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赤き炎の霊術師  作者: ハチカレー
ゴールデンウィーク編
13/38

第13話 1枚の火種と少女の恋心

ひと月ぶりの投稿となりますね

 数人の霊術師が市民体育館のアリーナに足を踏み入れ、その内の一人が声を発したのと諒と咲耶に逃げ道を塞がれていたはずの少年が、彼らの脇をすり抜けて逃げ出すのは同時だった。

 少年はキャットウォークからアリーナに飛び降り、南の方の非常口に向かって走りだしていた。

「おい! 待て!!」

 一人が叫びながら少年の方に駆け出すと、他の霊術師たちも後に続いて少年を追い始める。

 瞬く間に非常口を一人が封鎖し、再び逃げ場を無くした少年の周りを他の霊術師たちが円形に囲んで退路を塞いだ。彼らは速い脚で、1分と掛からずに少年を包囲していた。

「我が鎖。彼の者を縛れ。霊術鎖!」

 非常口を塞いだ霊術師が霊術札を取り出すと、唱えた呪文によって発せられた銀色の鎖が少年の身体を縛り付けていった。

「くそっ……」

 身体を縛られ、自身が逃げられないことを悟った少年は観念したのかその場で大人しくなった。

 一部始終を見ていた諒と咲耶は彼が捕まったのを確認すると、少年を囲んでいる霊術師たちの方に歩んでいった。その動きに気付いたのか、一人がこちらに顔を向けて何者かを確認すると、驚いたのか小さく声を上げて話しかけてきた。

「あれ、君たちはさっきの――」

 それは、公園で起こった事件の際に諒と咲耶の事情聴取をした霊術師だった。二人もそのことに気がつくと彼の傍まで歩み寄り、挨拶をする。

「先ほどはどうも――。公園の方はいいんですか?」

「ああ。一段落したところだったからね。それよりも、そこの彼は一体どうしたんだい? さっきの爆発音と何か関係ありそうだけど――」

 諒の問いに答えつつも、霊術鎖で縛られている少年について尋ねた。

 諒はその事に関して、咲耶と共に一通りの事情を今回の事件に何か関係があるのではないかという推測と共にその霊術師に対して身振り手振りを交えて説明した。

 説明を聞いてから彼は何事かを一寸考え、諒たちの話を聞いていたらしい仲間の霊術師たちに目配せをする。これから自分が少年に質問をするということと、彼を逃がさないように見張るよう促す合図だ。そして、縛られている少年の方に視線を向けると彼にいくつかの質問をし始めた。

「君――まずは学校と所属、それから名前を教えてくれないか」

「――霊術学院高校大館分校、1年の沢村弘(さわむら ひろ)……」

「沢村君か。そこの二人の話に何か間違ったところは? 公園での事件のことにも関係してるのかい?」

「――その通りだよ」

「それじゃあ、あの悪霊たちのことについて教えてくれないかな」

「――召喚霊術札で呼んだんだよ。強い悪霊を召喚して戦わせることが出来るんだ」

 少年の一言に、霊術師たちや諒と咲耶の間に動揺が走った。そんな霊術札の存在など、誰ひとりとして聞いたことがなかった。

 ふと、諒はある事を思い出してぽつりと呟いた。

「そうだ――あの『召』はこれの事だったのか……。それに、逢沢が使ってた『契約召喚霊術札』と名前がよく似てる……」

「そういえば……」

 諒は一か月前にクラスメイトの逢沢希が起こした事件を思い出し、気が付いたことを口にする。咲耶も彼の言葉で思い出し、頷く。

「そういえば、そんな事もあったね――。沢村君、その霊術札は誰から貰ったんだい?」

「『契約召喚霊術札』のことは分からないけど――悪霊を呼び出した霊術札の方は志島って人から貰った」

「下の名前は?」

「それは教えて貰えなかった。実験に協力して欲しいって言われて、それで霊術札を貰って――」

 次々とされる問いに、沢村弘はふてぶてしくしながらも淡々と答えていく。

「君自身がこんな事をしたのは何でかな?」

「皆が祭りを楽しそうにしてるのが恨めしくて――それで、他の仲間たちが捕まったのを見て何とか逃げようとしたら、そこの二人が来たんだ。今度は自分を追ってきたんじゃないかって思って――」

「それで、召喚霊術札を使って悪霊を呼び出して攻撃した……と」

 彼に問いかけていた霊術師がその先を続けると、沢村弘は黙って頷いた。


 その場での事情聴取が一通り終わり、沢村弘は対霊対策室によって連行されていった。諒と咲耶の聴取も担当した霊術師が言うに、今回の事件で彼は退学する可能性が高いだろうという事だった。幸いにもけが人が出た程度で済んでいたが、死者が出る危険性の高かった件であり、事の重大性も考えると当然の処置であろう。

 諒たちはそのまま寮に帰ることになり、桜が花咲く霊術学院前の通りを二人で歩いていた。桜祭りは被害もあって当然中止となり、その事に咲耶は仕方がないと諦めつつも残念そうな様子を見せていた。

「あんまり気を落とすなよ。咲耶」

「うん……」

 諒が声を掛けると、彼の傍らにいる咲耶はため息と共に小さく頷く。

「でも、お祭りは結構楽しめたし――今日の事件と比べたら些細なことかな」

 そんな咲耶の様子は、諒が言うほど気を落としているようには見えなかった。

「先月に続いてこういう事が起こるなんてな――。形は違うけど、どっちも悪霊を利用してる点は共通してる」

 咲耶の言葉を聞いて、諒は事件について振り返り二つの事件の共通点を確認した。それに咲耶も同意するように頷いた。

「うん。それに、どっちも聞いたことのない名前の霊術札も使ってる――。違いは『契約』って言葉と、悪霊がどんな形で現れるかってところ……」

 二人は現時点で分かっている情報を確かめ合い、それに何の意味があるのかを考えてみる。しかし、逢沢希の事件や今回の件で直接見聞きした以上のことを彼らが知っているはずもなく、意味を見出しようが無かった。

「対策室の人に聞く――って言っても、教えてくれるわけがないよなぁ。逢沢の件だって、結局対策室から何も聞かされてないし……」

「それなら、逢沢さん本人に聞いてみたら? あの子なら、何か教えてくれると思うけど」

 悩む諒に対し、咲耶はふと心当たりを思い出して彼に提案をしてきた。

「あれ――咲耶、いつの間に逢沢と仲良くなったんだ? ゴールデンウィークに入る前もまだ、仲が良いようには見えなかったけど」

 咲耶の口から希の名前が出てきたことに意外に思い、諒は傍らを歩く彼女を見やる。諒からすればゴールデンウィーク前までの咲耶と希は、顔を合わせれば罵り合ったり睨み合ったりしていた印象しかない。その様子から、咲耶が希のことを話したがるとは彼には到底思えなかった。一方の咲耶は諒がいる方とは逆を向いて、少し尖らせた声音で彼に言葉を返した。

「別に、仲良くなんてないけど。ただ、あの子は先月の事件に関係してるし今回のことも何か知ってることがあるんじゃないかって思っただけ――。大体あの女、あたしにはケンカ売るくせに諒の前じゃデレデレしちゃって――それに諒は諒で――」

 言葉を発するごとに咲耶の声音はとても不機嫌なものになっていき、それと同時に背中がわなわなと震えているように見えた。

「お、俺がどうしたって――?」

「何でもない!」

 その先が気になって諒が恐る恐る尋ねると咲耶は語気を強めて言い、そのまま話しかけてくることは無かった。どうやら機嫌を損ねてしまったらしく、それ以降諒と咲耶は帰途に着くまで会話をすることは無かった。

(諒は諒で、逢沢さんと楽しそうに話してたのが気に入らないなんて言えるわけがないじゃん――)

 気不味い思いをしながら歩く諒の隣で、咲耶はそっぽを向きながら心の中で密かに呟いていた。


 そのまま特に会話もなく、諒と咲耶は第1学生寮へと帰り着いた。日は西の方へと大分傾いており、玄関前は日陰になっている。

諒が扉を開けて寮の玄関に入ると、物音を聞いたのか明美がダイニングの方からやってきた。咲耶も彼の後に続いて無言のまま玄関に入る。

「あ、諒くんに咲耶ちゃんお帰り。公園の方、あの後大丈夫だった?」

「ああ。事情聞かれた後に帰ろうとしたときに、ちょっと一悶着あったけど大丈夫だよ」

 心配そうな顔で聞いてくる明美に対し、苦笑いしながらも問題ないという答えを返す。そのまま諒と咲耶は靴を脱いで玄関に上がり、明美の前に立った。

「一悶着って――何かあったの?」

「市民体育館で悪霊とやり合ってさ。他の皆は?」

 諒は一言だけ答えると彼らより先に帰っていたはずであろう和樹や敦、担任の綾子や寮長の葉子のことを尋ねた。

「和樹くんや敦くんは、二人とも部屋に戻って休んでる。綾子先生と葉子先生は今日の事件のことで、学校で緊急会議だって」

「そうか。それじゃあ、市民体育館のことは夕飯の時にでも話そうかな。それでいいよな、咲耶――」

「……」

 諒は話しかけようとして咲耶の方に視線を移すが、当の咲耶は手を後ろ手に組みながらそっぽを向いて返事を返してこない。

顔を覗き込むと、先ほどのいじけたままの表情になっていた。細い眉毛の間に小さな皺を寄せて、柔らかそうな血色の良い唇を尖らせてあらぬ方向を見つめている。

「な、何か諒くんと咲耶ちゃんにも何かあったみたいだけど――どうしたの?」

 明美は咲耶に聞こえないように口元を彼女から隠し、諒に小声で問いかける。咲耶のいつもと違う様子に気が付いたようだ。

「何かあった――ってほどでもないんだけど――」

 そう言って、諒は先ほどの帰り道であった咲耶との会話を掻い摘んで明美に話した。

「あはは――。まぁ、諒くんの方から謝ればすぐに機嫌直してくれると思うけど――心当たりがないわけでもないでしょ?」

 やり取りの事を聞いて、明美は彼女が今のような様子になった理由にあたりをつけたのか呆れ半分になって問いかける。

「ま、まぁ。そうだな――あると言えば……ある」

 彼女の言葉に、諒は頭を掻きながら心当たりがあることを認めた。彼は完全に理解していたわけではないが、希のことで咲耶の感に触ったという事は確かである。

「それじゃあ、さっさと謝っちゃって」

 そう言うと、明美は諒から一歩離れてにこりと笑う。明美は今回の二人の喧嘩について、この先は本人たちで解決させようとしているらしい。そう解釈すると、諒は気付かれないように息をつき、傍らの咲耶に視線を移した。

「咲耶……あのさ――ちょっといい?」

 諒が隣に立つ咲耶に声を掛けると、彼女は目だけをこちらに向けてきた。ルビーのような輝きを持つ瞳を諒に向け、無言のまま先を促す。

咲耶と視線が重なると、途端に彼女への申し訳ない気持ちが湧き上がってくる。ちょっとした喧嘩のようなものなのにどうしてこんな気持ちになるのだろう、と考えながら諒は言葉を発した。

「その――さっきは……ごめん。何か、無神経な事を言ったみたいで……」

 言葉通りに申し訳ないといった表情で諒は謝る。これはきちんと謝らなければならないような気がして、彼は頭を下げた。思ってもみない謝られ方に、咲耶は毒気を抜かれて思わず溜め息を漏らした。そして今度は身体ごと諒に向き直り、バツの悪そうな顔になってやっと口を開く。

「――別に……あたしが勝手に怒っただけで、諒は悪くなかったし――。その……こっちこそごめんね。だから、頭を上げて」

 彼女の声を聞いて言われたとおり恐る恐る諒が頭を上げる。そこには困ったように笑っている、彼がよく知る咲耶の顔があった。そうして再び二人は視線を重ねると、まるでその場の時間だけが止まったかのように見つめ合っていた。

 そのまま互いに話す言葉を持たずにただ見つめ合っている二人を見て、明美は仲直りしたらしいと判断して両手を軽く叩く。その音に諒と咲耶はハッとして我に返り、今度はその目を見合わせてから明美の方にそれぞれ視線を移した。

「それじゃあ、仲直りしたってことでいい? お菓子持っていくから、諒くんと咲耶ちゃんは2階の居間に行ってて。ちょうど夕方のニュースをやる時間だし、さっきの事件の話が出てくるかもしれないでしょ?」

 そう言って明美は二人の背中を階段の方に軽く押してから、台所の方にそそくさと歩いていく。その背中は、諒にはどこか寂しさを帯びているように見えた。


 1階から2階への階段を登ると右手には吹き抜けと1階とは別にもう一つトイレがあり、その正面には物置がある。左に曲がった廊下の東側には、1階と同じように女子の部屋が4部屋配置されている。明美は階段を上がって一番手前の201号室で、202号室と203号室はそれぞれ1年生と2年生の生徒が使用している。1,2年生の生徒はどちらも連休のため、今は不在だ。一番奥の205号室は寮長である葉子の部屋となっている。

居間はそれらとは反対の西側にある。202、203号室の向かい側がに引き戸が配置されており、貼られているガラスは下半分が曇りガラスになっていた。引き戸を入って正面には円形状のテーブルが配され、椅子は寮に住む人数分が置かれている。右側には共用のパソコンが3台、左手には南と東の壁に沿って置かれたL字型のソファーと高さのない長机と液晶テレビがある。居間の西には柵のついたベランダがあった。

「今日の昼ごろ、大館市桂城公園で複数の悪霊による襲撃事件が発生しました。現地では、毎年恒例の桜祭りが催されており――」

 2階へと上がって居間にたどり着くと、諒と咲耶は各々ソファーに座り、テレビのリモコンに手を伸ばした。東側の壁に沿って諒は北側、咲耶は南側に座っている。

「やっぱり、県内ニュースだと早いな」

 諒がテレビをつけてチャンネルを回して民放に切り替えると、早速今日の昼間の出来事が画面に映る女性によって伝えられていた。事件の詳細と共に、対霊対策室が調査をしている現場の映像が流れる。日は高いことから、まだ事件が起きた直後に撮影されたのだろうと察しがつく。

 続いて警察による規制線が貼られた現在の現場近くの様子が映し出された。中継している場所は、桂城公園の西に位置する歩道橋の近くのようだ。中継をする男性が悪霊に関することや捕まった者の概要を伝える。その中には、諒と咲耶が遭遇した沢村弘の名前もあった。

「学院の生徒だけで二人――」

「ああ。霊術とはあまり関係ない高校生と社会人が二人ずついるっていうのも驚いたな」

 報道される内容を見て、諒と咲耶は口々に呟く。沢村弘以外の5人を遠目に見たときにはそれぞれ私服で、あまり年齢差が分からなかった。ニュースによると対策室に確保され、連行された全員が10代後半から20代前半であったとのことだ。

「あたし達と、あんまり変わらない歳の人たちばかりみたいだね」

 テレビのニュース内容を聞き、咲耶は思ったままのことを口にする。既に社会人であるらしい二人はともかく、残りの4人は霊術学院の1年生であったり一般の高校の2年生だったりと、彼女の言うように歳はほとんど変わらない者ばかりだ。

「今回の事件といい、先月の逢沢の件といい――こんな事件が起こるのは初めてだってあの人は言ってたな。まぁ、召喚者がいるってこと以外は普段起こる事とあまり変わらないらしいけど」

 あの人とは、諒と咲耶の事情聴取を担当した霊術師のことだ。二人が市民体育館から帰る前に、その事を聞かされていた。悪霊が何らかの形で暴れて住民に害を及ぼす事件は日本各地で報告されるものの、悪霊を召喚して悪事を働くという前例はこれまで報告されていなかった。

そもそも「霊の召喚」自体、前例が無い。人間と霊が関係を結ぶには、「契約」以外に方法が発見されていないためだ。仮に見つけ出せたとしても、「契約」ほどの結びつきの強さは発揮出来ず、危険も多いだろうと言われている。「霊を召喚する」実験が行われたとの噂があるが、その裏付けとなる事実は見つかっておらず、成功したか否かもよく分かっていない。

「でも、さっきの事件みたいなことってこれから増えてくるよね。きっと――」

 そんなことを知ってか知らずか、咲耶はそんな事を口にした。確かに悪霊を召喚したことによって発生する事件は、今回だけに収まらないという気が諒にはしてならなかった。

「そうだな……。今日だけでも、6人も悪霊の召喚が出来ているみたいだし気をつけた方がいいな――」

 何しろ、悪霊とは言え「召喚」を可能としたことを実証してしまった事件だ。間も無く全国でも報道され、その事に注目が集まる可能性は高いだろう。それに加えて、件のニュースを見たことによって新しく似た事件が起こらないとも限らない。

「うん。あたしたちみたいに学院の生徒や霊術師の人たちなら自分で身を守ることも出来るけど、普通の人たちは特に危ないかもね」

 諒の言葉に同意しながら、咲耶は真剣な眼差しでテレビ画面を見つめながら呟いた。霊術学院の生徒やその卒業生、霊術師などは霊と戦う術を身につけているために自ずと自衛をすることは可能だ。しかし、霊感があまりないものは自身では気が付かないうちに被害に遭ってしまうこともあれば、霊術に全く関わりのない者が術を持ってないことによって身に危険が及ぶことも十分に考えられる。

「まぁ、何も起こらないことが一番なんだけどな」

 諒はそう言いながら力を抜くようにして、ソファーの背もたれに身を預けてくつろいだ姿勢になる。あまりこの事について考え込んでも仕方がないだろう。彼は笑窪を作りながら、咲耶にも力を抜くように目配せして促した。

 そんな様子を見て自分も背もたれに身を預け、咲耶はゆっくりと背伸びをしながらくつろぐ姿勢を見せる。

「それにしても咲耶ってさ――」

「うん?」

 隣でリラックスしている咲耶の、本来ならば霊であるはずなのにも関わらず血色の良い百合のように白い肌の横顔を見つめながら、諒は彼女にふと気になったことを言ってみることにする。

 唐突に変わった話題に、咲耶は内心少し驚きながら返事をする。

「何て言うか、咲耶が俺たちと変わらない年代っていうのに違和感があって――」

「……ふぅん?」

 諒が冗談めかしてそんなことを言うと、咲耶は笑っていない笑顔を作って彼の顔をかたわらから覗き込んだ。一瞬、咲耶と諒の視線が合わさる。彼女の口元には確かに笑窪があり、目も笑っているように見えるがどこか凄みのような圧力がある。しかし諒はそのことにまるで気がつかず、視線を天井に向けながらその先を続けてしまった。

「生きてたら10歳年上だし、本来なら20代も終わり頃なんだよなって思ってさ――って咲耶……?」

 言いながら何気なく咲耶に視線を戻すと彼女の笑顔がぎこちないものになっており、諒は思わずギョッとする。咲耶の顔は笑窪がひくひくと痙攣を起こしたかのように引きつっており、眉毛も明らかにつり上がって眉間にも皺がよっていた。

「へぇ……諒って、そんな事思ってたんだ……?」

 引きつったままの笑顔で咲耶は諒にじりじりと詰め寄る。

「さ、咲耶――さん?」

 諒は自分が何を言っていたのかを理解し、彼女に詰め寄られるたびにソファーの上で後退りをしていった。

 そのまま諒がソファーの端の方まで追いやられると、咲耶は彼に顔を近づけて笑っていない硬直した笑顔で彼の左頬をつねる。

「見ての通り、あたしは諒たちと同じ18歳――だよ。18歳で死んじゃったから。だから、あたしは18歳なんだよ。分かった?」

「わ、分かったって――痛っ」

 咲耶は諒の頬を右手でつねりながら、有無を言わせぬ物言いで彼に問いかける。諒はつねられる頬に痛みを感じながら、申し訳ないといった表情で一も二もなく頷いた。

「なら、よろしい」

 彼の返事と表情を確かめると咲耶は打って変わって柔和な笑顔を作り、彼に近づけた顔を離して元いた位置に座り直した。つねられただけで特に何もされず、諒は呆気にとられながら咲耶を見やる。つい、頬を叩かれるか腹に拳をくらうかのどちらでも良いように思わず身構えた瞬間の出来事だった。

 そして先ほどのことを気にする様子は見せないまま、咲耶は目の前のテレビに視線を移している。まるで何もなかったかのような振る舞いだ。その態度から、どうしたものかと判断に困りながら、諒は恐る恐る彼女に声をかけてみた。

「あ、あの――咲耶……?」

 諒に声をかけられると、咲耶は再び笑っていない笑顔を彼に向ける。

「まだ、あたしに何か用があんの? まさか、また歳のことを話すわけじゃないでしょ?」

 その表情とどこか凄みを含んだ声音を聞いて、諒はやはりかと察しをつけた。

(やっぱり、さっき言われたことを気にしてるみたいだな――)

 そう思いながら咲耶の顔を見つめてみるが、彼女は表情を変えないままこちらを見返している。

「そうじゃなくて――怒ってるかなぁって思って」

 諒が背中に冷や汗をかきながら様子を探ると、咲耶は未だに表情を崩さないまま冷ややかな声で問いかけた。

「諒は、怒ってると思う……?」

 それは、言外(げんがい)に怒っていると言っていると受け取って間違いのないものだった。咲耶の声音や表情からもそんな雰囲気が伝わってくる。

 帰り道の事と違って今度ばかりは、諒の方に非があるのは明らかだ。彼としては軽い冗談のつもりであったが、どうやら咲耶にはそれが通じなかったらしい。その事に気がつくと、諒は彼女に対して素直に(こうべ)を垂れた。

「その――ごめん。ほんの冗談のつもりだったんだ」

 彼が頭を下げたまま謝罪の言葉を述べると、咲耶はやっと凍った笑顔を崩して呆れ顔になる。

「――まぁ。そんな事だろうと思ったんだけど。1ヶ月一緒にいて思ったけど、諒って時々デリカシー無いところあるよね。前々からそうなの?」

「そうでもないよ」

 呆れながら言う咲耶と返す言葉もないといった様子の諒のところに、明美が居間の扉を開けながら半ば会話に割り込む形で話しかけてきた。明美の手元には丸いお盆があり、香ばしい匂いを放つ焼きたてのクッキーが乗せられている。

 明美は長机にお盆ごとクッキーを置いてから、ソファーの南の壁沿いのところに腰を落ち着けてその先の話を続ける。

「諒くんがそういう事を言うところって、見たことがないかな。咲耶ちゃんが初めてじゃないかな。そういう事を言うのは」

「そうなの?」

 意外に思い、咲耶は驚いた様子になる。

「うん。特に女の子の前で言うところは見たことない。私にも言ったことないんじゃないかな」

「それじゃあ、何で――」

「私が知ってる限り、一番仲が良い女の子は咲耶ちゃんくらいなんだけど――そこのところはどうなの? 諒くん」

 そう言って、明美は二人の会話を黙って聞いていた諒に話を振る。

「あ、ああ。そう言われれば……そうかな。あとは、明美くらいしか仲がいいって言える女子はいないかな」

自分の出る幕はもう無いだろうと一瞬油断していたのをばれないように取り繕いながら、諒は明美の問いかけに答えた。

 彼の言葉を確認すると、ひとつ頷いて明美は会話を続けた。

「そうだよね――。やっぱり、見てると分かるんだよね。和樹くんと絡んでるときほどじゃないけど、遠慮なく咲耶ちゃんに接してるなって思う。――それで、ちょっとデリカシーに欠けるところもあるみたいだけど」

 そう言って明美は小さく笑うとクッキーを一つ手にし、ひとかけらを口の中に含む。

「へぇ――。それはちょっと、嬉しいかな」

 明美の話を聞いた咲耶は諒に対して上目遣いになり、はにかんだ笑顔を見せる。華のような笑顔に諒は気恥ずかしくなって、後頭部を掻きながら視線をそっと逸らす。

「あはは――。まぁ、それは否定しないよ」

 照れ隠しに言って視線を戻すと、咲耶は笑顔のまま再び血色の良い唇を開いた。

「――でもやっぱり、あたしに対してのデリカシーはもう少し気をつけて欲しいけど」

 そう言ってやると、今度は悪戯っぽい笑顔になって彼の鼻の頭をつつく。

「二人して痛いところを突くのはやめてくれ……」

 鼻をつつかれて頭を引くと、諒は苦笑いになりながら抗議をした。そんな彼を見て、二人の女子はクスクスと楽しげに笑い合っていた。


 三人でクッキーを食べ終えると、諒は疲れが出てきたために15分ばかりの昼寝をすることにした。時間が経ったら起こして欲しいと咲耶に頼み、彼は眠りにつく。

 諒が寝付いたことを確認すると、咲耶は気になったことがあって明美に尋ねかけた。

「明美ってさ、諒のことどう思ってるの?」

 そう聞いた瞬間、明美の身体がほんの僅かに跳ね上がる。

「ど、どうって――だ、大事な友達だけど」

「大事な友達ね――。それにしては、諒のことをよく知ってるなとかよく見てるなとか……明美と話してると、そう思うことがあるんだよね。さっきの話もそうだったし」

「さ、咲耶ちゃんにはそう見えるんだ――?」

「うん」

 咲耶に問いかけられ、明美は内心の焦りを隠すようにとぼけた表情になってあらぬ方向を見る。しかしその視点は定まっておらず、咲耶は霊になってから初めて出来た目の前の同性の親友に対して、遠慮なしで聞いてみることにした。

「明美さ――諒のこと、好きなの?」

 彼女の突然の発言に、明美は思わず顔全体を真っ赤に染め上げる。どうやら核心を突いていたらしく、「好き」という言葉に対して反応したのか咲耶が見たことがないほど照れた顔の明美は、明らかに動揺している。

 真偽を確かめようとじっと明美を数分間、咲耶は見つめ続ける。明美は何とかやりすごそうと考えていたがそれは無理だと分かると、恥ずかしさで固まっていた身体の緊張を解き、ため息をついて降伏の合図とした。

「――う、うん……」

「いつから、諒のことが好きになったの?」

「ちゅ、中学校の頃かな――。諒くんや和樹くんと初めて会った1年生のとき……」

 観念して咲耶に本当のことを話すが、それと同時に明美は恥ずかしさを覚えてしどろもどろな口調になってしまう。

 その事を聞いて楽しげに頷く咲耶に、明美は話をそらそうと聞き返した。

「そういう咲耶ちゃんは、諒くんのこと好きなの? 最近、すっごく仲がいいし――諒くんと一緒にいる咲耶ちゃん、先月よりだんだん明るくなってきてるよね」

 不意に明美から言われて、咲耶はどきりとして身体を一瞬竦ませながらも冷静になって彼のことを考えてみる。

「うーん――好きって言うより……大切な相棒とか感謝してもしきれない恩人とか、そんな風に思ってるなぁ……。あたし、まだひと月しか経ってないのに諒の隣にいるのが当たり前っていうか――契約霊ってこともあるけど。うん、だから恋愛感情があるかって言われたら『うん』とは答えないかな」

(その割には、随分と諒くんにヤキモチ焼いていたり二人でいると嬉しそうにしていたりするけど――)

 昼寝をする諒の隣で、彼について語っている咲耶を見つめながら明美はどうやら話を反らせたらしいと胸を撫で下ろす。それと共に、この親友は意外と自分の想いに気づいていないのかもしれないと密かに思っていた。



続く


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