表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
赤き炎の霊術師  作者: ハチカレー
ゴールデンウィーク編
14/38

第14話 風と思春期と本と

 学院では保険教師もしている葉子が帰ってきたのは、夕方のニュースが終わって寮にいる3年生の諒たちが夕食を終えた後のことだった。帰ってくるなり、諒たちと一言二言交わしながらも早々に自室である205号室へと向かっていった。

 葉子は何でもないような顔をしていつものように柔らかく笑っていたが、諒が彼女の手に持つものを見る限り、何らかの書類を片付ける仕事であることは何となく察しがついた。明美から予め桂城公園での事件に関する会議があったと聞いていたので、おそらくその事に関するものなのだろうと推測した。

「葉子ちゃん、大丈夫かなぁ?」

 そう言っているのは、未だ松葉杖が欠かせない状態の和樹だ。諒と咲耶、明美と敦らと共に彼の部屋である105号室に集まっていた。和樹はベッドの上に腰を下ろし、松葉杖は傍らに置いている。諒たちの方は、各々彼のベッドの近くの床に座っていた。

「やっぱり、和樹もそう思うか?」

 彼に同意するように、諒も口を開く。葉子が帰ってきた時には、時計は午後の7時半を周り諒たちが彼女の帰りを待ちながら団欒していたときだ。玄関の戸が開く音がすると、今度は慌ただしい足音がダイニングの方へと向かってきたのだった。

 綾子と外で食べてくるという連絡を受けていたので、彼女の分まで夕食は用意されていなかったが、帰りを待っていたのはそれとは別に学校での会議のことが気になっていたからだった。

「あたしもそう思う。葉子先生、いつもみたくフワフワした感じで笑ってたけど――ちょっと元気なかったな」

 咲耶も頷き、葉子のあの時の表情を思い浮かべる。

「仕事の書類って言っても、そんなに大した量じゃなかったみたいだし――学校で何かあったんだろうけど……」

 明美も首を傾げるが、心当たりが見つからない。

 ふと、黙って4人が話す傍らで何事かを考えていた敦が不気味に笑い始めた。

「おい、敦――。急に笑い始めてどうした? 何か変なものでも食ったか?」

 不敵に笑いながら肩を揺らす敦に、和樹は君の悪さを覚えて尋ねる。他の3人も和樹の言葉で敦の笑いに気づき、思わずそちらを見やった。

「いやぁ、ねぇ――。アタクシ、学校の噂を色々集めるのが趣味でして――。その噂の中に、葉子先生のことがあるんだよねぇ」

 にやにやとしながら、敦は周りの4人を見回す。彼らは若干引き気味になりながらも、敦の話に興味を示して先を促している。その事を確認すると、敦は小さく咳払いをしてメガネのずれを右手の人差し指で直してから、先を話すため息を吸った。

「ほら、沢村弘っていう今日の事件で捕まった学院生がいるだろう? 彼、高校の1年のころから葉子先生に何かとお世話になってたんだってさ。葉子先生はマイペースでいて優しいところがあるから、ウチの寮の寮生もそうだけど他の生徒も何かと気遣ってくれてるだろ? 彼はその他の生徒のうちの一人なんだってさ」

 敦の話を聞き、4人はそれぞれ合点のいったような表情を作った。

 明美は普段の姉の様子を思い出し、頷きながら口を開いた。

「そういえばお姉ちゃん、いつも誰かのことが気になってしょうがないってところが昔からあったな。あんまり、気を遣いすぎて何か問題が起こったときに損したりショックを受けて凹んだりするところが玉に瑕だけど――」

 そう言いながら、明美は呆れながらも微笑みを見せた。姉のそんな一面が、明美は嫌いではなかった。

「その割には、俺に対して結構適当なところがある気がするけど――」

 明美の言葉に、和樹は不服そうな顔で異議を唱える。明美はそれを聞くと、途端に苦い笑いを示した。和樹に対して、諒も苦笑いをしながら少しばかりからかってみる。

「和樹は――まぁ、俺と一緒の部屋だったときにクローゼットに18禁のエッチな本を隠してたもんな。分かる気がする」

「いや、そこは分かるなよ!? っていうか、それは言わない約束だったろ!?」

 思ってもみない親友からの暴露に、和樹は突っ込みを入れながら焦りの色を浮かべる。彼が言ってからハッとして周りを見ると、諒の隣にいる咲耶とその隣にいる明美がそれぞれ顔を赤くしたり、蔑むような目で和樹を見たりしていた。敦は既に知っていたらしく、くつくつと笑っている。

「それは、俺たちがルームメイトの間だけの約束だろ? 仮にバレても死ぬわけじゃないし、大丈夫だろ」

「それ、フォローになってないぞ……」

 諒の言葉に、和樹は項垂れながら思わずぼやいた。諒の発言に対して一言も否定しなかったことが、運の尽きだった。下級生の寮生たちは帰ってきていなかったために彼らには知られずに済んだが、和樹の持つ本のことについて知ることとなった咲耶と明美からの視線は、彼にとっては中々痛いものであった。

「咲耶さんと明美さん、和樹の本のことについては何か知ってた?」

 各々の表情をしつつ冷たい視線を和樹に送る咲耶と明美に対し、敦は彼の本について尋ねてみる。二人とも事実を聞かされながらも、あまり驚いていなかったからだ。

「あたしは――この寮に住むことになった時に薄々知ってたけど」

 咲耶は、和樹の荷物を105号室へ運ぶ時の作業を思い出しながら頬を赤らめながら答えた。

「私は……そうね。和樹くんの私物なんて知らないけど、たまにグラビア本を持ってるのを見たから、そういうのも持っててもおかしくないなって思ってた」

 一方の明美は溜め息をつきながら、呆れ顔で告白する。

 二人の答えを聞くと、敦は再びくつくつと不気味な笑いをしながら和樹を見やる。諒の方は呆れ半分に笑いながら親友の隣に歩んで腰を下ろし、彼の左肩に右手を置いて慰めるような素振りを見せた。

「何かもう、どうでもよくなってきた――」

 咲耶たちの三者三様な痛い視線を身に受けながら、傍らにやってきた諒に肩に手を置かれると和樹は諦めて降参するように頭を垂れるのだった。



 それから3日後の5月7日木曜日、ゴールデンウィークは終わりを迎えた。昨日には旅行や帰省をしていた下級生たちが戻って来、第1学生寮は連休前の騒がしさや慌ただしさも戻ってきていた。

 諒たちは時間になると各々学校へ登校し、自分たちのクラスの教室へと向かっていく。同じクラスである諒と咲耶、和樹と明美はそれぞれ数日ぶりに会うクラスメイトや友人と挨拶を交わしながら、朝のHR(ホームルーム)に備えて各々の席についた。

 数分後、諒たちD組の担任である綾子が教室に入ってきて教卓の前に立つ。諒や咲耶たちが彼女の顔を見るのは、実に3日ぶりとなる。

「おはようございます。皆さん、ゴールデンウィークの宿題はきちんとやってきましたよね? 明日には現国の授業がありますから、ちゃんと出してくださいね」

 黒いセミロングの髪を揺らして生徒たちを見回しながら、綾子はいつもの柔らかな笑顔で挨拶をする。彼女の言葉を聞くやいなや生徒たちは近くの席の者と互いに話し始め、教室全体が一気に騒がしくなっていく。

「やべっ、今日の課題忘れた!」

「ねぇ、そっちは宿題やった?」

 高校生ともなれば、どこかで聞いたことのあるような会話が教室のあちこちで飛び交っている。綾子は話の続きがあるのか、生徒たちをなだめながら静かになるのを待っていた。

 先ほどの喧騒があっという間に無くなっていくと、綾子は真剣な顔つきになって連絡事項を話し始めた。

「早速ですが、ゴールデンウィーク中に起こった事件のことは皆さん知っていますね? そのことについて、緊急の全校集会があります。10分ほどで終わりますが、大事なお話をこの大館分校の校長先生がされます。それでは、至急体育館の方に集まってください」

 体育館は大館分校の東西に伸びる校舎の東側に位置している。生徒の教室棟から東に廊下が伸びており、途中でT字路に分かれて北側が体育館となっている。南側のグラウンドに面する方は、屋内訓練場だ。どちらも広さとしてはあまり変わりがないが、体育館は屋内スポーツに向いた造りであり、屋内訓練場は霊術の訓練に向いた造りとなっている。

 綾子が話し終えて生徒に合図を送ると、D組の生徒たちは次々と立ち上がって全校集会が行われる体育館へと向かっていった。


「えー、既に知っておられる方も多いと思われますが先日、大館市役所の裏にある桂城公園で悪霊による襲撃事件が発生しました。負傷者は数名いたものの、命に別状がある方はおらず――」

 背はあまり高くないながらも、よく鍛えられた身体に黒いスーツを身にまとった男性が挨拶と共に壇上で事件のことについて話している。壇上に上がっているのは、この霊術学院の大館分校で分校校長を務める中年男性だ。

 分校校長は早々に前置きを話し終え、朝のため時間があまり無い中本題に入っていく。

「この悪霊の襲撃事件においては、複数の被疑者が関わっておりその中には学院の生徒が2名、含まれています。学院では(わたくし)とこの分校の教頭、学院長と各生徒のクラス担任と競技を行いました。その結果――、この生徒2名を本日付けで強制退学をさせることとなりました」

 彼がこの話をした途端、体育館はどよめきの声で包まれる。驚く者もいれば困惑する者など、反応は十人十色だった。

 強制退学は、学院が独自に行っている制度だ。今回の事件のように、故意に犯罪行為を行った生徒が、相手方の人や物に被害を与えてしまった場合に下される処分のことだ。被害の程度・規模にもよるが、場合によってはその行為を行った生徒は学院に通う資格はないとされ、学校関係者の協議の上文字通り強制退学処分が下される。退学の理由も経歴に併記されることとなり、学院の生徒に対する処分の中でも最も重いものである。

 現在の霊術学院が設立されて約20年の中で、このような処分が下された例は初めてのことで、生徒たちにとっては衝撃を受けたり動揺したりせざるおえないものだった。単にこの20年でそこまでの処分に至る者がいなかったということも、彼らのどよめきに拍車を掛けている要因の一つだった。

「えー、このような事態が起こったことにより、当校では中高全クラスにおいて不審物を所持している者がいないかを確認する持ち物検査を行うことになりました。今回の事件では社会人も含まれていたとのことで、生徒だけでなく学校教職員に対しても実施されることとなります。各クラスにおいては、各学級担任によって検査を行い――」

 校長は、いくつかの連絡事項も合わせて手早く全ての生徒に対して伝えていった。話が終わると校長は一歩後ろに下がって一礼し、それに合わせるように全校生徒も一礼をする。生徒たち全員が礼をしてから頭を上げたことを確認すると、校長は足早に降壇していき全校集会はこれにて終わることとなった。


「ったく、これから毎朝持ち物検査かよ」

 そうぼやくのは和樹だ。全校集会が終わって各生徒が、1限目の授業が行われる場所へ向かう最中、クラスメイトらに混じって二人で歩いていた諒と咲耶を見つけて合流した開口一番のセリフだった。1限目は体育館とは反対の方角にある屋内訓練上での、霊術の授業だ。松葉杖をつく彼が追いつくのを二人が待ってから、和樹は諒の右隣を進み始める。咲耶は諒の左隣を歩いている。

「何か見つかるとマズイことでもあるのかな? 和樹さん?」

 前に顔を突き出し、諒の胸板越しに咲耶が笑顔を投げかけた。しかし、その目は笑っていない。

(咲耶、最近こういう表情が多くなってきたような……)

 諒は苦い思いで自分の契約霊を見つめてから、やはり彼女と同じように隣を歩く和樹へ視線を移す。

 二人の疑いの眼差しを受けて、和樹は何のことを言われているのかを察知して慌てて弁明した。

「いやいや、別に諒たちが思ってるような本のことじゃないぞ? ただ、面倒だっていうだけだって――」

 そう言うものの、諒たちは一向に疑いの眼差しを向けたまま表情を変えない。和樹がその反応に対して言うべき言葉を探していると、彼らの後ろから聞き慣れた女子の声が聞こえてきた。

「だからって、検査を拒むわけにもいかないでしょう。それとも何? 和樹くんは学校にまで、如何わしい物を持ち込む趣味でもあるの?」

 3人が声の聞こえた方へ振り向くと、そこには呆れ顔で和樹を見上げる明美の姿があった。

 明美は高校生の女子の中でも平均身長くらいだが、咲耶よりは2,3cmばかり背が低い。最近では咲耶も加わって4人で行動することも多くなったが、それでも背に関しては彼らの中では一番低かった。

 しかし彼女はそれを気にする素振りは一切見せず、その小柄な身体で姉であり寮長でもある姉の葉子に代わって寮の家事を一手に引き受けている。その関係上、秘密にしたり隠したりしたつもりの物でも意外と明美に知られていることは多い。和樹の言う「あの本」も、そんな物の中の一つに数えられる。

「するわけないだろ!? そんなことをしてみろ、クラス中の女子の視線が怖くて仕方がなくなる……。咲耶ちゃんと明美ちゃんだけでも怖いっていうのに」

 自然と話に入り込んだ明美の問いに対し、和樹も当たり前のように受け入れつつげんなりとした顔で項垂れた。

 そんな和樹に対して、諒は追撃を仕掛けてみる。

「あれ。前に和樹、クラスの奴に頼まれたって言って学校に持ってきてなかったっけ。今年の春休み前くらいに。渡してるとこもしっかり見たぞ?」

「あー、そういえばそうでした――っておい!!」

 彼の言葉を聞くや否や、和樹は顔を振り上げて焦りの表情を浮かべた。そして、自分が口を滑らせたことに気が付いて和樹がふと咲耶を見やると、彼女はモノでも見るかのような視線を向けていた。いつの間にか咲耶の左隣に移動していた明美は、呆れ顔のまま無言で歩いている。

「残念だったな、和樹」

 二人の様子を見て、すっかり意気消沈してしまった和樹の肩に諒の手のひらが置かれる。それは、同情と共に諦めろという意味も含んでいた。

「ったく――この仕返しは必ずしてやるから、覚えてろよ……」

 そう言って和樹は諒の肩を半分握った拳で小突き、咲耶と明美に合わせる顔が無いといった様子で力なく彼らと授業場所の屋内訓練場へ歩いて行った。


 霊術の授業は、木曜日は1限目から4限目まで設けられている。この内1限目は攻撃霊術の基礎授業、2限目は防御霊術の基礎授業が行われる。一般的かつ基本的な通常霊術では大きく分けて「攻撃霊術」「防御霊術」「回復霊術」の3つがある。

 拘束系の霊術のようにこれらには当てはまらない霊術はあるが、それらに関しても3つの分類の霊術を鍛えていくことで習得出来る場合がある。

 1,2限目で行われるのはその中でも「攻撃霊術」と「防御霊術」だ。霊術の基礎の基礎とも言え、学生の頃から必須とされる技能だ。習得自体は高校2年生までには多くの者が終えるが、その後も霊術の授業では必ず行われる。スポーツで言うところの基礎トレーニングと同じで、特にこの2つは普段からの練習が必要である。

 3,4限目はグラウンドに出て霊術の応用をする授業が行われる。30分間のフィジカルトレーニングの後、より実戦に近い内容が行われる。「攻撃霊術」や「防御霊術」に限らず、基本的な3つに分類されない霊術も扱われる。また、「回復霊術」を得意とする生徒に対しても授業が行われている。

 水曜日と休日以外は霊術の時間が4コマずつ設定されていて、1日の中でも1コマや2コマほど時間を開けて授業が行われることがある。この時でも、最初の2コマは基礎をやり残りの2コマで応用をやることとなっている。

 今は、1限目の時間だ。

 諒たちは、霊術の担当教師である石田竜馬による授業内容の一通りの説明をきいてから各々指示に従って訓練場を移動する。

「我が札よ。我が手において弾となり、敵を撃ち抜け――霊術弾」

 諒は所定の位置に立つと、自身の目の前に設置された木で出来た的に向かって詠唱を行い、炎属性の付加されていない霊術弾を放った。諒の構えていた札は瞬く間に霊術弾へと変わり、一直線に目標を撃ち抜く。

 無機質に作られた木の的は木っ端微塵になり、すぐさま的を支えていた回転式の機械時計回りに回り、新たな的を諒の正面方向へと設置した。

 属性付加がされている霊術も、基本的にはこの無属性の霊術を習得した上で成り立っている。基礎中の基礎というわけだ。諒が無属性の弾を撃ち出したのは、このためである。他の生徒たちも諒と同じように、正面の的に対して霊術団の一発一発を当てて基礎訓練を行っていた。

「諒、今日の霊術弾の調子はどう?」

 諒が何度か的に向かって撃った後、後ろに並ぶクラスメイトと交代して列の一番後ろに並びなおすと、訓練の様子を見学していた咲耶が制服のスカートを翻しながら駆け寄ってきた。

「いつも通りだよ。ただ、詠唱を終えてから狙いを定めて弾を撃ち出すまでの時間が掛かってるとは、石田先生に言われたな。そこまでの動作を詠唱しながらでも短くして、予め的のどこを狙うかちゃんと決め手おけ、とも言われた」

 咲耶の質問に答えながら、諒は列の前方で指導をしている石田の方を見た。

列は4つほどに分かれており、それぞれの列に霊術弾を訓練するための的が置かれている。生徒たちは、的から一定距離以上離れたところに貼られた白いガムテープの場所から撃つようになっている。

 石田は数発程度撃ちながら交代していく生徒に対して、一人ひとり良くない点や解決法の提示などの様々な指導を行っていた。

「全く、その通りだよな。俺の場合は狙いを定めても、軸がぶれてるから腕をよく固定しろってな。まぁ、1ヶ月前に緑色の光が俺の霊術に出るようになった所為か分からないけど無属性の霊術が全く使えなくなっちまったんだよな――どうしても風の属性になるんだよな。おまけに、威力も前より少しだけ上がってるしな。軸がブレるのは、その反動だから抑えるようにって言われたな」

 諒と咲耶の会話を聴いて、諒の前に並んでいた和樹が松葉杖越しに後ろへ振り向く。足の怪我は未だ治ってはいないが、動作があまり多く要求されないこの霊術弾の訓練にのみ和樹は参加している。防御霊術や応用の授業の際には、見学をしている。

 彼の言う通り、和樹の風の属性に関する何らかの力が1ヶ月前の研究所跡にて発現して以来、全く無属性の霊術が使えなくなっていた。風の属性が発現したのは中学からだが、高校2年生までは無属性との切り替えが出来ていたはずだった。

「そういえば、和樹は今日が久しぶりの霊術の授業なんだっけ。さっきも何度も霊術弾を撃ってたけど、全部が風属性のまんまだったもんな」

 和樹の言葉に、諒も先ほどの彼の様子を思い出しながら話す。石田は和樹の1発目の弾から気付いたらしく、その後も10発ほど霊術弾を彼に撃たせたが属性の切り替えが全くなされなかった。それを見て、石田は恐らく無属性の霊術は現状全く使えなくなったのだろうと和樹に話していたのだ。

 和樹はそれを聞いて思い当たる節があったらしく、列の後ろへ向かいながら何事かを考えていた。その結果行き着いたのは、1ヶ月前に彼に起きた不可思議な緑の光であった。

「あたしは後ろから見てたからよく分からなかったけど、今回も緑の光って出たの?」

 諒と和樹の会話から咲耶は疑問を覚えたらしく、和樹の方に尋ねかけた。

「いいや。風の霊術自体は前から使ってたのと全く変わってなかったな。緑の光は出なかった」

 和樹を始めとした風の霊術を使うものの場合、多くの特徴は放たれた霊術が風の塊になることだ。霊術弾の場合は空気がボール状に渦巻いた状態になる。因みに、通常の霊術弾や無属性の霊術は青白い光を発したものになる。

「じゃあ、あの光は何だったんだろうな……。和樹の霊術盾が随分と硬くなってたように感じるけど」

「それは、俺にも分からないな――。あの光に何の意味があるんだか、さっぱり分からん」

 1ヶ月前、和樹が咲耶の攻撃から諒と自身の身を守るために使った霊術盾のことを振り返って、諒は考える仕草をしながら呟く。それに対して、和樹の方も全く検討が付かないといった風に首を横に振っていた。


 その後、諒たち4人は2限目以降の授業もこなしていった。3,4限目には己の技を磨いている希の、十文字槍を振るう姿がクラスメイトの注目を集めている場面もあった。彼女は先日に自身が暴走した事件のことをまるで感じさせない洗練された動きで、それでいて事件前以上に集中して自分の課題に取り組んでいた。

 希の事件で諒と協力した柳原裕史の方はと言うと、霊術の応用授業が行われる2コマの時にはいつも姿を消していた。4月から彼はいつも姿を見せなくなり、応用の時間が終わって放課後の時にはそのまま戻ってくることはなく、応用の時間の後に授業がある場合は何事も無かったような顔で自分の席についていた。

 諒はそのことが何となく気になり、今日の霊術の授業が終わった時に石田へ彼の行方を問いかけてみるが、言葉を濁されるだけで何故なのかは教えてもらえなかった。


 午後の5限目と6限目の授業が終わったあと、諒たちはいつも使っている通学路の歩道の上を歩いていた。

 松葉杖をつく和樹と明美が前で歩き、後ろを諒と咲耶が歩いていた。諒たちは、ギプスと松葉杖が未だ欠かせない和樹のペースに合わせてゆっくりと歩きながら第1学生寮へと向かっていた。

「和樹、綾子さんが車で送ってくれるっていうの断ってよかったのか? 随分と心配そうにしてたけど」

 2本の松葉杖を使って前を歩く和樹に、諒は尋ねてみる。

 授業後のホームルーム後に綾子が和樹の席へと寄っていき、退院したばかりで松葉杖のままでは辛いだろうからと、綾子の方から提案があったのだ。

「大丈夫、大丈夫。綾ちゃんだって仕事があるんだし、そこまで世話になるわけにはいかないって。それよりだったら、時間がかかってもこうやって歩いた方がいい」

 前を向いて歩いたまま、和樹は真後ろにいる諒にそう答えた。和樹としては、入院中は自身の実の親の次くらいに綾子には何かと世話を焼いてもらっていたため、これ以上迷惑をかけたくはないと思ってのことだった。

「綾子先生は綾子先生で、諒と和樹のこととなると放っておけなくなるところがあるみたいだからね……。あの様子じゃ、例の本の好みまで知られてそうじゃない? あたしは興味ないけどね」

 明美は和樹の意外な一面を知って関心しながら、諒の左隣を歩いている。車道とは諒を挟んだ位置におり、その前を明美が歩いていた。

「例の本って――ああ、男性の大人向けのスケベなやつね。何で男子って、ああいうのが好きなんだか」

 咲耶の言葉を受けて明美は思い出したように言い、それから理解できないといった調子で誰に問いかけるわけでもない疑問を呟きながら首を横に振る。

 そういった類の本は多くが女性を主眼に置いた構成がなされていることがほとんどであり、男性を主なターゲット層としている。18歳以下は閲覧しないようにと注意書きがされていることがほとんどだが、思春期真っ盛りで異性に興味を持ち始めた男子にとっては手を出したくなってしまう代物だ。

「咲耶ちゃん――その話は蒸し返さないでくれよ……」

「ごめん、ごめん。そんなつもりは無かったけど、つい――ね」

 あからさまに気を落とした和樹に対し、咲耶は直ぐに謝る。

「まぁ、それについては俺に落ち度があるんだけどな。春休みに入る前、相手に渡そうとしたところを運悪く見つかったけど、それが男の先生でまだ良かったわ。――女の先生……ましてや綾ちゃんじゃなくて良かった」

 本の件については素直に自分が悪かったことを認めつつも、それを見つけられたときのことを思い出して和樹は溜め息をつく。

 諒もそのことを思い出して、前を歩く和樹に問いかける。

「俺もあの時見てたけど、ほんとにそうだったよな。あの人だったら、暫く口を聞いてもらえなかったんじゃないか?」

「だよなぁ……」

 再び溜め息をつき、和樹は諒の言葉に同意を示して頷いた。

「そういえば諒は、全然そういう本を読んでるところって見ないけど――興味無いの?」

「無くはないけど――あまりそいうのを進んで読もうとは思わないかな。矢島師匠にも、3年前の別れ際に『そういう物は心を乱し、戦いに支障が出る』って言ってやめておけって随分念を押されたっけ」

 本の事を話していて咲耶はふと疑問に思い、諒に尋ねてみると彼は何気なく空を見上げながら彼女の質問に答える。諒の見上げた先には、夕日に照らされようとしている青空を西から東へ、いくつもの真っ白い綿のような雲が流れている様子があった。

「その矢島って人、諒の持ってる刀を作って色々師事してくれたんでしょ?」

 明美がふと歩きながら後ろに振り向き、諒が肩に提げている布袋を指し示して言う。諒が愛用している霊刀「矢島」の入った布袋だ。

「うん、そうだよ。3年前にいきなり道場を閉めてから、全く行方は分からなくなってるけど――」

 諒は頷きながら言うと、今度はほとんど毎日持ち歩いている「矢島」に視線を移して自身の師に思いを馳せる。彼の師である矢島は、3年前に諒が「矢島一刀流」初段になって間も無く、何の前触れもなく道場を閉めて姿を消してしまっている。道場があった大館市釈迦内では様々な噂が囁かれているが、どれも信憑性に欠けるものばかりだ。

「まぁ今の諒は本が無くたって、咲耶ちゃんがいるから大丈夫だろ? いつでも寝込みを襲えるわけだしさ」

 顔だけを後ろの方に向けるような仕草をしながら、和樹は歩みを止めずにくつくつと笑い始める。

「ったく、何を言い出すんだ。お前は……。そもそも、俺がそんな事するわけないだろう」

 そう言って、諒は前を歩く和樹の後頭部を右手を手刀の形にして力を入れずに小突いた。

 そんな諒に対して、傍らから顔を覗き込むように咲耶が悪戯っぽい笑みで彼に一言尋ねる。

「ふーん。それじゃあ、寝込みを襲うこと以外ならしてくれるの?」

「なっ――。『してくれる』って咲耶、何を言い出すんだよ。しないのは分かってるだろ?」

「ふふふっ。冗談だよ、諒。あんたがそういう事をする人じゃないってのは、よく知ってるから。まぁ、仮に手を出そうとしても殴り飛ばしちゃうかもね」

 咲耶の言葉に動揺する諒を見て、今度は楽しげに笑っている。

 すぐにからかわれていることに気付くと、諒はため息混じりに笑いながらも心の中では咲耶からそんな風に見られていたことに嬉しさを覚えていた。


 その後も何ら変わらない調子で他愛のない雑談をしながら、諒たちはすっかり住み慣れた第1学生寮への道を歩んでいくのだった。




続く


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ