「(・・・・なんで、こんな時に・・、昔の女の貌が過るんだ?)」
近くの瓦礫の場所で、黒い輝きの陽炎が立ち上がる姿を見たラインヴァルトは、無意識に背骨が削られるような嫌な感覚が瀕死の身体を走り抜けるのを感じた。
それは、人の姿に見え、馬の用にも見え、魚の用にも見えたし鳥にも見えた。
そして、そのどれでもないような気もしたが、そのどれもこれもとてつもない嫌な予感を感じた。
地面を踏みしめながら現れたのは――――――――――――。
魔術師がよく着用しているフード付きの軽装を纏った、華奢な身体の少年の姿だった。
白金の髪に右眼の瞳が藍色、左眼の瞳が金色という美少年だった。
その姿を眼にしたラインヴァルトは、出血多量で意識が朦朧としている事も忘れるほどの恐怖が全身を走り抜けた。
その美少年が放つ尋常ではない悪意と鬼気が原因でもあった。
ラインヴァルトは、突然現れたこの少年が、古株の傭兵や正規軍兵士が新兵を怖がらすために良く語っている、戦場怪談や都市伝説で出てくる者だと言う事が、一目で理解した。
ラインヴァルトは、あまりそのような分類は信じないタイプだった。
そう、この瞬間までは。
ある者は、崇めるべき対象として「王」と呼び――――。
ある者は、討伐すべき対象として「獣」と呼び――――。
ある者は、仮初めの信仰対象として「神」と呼ぶ――。
その者は、数多の眼、数多の耳、数多の貌を持ち、数多の場所、数多の時間と共に存在する者――――。
魔術とは次元の違う特殊な力を授けてくれる者・・・。
その者は、天使のような美声で語りかけてきたが、そのことについてはラインヴァルトは思い出せないが、
一つだけ覚えている事があった。
その者は、天使のような美声こう尋ねてきた。
「(汝は、我から授かろうとしている力を使い、漆黒の闇を纏い、暴虐の嵐と鉄鎖が荒れ狂う幾千幾万の戦場へと怯まず進み、何千何万の魂と血を捧げる覚悟はあるか?――――)」
ラインヴァルトは、この時ほど決断に迷った事はなかった。
生きるか死ぬかの時点で、よりによってまさか戦場怪談などで語られている人外が、まさか眼の前に現れると思ってもいなかったためだ。
この時、ラインヴァルトの脳裏に過ったのは、病院で治療している妻の貌と帰りを待っている息子の貌と――――――――。
紺碧の瞳に、深みのある鳶色の長髪の女性の貌が過った。
「(・・・・なんで、こんな時に・・、昔の女の貌が過るんだ?)」
こぼこぼと口から出る血泡を吐き出しながら、苦笑いを浮かべた。
その貌は、傭兵士官学校時代に初めて付き合った女性だった。
ポートリシャス大陸極東地域内列強八か国の一つ「鳳来皇国」出身女性で、スタンブルク傭兵士官学校の門を叩き、同じ高みまで上り詰めた同級生―――――。
ベルセリカ・ヴァルトハイムという気高き狼の血を引いた半獣人の女性の貌が過った。
卒業と同時にラインヴァルトとベルセリカは、それぞれの選択によって別れた。
ベルセリカは、当時列強八か国の一つ「出雲帝国」に対して初の外征を行い、戦乱渦巻く「鳳来皇国」へと
帰国し、ラインヴァルトは推薦を受けて傭兵団「ワイルド・ハント」へ・・・。
この世界では、特に珍しくもない話である。
ただ、仮にもだが、ラインヴァルトがその推薦を蹴りベルセリカと共に「鳳来皇国」へと行ったとなれば、
案外そちらの方が人生的に良かったかもしれない。
だが、そうすると結婚した妻とは縁が無かったと言う事になるが・・・。
「(汝は―――幾千幾万の戦場に、幾千幾万の屍を積み上げ、その魂と血を捧げる覚悟はあるか?)」
その美少年は、返答に詰まっていたラインヴァルトにもう一度尋ねてきた。
眼の前にいる者は紛れもなく悪魔の類に違いはなかったが、この状況を切り抜ける事が優先だった。
もし、ここで断っていれば、ラインヴァルトは生きてはいないだろう
「(選択肢はねぇなぁ・・・ここで、躊躇していたら・・・、最初に惚れた女より傭兵団を選んだ俺が・・・情けねぇよなぁ・・・。ベルセリカ)」
ラインヴァルトは覚悟を決め、最後の力を振り絞る様に告げた。
「―――――俺は・・・死ぬわけには・・・いかない・・・・、お前が・・・神だろうが悪魔だろうが、この際
どうでも良い…!!、幾千幾万の戦場に幾千幾万の屍を積み上げる?・・・・魂と血を捧げる覚悟・・・?、
そんな小むずかしい理屈が・・・・傭兵が理解すると思うのか・・・・?、お前が・・・何の目的があるか
知らねえし・・・興味もねぇ・・・・だがよ、この反吐の出るような戦場で最後に立てるなら・・・寄越せよ、その力というものをよ・・・・・、幾千だろうが幾万だろうが、屍を積み上げてやるよ・・・!!」
その美少年は、口元に静かな笑みを浮かべた。
「(―――――ならば、汝に闘う力を与えよう、取るがいい・・・契約は成された)」
右頬で、耳から顎にかけて鋭い刃で突き刺されたような激痛を感じた直後、ラインヴァルトは意識を失った。
自動小銃のセレクターをセミオートにしたラインヴァルトは爆煙が晴れるのをしばし待った。
はじめに横倒しになった灯台が見え、耳には、重症に喘ぎ、のたうち廻り、母親、妻、恋人、または自分自身が信仰している神の名を叫び、助けを求める声や悲鳴をあげている「アレックスファミリー」の男達の
声が聞こえた。
ラインヴァルトは、自動小銃に頬付けしてシングル・ポイント・サイトを右目で覗き込み、左眼は閉じた。
ラインヴァルトが詠唱して出現させた、自動小銃に装着しているシングル・ポイント・サイトは、この世界
全土に流通している代物とは、次元が違った。
無倍率の視界の中にピンクがかかかった赤い点が浮かび上がったり、片目で視た赤点と一方で見た標的が射手の中で重なる様になること、夜間射撃や移動標的に向いている所、視差は無いし、接眼距離も自由な所も
変わらないが、何が違うのか?。
一般市場に流れている物では、精密射撃には向かないのだが、ラインヴァルトのシングル・ポイント・サイトは、特殊な力が加わっているのか、または特殊構造なのか、精密射撃にも向いている。
シングルポイントサイトを使って、射撃する時には、本来は狙うのではなく、標的に付きつける感じでいいもので、片目を閉じたら脳の中で赤点と標的物が重ならないから使い物にはならない。
――――それがあくまで市場に出回っている品物だ。
ラインヴァルトは、一度銃を肩から外す。
その時、四十メーターほど前を、こっち向かって地面を這ってくるハーフエルフの男が見えた。
鼻から鼻水と、口から涎を流している。
ラインヴァルトは、素早く銃を肩付けし、頬付けもする。
ハーフエルフの男の頭にシングルポイントの赤点が重なる
ラインヴァルトは引き金をゆっくりと引いた。
小口径高速弾特有の突き抜けるような鋭い銃声と共に銃口から飛び出した弾丸は、ハーフエルフの
男の頭を吹き飛ばして、天国か地獄かに送った。
銃口に付いた消炎器のせいで、発射炎はほとんど見えない。
反動も、自動小銃そのものが特殊なためかまったくなかった。
ラインヴァルトは煉瓦の山の蔭に再び身を沈めるが、撃ちかえしてくる者はいなかった。
三分ほど待ってから、ラインヴァルトはそろそろと身を起こす。
今は爆煙はほとんど消えていたが、だだ、爆発のあとの穴や窪地にだけは漂っている。
所々、震災を受けて崩れもしなかった場所があったのが、今度の爆発で崩れた所がある。
そんな所は、深い穴になっていた。
爆煙が消えた今、ラインヴァルトには「アレックスファミリー」の武装した男達の様子をかなり掴む事が
出来た。
爆風によりバラバラに吹っ飛んだ肉片や骨欠は、飢えたネズミに貪り食われている。
重症を負った連中の身体には、飢えたネズミの群れが歯を立てている。
歯を立てられている男達は、魂が削られるような絶叫を発している。
戦闘能力を残している男達は十数人ぐらいしかいない様だった。
その中には、ジュリア・ソルビーノから大幹部と中堅幹部の写真を見せられて知った男達の姿が
偶然にもあった。
その姿を見たラインヴァルトは、「一つ支部長に土産を持って帰るか」と考えて凄まじい
笑みを浮かべた。
ラインヴァルトは、六十メーターほど離れた位置で身体を震わせているノームのチンピラ1人に自動小銃を向ける。
シングル・ポイントの集光体の赤点がノームのチンピラの貌に重なる。
ラインヴァルトは、引き金を絞った。
ラインヴァルトの自動小銃が鋭い銃声を響かせる。
それと同時に、夜気を噛んで一発の銃弾がラインヴァルトの頬をかすめる。
ラインヴァルトは、反射的に身を沈めながら、自分が狙ったノームのチンピラの貌が吹っ飛んだのと、
二百メーターほど離れた瓦礫の山の向こうでかすかな銃火が閃いたのを見た。
ラインヴァルトは煉瓦の山の蔭で腹這いになり、横に移動する。
さっき頬をかすめた銃弾がともなった衝撃波に叩かれ、頬がずきずきする。
煉瓦の山の右横に這い出たラインヴァルトは、セレクターをフルオートに切り替えると、点射でぶっ放す。
ラインヴァルトが使用している自動小銃は、不思議な事に薬莢が飛び出る事もなく、銃口が熱くなっていない。
また、装填数以上の弾丸を自動小銃が吐いている。
もちろん、ラインヴァルトは一度も弾倉を変えていない。
この事を考えても、ラインヴァルトが使用している自動小銃は、弾倉を入れ替えなくても撃てる事が出来ると推測出来る。
――――――これが元凄腕の傭兵上がりの冒険者管理局職員ラインヴァルト・カイナードの能力という事だ。
ならば、あの特殊爆薬を用意したトール・クルーガも、ラインヴァルトとは違う能力だという事だろう。
さっきほど、ラインヴァルトを狙って撃ってきたラウルフの男は、三、四発撃ち返しただけで死体となり天国が地獄かへと旅立った。
その他のしぶとく生き残り、反撃してきたドワーフ、人間、エルフ、ウェルパーの男達も銃弾の雨を浴びせた。
その間も、一度も弾倉すらも取り換えず、死体となるまで弾丸を浴びせた。
ベルセリカ・ヴァルトハイムというお名前は、「小説家になろう」で、交流させて頂いている、扶桑狐先生の代表作「異邦人は紫苑色 《異世界大河戦記》 」の登場人物を、使用許可を頂きまして使わせて頂きました。
快く許可していただいた、扶桑狐先生に深く感謝します。