【訃報】付近にお住まいのカマキリが死んでしまいました。
・虫が苦手な方でもお楽しみいただけます。
・しかし、マグロ丼が苦手な方には「マグロ美味しい」描写があるため注意が必要です。
初投稿で不足な部分が多々ありますが、これを読んで少しでも身近な存在というものに目を向けるようになってくれれば嬉しいです。
『98点:カマキリ八億二〇一一番 よくできました』
群がる生命たちが見上げる巨大なホワイトボード。
その一番上に、俺の名前はあった。
いや、名前とは言わないか。だって、そんなものいちいち自分につけている余裕無かったし。
生まれてから今まで、とにかく生きることに精いっぱいだった。
それでも、死んだんだよなあ……俺。
ろくに子供の顔も見られないまま、食い殺されたんだったかな。
無念だ。わが子の姿を拝めないとはこうも虚しいことなのか。
…………。
……………
あれ。
俺なんでこんなに思い悩むことが出来てるんだろう。そんなに物事を考える知能なんて無かった気がするんだけどな。
謎だらけのこの世――いや、ここはあの世だ。
で、だ。あえて話題をそらしてきたが、もう我慢ならん。言わせてくれ。
「このホワイトボード……何?」
俺の首にいつの間にか掛かっていた名札らしき物。そこにはホワイトボード最上部に書かれているのと同じ表記がある。
おそらくこれが俺の生前の名前(といっても単に生物名)なのだろうが、それにしても98点とは何の点数なのだろうか。
俺がカマキリとして天寿を全うするまでのここ数年、何かしらのテストを受けた記憶などは無い。そもそも一端の虫にテストを受ける頭など無いし、第一に余裕がない。
ホワイトボードにはまだまだびっしりと生物名と番号、そして謎の点数が書き出されている。きっとこの場にいるもの全てが、この疑問を抱いていると思う。
疑念を抱えていると、
「これは、命数成績です」
後方から声がした。
振り向くと、そこには女の子が一人立っていた。
和風とも洋風とも言えず、かといって中華とも言い難い不思議な装束に身を包んでいる。どちらかというと短めに見える髪は青か緑か分からないような色をしており、目は美しい紺色。
何より目立つのは頭に乗っけた天秤を模した冠と、手に握られた木製の小さいハンマーだ。
舐め回すように全身を見たあと、初めて彼女の言葉が耳に入ってきた。
が、意味が分からない。
「……めいすう、せいせき?」
「おや、記憶にございませんか? 三途の川を渡るフェリーの中で生涯試験を実施したと思うのですが……」
謎の少女の言葉を聞き、俺は思い出した。
死んでしまったと知覚した瞬間に俺は魂のみの状態になり、いつの間にか川原にいた。他にも周囲にはいくつかの魂があり、そいつらと一緒に俺は船に乗った。
「………。ああ、そういや船の中で何か紙に書いたかも。『伴侶のお名前は』とか『生涯の中で最も幸せに感じた瞬間』とか」
「そうそう、それです。それが生涯試験なのです。そしてその結果が、このホワイトボードにある命数成績ということです」
つまり、俺は成績上位者……それどころか、ナンバーワンってことか。
喜んで良いものだろうか、複雑な感情だ。
「いや……つってもな、試験って言うまでもないくらいに普通の質問だったじゃあねえか。一問一問、普通に暮らしていれば書けるようなもんだったぞ」
「それが良いのです。愛する人、幸せなこと、抱いていた希望……それらは生涯において学ぶべき大切なことでありながら、実際にそれを得て、感じて、答える事は難しいものです。ですが、あなたは迷うことなくほぼ全ての質問に良い回答を書きました。それは、あなたの生涯がいかに価値あるものだったかということを表しています。命数成績は、それを具体的に数値化したものなのです」
そう言って少女はホワイトボードを指さした。
なるほど。俺の一生は、わりと誇れるものだったということか。
「だが、そうなると落とした二点が気になるな」
「あー、それですか」
少女は頭をポリポリとかいた。無駄に可愛い。何だコイツ。
「お寿司ですね」
「……は?」
「だーかーらー、お寿司ですよお寿司。ありませんでしたか? 『好きな寿司のネタは何ですか?』って質問」
そういえばあった気がする。
「……って、ちょっと待て! 仮にも俺はカマキリだ! 寿司なんて高尚なモン食えるか! バッタ食えりゃごちそうだ!」
「だからって『知らん』はないでしょう、『知らん』は! 私ちょっと泣きそうになったんですからね!」
腕を振り回してぷんぷんと頭から湯気を吹く少女。
「だが食った事ねえ物のことなんぞ知るわけねえじゃん。あんた、自分が分からないことを質問されて答えられるか?」
「ふむぅ……。確かにそうかもしれませんけど……」
すねちゃった。
ふくれっ面でハンマーをくるくる回している。
しかし、こいつは誰なんだ。
俺と同じ、死んだ生き物なのだろうか。だとすれば見た目からして人間だと思うが。
「……なあ。お前、人間か?」
「いいえ」
いやそこは「はい」だろ普通!
どう見ても人間じゃんあんた! 何あっさり「いいえ」かましてんだよ「はい」って素直に言えよ小生意気なガキめ!
「その見た目で人間じゃねえってんなら一体何だって……」
「私は閻魔様ですよ」
…………。
はあ?
「あ……え、エンマ?」
「はい、閻魔です」
「ほう…………」
えっへんと、張ったところでと言った程度の胸を張る少女。
「…………」
「おそれ慄きましたか? お寿司のネタ答えてくれますか?」
「閻魔って何?」
「あぁあうううううううう!!!」
少女――エンマ様はその場にうなだれてしまった。
俺はカマキリだったんだ。そんなもの知らなくて当然だろう。
「それにまあ、記憶にないってことは、せいぜいその程度の存在なんだろ?」
俺の言葉に、エンマ様とやらは顔を上げてハンマーを構えた。
目がよろしくない光を放っている。
俺は天敵に遭遇したあの危機感を覚えてしまった。
「だったら……思い知らせてあげましょう。閻魔の偉さ!」
エンマ様がハンマーを振りあげた。
ちょ、こいつまさか物理で来る気か!
エンマ様は俺をハンマーで軽く小突いた。
地味に痛い。こいつ、エンマ様の偉さを思い知らせる他に、お寿司の設問の恨みも込めてやがる! なんとなくそれが分かる痛みだ!
このちびっ子め……エンマだか何だか知らんが、今に仕返ししてやる。
いったいどんな目にあわせてやろうか……
一体……どんな酷い目に…………
「…………」
いや、無理だろう。
だってこの人、閻魔様なんだろッ!?
「えぇ!? ちょまっ、アンタ……閻魔様なの!?」
「ふっ……やっと思い出しましたか。前前世の……人間だった頃の記憶を」
俺の脳内に、様々な記憶が鮮明に蘇ってくる。
そうだ。俺はカマキリとして生きる前に、人間として生きていた。
さすがにどんな経緯でカマキリになったかは思い出せないが、ともあれ人間としての基礎教養は思い出した。
もしや、あのハンマーのおかげか。だとしたらすごい、閻魔様ってすごい!
「……と、そこまで尊大には感じねえな」
「あふぅうううう!!?」
俺は自分の姿を見た。
今までカマキリの形をしていた俺の魂は、前前世を思い出したことで人間の姿をとっていた。
そこから見る閻魔様の姿は、まごう事なきただの幼女にしか見えない。
おまけにここまで珍妙な声を上げてわめくその様は、閻魔たる威厳の欠片もない。
「あなたなんて命数成績2点です!! 私の権限でマイナス96点です!!」
「ふっ、待ちな。俺は寿司のネタで言えばマグロが一番好きだった」
生前知識の想起により、俺は寿司についてもいろいろ思い出した俺は、名誉挽回を試みて閻魔様に答えた。
「えっ、一緒です! もうこれはテスト100点ですね!」
「マジっすか! それはどうも!」
好きなネタが偶然的に一緒だったとはいえ、チョろいものである。こんなのが閻魔様できるなら、おそらく俺の方が閻魔界で名をはせることができると思う。
「ねえねえ、今からマグロ食べにいきましょ! 私、良い中華料理店知ってるんですよ!」
「なぜそうなる」
「いや、あそこにあるマグロ丼が美味しいんですよ」
「俺が話してたのは寿司ネタなのにそれ寿司じゃねえし! 中華料理店なのに中華料理じゃねえよ! マグロ丼は日本料理だよ!!」
「まあまあ。そう戯言を抜かさずに、さあ」
そのまま俺たちはいったんこの場(おそらく冥土)を離れ、人間界にある中華料理店を目指すことになった。
なんて急展開なこった。
……というか閻魔様。
あんた、お仕事ないの?
人間界。
と言ってしまうのは、やはり人間のエゴイズムだろう。ここには人間以外にもたくさん動物がいる。無論、カマキリもだ。
カマキリとしての一生を体験した俺には、人間がいかに万物の霊長を名乗っているかがよく分かる。
常に天敵からの攻撃に身構え、今日の命すら危ういカマキリの境遇に対する人間の苦労など、カラスにつつかれる生ごみ以下にちっぽけなものだと思う。
そんな真面目な話をすることなく、俺たちは田舎の中華料理店に辿り着いた。
「着きましたよ」
「あ、ああ……これ良いのか? 死んだものをもう一回この世に引っ張ってくる、みたいなことして」
「私の権限ですね。感謝なさい」
いや、あんたが俺に有無を言わせず勝手に連れてきたんでしょうに。礼など言ってたまるか。
「こんにちはー」
「おう、凛ちゃん久しぶり!」
威勢の良い大将らしき人物の声が聞こえる。
発言から察するに、この閻魔……この中華料理店の常連っぽい。
彼女の正体を知ったらきっと大将も――――いや、そんなに驚きはしないか。幼女の戯言としか受け取らないだろう。
「……ムッ、今何か無礼なこと考えました?」
「えっ! い、いやいやそんなことない、ぶっちゃけありえないよ閻魔様に対してそんな失敬なことホホホ……」
だがこの勘の鋭さ、やはり彼女は生死を司る裁判官と名高い閻魔なのだろう。
彼女の後に続いて席に着き、俺はメニューを見た。
唐揚げ、ラーメン、焼き飯、餃子、……
まあ普通の中華料理店だ。
……メニューの下の方に『当店一番のおススメ! マグロ丼:680円! ギョギョッ』と記されているところ以外は。何が「ギョギョッ」だ。
「おやっさん。マグロ丼二つとラーメンと餃子お願いします」
「あいよー!」
「え、あんたそんなに食うの!?」
「はい。成長期ですので」
成長するんだ、閻魔って。
だが全部排泄物にしかなってないんじゃねえか? と突っ込みたくなったが、言わない。
言ったら俺の成績は2点だ。
「ムムッ、今また無礼なこと考えませんでした?」
「あいや、大丈夫大丈夫……」
この察しの良さを考えると、言っても言わなくてもあんまり変わらないかもしれない。
どの道バレるなら、言っても良かったかもしれん。
「……ていうか、お前閻魔様だろ? 凛ちゃんって何だよ」
「うっ……」
どうやら何か、閻魔様こと凛ちゃんの痛い点を突いたらしい。
「…………」
いい気味だと思ったのもつかの間。彼女の顔に影が落ちる。
やだ、おしぼりの袋を握ってパンしないで。怖い。
「え、いや答えたくないなら良いんだよ別に! ただ何でそんな呼び名なのかと……」
「……もん、……、なんですよ」
閻魔様はギロリとこちらをにらんでくる。既に空気を抜かれたおしぼり袋は、彼女の手の中でさらにクシャクシャになってゆく。
「……な、何だって?」
「私の人間界での呼び名は、雷門凛子なんですよっ!!」
な、なんだってー……。
……としか言いようがない。
驚いている訳ではない。むしろその回答がいたって普通であったことに少し拍子抜けしている。
この回答に命数成績をつけてやるとすれば、それこそ俺は『2点』の印を押してやる。
「……うん。あ、はい。そうですか」
本当にそうとしか言えない。
「………うぇ、驚いたり馬鹿にしたりしないのですか?」
「いや、だって別に普通じゃん。閻魔様が閻魔様としてこの世に来てたらみんな腰抜かすだろ」
かといって、まあこの見た目だ。閻魔を名乗ったところで信用してもらえるとも思えん。この点はゆるぎない事実だ。
「それより俺が気になるのは、何でその名前かってことだ」
単に人間界でお忍び生活するのなら、別にもっと単純で分かりやすい名前で良いではないか。
あえて珍妙な苗字、おしゃれな名前をつけるのには何かしらのこだわりがあると見た。
「何でって……浅草が好きだからですよ」
浅草?
……ああ。雷門が苗字の由来ってことか。
「どんだけ俗気にまみれてんだよ」
「あふぅ! 言われると思った!」
袋からおしぼりを取り出し、閻魔様は顔を高速で拭き始めた。それはもう顔面のパーツが全部はがれるんじゃあないかという程の速度で。
「……じゃあ、凛子の方は?」
「いつか見た特撮番組の登場人物を参考に……」
「これまた時俗たっぷりだな。もう俗気の塊じゃん」
俺の言葉を聞くなり閻魔――凛子ちゃんは卓上に頭突きをした。恥ずかしいのだろう。
しかし、前前世の人間の記憶が、自身の言葉を否定しにかかる。
世は二〇三九年。確か凛子って名前の登場人物がいた特撮番組は、とうの昔に終わっているはずだ。
その名前は、時俗と言うより時代錯誤だ。
「ほらそうやって『時代錯誤だ』とか言う……。だから言いたくなかったんですよ」
言ってはいないが、考えている事は完全にバレている。腐っても閻魔。やはりそういう方面には長けているようだ。
「『腐っても』って……どれだけ私を侮辱すれば気が済むんですか」
そろそろ怒りを交えた表情で凛子ちゃんは俺の方を睨んできた。
「あ、いや……悪かった。申し訳ございません閻魔の凛子ちゃん」
「……またからかっていませんか?」
高速で首を左右に振っておく。実を言うとまだ若干馬鹿にしている自分が心にいるが、それは読まれまいと自身を抑制した。
そうこうしているうちに、テーブルに料理が届いた。
俺の手前にはマグロ丼が一つ。凛子ちゃんの前にはマグロ丼と醤油ラーメン、そして餃子が十個盛られた皿がある。
「何見てるんですか。あげませんよ」
凛子ちゃんは自身の前に並ぶ三つの容器を、俺から隠すように両手で覆った。
「別にいらん」
無駄な警戒心を発する彼女をよそに、俺はマグロ丼に手をつけた。
前前世を思い出す、人間にしか味わえない風味だ。
柔らかな大トロに、程良く醤油とネギが乗っている。アクセントとして加えられている卵も、また良い味を出している。
カマキリだった頃は、草食の虫を生でバリバリとかじっていたものだ。
それがとても美味しかった……というか充実感をもたらした気がするが、人間の感性を取り戻した今の俺には、その行為と心情が気味悪く思えてしまう。
俺なんで虫なんか食って満足してたのかなあ。断然マグロの方が美味いのになあ。でもカマキリの頃は虫がすごく美味かったし、でも人間的見解から言うと虫なんてマグロどころかしらすにも満たない程度にしか食欲そそらないんだよなあ。
死後とは、こうも百八煩悩を刺激するものなのか。
「ごちそうさまです」
俺が考え事をしているうちに、いつの間にか凛子ちゃんの皿から料理が一切消えていた。
「は!? もう食ったの!?」
「ええ。このくらい朝飯前です。なんてったって成長期ですから」
まだマグロ丼を箸でつつく俺のことを、彼女は非常にムカつく目で見てきた。きっと、自分のほうが先に完食したという事を自慢したいのだろう。
その数秒後、凛子ちゃんの腹が鳴った。
「……お前まだ腹減ってんの?」
「いえ、違います……。食べすぎました……ちょっとトイレに行ってきます」
席を立ち、凛子ちゃんはトイレの方へと駆けていった。
………。
「いやあ……凛子ちゃんはよく食べるんだけど、あんな風にすぐ食後にお腹壊しちゃうんだよ」
手の空いた大将が厨房から話しかけてきた。
「はあ。まあ納得できます」
栄養を吸収する間もなく全て排泄してしまうのだろう。俺の思った通りだ。どうりであんなに貧相な見た目な訳だ。
「昔っから一人でここに食べに来てるけど……未だにあの子って何者なのかよく分かんねえなあ。あんな小さい子に一人で外食させる親とは、一体どんな奴なんだ」
親のことは知らないが、彼女は閻魔様なのでそういう事を超越した存在だと思います。
……とは、さすがに言えない。
凛子ちゃんだって閻魔の身分を偽名で隠した上でここに食べに来てるんだから、むげにいろんなことをペラペラと喋るものではない。
「そうですね。俺も親の顔が見てみたいですよ」
この場は大将に合わせておいた。
「まあ、好んでうちに来てくれるってのは嬉しいことだけどよ」
冗談交じりに大将は苦笑いを浮かべた。
俺も少しだけ笑っておいた。
と、厨房奥の方から電話のコール音が鳴った。
「おっと、電話だ。まあ同伴の兄さんも、ゆっくりしていってくれや」
大将は再び奥へと身をやった。
同伴のお兄さんって……確かによく考えると、俺は今一人の少女と共に料理を食いに来た身だ。そう考えると、一種の罪悪感みたいなものが少しだけ芽生えてきた。
いやいや、やましいことは何も無い。そもそも、ここに俺を連れてきたのはその少女じゃないか。
気を紛らわすために、俺はマグロ丼を口の中にかき込んだ。
じきに凛子ちゃんがトイレから戻ってきた。持参であろうハンカチで手を拭いている。
「おお、大丈夫か」
「ええ。いつものことです」
「だから成長しないってことは承知なのか?」
「…………そうですとも」
トイレ後のすっきりした顔が、再びふてくされた表情を浮かべる。
「いや、すまん。悪かった」
「構いませんよ。自覚はある訳ですし……。さ、あなたも食べたのなら、もうお会計して行きますよ」
凛子ちゃんは厨房の中へと身を乗り出し、大将と何やら話しながら会計をし始めた。
この角度から見ると派手なスカートの中身が見えそうなのだが、相手は小学校高学年程度の容姿の少女。何の背徳感も得られない。
会計を済ませ、俺たちは店を出た。
「本当にマグロ食いに来ただけだったのな」
「ええ、そうですが何か?」
「いや、もっと何か閻魔らしい崇高な目的でもあるのかなあ……と」
「ふむ」と顎に手をやり、凛子ちゃんは動きを止めた。
まるで最初から計画していたかのように、完成した動作で凛子ちゃんは俺の方を向いた。
「もちろん、ありますよ」
その言葉を待っていましたよ――というか、私の思った通りの台詞を言いましたね、といった具合のドヤ顔をしている。
左手の財布をハンマーに持ち替え、凛子ちゃんは謎のポーズをとった。
「……何してんの?」
「何もクソもありません。閻魔の崇高な儀式を執り行うのです」
彼女が左腕を一振りすると、ハンマーは破裂音を響かせながら虚空を叩いた。
次の瞬間、周囲の空間がハンマーを中心にゆがみ始めた。
「おお、なんだこりゃ!?」
そのまま絵具のようにドロドロと混ぜ合わさった抽象的な景色は、再び具象の情景へと形を変えてゆく。
混ぜきった色を再び一色ずつの状態に戻すような、巻き戻し操作の彷彿させる。
数秒後、その大パノラマの絵画は完成した。
そこは、今までいた中華料理店の前とは全然違う場所。それなりに高い標高に位置する動物園らしき所の駐車場のようだ。
「これは……」
ぐちゃぐちゃに混ぜた景色から、別の景色へと変わる。
ちょうど、オレンジと青の絵の具を混ぜて、紫と黄色の絵の具に戻したような感覚が俺を席巻した。
凛子ちゃんは眼下に広がる動物たちの群れを指さした。
「見えますか? あそこにいる動物たちが」
「あ、ああ……見えるとも」
「……どれに、なりたいですか?」
突然の、真面目な声での質問だった。
下を見ると、そこにはヤギやキリンなどの草食動物。他にもライオンやトラ、チーターのような肉食動物もいる。
俺は様々な生き物たちを一見したが、まず質問の意味がよく分からなかった。
「何になりたいって……どういうことだよ」
「お分かりいただけませんか? 転生ですよ、転生。人間の教養がある今のあなたならご理解できるでしょう?」
なるほど、転生か。
生きとし生けるもの、死ねば転生してまた新たな生涯を送る。
それがこの世界においての摂理……規則なのだ。
「俺は前前世……ここでカマキリを選択したのか?」
「いいえ。転生する生物の選択権は、あくまで命数成績がトップだった者のみに与えられます。あなたがカマキリになったのは、おそらく前前世における命数成績がトップではなかったためでしょう」
だから俺にはカマキリの生を割り当てられた――そういうことだろう。
「今回は俺が成績トップだったからこうして何に生まれ変わりたいか選択できる、ってことか」
「そういうことです」
死後の世界でも、こういう格差社会は存在するのか。
カマキリも、個体による強さや身体の大きさとかで結構格差があったものだ。
それは人間の時も然りである。
どこへ行っても良い目を見るのは、結局は優秀な者なのだ。
いや、別に俺のカマキリ生が優秀なものであったと自賛したい訳ではない。そんな情けない自慢はしない。
「と、言われてもなあ……」
視界に映る動物たちについて、俺はそんなに知識がない。
どの生物を選んだらどの程度幸せに暮らせるかなんて、知ったこっちゃない。
今回はカマキリでたまたまそれなりに良い生涯を送れたものの、次にライオンに転生したら凄まじく不遇な生涯になってしまった――なんてことになったら、この選択権は実に無駄なものと言えよう。
「凛子ちゃん的には、どれがおススメだと思う?」
きっと彼女はこの状況に立ち会う事に慣れているだろうと踏んだ俺は、専門家の意見を求めた。
「そうですね……。正直言うと、どの生き物も微妙です。だいたいどの動物も食料のために動き、惰眠をむさぼり、ただ生命の三大欲求に従って生きているだけだと思うのです」
わりとシビアな答えが返ってきた。
が、その意見は間違ってはいない。
彼女の言葉を聞くと、とたんに転生が馬鹿らしく思えてきた。どれを選んでも結局は欲望のままに生きるものを、どうして選択する必要があろうか。
どうやっても同じような一生を過ごすならば、この選択に意味はない。
だが、選択しなければならない。
だから俺は、そこで新しい選択を求めた。
「じゃあ……せめてもの相違を求めた選択はできるか?」
「……と、言うと?」
「どんな生き物になっても、根本は同じなんだろ? だったら俺は、他とは違う方法で欲望を求める……そんな存在になりたい」
俺の言葉に、凛子ちゃんは興味深そうな顔を浮かべた。
「へえ。それって、神様にでもなりたいってことですか?」
「そんな欲は言わねえ。ただ、そうだな……この世界とは違うどっかで生きてみたいとは思う。そうすりゃあ、今のこの世の生き物とは違う生き方ができそうな気がするんだ」
自分でも上手く言い表せない。
ただなんとなく、生命が皆等しく同じ欲求を有するのはこの世界のせいである気がした。
俺は決してパイオニア精神が旺盛なわけではないが、凛子ちゃんの言葉を聞いていると自然に他の者とは一線を画したい、と思うようになっていた。
「初めてですよ、あなたみたいな魂は」
凛子ちゃんはハンマーを口元に添え、クスクスと笑った。
「あんたの言葉を聞いたからそう思っただけさ」
「にしても、まさかそんな発言をするなんて。これは埋もれていた逸材を発見してしまったかも知れませんね」
凛子ちゃんは派手な装束の胸ポケットから、小さな砂時計を取り出した。
「何だそれは?」
「これは、こことは違う世界軸……その滅亡までのカウントダウンを示す時計です」
また突拍子もないことを言い出した。今度は並行世界が話題かよ。
「まあ命数成績の提示は二日に一回の頻度で行われているわけですが、無論そのたびに成績トップの魂は現れます。……しかし、どの魂も皆この話に乗ってくれはしませんでした」
何だか、嫌な予感がする。
砂時計の中の砂は、もう半分を切っている。
「……それで、その時計が俺の心意気と何の関係があるんだよ」
「単刀直入に言います。この世界軸の滅亡を、止めてほしいのです」
嫌な予感は、的中した。
こいつ、もしや俺に世界の滅亡を止めろと言ったのか?
「……はい?」
聞こえていないのではないが、思わず聞き返してしまう。
「だーかーらー、あなたにはこの時計が示す世界軸における、いわゆる救世主ポジションになってほしいのですよ」
「いや待て待て! なぜそうなる!」
「だってあなた……さっき、『この世界とは違うどこかで生きたい』って言ったじゃないですか」
確かにそうは言ったが、そのままの意味で受け取ったのかよ。
それに、だからってなんでそんな救世主ポジなんだよ!
「他にも誰かいるだろ! 救世主にふさわしい器ってのを持ってる奴が!」
「ええ、ですが現時点ではあなたが最も適任と私は見込みました」
なぜ見込んだし。
こんなことなら凛子ちゃんの言葉になど反応せずに、さっさとライオンになりたいと言っておけばよかった。
「だが、俺はそんな……」
「あぁう、砂時計の上側がどんどん減っていくよぉ~。この世界で暮らす何万という人々、何億という生命たちが悲鳴を上げてるよぉ~」
砂時計を見せびらかすように、凛子ちゃんは嘆く。
「っ……」
俺は砂時計を見てしまう。
砂の落下は止まることなく進む。
時計の下側に溜まった砂が、また新しい砂に埋もれてゆく。その光景は、降り積もる災いに埋もれて死んでゆく動物や文明に見えてしまった。
「………なあ」
俺は砂時計と、その中に広がる別世界を見据えた。
「俺は、ちっぽけな人間とカマキリの生を過ごしてきただけの奴だ。命数成績がちょっと良かったからって、それが救世主の器とは到底思えない」
凛子ちゃんはそんな俺を上目づかいで見つめている。
「もう一度お前に聞きたい。お前は本当に、こんな俺が救世主になる可能性を見出しているのか? 命数成績の有無に関わらずとも、そう思うのか?」
数秒の沈黙が続く。
凛子ちゃんは一度下を向いた後、俺の顔をまっすぐと見つめなおした。
「ええ、あります。あなたには、器があります。命数成績の件だけじゃない、あなたのそのまっすぐな目の中には、確かな勇者の資格が見えます」
まるでゲームの冒頭のようなシーンだ。まさか俺がその場面における勇者のポジションになるとは夢にも思わなかったが。
「…………嘘偽りはないな?」
「ありません。閻魔は嘘をつきません」
「本当の本当に、か?」
「くどいですね。本当の本当に、です。どうしてそんなに聞き返すのです?」
凛子ちゃんは面倒くさそうな表情で聞き返してくる。
「………そんなこと、決まってんだろ」
俺は砂時計を指さして、偉大な小さい閻魔様に言ってやった。
「これから世界を救いに行くんだぜ? その資格を閻魔様に認めてもらうほど、安心できる事前の準備なんて、この世にもあの世にも他にねえよ」
そう言って俺は、閻魔様の握る砂時計を取りあげ、地面にたたきつけた。
砂時計は、当然のことながら粉々に砕けた。
「あなた……」
目を丸くして俺を見る閻魔様に、俺は告げた。
「……死を乗り越えて、この砂時計のように世界の滅亡を砕いてやるよ」
死は到達点ではない。
それはあくまで、行くもの――通り道だ。
人でも虫でも、それは変わらない。
次の新たなステージに進むための道、関所――死とは、つまりはその程度の存在にすぎないのだ。
~Fin~
いかがでしたか?
これからは虫や幼女を侮ってはいけない、と思ってくれたでしょうか。
文書きとして未熟な面がたくさんあったと思いますが、それでもここまで読んでくださってありがとうございます。
何か指摘や感想等あればとても嬉しいので、よろしければお願いします。