目元には、笑いすぎたためか涙が溜まっている。諒は恥ずかしさを覚える反面、諦めも覚えていた。

「咲耶――何もそこまで笑わなくてもいいだろうに……」

 シートの背もたれに身体を預けて、諒はただただ脱力するばかりであった。


 数分間咲耶が腹を抱えて笑い続け、やっとそれが収まろうとしていたところに、機を見ていた矢島が運転席から諒に話しかけた。

「初恋と言えば、諒――。お前、今好きな奴はいるのか?」

「好きな人――それは異性で、ということですか?」

「ああ」

 矢島に言われて、諒はそんな人はいただろうかと考えてみる。しかし、今のところ思い当たる者はいない。

「――特に……いないと思います」

 そう答えると、隣の席から咲耶が息をついたような気がして彼女の方を見てみる。しかし咲耶は何でもないといったような表情をしていた。

(良かった。好きな人、いないんだ――ってあれ?)

 咲耶はそう思い、自分の中に湧いて出てきた気持ちに違和感を覚える。彼に好きな人がいないことで何故こんなにも安堵したのだろうか――今の咲耶には、それが分からないでいた。

 そんな咲耶の考え事の外で、矢島と諒の会話は続く。

「そうか――てっきりいると思ったんだがな。まぁ、それはいい。それじゃあ、何があっても守りたいって人はいるか?」

「それは――もちろん、家族ですね。今は母さんしかいませんけど。それと、咲耶ですね」

「ほう。それは何故だ?」

「母さんは唯一残ってる肉親ですし、色々迷惑や苦労をかけてますからね――。咲耶は俺の契約霊になったんですし、今の生活を楽しんで欲しいんです。また、この10年間みたいなことにはなって欲しくないんです」

「――そうか。その気持ち、大切にするんだぞ」

「ええ。それはもちろん」

 そんな会話をすると、車内に沈黙が訪れる。

 沈黙の中、前を向いて車の進行方向を見ている諒の横顔を覗き見ながら咲耶は微かな嬉しさを覚えていた。

(――諒。ありがと。あたしだって、あんたに助けてもらったんだから全力で守る。この感謝はしてもしきれないから――)

 そんな咲耶の胸の内には、暖かなもので満たされているのだった。


 無言の中矢島は車を走らせ、大館樹海ドームを右手に通り過ぎつつ大館市釈迦内の獅子ヶ(ししがもり)に入ろうとしていた。矢島の道場がある場所だ。

 獅子ケ森に入って細い道を進むと、木で作られた立派な門が見えてくる。矢島の道場の正門だ。木は、樹齢数百年程度のものが使われている。

 正門前に車が進んでいくと、門は予め連絡を受けていたのか開け放たれていた。矢島はハンドルを切って車で門をくぐり抜ける。門を抜けた先には何十台もの車を停めておける駐車場があり、その西側には市民体育館にも負けない規模を誇る大きさの練武場が置かれている。正面には門下生がいつでも泊められる宿舎が置かれ、東には矢島の自宅である木造2階建ての住居が置かれていた。

「ははは。随分と綺麗に掃除がされているな」

「矢島師匠が留守の間、由紀さんや門下生の皆で定期的に掃除をしていましたからね。時々、地域のボランティアの皆さんにも来ていただいてましたね」

 3年前と変わらず綺麗にされている様子を運転席から見て、矢島は感嘆の声を上げる。いつか矢島が戻ってくるだろうと信じていた妻の由紀が、諒を始めとする門下生たちを中心に声をかけて2,3週間に一度は掃除をしていたのだ。

3年に上がってから諒は忙しくなっていたため、ここ1,2ヶ月ほどは顔を出していなかったがそれでも変わらず掃除は行われていたようだった。


 適当な場所に車を止めて荷下ろしをしていると、外からの物音を聞いたのか矢島の家の方から一人の女性が玄関の扉を開けて出てきた。

「おお、由紀!! 久しぶりだなぁ!」

 その女性を見るや否や、矢島はそちらの方へと駆け寄っていく。由紀と呼ばれた女性もまた、矢島の方へと駆け寄っていきそのまま二人は包容を交わした。彼女が、矢島信康の妻である矢島由紀だ。

 諒と咲耶が様子を伺いながら荷下ろしをしているところで、信康は暫し由紀との抱擁を続けていた。

 1分程が経ち、信康と由紀は抱擁を解いて互いに視線を交わしあった。

「全く、遅いわよ。信康ったら」

「すまんなぁ。由紀――真田に随分と叱られたよ」

「そう。義之くんが言ってくれたのなら、私からは言うことはないわ。本当は、言いたい文句はたくさんあるけど」

 由紀に言われて、信康は少々たじろいだ笑顔を見せた。

 それから、二人が会話をしている間に1mほど離れた場所で様子を見ていた諒と咲耶の方に視線を向ける。

「ああ、そうだな。由紀は、片方とは初めましてだったな。ここいらで自己紹介といこうか」

 彼女の視線に気が付き、信康は由紀と咲耶を向かい合わせる。

 まず初めに、由紀の方から自己紹介を始めた。

「初めまして。私が信康の妻の、矢島由紀と申します。仲良くして頂戴ね」

 由紀は着物のような服装に身を包んだ姿で一礼をする。その髪は黒く、ショートヘアで切り揃えられており、全体として若く見える。

「由紀はこれでも、俺と同じ年齢だ」

 信康が驚いたように妻を見つめる咲耶に対して、自慢げに言う。そうすると、由紀は「失礼だ」と言わんばかりに信康の左肩を小突いた。

「えっと、初めまして。あたしは藤堂諒の契約霊の、中島咲耶といいます。よ、よろしくお願いします」

 緊張した面持ちで、咲耶は自己紹介をしてぺこりとお辞儀をする。

「ええ。こちらこそ、よろしくお願いします。咲耶ちゃんって呼んでもいいかしら? 私のことは気軽に下の名前で呼んで頂戴」

「は、はい。構いません――ゆ、由紀さん」

 咲耶の返事に由紀は嬉しそうに笑うと、隣に立っていた諒に咲耶のことについて問うた。

「なぁに? 諒くん、いつの間にこんな可愛らしい子と契約してたの? 見たところ、実体化しているように見えるけど」

「ええ。それについては、追々話をしようと思っています」

「そう。それなら、分かったわ。食事は私たちの(うち)で食べるとして――寝泊りはどうするの?」

「久々の道場の再開ですし、宿舎の方に泊めていただこうと思っています。それと、泊まっている間のお金のことは――」

「それなら、気にしなくていいわよ。何の修行をするのか私には分からないけど、その代わり何かしらの成果を出すことがお駄賃――ということでどうかしら?」

 そう言って、由紀は諒の顔を覗き込むようにしながら笑いかける。近くに立つと、諒と由紀とでは年齢の差は彼女の方が上でも、身長の差では諒の方が上であった。

 寸瞬ばかり考えると、諒は笑顔で頷きながら答えを返す。

「ええ。お言葉に甘えて、それでお願いします」

 諒の返事を聞くと、由紀は夕飯の支度のために早速家に戻ろうと踵を返す。

 一歩踏み出して止まり、何事かを思い出したかのように信康に対して言う。

「フィリーネちゃんのこと、咲耶ちゃんに紹介してあげなさい。それと、諒くんにも合わせてあげなさい。あの子が戦い以外で触れ合えるのなんて、この辺の生きている人じゃ諒くんしかいないんだから。早く諒くんに触れたくてウズウズしてるんじゃないかしら?」

 クスクスと笑いながら信康に提案すると、今度こそとばかりに由紀はすぐそこの自宅へ向けて再び歩を進めていった。

 彼女の後ろ姿を見送り、信康はやれやれとばかりに頭を振る。

「まぁ、今のうちに済ませておいた方がいいか。――フィリーネ、出てきてもいいぞ」

 信康が自身の契約霊にそう命じると、その女性はすぐさまに姿を現した。

 その瞬間、赤い炎の中を咲き誇る一輪の美しくも勇ましさを兼ね備えた花が諒と咲耶の視界の前に花びらを広げるのだった。



続く


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