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赤き炎の霊術師  作者: ハチカレー
週末の修行編
15/38

第15話 敗北

 5月14日木曜日。今日はクラス内模擬戦が行われる日である。今月は1,2年生の各クラスも模擬戦を行い、既にAからC組までが月曜日から水曜日まで順に模擬戦を終えている。

 D組では朝のHRが行われた後、早速クラス内模擬戦の対戦相手が発表されていた。

「俺が戦う相手は――」

 組み合わせ表がD組の教室の黒板に貼り出されるや否や、諒は咲耶と共に今日対戦する相手の名前を探す。

 近くでは明美や希などのクラスメイトが組み合わせ表を見つめている。和樹は足の怪我のため、今回の模擬戦は見学することになる。月末に回復霊術を伴う手術が控えており、完治するのは早くても6月中旬、遅くとも7月と言われている。

「ねぇ、諒――」

「どうした? 咲耶」

 諒と一緒になって彼の対戦相手を探していた咲耶が、一瞬息を呑んでから彼の肩を叩いて指差す。

 咲耶の右の人差し指が示す先を見つめてみると、そこには「藤堂諒 対 柳原裕史」と書かれていた。

「なっ――」

 裕史の名前を見て、諒は思わず絶句する。

 組み合わせ表を見て絶句している諒の顔はとても強ばったものになっていた。咲耶は、自身が編入してきた際に彼らが険悪な雰囲気になっていたことや普段から仲が良いとは言えなかった様子を思い出し、諒に問う。

「諒と柳原君って、随分仲が悪いみたいだけど――何があったの?」

 咲耶に声をかけられ、表を睨みつけるように見つめていた諒はハッとして我に帰る。そして、彼女の方に顔を向けると彼はその経緯を説明する。

「ああ――。あれは俺が高校1年の時だったかな。11月の時に模擬戦の学年トーナメントがあってその時に初めて戦ったんだ。ブロック別に分けられた予選に出ることになって、当たったのはAからEまでのブロックの内のAだったな。1年からクラスは同じだったけど、クラス内の模擬戦で戦うことは無かったんだけども――」

「その時の結果は、どうだったのよ」

 微妙に言葉を濁した諒に、咲耶は彼を刺激しないように平坦な口調で尋ねてみた。

「――負けた。完膚なきまでに叩きのめされたよ。あの頃から学年トップで、模擬戦でもとても強いって聞いてたけど、自分では戦ったことが無かったから最初は嘘か何かだろうって思ってた。それが実際に戦ってみると――手も足も出なかったよ。全く何もさせてもらえなかった」

 諒は奥歯を噛み締め悔しさを滲み出させる。その表情は、咲耶にとって初めて見るものだった。ここまで諒が悔しさを滲ませるほどの強さとは一体何なのだろうか。咲耶にとっては、自分を助けてくれた諒をして叶わない実力とは何か。

 咲耶は、以前の希の事件での裕史の様子を思い出しながら諒に再び質問をする。

「逢沢さんを助けてくれたときは、諒よりちょっと強いかなっていう風に思ってたんだけど――。そんなに強いの?」

 その言葉に、諒は難しい顔をしながら頷く。

「強いよ――それも、かなり。2年前に負けたとき、鼻で笑われたっけな。『剣の師事を受けておきながらその程度か』ってね。それ以来、あいつに何とか勝てないかと鍛えたけれど――今日になるまで、一度もその機会は無かった」

 そう言うと、諒は自嘲気味に笑った。2年前には、全く自分の刀が届かないどころか一切近づくことが出来なかった。代わりに、闇の属性を纏った霊術が雨あられと直撃させられただけだ。

 当時は矢島から教わった刀があれば、負けるはずが無いと信じていた。それがあっさり打ち砕かれたとなると、最早今の諒は笑うしかない。

 2年前の模擬戦以来、彼とは険悪な仲のままだ。互いに口を開けば憎まれ口を叩いている。しかし、最近ではそれもくだらない自分のプライドが憎まれ口を叩かせているのではないかと思い始めていた。

 そういったことに決別して、2年前とは違うこと裕史に見せるためにも諒は今回の模擬戦で勝つことを心に固く誓っていた。

――しかし、この時彼は知る由も無かった。柳原裕史は、諒よりもすっと先を見て歩いているということを。依然として埋まらない実力差があることを――


「藤堂くん!」

 対戦相手を確認した後、諒は咲耶と明美と和樹と共にグラウンドに向かうため廊下を歩いていると、後から追いかけてきた希に声を掛けられた。振り向こうとすると、希は彼の肩に両手を掛け、彼の背中に飛びつくように寄り添った。

「ちょっ、逢沢?」

 唐突な事に戸惑い、諒は立ち止まって背中で受け止めながら希の名前を口にする。肩越しに様子を伺うと、すぐ目の前に上目遣いになっている彼女の顔があった。希はつま先立ちをしているのか、諒との顔の距離が近い。

 諒は鼻をくすぐる希の甘い香りに戸惑いながら、彼女に声をかける。

「あの――逢沢? どうした?」

 そう問いかけると希は笑顔になり、次に目を閉じて諒へ顔を近づけた。

「――!!」

 希の艶やかな唇が、諒の左頬に触れる。その瞬間諒は目を見開き、事の推移を見守っていた咲耶たちもそれぞれ驚いた表情を見せた。

 1秒にも満たない頬への口づけをすると、希は顔を離して再び笑顔を作る。その笑顔には照れがあるのか、全体として高潮したものになっていた。

「頑張ってね。藤堂くん。私は、藤堂くんが柳原くんに負けてからどれだけ頑張ってきたか知ってるから――」

 そう言うと今度は諒から身体を離し、両手を後ろに組んでから笑顔のまま顔を傾ける。傾けられた顔と共に、後頭部で纏められたポニーテールの髪が揺れる。

 予期しないことに思考が追いつかないまま諒は何とか返事をしようとしていると、傍らに立っていた咲耶が声を震わせ始め、希に向かって大声を出していた。

「なっ――。なっ、諒に何をするの!? 逢沢さん!?」

 呆気にとられて隣を見ると、顔を真っ赤にした咲耶が希を睨みつけている。咲耶は希を睨みつけながら、わなわなと両手の拳を握り締めていた。

 咲耶の大声で話しかけられると、希は高潮した笑顔を消して彼女の方へと視線を向けた。

「あら――中島さん、いたんですか? あらあら、ごめんなさいね」

 そう言って、希は他人行儀な口調で挑発するような笑顔を咲耶に向ける。それが気に障ったのか咲耶はいよいよ本気で怒った顔になり、希の方へと歩いて行って詰め寄る。

「あんた、その言い方は何よ!? 大体、諒と付き合っているわけでもないのによくそんな事が出来るよね!!」

「あら。私は藤堂くんが好きだと何度も言っていませんでしたっけ? これくらい当然のことですよ」

「当然って――諒の気持ちはどうするのよ! その気がなかったら一体どうするつもり!?」

「藤堂くんにその気がなくても、私は先ほどみたいにしてその気にさせるだけですよ」

 怒りが収まらず希に詰め寄る咲耶に対して、希は淡々と当然のように答えていく。

「あんた、本気で言ってるの?」

「ええ、それはもちろん。それとも、何ですか? 貴女は私にヤキモチでも焼いているのかしら?」

 希はそう言ってからかう様な目つきで見やると、咲耶はついに堪忍袋の尾が切れたかのか右の手のひらを振り上げた。

(――まずい!!)

 二人の様子を見ていた諒はそう思い、咲耶に駆け寄っていく。咲耶の右手が希の頬を捉えようとした瞬間、諒は後ろから自身の右手で咲耶の右腕を掴み、左腕を彼女の腰に回して希との距離を空ける。

「咲耶。俺のことで起こってくれるのは嬉しいけど、これ以上はダメだ」

「でも、諒。この女、あんたのこと――」

「分かってる。こうやってストレートに言ってくれてるからね。――逢沢も、その気持ちは嬉しいけど人前でこういう事は出来ればやめてほしい。人の目もあるし、今みたいに咲耶も怒るし――」

 咲耶をなだめながら諒は希にも言葉を向けると、希は一拍置いてからどこか寂しげな笑みを浮かべた。

「――そうね。藤堂くんがそう言うのなら……。でも――そうね。あなた達がそうやって仲良くしていると、私もつい嫉妬しちゃうのよね」

 そう言われて、諒は希の向ける視線の先を辿るように追ってみる。

 彼女の視線の先には、諒が今にも暴れだしそうな咲耶を抑えるために強く腰を抱きしめる左腕と、咲耶の右腕を抑える自身の右腕があった。当然諒の胸と咲耶の背中は密着し、咲耶の髪から漂う甘い匂いが諒の鼻腔を刺激していた。

「――あ」

 諒は自分が今ある状態に気付くと、今度は耳の辺りが熱くなっていくのを感じていた。周りを見回すと、松葉杖を付きながら呆れ顔で笑っている和樹やどこか気に入らなそうな表情をしている明美がいる。

(あれ、明美ってあんな顔したっけか?)

 そう疑問に思いつつも視線を動かすと、近くを通り過ぎていく何人かのクラスメイトの姿もあった。彼らもまた、十人十色にくすくすと笑ったり複雑そうな表情をしたりして通っていく。

「――諒。もう、いいよ……」

「あっ――と。ごめん、咲耶……」

 咲耶に言われて、諒は彼女から離れて拘束を解く。咲耶は拘束を解かれると、先程まで諒に掴まれていた右腕を垂らした左腕の方に回して、顔を赤らめながら俯いた。その顔色は、怒りで赤く染まっていた時とは違って恥ずかしさから来ているように諒からは見えた。

「止めてくれて、ありがと。諒……。それと――逢沢、さん――ごめんなさい」

 咲耶は諒に礼を言い、希には謝罪の言葉を述べる。その声には、申し訳なさと少しばかりの恥ずかしさが入り混じっているように見えた。

 複雑な感情が入り混じったその表情を見て希は溜め息をつき、言葉をかける。

「貴女は何も悪いことはしてないわよ。元はと言えば、私が挑発するようなことを言ったからだし――こちらこそ、ごめんなさい」

「でも――」

「だから、仲直りの印にお互いに下の名前で呼び合うのはどうかしら?」

 彼女の提案に驚き、咲耶は希をまじまじと見つめた。

「え――?」

「本当は――貴女とも友達になりたいって思ってたけど……。藤堂くんのことになると、つい――。先月は、貴女にも助けられたわけだしね。――どうかしら?」

 そう言って希は、咲耶の表情を伺う。希の表情には、どこか不安げなものが混じっている。

 暫く咲耶は希と見つめ合うと、一つ溜め息をついてやれやれといった様子で笑った。

「そう、ね――。いつまでも喧嘩をしてるわけにもいかない……ね」

「それじゃあ――」

「うん。よろしく、希さん」

「こちらこそ、よろしくね。咲耶さん」

 咲耶と希は互いに笑い合うと、互いに右手を差し出して握手をした。

 そして握手を済ませると、希は1限目から模擬戦があるからと諒たちより一足先にグラウドの方へと早足で歩いて行った。

 希を見送る咲耶の表情は、どこか晴れ晴れとしたものに変わっている。

 短い時間で起こった出来事に諒は呆気に取られ、黙っていた和樹と明美もただただ驚くばかりであった。


「なぁ、諒――」

「何だよ? 和樹」

 クラス内模擬戦も4限目に入った頃、自クラスの対戦をグラウンドの端で見ていた諒に和樹が話しかける。和樹は2本の松葉杖を傍らに置き、背もたれのあるベンチにもたれかかっていた。 咲耶は明美と共に、30m離れた場所で話をしている。

「お前、希ちゃんのことどう思ってんの?」

「何だよ、急に」

 和樹の不意の問いに、諒は思わず聞き返す。どうやら、今朝の廊下での出来事を和樹は思い出しているようだ。

 無言のまま答えを待つ態度を取った和樹を見て、諒は希のことを考えてみる。

「――うーん。髪は綺麗だし、顔立ちもよく整ってて可愛い人だなと思う。素直に気持ちをぶつけてくれるのは嬉しいかな――」

 希の表情や言動を思い出しながら、諒はそう呟いてみる。彼の言葉に、和樹は視線を試合の方に向けたまま諒に再び問いかけた。

「それじゃあ、希ちゃんと付き合うのか?」

「それは――分からないな。今はまだ、何とも言えないな」

「もし付き合うことになったとして、咲耶ちゃんや明美ちゃんとはどうするつもりなんだ?」

「――そこで何で明美が出てくるんだ?」

 和樹の口から明美の名前が出て、諒は何故なのかが分からずに聞き返す。咲耶は自分の契約霊であるから当然として、明美の名前が出てきたことに彼は疑問を覚える。

 そんな諒の態度に対し、和樹は暫く口をぽかんと開けたまま呆けた表情をしていたかと思うと、次には呆れたように溜め息をついていた。

「……はぁ――。こりゃ明美ちゃんも大変だな……。咲耶ちゃんは――まだそんなことは考えてないようだけど」

 和樹はそう言って頭を抱えて、諒には聞こえないように一人で溜め息をつきながらつぶやいていた。


 そうこうしているうちに今対戦している組み合わせが終わり、ついに諒と裕史で模擬戦を行う順番が回ってくる。

 霊術の授業の担当であり3年の模擬戦の審判も務める石田に呼ばれると、諒は軽い準備運動を始める。

「頑張れよ、諒。お前が頑張ってんのは俺もよく知ってるからな」

「おう。ありがとうな、和樹」

 そう言って諒は笑うと準備運動を終えて、霊刀「矢島」を携帯用の布袋から取り出して腰に提げる。そして模擬戦を行う場所へと歩き始めた。

 模擬戦用に展開された特殊な結界の中に、諒と裕史はそれぞれ入っていく。

 試合の開始位置にそれぞれ立つと、二人は互いに睨みつけるような形で対面する。

「ふん――。藤堂――お前は俺相手に、勝てるとでも思っているのか?」

「はっ。そう言うお前こそ。2年前のあの時とは違うんだ」

 鼻で笑って睨みつける裕史に対し、諒も睨みつけて提げた刀に左手を添えながら言葉を返す。

「そうか――。そう言っていられるのも、今のうちだな」

 目を閉じ、そう呟きながら裕史も構えを取る。彼は両手には何も持っておらず、一見すると全くの素手のように見える。しかし彼は、霊術師や学院の中でも珍しく霊術札を介さずに霊術を発動することが出来、確認例がすくない闇の属性の霊術を使うことの出来る逸材である。

 2年前の対面で諒はそれらを自分の目の前で見ており、尚且つ圧倒的な実力差を見せつけられている。柄に手を伸ばしつつ、諒はその事を頭に過ぎらせて思わず唾を飲み込む。

 二人の準備が整ったことを確認すると、石田が合図をする。

「それでは――試合時間は12分。どちらか一方が場外に出るか、あるいはダウンか降参した場合はその方を負けとする。時間切れの場合は、こちらで勝敗の判定を行います。――試合、開始!」

 石田の合図と共に諒は素早く抜刀して両手で構え、「業炎跳」を発動させて突っ込む。自身の足元で発生させた炎がブースターの如く諒の身体を押し出し、裕史の方へと突っ込ませていった。

「はあっ!!」

 諒は裕史の斜め上の方向に飛び出すと「業炎跳」を止め、霊刀「矢島」を一息に振り下ろす。しかし、裕史はそれを見越していたかのように軽い身のこなしで彼の攻撃を左に避けた。

「距離を詰めて近接戦か――。いいだろう。付き合ってやる。――我が闇よ。敵を切り裂く刃をこの手に。――漆黒ノ太刀!!」

 そう言ながら裕史が詠唱をすると、彼の右手から黒い闇の霊的エネルギーが溢れ出す。やがてそれは西洋に見られる太刀のような形をとり、彼の身の丈程はあろうかと思われる漆黒の刃を形成した。

 裕史はその黒い刃を楽々と片手でひと振りし、左半身を前にして構えた。

「それなら――。炎よ、我が刃に火の加護を与え賜え――炎熱斬!」

 裕史に上方からの斬撃をかわされた諒は3mほど離れた場所に着地すると、彼の「漆黒ノ太刀」を見て自らも霊術を発動させた。

 両手で構えた「矢島」の刃の部分に、霊的エネルギーで作られた炎が纏われていく。やがて炎が刃を包むと諒は裕史に向かって駆け出し、次の攻撃を繰り出す。

「はあああっ!!」

 彼は裕史を捉えると炎の刃を振り上げ、右上から左下に向かって一閃するようにして振り下ろす。

「ふんっ!」

 今度はかわすことをせず、裕史は漆黒の刃で諒の「炎熱斬」を受け止める。そのまま鍔迫り合いとなり、諒と裕史は至近距離で睨み合った。

「はっ――藤堂。粋がっていた割りには大したことが無いな。それでよくあの悪霊と契約出来たもんだ」

「何だと!!」

 嘲笑うかのように言う裕史に、諒は思わず頭に血が登る。

 その事に気を取られていると裕史は軽々と諒の刀を振り払う。

「ぐっ、重いっ!」

 裕史の漆黒の刃は見た目とは裏腹に、相当な質量を獲得しているようだった。振り払われた際に刀から伝わってくる衝撃に思わず声を漏らしながら、諒は後ろへ飛びずさる。

「やはり、2年程度じゃ所詮こんなものだな。なるほど、だから貴様は石川を盾にして中島と契約が出来たわけだ」

「言わせておけばっ!!」

 裕史が和樹のことを引き合いに出して馬鹿にしたような表情と共に挑発すると、諒は一気に頭に血が登り、いよいよ怒りを抑え切られなくなっていた。

 諒は「炎熱斬」を維持したまま、再び裕史に向かって斬りかかろうとする。しかし再び命中させることは叶わず、黒い太刀で受け止められてしまう。

漆黒拳(しっこくけん)!!」

 裕史はその状態で何事かを口にすると、いつの間にか握り締めていた左の(こぶし)に闇の霊的エネルギーが急速に纏われていく。

「なっ! 霊術を2つも同時に!?」

 それを見て諒は衝撃を受けると共に、「漆黒拳」の距離から離れるために後退りをしようとする。多くの場合、高校生くらいの年齢で霊術を2つ同時に扱える者は例が少ない。身体が成長途中であることや、簡単に出来る技術ではないことから高校生以下の年齢では使えないことがほとんどなのだ。諒は、裕史がまさかそのような事が出来るとは夢にも思っておらず、衝撃を受けていたのであった。

「甘いぞ!」

 裕史のその一言と共に、「漆黒拳」が諒の腹部に命中する。その瞬間、彼の手に纏われた闇の霊的エネルギーが波打ち、一気に諒の身体を後方へと吹き飛ばした。

「ぐあっ!」

 為すすべもなく、諒は抵抗することも出来ずに吹き飛ばされた。

 剥き出しの土の上を転がり、諒は全身を打ち付けていく。そのまま場外に転がり出るかと思われたが、すんでのところで踏ん張ってブレーキを掛けて免れる。

 うつ伏せになった状態で諒が顔を上げると、視線の先には自身が転がってきた跡がくっきりと残り、その辺りを土埃が空気中に舞っていた。「炎熱斬」の方は衝撃によって、諒からの霊的エネルギーの供給が止まったために消えていた。

「どうした? それでもう、終わりか? 温いな」

 裕二の挑発に、諒の中は怒りで満ち満ちていく。土埃も払わずによろよろと立ち上がると、鋭い眼差しを裕史に向けながら「炎熱斬」を発動し直す。

「ふざけるなあああッ!」

「ふん――」

 すっかりと怒りで我を忘れてしまい突っ込んでくる諒に対して、裕史は冷たい眼差しを向けて鼻で笑い、次の霊術を発動させる。

「紫の炎よ。我が闇の(ことわり)において、敵を焼き払え――紫黒業火(むらくろごうか)

 詠唱と共に、「漆黒拳」を解除した左手を向かってくる諒に向ける。今度は彼の手のひらの前で紫と黒の混じった塊を僅か数秒で形成し、次の瞬間には彼の手を離れて撃ち出されていた。

 塊は諒に向かって真っ直ぐ飛び、彼に命中すると轟音と共に爆発を起こした。

「ぐああああっ!」

 正面からまともに食らってしまい、諒の身体はまた後方へと吹き飛ばされてしまった。

 背中を地面に打ち付け、諒は肺の中の息を吐き出す。

「く……そっ!」

 仰向けの状態から起き上がり、霊刀「矢島」を片手に何とか立ち上がる。怒りに満ちた心の中で、未だ諒は諦めていなかった。

 刀を構え直し、裕史の方へ再び駆け出そうとする。その様子を見て、裕史は溜め息と共に次の霊術を発動させた。

「これで終わりにしてやる。我が闇の霧。其の者に纏え」

 詠唱と共に裕史の周りに黒い霧が発生する。裕史の右手からは「漆黒ノ太刀」は消え、それを構成していた霊的エネルギーは黒い霧の中に混じっていった。

 裕史が片手を上げると、その霧は諒の身体に瞬く間に纏わりついた。

「――黒霧爆裂破(こくむばくれつは)……爆ぜろ」

 諒の身体に霧が纏わりついたことを確認すると、裕史はそう呟いた。その瞬間、黒い霧が連続して爆発を起こし始める。その爆発の衝撃によって、諒は息をつく間も無く次々に大ダメージを受けていった。

「うわあああっ!!」

 堪らず諒は悲鳴を上げ、爆発をその身に受けていく。試合用の結界や霊的防護が施されている制服によってダメージはいくらか減衰されていたが、それで霧から発生する爆発のダメージを抑えきることが出来ない。

 1分ほどで爆発はだんだんと収まっていく。

 やがて爆発が完全に収まり、黒い霧が晴れていく。それと同時に諒は気を失い、その場に倒れ込んでしまうのだった。

――試合開始から諒の敗北まで、それは僅か5分ばかりの出来事であった。


 諒が目を覚ますと、彼の目に白い天井と見慣れたカーテンが映り込む。どうやら、学校の保健室に寝かされているらしいと気付くまで、そう時間はかからなかった。

「――諒!!」

「藤堂くん!」

 諒が目を覚ましたことに気が付き、ベッドの傍で座っていたらしい咲耶と希が彼の顔を覗き込む。二人とも、諒のことを心配していたのか心底ほっとしたような顔をしていた。

「咲耶……、逢沢……」

 彼女たちの顔を見て、諒は二人の名前を呟く。

「模擬戦……は?」

「お前の負けだ。諒」

 模擬戦の事を思い出して呟くと、少し離れた場所から和樹が話しかけてきた。彼は咲耶たちから少しばかり距離をとった位置に椅子を置き、諒の方を見ていた。

「そうか――負けたのか……」

 諒はそう呟くと、左腕を額の上に置く。身体を動かした際に、受けたダメージの痛みは感じなかった。結界や制服によって守られたのか、あるいは回復霊術によるものなのだろうかと諒は推測した。

「ったく。お前らしくもない戦いだったぞ。無茶して突っ込みやがってよ……あの後騒ぎになって大変だったんだぞ」

「騒ぎ……?」

「ああ。柳原の奴がよく分からん霊術をぶっ放したと思ったら何度も爆発が起こって、お前がぶっ倒れたんだ。今回は模擬戦だったから良かったけど、一歩間違えたら命に関わるくらい危なかったって葉子ちゃんが言ってたぞ」

「葉子さんが……?」

 和樹の話を聞き、諒は確認するように咲耶と希に視線を向ける。彼と視線を交わすと、二人とも和樹の言う通りだと頷いた。

 会話をしていると、ベッドの周りを囲むようにして閉められていたカーテンが音を立てて開く。そこには、仕事着として白衣を着ている葉子の姿があった。

「ほんと、諒くんったら――結構危ない霊術を受けてたみたいで、危なかったんだよ?」

「危なかったというのは――」

「柳原くんが使ったのは、彼が使う霊術の中でも2番目くらいに厄介なものです。おまけに結界内で威力の減衰があったのに、それでも威力を抑えきれないほど強力なもの。諒くんはあれを受けて、打撲や火傷をたくさんしてたんですよ」

 いつもおっとりとした印象がある葉子だが、この時はいつもと違って真剣な眼差しで諒に説明をしていた。

「今は痛みが全くないですけど――これは葉子さんが? というか、あれからどの位経ってるんです?」

 そう尋ねる諒に、ふふっと葉子はいつもの調子に戻って笑顔を見せた。

「あれから2時間くらいかな――もうすぐ、模擬戦は全部終わるはずですよ。こう見えても私、回復霊術は得意中の得意なんですから」

 そう言って胸を張る葉子に、諒は驚きの表情を見せる。にわかには信じられず、傍らの咲耶や希、和樹の方に目を配らせた。

「ああ。たしかに凄かったな。葉子ちゃん、伊達に保険の先生をやってないね」

「あたしもビックリした。葉子先生、あっという間に諒の傷を治していったもん」

「私も驚いたわ。おまけに、詠唱一つであそこまで色んな使い分けが出来るなんて――」

 そう言って和樹と咲耶と希は三者三様に感想を述べる。それを聞いてどうやら本当らしいと、諒は信じることにした。

 諒は礼を言おうとして、すっかり傷の治っているらしい身体を起こすと右手が握られている感覚を覚える。自分の右手を見てみると、咲耶と希の二人の手が諒の手を握っていた。

 まじまじと咲耶と希の方を見てみると、二人は諒の視線に恥ずかしさを覚えて各々に手を膝の上へと引っ込める。咲耶にはこんな風にして手を握られるとは思っておらず、希の方は手を握る以上に何かしてくるのではないかと若干の警戒をしていただけに、二人の反応に諒は微かに戸惑いを覚えた。

「――はは。二人とも、ありがとう。それと、葉子さ……先生。ありがとうございます」

 そう言って諒は咲耶と希、それに葉子に対して感謝の言葉を述べて頭を下げた。

「わわっ。諒くん、そんな。いいよ、お礼なんて。私は出来ることをしただけだから」

「それでも――葉子先生の回復霊術が無かったら、今頃病院送りだったかもしれません。だから、お礼を言わせてください」

 礼を言われて慌てる葉子に、諒ははにかみながらももう一度礼を言う。

 彼に二度も礼を言われ、葉子は少しばかり照れ臭そうにして頬を赤くしていた。

「そう――そう言ってくれるのなら、私も治したかいがあるのかな」

 葉子は呟きながら、嬉しそうな仕草を見せる。この人のこういう仕草は中々可愛いらしいなと思いつつ、諒はふと先ほどから見当たらないもう一人のことについて咲耶たちに尋ねる。

「あれ――そう言えば、明美は今どこにいるんだ?」

「ああ、明美ちゃんなら邪魔したら悪いって言って帰ったぞ。自分の模擬戦が終わったら、その後観戦するのもいいし各自で帰るのも自由だからな」

 彼の疑問に、和樹が口を開いて答える。同意を求めるように和樹が咲耶と希に目を合わせると、二人はそれぞれこくりと頷いた。

「明美も相当心配してたよ? 諒に何かあったらどうしようって」

 諒の方へと向き直り、咲耶は彼の顔を覗き込むようにして話した。隣では、同意するように希がまた一つ頷いている。

「それじゃあ、何で邪魔しちゃ悪いなんて――というか、何の邪魔なんだ?」

 諒はその経緯が理解出来ず、心底不思議そうな表情で疑問を浮かべる。そうすると、不意に和樹の溜め息が諒の耳に伝わってきた。

「――諒。お前な……」

「……諒の鈍感」

「咲耶さんの言う通りだわ……」

「?」

 和樹の後に続いて、咲耶と希がそれぞれ呆れ顔で呟いている。諒はわけが分からず、助けを求めるように葉子の方に視線を移してみると、やはり彼女も3人と似たような表情をしていた。

「あはは――。まぁ、明美ちゃんは第1学生寮にお客さんが来てるのもあるし……」

「はぁ……」

 何とも曖昧な言動に、諒としてはただただ困惑するしかなかった。


 その後、葉子に身体を調べてみてもらったところ異常は特に見つからなかった。

 諒は三度葉子に礼を言い、帰途に着くことにした。葉子は謙遜していたが、諒にそんなことは関係が無かった。

 校門を出て左手の信号付きのT字路まで諒と咲耶と明美は希と共に歩き、希は西の方に家があるからと横断歩道の前で別れた。

 そうして他愛のない雑談をして、第1学生寮へと帰り着く。

 扉を開けて玄関で靴を脱いでいると、台所から物音を聞いた明美が歩いてきた。夕飯の準備をしているらしく、制服にエプロンという出で立ちだ。

「あ、諒くん。お帰り。身体の方はもう大丈夫?」

「ああ。葉子さんのおかげで、もうバッチリだよ」

 迎え入れながら心配そうにする明美に対し、諒は右の肩を回すようにして不調はないことを伝える。それを聞いてほっとしたように笑顔になると、次には緊張した表情に切り替えて声を潜めた。

「諒くん。あなたにお客さんだよ。かなり久しぶりに会うんじゃないかな?」

 明美に言われ、諒は玄関に置かれている靴を見やった。ふと、そこに見慣れない靴が一足だけあることを確認して明美の方へと向き直る。

「分かった。今どこにいる?」

「ダイニングだよ。結構いい人みたいだけど、ちょっと緊張しちゃったな」

「へぇ……」

 明美の話を聞き、果たしてそんな人が知り合いにいただろうかと思いながら諒は台所と一緒に1階に置かれているダイニングへと、咲耶たちと共に歩いて行った。

 諒の前を歩く明美がダイニングへの扉を開くと、そこには3年ぶりに再会となる人物が座っていた。

「よう。諒――元気にしていたか?」

 扉の音を聞いてテーブルを囲む椅子の一つに座っていたその人物が、背にしていた扉の方へと振り返り、「やあ」と言わんばかりに手を上げた。

 その人物の姿に驚きを禁じ得ず、諒は思わずその人物の名前を驚愕の声と共に口にした。

「なっ! や――矢島師匠!?」

 諒の言った名に、彼の後ろで様子を見ていた咲耶と和樹も驚いて目を見合わせる。

 矢島と言われたその人物は「ははは」と朗らかに笑いながら、しかし3年ぶりに再会した弟子の顔を感慨深げに眺めていた。



続く


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