第10話 ある休日
またまた日常回ですね。書いていると、どうしても多くなってしまう不思議
2043年5月2日――春先の事件から1ヶ月が経った。目立った被害は幸い無かったが、近隣住民や他のクラスの生徒たちには「使用機械の爆発事故」として知らされるのみに留まった。よって、この事件の事を知っているのは大館分校の教師とD組の生徒、そして対霊特別対策室だけだ。学院からはくれぐれも外に漏らさないようにと忠告を受けていた。
逢沢希は、「契約召喚霊術札」によって自身も含めて危険極まりない契約行為を行おうとしたことと、暴走を引き起こしてしまった事から5日間の停学となった。停学が解けた後は、特にクラスの女子生徒から彼女に心配する声が掛けられ、同級生に信頼されている様子を伺わせた。
一方、先月の旧下川沿研究所での戦闘で左足を骨折する重傷を負ったために大館市立中央病院に入院していた、石川和樹が退院することとなった。怪我の経過は順調で現在は松葉杖つきではあるものの、歩ける程度には回復したようだった。月末には回復霊術による回復促進のための手術が行われるらしい。
そんな和樹が昼を前に、綾子の運転する車で諒や咲耶と共に第1学生寮へと帰ってくるのだが――
「は――? な、なぁ、諒。一体これはどういうことなんだ……?」
つい先月までの和樹の部屋であった101号室を見て、意気揚々と帰ってきた彼は目の前の部屋の現状に硬直する。
元々諒が使っていたスペースはそのままだったが、和樹が使っていたスペースは一切見当たらず、代わりに女子が使う服や物が置かれている。ベッドの掛け布団や毛布、シーツは白や淡いピンクで彩られたものになり、壁際には女子生徒用の制服が掛けられている。部屋の入り口に入ってすぐにある机は学校の教科書や明らかに女子が使うと分かる筆箱や、小物が置かれている。
入り口をくぐった所で棒立ちになっていた和樹の後ろから、申し訳なさそうな顔をした諒と淡いピンク色の百合を想起させるブラウスとスカート姿の咲耶が入ってくる。
「えっと――。その……だな。契約霊の弊害があって――」
「それは知ってる! それで何でこうなるんだよ!? って聞いてるんだっての」
諒の言葉を遮り、和樹が理解出来ないといった表情で彼に詰め寄る。あまりに顔を近づけてくるため、彼の肩を押しながら諒は一通りの事情を説明した。
諒からの説明を受け、和樹は一応納得したような表情を見せた。
「それで――俺の荷物は一体どこに……?」
大体想像は出来ているといった顔で、和樹は諒に尋ねる。
「あ――。それなら105号室に移ったけど……葉子先生の提案で」
「――!?」
諒が北を指差し、一番奥まったところにある105号室を示すと和樹はとたんに青い顔になり、部屋を駆け出してそちらの方へと走っていった。
傍らにいた咲耶と顔を合わせ、苦笑いをしながらも彼の後に付いて行く。
扉の開け放たれた105号室に着いて覗き込むと、先ほどのように硬直して部屋を眺めている和樹の姿があった。
「か、和樹――」
「なぁ、諒。それと咲耶ちゃん――」
震えた声で話しかけようとした諒を遮り、和樹が前を見たまま二人に声を掛ける。
「何で――何で部屋に一人だけなんだよ!? 隣の103号室があるだろ? 確か一人分入れたよな!?」
そう言うなり諒と咲耶の方を振り向き、和樹が訴えてくる。彼の言うとおり、105号室の南隣にある103号室には一人分の空きがあり、2年の男子が一人居た。
「それなんだけど――。後から葉子先生に何でここか聞いたら、『今さら他の学年の子と一緒より、一人がいいでしょう?』って――。すまん、あの人一度決めたら勝手に進めちゃうとこあるみたいだから……」
「葉子ちゃん、変な所に気を回しすぎだって! ――ってことは……咲耶ちゃん、あの段ボール箱の本、見た……?」
弁明する諒に悲鳴のような声を上げた後、はっとして和樹は彼の傍らの咲耶に尋ねる。
「ダンボールって……もしかして、水着の女の人……の?」
「そうそう、それそれ」
彼に言われて何事か思い出した咲耶は気恥ずかしそうに確認を取り、和樹から肯定の返事を貰うと、頬をほんのり赤く染めながら半目になって彼の問いに答える。
「あんたって――というか、男の人ってああいうのが好きなわけ?」
腰に左手を当てながら肯定の態度を取る咲耶に、和樹はガクリと肩を落としてからその場に蹲って頭を抱える。
「ああ……、諒――。お前が半分そっちで持ってたら良かったのに――!」
「女子がいるのに、そんなの置いておくワケ無いだろ――それに、あれは全部和樹のものだからな? 自分で持っておけよ」
「んな、ご無体なぁ~!?」
溜め息を尽き、うな垂れる和樹の頭の上から諒の声が降る。その声に、和樹は顔をばっと上げて抗議をした。
和樹の新たな部屋となる105号室は、彼一人の部屋であること以外は101号室を含めた他の部屋と変わりは無い。机は窓際のものが、2段ベッドは下段が使われていた。
諒と咲耶は、2段ベッドの下段に腰を下ろし和樹は自身の机の椅子に座る。そして和樹は、ベッドの方に向く背もたれに右ひじをつき、彼らにこの一ヶ月の寮生活について問い始めた。
「それで――あれか。この一ヶ月弱、着替えも風呂も一緒だったって言うのかよ? あとトイレか」
和樹にはっきりと聞かれ、諒と咲耶は思わず耳が赤くなる。何か話さなければと、諒が先に口を開いた。
「ま、まぁ……そうなるな。着替えは互いにタイミングずらして、風呂は水着を着て何とか――。トイレは俺だけで、咲耶は契約霊だから――」
続いて、咲耶もこくんと頷いてから話し始める。
「だからって――諒が何かしたってワケじゃないから……」
二人のしどろもどろな様子に、和樹は思わず頭をガリガリと掻きむしる。そして、眉をひそめながら声を上げた。
「何だよ、そりゃ! 羨まし――じゃなくて、他の連中に何も言われないのかよ!?」
突然声を上げられて一瞬身体を竦ませる諒と咲耶の前で、和樹は一瞬本音を漏らしかける。ふと、先ほど閉めていたドアが開き、その音に3人はそちらの方へ揃って視線を向けた。
「その件については、私の方から話しても良いかな?」
ドアを開け、こちらを覗き込んでいた人物は寮長・葉子の妹でもある浅黄明美だった。様子からして、先ほどまでの会話を盗み聞きしていたようだ
「あれ? 明美ちゃん。聞いてた?」
突然、話に入り込んできた明美に対して和樹はとぼけた声を出す。
「聞いてた? じゃないでしょ――まぁ、昼食出来たから呼ぼうって思ったらこの部屋から話し声がして――途中まで聞いちゃった」
和樹に呆れたように返事をしながら、明美はベッドに座っている咲耶の左隣に座る。どうやら、余り悪びれた様子ではないようだ。そのまま咲耶に肩を寄せ、彼女の左頬を人差し指でつつき始める。
「ちょ、ちょっと。明美ってば――」
「あはは、やっぱり咲耶ちゃんの頬っぺたって柔らかくて気持ちいい――。諒くんたちじゃ、要領悪そうだから私から話すよ?」
拒絶はしないまでも悪戯に困った表情を見せる咲耶の顔を楽しみながら、明美は彼女徒諒の二人に確認をとった。諒には、どうしても自分が話したいのではという雰囲気を感じたが――ここは任せるしかないと、彼はひとつ相づちをうった。
それを確認すると、明美はこの1ヶ月のことについて和樹にどこか意気揚々とした様子で語りだした。
「ふぅん――。学校では教員用トイレを貸してもらって、風呂はいつも基本的に一番最後と――。葉子ちゃんから許可貰ってるって言っても、よく今まで他の部屋のやつらにばれないな――」
和樹は思案顔で、明美から受けた説明を簡単にまとめた。彼の言うように、特に風呂の際には他の寮生に見られないように注意を払いながら、二人は生活をしてきた。
「そういうこと。しっかし、今までよくバレなかったね。二人とも」
そう言って、明美は驚いたような表情をしながら諒と咲耶を見やる。しかし、彼女の口元は半分ニヤついていた。諒は彼女のそんな表情に戸惑いながらも、話の間を取り持とうとする。
「ま、まぁ――ね。咲耶には色々迷惑かけてるけど――」
諒がそう言って自身の左隣に座っている咲耶に顔を向けると、ルビー色の紅い瞳を上目遣いにして覗き込み、彼の鼻の頭を右の人差し指でつつく。
「ホントだよ。学校じゃ、事前にちゃんと言ってるのに男の先生に変な目でみられたり風呂のときは洗面所の間仕切りから着替えてるとこ覗かれたりするし――どうしてくれるの?」
咲耶の半分呆れた顔に申し訳なさを覚えつつ、諒は苦笑いになる。
やはり端から見ると、普通の女子生徒が男子生徒と教員用トイレに入るというのはどうも慣れないらしく、まじまじとでは無いにしろ入れ違いになった男性教師に横目で見られることはままあった。
「ほうほう。それで諒? 咲耶ちゃんの着替え覗いたって言うけど、そこのところどうなんだ――あちっ!」
咲耶の話に興味を示し、下種のような顔で和樹は諒に尋ねる。その質問をした瞬間、白百合のような顔をほんのり赤く染めた咲耶から、小さな火の玉が飛ばされてきた。
本人にとって誤解を招くような発言に、諒は困惑した表情で頭を掻きながら和樹に弁明を行う。
「それは事故だよ、事故――。大体それ、間仕切りのカーテン提げてるつっかえ棒が緩んで落ちたときの話じゃないか――。そうだよな? 咲耶」
諒が咲耶に同意を求める目を向けると、彼女は先ほどの赤くなった顔のままツンとそっぽを向く。そのやりとりに、咲耶の隣に座っている明美は困ったような顔をしながらも微笑ましいものを見る目で二人を見つめていた。
「まぁまぁ。そのときは皆2階の居間にいて遊んでたから、運よく皆には聞こえなかったじゃない。私は1階にいたから咲耶ちゃんの悲鳴、丸聞こえだったけど」
「ひ、一言余計だってば――」
諒からそっぽを向いて明美の方に顔を向ける咲耶を、隣に座る彼女がなだめるが最後の一言によって、顔をますます赤くさせてしまう。しかしながら、そんな咲耶は面目ないと言った様子で肩をすぼませていた。
「ほんとに凄かったんだから。壁越しに悲鳴が聞こえたから見に行ったら、諒くん張り飛ばされてたんだもん」
「そういえば、そうだったっけ――」
咲耶の隣でさぞ楽しそうに話す明美に対し、諒はその時のことを思い出して思わず左頬を擦る。彼の向かい側で机の椅子に座る和樹は、興味津々と言った様子で続きを促してきた。話さなければいつまでも問い詰めてくるだろうなと思い、諒は渋々その日のことを話すことにする。
「風呂のつっかえ棒がカーテンごと落ちたのは話しただろ? いつも俺は真ん中のカーテンよりトイレ側で、咲耶が風呂側で着替えしたり身体拭いたりしてるんだけど――あの日の夜は、俺は先に着替え終わって咲耶を待ってたんだ。そしたら、変な軋むような音がし始めて……気が付いたときには――その」
状況を説明しようとして、諒は自分がこれから言わんとすることに思わず恥ずかしさを覚える。助けを求めるように左の方を見やると咲耶は相変わらずそっぽを向いたままで、明美は先ほどと変わらず楽しげな表情をしている。二人はどうやら、助けるつもりはないらしい。和樹の方も、ニヤニヤとした表情でこちらを見つめていた。
どうやら、話す他にないらしいと判断した諒は咳払いをして先を続ける。
「まぁ、その。プラスチックのつっかえ棒の、壁際で支えてる部分が緩んだみたいで壁からずり落ちたんだ。そしたら、バスローブ姿で髪を乾かしてた咲耶がいて――気が付いた時にはもう遅かった」
身体のラインがはっきりと露わになり、咲耶の身を包んでいた白いバスタオルがはだけた時のことを思い出し、諒は自分の耳が赤くなるのを感じる。
そんな彼に、溜め息を尽きながらも顔だけはニヤニヤとしている和樹が口を開く。
「――つまり、素っ裸だったってわけだな」
その先を言い当てられ、諒はますます気恥ずかしさと居心地の悪さを覚える。咲耶は顔を真っ赤にしながら肯き、明美はそんな二人を見てくすくすと笑っている。
「ほんと、諒ってばその場で固まってあたしのことガン見して――張り飛ばさないわけがないでしょ」
「ほんと、ごめん……」
顔を赤くしながらも、ようやく諒に顔を見せた咲耶は恥ずかしげにそう呟く。諒は彼女の愚痴に一も二も無く謝る。
「まぁ、この話はこれくらいにして――と。もうすぐ昼ごはん出来るから、3人とも行こう?」
諒が咲耶に謝罪をした後、明美がすくっと立ち上がって彼らをダイニングへ行くように促す。3人はそれぞれ顔を見合わせてから彼女の言葉に従って立ち上がり、明美の後から105号室を出て昼の食卓へと向かった。
昼食を済ませて2時間が経った後、諒と咲耶は明美と共に学院の表通りを挟んだ向かい側にある、近くのスーパーに買い物をしに行った。和樹の退院祝いに「きりたんぽ鍋」をやろうと明美が提案したためだ。今日はゴールデンウィークということもあってか、寮の1,2年生は実家に帰っていたため、残っているのは咲耶も含めて10人中5人の3年生と寮長である葉子しか残っていない。3年生は諒と咲耶、和樹に明美と102号室の住人の一人で3年A組の生徒である田畑敦の計5人だ。
6人分の食材を買って寮に帰った後、明美は夕食の下準備を始めるのだった。
明美は、諒と咲耶の手伝いを必要とせずに一人でテキパキと準備を進めていく。手伝えることが無いらしいと察すると、諒は彼女に一言断ってから咲耶と共に自室に戻って行き今日から6日までの5日間続く連休の、通常科目の課題の続きを片付けることにする。
この日は国語と英語、そして彼が社会の時間に選択している日本史の課題に取り組んでいた。咲耶も自身の分からない所を互いにカバーしようという考えから、諒と同じ課題に取り組んでいた。
日もすっかり暮れた頃、ダイニングの方からは食器を用意する音が聞こえ始めていた。その音を耳にすると、諒は課題プリントを机の脇に寄せて咲耶に声をかけた。
「咲耶。そろそろ夕食みたいだから行こう」
諒に声をかけられて咲耶は部屋の掛け時計を見ると、時計は午後の6時半を示していた。彼女も課題を一纏めにして机の隅に置く。
ドアを開けて諒たちが部屋を出ると、ダイニングの方から鍋の音と出汁の香りが漂ってくる。諒たちがダイニングに入ると、既に他の残っていた寮生と葉子が着席している。台所から、明美が丁度鍋に入れる野菜を持ってくるところだった。
「ほらほら。そろそろ始めるから座ってね」
明るい調子の声で明美に促され、諒と咲耶はそれぞれ席に着いて互いに向かい合う。端に座る彼の右隣には和樹が座り、その隣に隣室の田端敦が座っていた。
向かい側の席でも、咲耶の左隣に明美が座りその隣では葉子が相変わらずのマイペースな笑顔を振りまいていた。
「へえ、これがホントの鍋……」
咲耶は、明美によって次々に鍋に入れられていく野菜やきりたんぽを見て直ぐにでも食べたそうに目を輝かせている。
「咲耶さんは、鍋初めてなのかい?」
彼女の物珍しそうな様子に、田端敦が陽気にそんなことを尋ねかける。彼は黒縁の四角いメガネを掛けており、テンションの高い一面を持つ男子だ。そんな彼の額に、明美が立ち上がってチョップをお見舞いする。
「こら――少しは大人しくする!」
「何だよぉ。明美さぁん……。別にいいじゃんか~」
唐突に食らわされたチョップに、敦は捻くれた声で抗議する。
そんな彼に再び噛みつきそうになる明美を手で制し、苦笑しながらも咲耶は敦の質問に答える。
「まぁ、そうだね。あたしが小学校のころは給食で、きりたんぽ鍋は食べたことあるけどそれでもちゃんとした鍋を食べたことはなかったかな」
それを聞くや否や、敦はマズイことでも聞いたかと少し気まずい顔になる。
「あ――。ごめん、余計なこと聞いたかな?」
「ううん、あたしは大丈夫だよ」
彼の心配に、咲耶が首を横に振っていると明美から声が掛かる。
「――それじゃ皆、食べるよ。和樹の退院を祝して――頂きます!」
「いただきます――」
彼女の合図に合わせて、他の面子も後に習うと早速それぞれの器に鍋の具材とスープを取り始めた。
諒は鍋の具材とスープを器に移すと、自分の前に持って行って最初の一口のスープを蓮華で喉に流し込む。続いて箸に持ち替え、ネギにゴボウや比内地鶏の肉をよく噛んで味わう。
「やっぱり、そう何度も食べるものじゃないしな……。ほんとに美味い」
諒は口にしていたものを飲み込んでから、そんな感想を口にする。
「ほんとにそうだな。病院食よりずっといい」
和樹もそれに無条件に同意し、久しぶりのご馳走に箸が進んでいる。諒の向かいに座る咲耶も、初めてたべる本格的な鍋に夢中になっていた。明美や葉子、敦も目の前のご馳走に夢中になっている。
そんな彼らを見ながら、諒はこの鍋のメインであるきりたんぽに箸を伸ばし、口にする。食べやすいサイズに切られたそれは、彼の口の中で粳米の粘り気と比内地鶏の出汁が効いたスープが絡み合う。
「諒――これ、ほんとに美味しいね。給食で食べたときのよりずっと美味しい」
咲耶もきりたんぽを口にすると、頬を紅潮させて彼に話しかけた。
「そうだろう? こうして皆で鍋を囲んで、出来立てのものを食べるのが特に美味いんだよね」
諒はそんな彼女に、同意と共に一言付け加える。
不意に、ゆったりとした調子で葉子が食卓を囲む生徒に話しかける。
「そういえば――皆さん、知ってます? きりたんぽって、他にも串に刺したまま食べますけど、あれって『きりたんぽ』じゃなくて『たんぽ』って言うそうですよ~」
「へぇ――」
にこやかに話す葉子に咲耶は関心を示すが、他の者はその話を無視して目の前の食事に夢中になっていた。
「――って、皆さん。聞いてくださいよ~」
「聞いてる、聞いてるって。葉子ちゃん」
和樹から一応の返事は来るが、余りのスルーのされ具合に葉子は残念そうな表情を見せていた。彼女の隣では、妹の明美が呆れた表情をしながら食事を進めている。
「全く――お姉ちゃんったら……。きりたんぽのあれこれ話すのもいいけど、早くしないと皆に具が持ってかれちゃうよ?」
その言葉に葉子は慌てて箸を取り、お代わりを自分の器に移す。この時点で既に、たくさん容易された具の半分と少しが彼女以外によって消費されていた。
諒も遠慮なくお代わりを器に入れ、口の中に広がる味と香りを楽しみながら夢中で食べ続けていた。
明美の片付けを手伝った後、諒と咲耶は自室に戻ってそれぞれ椅子に座ってくつろぐ。諒も咲耶も、きりたんぽ鍋をたらふく食べて満腹になっていた。
「はぁ、よく食べたぁー」
自身の椅子に座り、腹を休ませている諒の隣で咲耶が溜め息と共に口を開く。
「ほんとによく食べてたな、咲耶。全力で戦っても大丈夫かもね」
笑いながら、諒はもしも今すぐ戦うことになったらということを想定して彼女に話し掛ける。咲耶の場合、諒との契約によって実体化しているために戦う際のエネルギーとして食事が必要な身になっていた。
彼の言葉に、咲耶も頷く。
「確かに――。流石にちょっと、お腹休ませてほしいって思うけど」
そう言って、咲耶は自分のお腹を擦る。
「ははは――。咲耶があんまり美味しそうに食べてるから、明美が喜んでたな。――今日は和樹の退院見舞いだったはずなんだけどね」
微笑みながら、諒は幸せそうな表情の咲耶の目を見る。申し訳なさそうに苦笑いをしながら、咲耶も彼の目を見返した。
「うん、美味しすぎてつい――」
「まぁ、和樹も別に悪い顔はしてなかったしいいんじゃないか? 折角だから咲耶に食べさせたい、って明美は言ってたし」
そんな咲耶に、諒は気にするなと言うように言葉を返す。実際食べさせたいというのは、買出しの際に明美からこっそりと聞いていたことだった。
「そうなんだ――」
彼からそのことを聞くと、咲耶は椅子の背もたれに身を預けながら嬉しげにはにかんだ。
腹を休ませてから今日の分の連休課題を片付けた頃、丁度ドアがノックされて明美から風呂が空いたことを知らされる。
諒と咲耶は手早く準備を済ませて、風呂場に繋がる洗面所に足早に歩いていった。
「それじゃ、前みたいに覗かないでよね」
咲耶は念を押すように諒に言うと、洗面所の真ん中の間仕切りをさっさと閉めて風呂場の入り口の方で着替え始める。そんな彼女に溜め息混じりに言いながら、諒も着替えを始める。
「心配しなくても、俺にそんな趣味はないから」
「どうだか――」
カーテンの向こうから、咲耶の訝しげな声が聞こえてくる。
(全然信用されてないな――)
諒はそんなことを思いながら、傍らに置いていた入浴に使う男性用の競泳水着に手を伸ばした。
「――カーテン、開けていいよ……」
カーテンの向こうで物音が収まると同時に、咲耶が諒に声を掛ける。 先に着替え終わっていた諒は、その声を聞くとそっと間仕切りのカーテンを開けた。
咲耶は長い髪の毛を邪魔にならないようにひとつに纏めて、身体を洗いやすいようにと水色のビキニを着ており、胸元や腹部の辺りの白い肌が露わになっている。
「それじゃあ、行こうか」
諒は毎日と目にするその姿へ目のやり場に困りながらも、咲耶の脇を通って浴室の扉を開けた。
真ん中ほどにある浴室への扉を開くと、左手の西側に浴槽と窓が配置されており右手にはシャワーや鏡などの身体を洗うためのスペースが置かれている。浴室自体は実際のところ広くはないものの、シャワーや浴槽の配置から見た目よりも広い印象を持たせていた。
二人は身体にお湯をさっとかけると、大人一人が足を伸ばして入れられる程度の、よく温まった湯船に浸かる。
「……」
「……」
西の壁沿いに配置された浴槽に、二人は黙ったまま浸かっている。1ヶ月近くも繰り返していることだが、二人とも何を話せばいいのか分からなくなり結果として無言の時間が続いてしまうことは、彼らにとってよくあることだった。互いに、未だ拭い切れない恥ずかしさというものが邪魔しているのだろう。
「そ、それじゃ――先に身体、洗ってくるね」
「あ、ああ……」
しばらく湯船に浸かった後、咲耶が諒に了承を取ってシャワーの方へ向かう。そのまま彼に背を向けて椅子に座ると足元に風呂桶を置き、シャワーからお湯を出す。
諒はその様子を確認すると、身体の向きを変えて浴槽で脚を伸ばす。頭を南の壁に預けると、向かいの壁を見上げてぼんやりした。流石に、水着を着ている部分だけ洗わないというわけにもいかないため、目を逸らすという目的もあった。
咲耶が身体を洗い終え、入れ替わりで諒も身体を洗いに行く。自分用のボディタオルにボディソープをつけて身体を洗い、背中に移ろうとしたところで咲耶が後ろから声を掛けてきた。
「背中、流そうか――?」
鏡越しに後ろを見ると、いつの間にやら湯船から上がっていたらしい咲耶が彼の傍にいた。しかし、鏡は曇っていてその表情はよく見えない。
「それじゃあ……頼んでもいいかな? これ使って」
「う、うん――」
諒は言いながらボディタオルを渡すために後ろを振り返ると、どこか緊張した面持ちの咲耶の顔が彼の目線と同じ高さにあった。その顔は、湯船で温まったのか赤くなっているようにも見える。
諒からボディタオルを受け取り、咲耶は彼の背中を洗い始める。その動きには、どことなく固いものが感じられるが、強すぎず弱すぎずといった塩梅で彼の背中を流していた。
「そういえば、こうやって背中を流してもらうのも1ヶ月ぶりだよな」
咲耶に背中を洗われながら、諒はぽつりと呟く。その声は、浴室の壁に響きよく反響していた。
「――まぁ、あれはご褒美ってやつ……? そう何度も洗ってあげると思う?」
「あはは――それも、そうかな……」
後ろから聞こえてくる恥ずかしげともいじけているともとれる声に、諒は苦笑いで同意する。あれ以来、互いに一度も背中を流すことは無く一月の時が経とうとしていたことは確かだった。
「何でまた、俺の背中流してくれようって思ったんだい?」
諒は、咲耶を変に刺激しないようになるべく平坦な声を出して尋ねる。
「気まぐれよ――気まぐれ。諒の背中見てたら、何となく洗ってあげようって思っただけだよ」
咲耶はそう言って、平坦な言葉を返す。その言葉に、諒はふと微笑みながら今度はからかうような口調で問いかける。
「本当に?」
「本当だってば――」
どこか照れ臭そうに聞こえてくる咲耶の声に、諒は楽しさを覚えて同じことを聞いてみる。
「本当の、本当に?」
「――あんまりしつこいと、背中流すのやめるよ?」
今度は不機嫌そうな声になる咲耶に、諒は思わず笑ってしまう。
「ごめん、ごめん。つい弄ってみたくなって」
「ったく。これで他の子にモテてたって言うんだから、不思議よね――シャワー貸して」
そんな彼に対して、咲耶は呆れたように言う。そして諒からお湯の出ているシャワーを受け取ると、彼の背中の泡を流し始めた。
一通り流し終えると、諒にシャワーとボディタオルを返して咲耶は再び湯船に浸かる。諒も身体に残っていた他の泡を流すと、自分の髪と顔を手早く洗ってから湯船に浸かった。そのまま諒は浴槽の南側の方に背中をつけて脚を折り、咲耶も北側に背をつけて脚を体育座りと同じときのように折りたたむ。
「ねぇ、諒。その――」
「どうしたの? 咲耶」
不意に咲耶が話しかけるが、目線を泳がせて話し難そうにしている。そんな彼女に諒は優しく先を促す。
「お風呂上がって――部屋に戻ったら、ドライヤーで髪乾かしてくれる? ほら、あたしはあんたの背中洗ったんだし」
語尾を弱めて、咲耶は口元をお湯の中に潜らせてしまう。寮での生活を始めてからというものの、咲耶が自分の髪を他人に乾かさせているところを諒は一度も見たことがない。彼女がそんなことを言ってくるを意外に思い、彼は無意識に尋ねかけていた。
「頼まれたら断る理由はないけど――いいの?」
驚いたように聞く諒に、咲耶はそのままの姿勢でこくんと頷く。諒は、そんな彼女の伏し目がちになっている彼女の紅い瞳をじっと見つめていた。
風呂から上がって着替えを済ませると、二人は101号室へと戻っていく。諒は黒を基調とし、咲耶は水色を基調とした部屋着を着ている。
部屋に入ると、咲耶は自分用のドライヤーと櫛を出して諒に渡した。
「それじゃあ――窓の方向いて座ってて」
諒がドライヤーのコンセントを咲耶の机の傍にあるプラグへ差し込むと、ドライヤーのスイッチを入れる。咲耶は彼の言葉に従って、自分が使う机のところの椅子に腰掛けていた。
「ん――。いつでもいいよ」
咲耶の合図を聞き、諒は彼女の髪へ手を伸ばした。長く黒い髪を触ると、一本一本は見た目よりも細く、風呂上りに髪を拭いていたとはいえ未だに水分が多く湿っていた。
そっと彼女の毛先の方を持ち上げながら、諒は髪の流れる方へとドライヤーを当てていく。
「どう? 何か拙かったら言ってくれると助かる」
諒は丁寧に髪にドライヤーを当てながら、向こうを見る咲耶に乾かし具合を確かめる。
「大丈夫。初めてにしては――上手いじゃん」
「小さい頃、姉さんの髪をよく乾かしてたから。姉さんが死んじゃってからは、他の人の髪なんて乾かしたことないから、これが久しぶりかな」
慣れた手つきに咲耶が称賛の言葉を向けると、諒は昔のことを引き合いにして話す。それに対し、咲耶は関心したように彼に聞いた。
「へぇ――。それじゃ、毎日乾かしてあげてたんだ」
「そうだね。いつも、こんな感じでやってたっけ。こうすると姉さん、喜んでくれたから――。ちょうど、咲耶くらいの髪の長さだったかな」
諒は咲耶に話しながら、昔の事を思い出して懐かしむ。今度は髪の根元の方を引っ張らないように気をつけながら乾かしていると、咲耶が会話の続きを進める。
「そっか――。喜んでくれたくらいだから、お姉さん――余程諒のこと好きだったんだね」
「そう、なのかな? そうだといいんだけど――」
目を細めながら言う咲耶に、諒は記憶の底の姉の顔を思い出す。そういえば姉とは喧嘩はせず、仲のいい間柄だったと諒は思い出した。
「きっとそうだよ。じゃなきゃ、毎日髪を乾かすのを諒に任せることなんてしないよ」
そんな彼に、咲耶は小さく笑って言う。
「そうなんだ――。咲耶は、俺に髪を乾かすの任せようって思う?」
唐突に彼から向けられた質問に、咲耶は思わず戸惑ってしまう。
「な――何? いきなり……」
「いや、ちょっと聞いてみたくなっただけだよ。嫌ならいいんだ」
彼女の反応に、諒は冗談めかして笑いながら言う。その言葉と、彼の乾かし方が上手かったこともあり、咲耶はこう言うしかなくなってしまった。
「べ、別に――乾かすの……任せてあげてもいいよ――」
そう言って肩を縮ませる咲耶の顔は、後ろで髪を乾かす諒から見て熟れたリンゴの皮のように赤くなっているように見えた。
続く