第11話 予兆Ⅰ
お待たせしました。一週間ぶりの投稿ですかね
和樹が退院してから、二日後――。第1学生寮の寮長である浅黄葉子の提案により、桂城公園という場所にて行われている桜祭りに行こうということになった。寮に残っていた3年生の諒を始めとする5人や一緒にと誘われた諒の担任の綾子は、葉子の運転するステップワゴンに乗って祭りの会場に来ていた。
桂城公園は、大館市中心部の市役所裏手にある。北は土手があり、長木川や市街を望むことの出来る高台となっている。かつては「大館城」と呼ばれる城が建っていた場所であるが、戊辰戦争の際に消失して以来石垣などの一部の遺構を除いて当時の面影はほとんど残っていない。公園は、この城の本丸があった辺りの西の方に整備されている。本丸跡東側には、市民体育館や武道館、市民プールなどが置かれていた。
公園には、花見をしに来た様々な年齢層の人たちが来ていた。祭りの期間としては終盤に差し掛かっているが、今日は快晴ということもあって多くの人で溢れている。
「さあ、皆さん。1時間後に、ここに集合してくださいね~。その時に一旦、お昼にしますよ~」
相変わらずのゆったりとした物腰で、葉子は諒たちに告げる。
公園の中心部には噴水が設置されており、それを囲むようにして何本もの桜の木が植えられていた。彼らが取った場所はシートが敷かれており、公園西側の一本の桜の木の傍にあった。
寮生たちはそれぞれ立ち上がり、思い思いの場所に向かっていく。ギプスがまだ外れず、松葉杖が無いと歩けない和樹は、レジャー用の椅子に座って荷物番ということになった。
「それじゃ、咲耶。行こうか」
そう言って、諒は傍らの自身の契約霊に声を掛けた。
「じゃ、また後で。綾子先生」
彼に声を掛けられると、咲耶は何事か話していた綾子に手を振る。綾子も笑顔で手を振り返して送り出すと、咲耶は諒の方を振り向いて頷いてから彼の手を引っ張って露店の方へと歩き出した。
「あ、ちょっ――咲耶」
「行こうって言ったの、あんたでしょう? あっちの露店見に行こうよ」
不意に手を引っ張られて戸惑う諒に、咲耶は悪戯っぽく笑いながら言う。その楽しげな様子を見て、諒は彼女が学校の行事以外での祭りに行ったことがないと公園に来る前に言っていた事を思い出す。
「? 何笑ってんの?」
そんな彼女の後ろ姿を見て微笑む諒に気が付いたのか、歩みは止めずにこちらに顔だけを向けて、咲耶は訝しげな表情になる。
「あ、いや――。咲耶、楽しそうだなって思ってさ」
「ふーん……。別にあたしに、何か付いてたわけじゃない?」
微笑みながら言う諒を半目で見て、咲耶は疑うような表情を見せる。
「付いてないって」
「なら、いいけど――」
今度は苦笑いになりながら言う諒に対し、咲耶は相変わらず疑わしそうな目を向けるがそれ以上は聞かず、目当ての露店に近づいていった。
初めての本格的な祭りで、露店を回る咲耶の姿はいかにも楽しそうであり、はしゃいでいるようにも見えた。露店は、土地があまり広くないこともあり精々十数件といったところだ。その他の多くは、花見客用にスペースが取られている。
「ほんと、えらく楽しそうだな――。出店もそんなにたくさんあるわけじゃないのにさ」
咲耶にあちこちを1時間ほど回ってはねだられ、仕方がないと思って金を出していた諒の本日分の予算は尽きかけようとしていた。諒は自分のほぼ空になっている財布の中を苦い顔で見下ろしながら、隣を歩く咲耶に呆れたように話しかける。
「別にいいじゃん。諒と違って、あたしはこういうの初めてなんだから」
諒の視線の先を一瞬見やってから、咲耶は何のことやらとそっぽを向く。しかし諒が横から見た彼女の姿は、今にもスキップをやらんとしているようにも見えてしまう。
「……まぁ、それはそれでいいんだけどさ――。盆の祭り見たらどうなることやら」
財布をズボンのポケットに仕舞いながら、思わず諒はぼやいてしまう。
ふと、それを聞いた咲耶の耳がピクリと動いて視線だけを諒の方へと向けていた。
「――盆の祭りって……?」
そう尋ねてくる咲耶のルビーのように紅い瞳は、いかにも興味津々といった色に染まっていた。本当はどうでもいいとでも言うかのように装うその表情を見て、言わなければよかったかと思いながらもその祭りのことについて簡単に話すことにした。
「8月の16日に毎年やってる行事なんだけど、ここから西の方にある大町の商店街を通る道路を通行止めにして、露店を開いたり色んなイベントをやったりしてるんだ。夜には長木川の河川敷で花火大会を開いて、東の方にあるあの『大文字山』で送り火をやるんだ」
諒の話を聞きながら、先程までそっぽを向いていた咲耶がいつの間にか顔を彼の方に向けて、関心したように二つの赤い瞳でその横顔を見つめていた。彼がそんな咲耶の方を見やると、意外に近いところに顔が近づけられている。
「――咲耶……興味あるの?」
彼女の熱心な表情に、諒はまじまじと顔を見ながら尋ねてみる。そう言われるや否や、咲耶は一瞬目を見張らせたかと思うと次には頬を赤く染めて、あらぬ方を見て彼から自分の顔を隠した。
「べ、別に興味なんか――。ただ、ちょっとだけ気になっただけで――」
「それを興味あるって言うんじゃ――」
咲耶の反応に対して、諒は苦笑いになりながら言葉を返した。言っていることや態度の矛盾に、諒は少しだけ滑稽さを覚えてしまう。
そんな諒に、咲耶は彼の方へ顔を向けなおしてムッとした表情を作る。その右頬は、どこか膨らんでいるようにも見えた。
「――悪い? 文句あるようなら、またみぞおち殴ってあげてもいいけど」
「それは勘弁して――」
咲耶の言葉に諒は殴られたときの痛みを思い出して腹を擦り、げんなりとした表情になる。彼女はそれを見ると、今度はにやにやとした表情に変わって諒を上目遣いで見やった。
「ならいいでしょ? 別に聞いたって」
悪戯っぽい笑みで言う咲耶に、諒は思わずため息を漏らしてしまう。白百合のようなその笑顔には、全てがどうでもよくなりそうなほどの魅力が彼には感じられた。しかし、咲耶はそんな諒の内心など知るはずもなく、楽しげに桜や露店を眺めながら彼と共に集合場所へ傍らを歩いていくのだった。
諒や咲耶は集合場所に集まり、そこでそのまま他の面子と共に昼食の弁当を桜の木の下で食べる。弁当は、葉子が弁当屋に注文していたものを7人でそれぞれ食べていた。その弁当を食べながら、他愛のないことを話し合いながらひと時を過ごしていた。
それぞれが弁当を食べ終えると、諒はゆっくりと立ち上がって咲耶に声をかける。
「咲耶――ちょっといいか? 見せたいものがあるんだけど」
彼の声を聞くと、先程まで明美と談笑していた咲耶が何事かと顔を上げる。その動きに合わせて、長くてよく整えられた黒髪が揺れる。
「別にいいけど――。どこに行くの」
突然の提案に不思議そうにしながら咲耶が尋ねると、諒は何も言わずに今いる場所から北東の方を指さした。彼の指差す先には、東屋がある。その先には、何やら景色が広がっているようだ。咲耶はそちらを見て、彼の意図が分からずに首を傾げる。
「いいんじゃない? 行ってきたら? 咲耶ちゃん」
彼の指差す方を見て納得したような表情を見せると、明美は傍らに座る咲耶に声をかける。咲耶が明美を一瞥してから、葉子や綾子の方を見やると二人も勧めるように頷いていた。
「フフフ……そんなこと言って、諒は何か良からぬことでも考えてるんじゃないかい?」
その会話を和樹と共に聞いていた田端敦は黒縁の眼鏡の真ん中を指で押し上げながら、不気味にニヤついている。東屋にはちょうど、誰もいないようだ。東屋の長椅子は会場から背を向けており、人目を阻むことが出来る。椅子の背には白く低いコンクリートの壁に取り付けられている。一応、その椅子の向かい側にも同じ構造の長椅子が設置されてりうが、敦は何か良からぬことをそうぞうしたらしかった。
「いやいや、まさか。諒と咲耶ちゃんがそんな事するはずないだろ? な?」
そう言う敦の左肩を小突きながら、レジャー用の椅子に座る和樹が二人に向けて確かめるように視線を配ってくる。しかし、その顔は敦と同様どこかニヤついている。
「するわけないって――。全然違う用事だから――って、咲耶?」
そんな彼らに対してため息をつきながら言って咲耶の方を見やると、彼女は眉間に皺を寄せて彼の事を見つめ上げている。立って彼女を見下ろしている諒の視線の角度も手伝って、その瞳は一層疑わしげなように見える。
「――あんた……そんな事考えてたの?」
「いや、だから違うって!」
意図しないことによって、あらぬ疑いを掛けられたことを理解した諒は思わず困惑した表情になる。助けを求めるように大人の女性陣の方を見やると、彼女らは酒を飲みながらにこにこと笑っているだけで何も言ってこない。どうやら、この状況を面白がって見ているらしい。酒のつまみとでも言うのだろうか。
「ちょっと、敦くんに和樹くん。そのぐらいにしてよね! ほら、咲耶ちゃんも――諒くんはそんなことする人じゃないでしょ?」
戸惑う諒を見かねて、明美が男子二人を一喝する。明美に言われ、二人は肩を竦ませて互いに見合う。そして、咲耶にはやわらかな物言いで背中を軽くたたいた。
仕方がないといった様子で咲耶は立ち上がると、諒に近寄って上目遣いで下から覗き込む。その目は、未だに疑っているかのようだ。
「ほんとに、やましいことじゃない?」
「だから、何度も言ってるじゃないか――。ほんとに見せたいものがあるだけだよ」
困り顔で説得する諒をしばらく見つめると、不意に咲耶は地面に顔を向けて肩を震わせ始めた。諒がよく見ると、それは笑っているようにもとれる。
「――っ。冗談よ、冗談。諒の反応が面白くてつい――」
「冗談って、おい――」
突然笑いだした咲耶の言葉に、諒は急に脱力感を覚える。ふと、言い出した敦やそれに乗るような態度を見せていた和樹の方を見ると、二人も同じようにして笑いをこらえている。咲耶の足元に座っていた明美は、弁当の空き容器を片付けながら呆れた表情を見せていた。
「ごめん、ごめん――。それで? 見せたい物って何?」
諒の気が付かないうちに出ていたらしい笑い涙を拭うと、咲耶は目尻を擦りながら彼に尋ねる。
「――はぁ。それは、着いてからのお楽しみってことで」
肩を落としてそう言うなり踵を返すと、レジャーシートの傍らに置かれた自分の靴をさっさと履いて歩き出す。
「あ――待ってよ、諒。ごめんってば」
疲れたように歩き出した彼を見て、咲耶も慌てて靴を履いて後を追っていったのだった。
諒が向かった東屋の先には土手があり、そこからは大館の市街地を一望することが出来た。先ほどいた場所からも見えることには見えるが、東屋の傍の桜の花に視界を阻まれていることもあって、十分に見ることは出来ない。東屋は、景色を一望するにうってつけの場所だった。大館の中でも象徴的な建物である「大館樹海ドーム」の巨大な白い屋根が、住宅地の向こうに見える。
「諒が見せたかったのって――これ?」
土手の向こうに広がる光景に、咲耶は目を見張りながら傍らの諒に尋ねた。諒は、樹海ドームの真っ白い屋根を見つめながら静かに頷く。
「そうだよ。どう?」
「何て言うか――こんな場所があったなんて……」
諒が感想を求めると、咲耶はその景色に見とれながら呟いた。落下防止用の柵の上に手を置き、身を乗り出して市街地を眺めている。諒はそんな咲耶の様子を、彼女の左隣から窺う。
諒はそっと右腕を上げると、東北東の方角を指差して彼女に話始めた。
「あっちの方に――昔俺が住んでた小坂町があったんだ」
景色に見とれていたところ、不意に話し始めた諒に咲耶は驚いて彼の方に顔を向ける。そんな彼女をよそに、諒は話を続けた。
「山の向こうに街があったんだけど、10年前の災害で中心部ごと吹っ飛んでね――。町役場があった所より若干北の方で爆発が起こって、小坂町の半分位の土地がクレーターになったんだっけ。規模が規模だったから、この街や鹿角の方も山が抉られて被害が出てた。こっちは山に阻まれてそこまで被害は大きくならなかったけど、鹿角の方は酷かったって聞いてる」
「……」
神妙な面持ちで話す諒に、咲耶は言葉が見つからないのか黙ったまま聞いている。
「小坂の町の方は、俺が見た爆発の時でこそ青森の県境近くの方の人たちは無事だったらしいけど、その後風向きが悪くて火の手が山ごと上がったらしくて……。オマケに異常な程の瘴気が混じってて、逃げられた人は一人もいなかったって――。爆心地の方は、爆発の勢いで瘴気は弾き飛ばされて消えてたみたいだけどね。あのとき、姉さんの結界のおかげで爆心地近くにいながら何とか助かったんだけど、しばらくは動けなかった」
「――お姉さん、相当凄い霊術師だったんだね」
彼の話に、相づちを打ちながら咲耶はポツリと呟く。諒は肯定の意味で頷いて、その先を続けた。
「俺も小さい頃からそう聞いてた。まぁ、あんな凄い結界を間近で見てたら嫌でも分かるけど。後から聞いたら、全国でも指折りで有名な霊術師だったみたいだよ。そんな姉さんが張った結界があった場所だけは、周りがクレーターになっているのにそこだけ不自然に残ってるんだよね。確か、生き残った皆が助けられたのは日がほとんど傾いてた時だったな。その後は、前に咲耶に話したとおりだと思うけど」
諒は一息にそう言うと、黙って話を聞いていた咲耶の顔をうかがう。その瞳は、真剣でありながら彼の話を受け止めようという意思のこもったものだった。
そんな彼女の顔を見て、諒は申し訳なさと同時に苦笑いの表情を作る。
「――ってごめん。この景色見てたら、急に話したくなって」
そう言う諒に、咲耶は髪を揺らして首を静かに横に振った。
「ううん。――そんなことがあったんだ……。あの山の向こうが――」
咲耶はそう言うと、大館の盆地を囲む山の方を見やる。その数キロ先の方では、当時の災害の爪痕が今なお残っている。
「クレーターがあるところは、今じゃ『霊圧力濃度』っていうのが濃いらしくって立ち入ることすら出来ないんだけどね。それが何なのかは、発表されてなくて分からないけれども――。災害の後に、国有地化されて小坂町は廃止になって今は立ち入ることすら禁止されてるんだよね」
小さい頃のことを頭の隅に思い出しながら、諒は咲耶に事情を説明する。咲耶にはとても想像がつかないようで、分かったような分からなかったようなといった様子になっていた。
「へぇ……。それじゃ、帰ろうと思っても帰れないってこと?」
咲耶の質問に、諒は頷いた。
「うん。だから、この辺じゃ高い山から小坂の方を望むくらいしか無いんだよね。さっき話した、『大文字山』って呼ばれてる鳳凰山の山頂からも一応見ることは出来る。といっても、抉られてクレーターにされた山の一部が天気のいい時に見えるくらいだけど」
鳳凰山の山頂は、小坂方面を望めるようにと木が切り倒されてそこには災害の記念碑が建てられている。鳳凰山に限らず、小坂の方を望める山々や標高の高くない土地にはそういった碑が点在している。
諒はその事を思い出しながら、話を終わらせて隣の咲耶に微笑みを向けた。
「そっか――。ほんとに、大変だったんだね」
そんな諒を気遣うように、咲耶はそっと呟くのだった。
「きゃーっ!」
諒と咲耶がしばらく大館市街を土手から眺めていると、祭りのメイン会場である方から女性の悲鳴と共に爆音が響き、地面を揺らす。二人は驚いて音のした方を見ると、屋台の方から火の手が上がり、煙が空へと昇っている様子が見えた。女性以外の多くの人々の悲鳴も聞こえてくる。
「諒! これって――」
「ああ、ただ事じゃない。和樹たちのところに戻ろう!」
緊迫した表情で言う咲耶に、諒は頷きながら彼女と共に駆け出す。比較的和樹や明美らがいた所に近い場所で起こった爆発のため、彼らの安全を確認する意味も含めて諒と咲耶は走っていく。
「皆! 大丈夫か!?」
昼の弁当を食べた桜の木の下へと駆けつけるなり和樹たちの姿を見つけ、諒は声を張り上げる。その声に気付いた和樹が、諒と咲耶に向かって手を振った。
「こっちは大丈夫だ。それより、出店の方がやばいぞ。それと――」
和樹はその場の無事を諒に告げて、露店がある方を見やる。諒と咲耶もそちらを見ると、露天からは次々と火の手が上がり、祭りに来た客が次々と逃げ惑っている。
「あっちに敦のやつがいるはずなんだ。あいつ、普通科で霊術はからっきしだろ? 俺は怪我してて動けないから、早く行ってきてくれないか」
彼の言葉を聞き、諒は視線を戻してその場にいるメンバーを確認する。葉子と綾子は必死の表情でどこかに連絡を取っており、明美は不安そうにことの推移を見守っている。しかし、一緒にいたはずの敦の姿は確かに見当たらなかった。彼は、通常科目ならばそれなりに出来るが、霊術に関しては使えないわけではないにしろからっきしなのである。
「というか、和樹。爆発だけならまだしも、霊術って――?」
和樹の言葉に引っかかりを覚えて、諒は逼迫した表情で彼に尋ねる。すると、和樹は険しい表情になって何が起こっているのかを告げた。
「さっき逃げていった人から聞いたら、悪霊が5,6体くらいどこからともなく現れて暴れ回ってるんだとよ。確かによくみたら、瘴気を纏った何かがチラチラと見えたからな。まず間違いない。綾子ちゃんたちが警察やら対策室やらに連絡とってるけど、来るまで数分かかるんだとさ。とにかく、このままじゃヤバイから行ってきてくれ!」
それを聞くと、諒は火の手が上がっている方を見て不安げにしていた明美に声をかける。
「明美、一緒に来てくれ!」
「諒、くん――?」
彼に声を掛けられ、明美はいつになく不安げな表情をそちらへ向ける。
「明美、回復霊術が得意だったでしょ。怪我してる人がいるだろうから、そっちの応急処置をしてくれ」
諒にそう言われると、明美は弾かれたように立ち上がる。彼の言うように、明美は回復霊術を得意とする生徒だ。他にも防御霊術もよく使え、サポートに特化したタイプであると言える。
明美が立ち上がるのを見ると、諒は明美と咲耶にそれぞれ目配せをして頷く。それを合図に3人は悪霊が暴れているという露天の方へと走り出していった。
「敦!! 大丈夫か!?」
走りながら諒が敦の姿を見つけると、そちらに向かって叫ぶ。露店のほとんどは火の手によって燃えており、見る影もない状態だった。その火からほど近いところで、敦はその場にへたりこんで座っている。その視線の先には、刀を今まさに振り下ろさんとする男の悪霊の姿があった。
「あ……あ……」
敦はその霊を前に、絶望した表情を見せている。
「ヒート・ブラスト!!」
それを見た咲耶が、駆けながら右手を上げて炎の弾丸を放つ。その弾丸が男の悪霊に命中すると、手に持っていた刀は弾き飛ばされて敦の近くの地面に突き刺さる。男は、そのまま火の中へと弾き飛ばされていた。
「ギャアアア!!」
おぞましい悲鳴と共に、男が火の中で消えてしまう。諒たちは、そのまま敦の元へと駆け寄って彼に異常がないかを確かめた。
「さ、三人とも……」
次に襲いかかろうとする別の悪霊の前に諒と咲耶が立ちふさがり、明美が腰の抜けた敦をその場から立たせる。
「敦、和樹たちのところに逃げろ! ここは俺と咲耶で食い止める!」
そう言って、諒は地面に突き刺さっていた先ほどの男の霊が持っていた刀を手にする。敦は、明美に助けられながら辛うじて逃げ出していった。
「諒、それって――」
「ああ。さっきのAランクの悪霊が持ってたやつだよ。消えるまで長くは持たないだろうけど――寮に置いてきた矢島の代わりくらいにはなると思う」
尋ねてきた咲耶にそう答え、こちらに向かってくる同じAランクの悪霊に対して刀を構える。強度は霊刀矢島ほどでは無いが、ある程度使える代物であることを諒は確かめる。
「Aランクの霊が4体……。咲耶、2体ずつ手分けして一気に片付けよう。咲耶は向こうの霊を撃破してくれ」
「分かった。気をつけてね、諒」
傍らの咲耶と役割を分担すると、諒は片足を踏み込んで一気に前へ駆け出す。咲耶は彼の提案に了解すると、首の周りに炎のマフラーをまとわせてから諒の目の前の2体いる霊の上を飛び越えて、別の2体へと向かった。
咲耶の気遣う言葉に気を引き締めて、諒は自身の持つ刀に身体から発現させた炎を纏わせる。
「――炎よ、我が刃に火の加護を与え賜え!」
彼の詠唱と共に、その炎が瞬く間に刀身を覆い尽くして炎の刃を形作る。刀を一息に頭上へ振り上げると、目の前に迫っていた人の形をした悪霊へ向けて一閃して振り下ろす。
「ガァァァッ!」
諒の「炎熱斬」が命中すると、その悪霊は肩から腹部にかけてが切り裂かれて悲鳴と共に消滅する。
ふと、彼の真上から2体目の悪霊が瘴気を纏って襲いかかってくる。その攻撃を、諒は咄嗟に刀身を使って防御の姿勢を取って受け止める。
「こいつ――犬の霊……」
先と同じAランクであるらしい霊を間近で見て、諒はそれを見破る。犬の霊は、自身が焼ける危険も顧みず彼の持つ刀の刃に鋭い牙で噛み付いていた。犬の霊の噛み付く力は強く、諒が手にした刀の刃が軋んでいく音を立てている。
刀身の刃の一部が犬の牙によって欠けると同時に、諒はその霊を刀を振って無理やり引き剥がす。霊は弾き飛ばされて背を地面に打ち付けると同時に、体制を立て直して四つん這いになり、諒を鋭い眼光で睨み上げる。歯ぎしりしたその口からは、怒りの唸り声が瘴気と共に漏れ出していた。
「そうか。さっき俺が倒した男の霊の――」
諒はそう呟いて納得した表情になると、自身も体制を立て直して犬の悪霊に真正面から向き合う。
犬の霊が再び諒に襲いかかろうとすると同時に、彼もまた足を踏み抜いて霊の方へと向かっていく。左手の方に飛び上がった犬の霊を捉えると、諒は炎を纏った刀身を左から右へと一気に薙ぎ払い、その身体を斬り裂いた。
「ウウウ……ッ!」
真っ二つに胴体を斬り裂かれた犬の悪霊は、低い呻き声と共に虚空に霧散して消滅した。
「諒! 大丈夫?」
諒よりも少しだけ早く敵を片付けたらしい咲耶が、そう言って彼の元へと戻ってくる。諒は他に敵がいないか警戒するために刃先を後ろへ向けて、右の腰の辺りで構えてから咲耶に無事を伝える頷きをした。
「こっちは大丈夫。咲耶は――問題なかったみたいだな。火が結構回ってるから、早くこの場から離れ――」
「危ないっ!」
彼が咲耶にそう言って一旦逃げようと提案しようとしていたところに、彼女の逼迫した叫び声が耳を打つ。咲耶は必死の形相で諒に飛びかかると、その衝撃で彼女共々彼は後方へと弾き飛ばされた。その瞬間、彼らが先程まで立っていた場所に大きな穴が空いて地面が凹んだ。
「ぐっ――」
背中を勢いよく地面に打ち付け、諒は声を漏らしながら仰向けになる。その彼の身体の上には、諒を助けるために身を投げ出した咲耶が胸元でのし掛かった格好になっていた。
「諒、無事――?」
「何とか――。下が土でよかった」
咲耶は彼の胸元のところに来ていた顔を上げ、申し訳なさそうな表情をしながら無事を確かめる。打ち付けた背中の痛みを堪えながら、諒は無理やり笑顔を作って彼女に笑いかけた。そんな彼を見て、咲耶は安堵した顔になる。
諒の身体の上から起き上がり、それから立ち上がる咲耶に手を貸してもらいながら自身もまだ残る背中の痛みに耐えつつ立ち上がる。立ち上がった二人の視線の先にあったのは、先ほどの大きな穴とそれを見つめる大男の悪霊の姿があった。その悪霊は、右手に自身の身長の倍はあろうかという地面に下ろされた巨大なハンマーの柄を持ち、燃え盛る炎を背景に今度は二人に視線を向ける。
「こいつ――Sランクだ……。しかもかなりの強い力を持ってるみたいだ――」
刀を構え直して諒は新たな敵を睨みつけると、咲耶に警戒を促す。咲耶も拳を握り締めて、警戒の体制をとった。
瘴気につつまれた男は藍色の着物を着ており、その隙間からよく鍛え上げられた筋肉が垣間見える。腕の筋肉に力を入れたと思うと、一息に巨大なハンマーを両手で持って諒と咲耶に向かって振り上げ、彼らを一目散に走り出した。
「ヤバイ――ッ!」
予想以上にその霊の足は早く、諒と咲耶は逃げ惑う。守るには諒の防御霊術では防ぎきれず、かと言って逃げ切ることも反撃することも出来ない状況に追い込まれてしまっていた。
「間に合わない――」
諒と咲耶は、そのままの体勢のまま敵を凝視しながら動けなくなってしまう。
「ヴォォォ!」
遂にその悪霊は彼らの目の前に迫り、その巨大なハンマーを振り上げた。諒は歯ぎしりしながらそれを睨み上げ、咲耶は腕で自身の顔を覆う。
「くそっ――」
諒が悔しげに呟くと同時に、不意に大男の悪霊の左の脇腹で爆発が起こった。
「ガァァァッ!?」
霊は突然のことに対応出来ず、爆発の勢いで反対の方へと倒れ込んだ。同時にハンマーが手から滑り落ち、真下の地面を打ち付ける。思わず諒は、目の前で起こった事態に目を見開いて霊の脇腹を見た。
「え――?」
腕で顔を覆っていた咲耶は、その音を聞いて恐る恐る自分の目の前の様子を覗ってみる。彼女の数歩離れた先では、先ほどの悪霊が横向けに倒れて脇腹を抑えながら呻いていた。突然のことに、咲耶はついて行けずに開いた口が塞がらなくなっていた。
「これは――霊術弾……? しかも無属性でこの威力は……一体、誰が――」
諒が倒れた霊を信じられないといった様子で見ると、その脇腹は大きく抉られている。その中身からは、霊を包むものと同じ瘴気が漏れ出していた。
霊術弾は通常霊術のうちの攻撃霊術に分類される基礎霊術である。本来ならばSランクの悪霊相手に大ダメージは与えられないが、この弾はそれとは違った桁違いの威力を持っていた。目の前で起こった現象から、カスタマイズが加えられたものであることは諒にも分かった。
「――ここは、私たちに任せてもらえないだろうか」
ふと声がした方を諒と咲耶が見ると、中年くらいの白髪が混じった髪を極短く切りそろえた男性を中心に若い男女が数人、臨戦体勢の構えを取っている。
「これはあなた方が――」
諒が中年男性に尋ねると、彼は皺が刻まれた顔をゆっくりと縦に振った。
「そうだ。今のは、私の部下のものだがね――。私たちは、対霊特別対策室の大館管区の者だ。今から管区長の私がこの場の指揮を取らせて頂く。ここは任せて、君たちは早く逃げなさい」
低いながらもよく響く声で、管区長という男性は諒と咲耶に避難を促す。
諒と咲耶は互いに顔を見合うと、この場は任せた方がいいという判断で一致して頷き合う。この時既に、綾子たちが連絡したためか警察や消防も駆けつけて待機していた。
「それでは――失礼します!」
諒は燃盛る炎の業音に負けない声を腹から出してお辞儀をすると、同じく彼の後に続いてお辞儀をしていた咲耶の手を引いて、和樹たちの方へと走り出した。
つづく