一言だけの手紙
俺は今、北九州の製鉄所に就職のため列車で向かっている。家を出る前に貰った白い封筒を開けるところだ。
三歳の頃まで施設で育てられた俺は望月という養父母に引き取られ、それからは宮崎の都城でこの夫婦に育てられた。最初の一年くらいは口もきかず、泣いてばっかりだったらしい。何をしてあやしても一向に泣き止まない俺に困り果てた養父母は四歳から幼稚園に預けて、そのくらいから普通に喋れるようになった。
俺は小さい頃から絵を描くのが好きで、母さんから買ってもらったクレヨンと自由張に母さんや父さんや家のものを描いた。
父さんの名は和夫、母さんは勝美、俺はこのくらいの歳には和夫さんも勝美さんにも普通に父さん母さんと呼んでいた。
そして二人は俺のことをまあくんと呼んでいた。
「まあくん、また母さんを描いてちょうだい。」
「うん、いいよ。」
母さんは俺が絵を描くのを凄く喜んでくれた。そしてそんな母さんも父さんも俺は大好きだった。
それから小学五年生まで普通に幸せで平凡に育った俺たちに、訪れた不幸はその日の夕飯時に訪れた。いつもはきまって七時前に三人揃って食べる夕飯に父さんの姿がなかった。
「おかしいわね。」
母さんはうろたえつつも、
「先に済ませちゃおうか。」
と、箸をとったとき、
「プルルル」
電話がなった。父さんかな?と思ったが、母さんが電話をとると、相手は父さんじゃないらしい。
「えぇっ!はいっ、はいっ、分かりましたすぐに伺います。」
母さんがかなり慌てた様子で
「まあくん、すぐに出かけるから支度して。」
突然のことに俺は、
「母さん、どうしたの。」
「父さんが倒れて病院にいるんだって。」
急いで病院にかけつけた二人は治療室に通された。
その日のうちに通夜が行われ次の日に葬式と、たんたんと流れていった。
この日から家族は母さんと俺だけの二人になった。
それまで収入は父さんだけに頼っていた。
長い間働いたことのなかった母さんが数日後から、昼はスーパーでパートタイマーに出て夕方俺の食事の世話をしたあとに、居酒屋で働いた。
でも母さんは俺には一つもいやな顔を見せなかった。
家にいるときは俺に寂しい思いをさせまいと、今日学校で何をした?とか、絵を描いて見せてといってそれに応えるように俺も話をしたり絵を描いてる姿を笑顔で見てくれた。しかし家計は日を追うごとに圧迫していた。毎日百円づつもらっていたお小遣いも母さんが小銭入れからやっと探すくらいにまでなり、
とうとう貰えない日も出てきた。けど母さんの大変な姿を見ていた俺は小学校を卒業するまではこれでいいと思っていた。
中学生になるときにはいよいよ家計も深刻化していた。
入学当初から制服も鞄も新品を買う余裕がなく、近所の卒業生からのお下がりを母さんがもらってきて、それを着させられた。中学生といえば段々色気づいてくるものなのに、なんか自分だけ貧相に見えてくる。最近はかあさんも夕飯時に帰ってくることが少なく自分で作って食べることが多くなった。小遣いはとっく貰うこともなくなっていた。ある日友達と学校の帰り道、近くの駄菓子屋で
「アイス買って行こうぜ。」
と言われた。俺はとっさに
「俺財布忘れたから。」
というと
「じゃあ、しょうがねぇな」
と言われ貧相な気分になり先に帰った。うちに帰るなり涙がボロボロこぼれだした。お腹もすいていたので冷蔵庫を何気無く開けると見事に空っぽだった。その日は泣きながら布団に入り早々寝てしまった。
次の日に事件は起きた。
また友達と昨日の駄菓子屋に来た。
「まあくん、今日は財布持って来た?」
今日もアイスを買って行くらしい
「うん、持って来たよ。」
嘘をついてしまった。友達三人がアイスの勘定を済ませているそばから
勘定を済ませてもいないアイスをこっそり持ち出し、店も友達もやりすごした。と、思った。家に帰りつくなり電話がかかってきた。学校からの呼び出しだった。実は店にはばれていた。あのあとすぐに学校に連絡があったらしい。再び学校に戻ると、先に呼び出されていたらしく、いつになく険しい表情の母さんがいた。担任から
「お母さんから今事情を聞いたよ。まあなんにしろ人の物を盗むのは誉められたことじゃないんだぞ。」
その口調から家庭の事情を母さんから聞かされたことが大体わかった。
「今回のことはお店の人にも説明しておくから、今日はもう帰っていいぞ。お母さんもどうぞお引き取りください。」
もっとこっぴどくしかられると思ったから、ホッとした。しかし母さんの表情は険しいまんまだった。一緒に帰る途中に一言だけ
「二度としちゃだめよ。」
と言っただけだった。
おれは帰ってからしかられるんだと思い、初めて母さんを恐いと思った。家に帰りつき無言で食事の支度を始めた母さんの後ろで、俺は相変わらず緊張していた。料理が次々と食卓に運ばれると、何か妙だった。いつもと比べるとほんの少しり豪勢な気がした。母さんも食卓に座り、いただきますと箸をつけようとしたとき、
「まあくん。」
きたーと思ったのもつかの間、母さんの目から突然涙がこぼれ始めた。父さんの葬式だって泣かなかった気丈な母さんが見せる初めての涙だった。
「まあくん、毎日ひもじい思いをさせてごめんね。母さんが弱いばっかりに。」
うつむいたままそんなことを言う母さんを見るのは、怒られるよりも辛かった。しばらく沈黙のなかに母さんのすすり泣く声だけが聞こえてきた。
「母さんごめん。」
と何度も心で呟いた。
「さあ、食べよう。今日はちょっと豪勢につくったよ。」
フッ切れたように言った母さんが
「ほらほら涙を拭かないといい男が台無しだよ。」
俺の目にもいつの間にか涙がこぼれていた。なんだか味は分からなかったが、久し振りに一緒に食べた夕飯は充実していた。
その日は居酒屋のしごとは休みをとったらしく、遅くまで他愛ない話をしたあと、寝床をつくりはじめたがいつも二組なのにその日は一組の寝床だけつくり
「さあ寝よう。」
母さんの意図はすぐに分かった。久し振りに一つの寝床で一緒に寝た。中学生にもなって恥ずかしい気もしたが、それ以上に嬉しかった。五十も半を過ぎた母さんの体はいつの間にかシミもしわもふえていたが、温もりは昔のままだった。
それから五日たった早朝から新聞配達を始めた。給金の半分は小遣い、半分は家計の足しに母さんに渡すようにした。
中学三年の三者面談の為、母さんと担任の先生と俺だけの、いつもと雰囲気の違った見慣れた風景の教室にいた。
「ええ、是非とも高校までは出してあげたいと思っています。」
と言う母さんに
「勿論そうした方がいいと思うのですが、なにせ本人が…」
担任はなぜか一年のときからずっとおなじ中山先生だ。万引きの時にお世話になったのが何かの縁だったのだろうか。
「僕はこれ以上勉学には興味ないし、それよりも早く社会に出て働く腕を磨きたいんです。」
「しかしな、お前ほどの男がもったいないよ。塾に行って進学の為に一生懸命勉強している連中が、なんとなく学校に来てるお前よりも 成績が落ちる連中がほとんどなんだぞ。お前なら今から少し本気を出せば、受からない高校はないくらいじゃないか。」
俺は不思議と勉強はそこそこ出来た。学年でも常に上位をキープしていた。うちの学校は公立ながら、進学率の良いことで知られている。そこで上位の成績となるといやでも目をつけられる。
「奨学金制度も今は充実しているしお前がその気なら、俺が直接かけあってもいいぞ。」「ねえ、おかあさん。」
「そうよまあくん、国からお金を借りるんだし、そのあとはちゃんと母さんが返すんだから。」
その言葉に絶対に進学はしないと、かたくなになった。もうかあさんに無理はさせられない。
「今日のところは無理か。じゃまた後日改めて。」
「どうもありがとうございました。また今後宜しくお願いします。」
母さんと一緒に教室をでようとしたところ俺だけ先生に呼ばれた。
「お前もうお母さんからあの話は聞かされてるのか?」
「あの話?」
俺にはなんだか分からなかった。
「ああ、いやいやよかった、呼び止めて済まなかった。高校の件は考えといてくれよな。」
潜かに慌てた様子だった先生に何かを察しないほど俺も鈍感じゃない。家に帰りつくなり居酒屋に行く準備をしている母さんに
「さっき先生に母さんから何か聞いてないかって言われたんだけど、何のことなの?」
母さんの動きが一瞬止まった気がした。
「んーなんだろう?まあくんが気にすることじゃないんじゃない?」
その日からどうにもこのことが気になってしょうがない。
受験シーズンが始まるひと月前に、中山先生に話をする為職員室に行った。
「そういう風にもちかけてくるかな普通。」
進学する替わりにこの前の話の続きを聞かせるようにもちかけた。
「まあ先生が軽弾みに喋ったことが発端だし…」
先生もかなり困惑した風だった。次の先生の言葉に愕然とした。
「お母さんとお前は血の繋がりがないらしい。つまり、本当の親子じゃなく養父母みたいなんだ。」
三歳に施設から引き取られ、物心ついたころからずっと本当の親だと思って疑わなかったから、先生の一言は寝耳に水だった。
「すまんな望月。先生がうっかりしてたばっかりに。」
俺も
「いやこっちこそいやな思いをさせて済みませんでした。約束どおり進学の方向でお願いします。」
職員室を後にした。
二、三日は母さんの仕事が忙しいらしく、あまり顔を合わすことはなかった。
その方がよかった。
しばらくのうちはあまり顔を合わす気になれなかったからだ。
ある朝何かしら目が覚めてしまい隣で寝ている母さんの顔を何気無しに見ていた。
布団から出ていた手を布団に戻そうとてのひらを触った時にハッとした。昔は細くて年の割に綺麗だった手が太くごつごつして、年中水仕事をしているせいで、赤ぎれが所々ありばんそーこーがあちこちに貼ってあった。血の繋がりのない俺をここまでなりながら文句も言わずに育ててくれた母さんに、最早血の繋がり以上の愛情を感じた。「母さん、ありがとう。」
布団にしまうはずだった母さんの手を握りながら泣いてしまった。その時点で血の繋がりのことはそっと胸にしまった。
次の年から県内でも指折りの進学校に進んだ。制服や鞄は中山先生に揃えてもらい、中学校の時のような思いをしなくてすんだ。
高校二年の冬に職員室に呼ばれた
「お母さんが倒れたそうだ。」
すぐに病院にかけつけた。母さんはベッドに横になっていた。横にはスーパーの店員らしき人が三人いた。
「ただの貧血だったよ。もうみんなもまあくんも大袈裟だよ。」
思ったより元気そうな母さんを見てほっとした。店員の中に主任さんがいて
「勝美さんのは貧血じゃなくて過労だよ。もう、いっときここで休ませてもらいな。うちはいつから出てきてもらってもいいからさ。」
ベッドの上から点滴の袋が三つぶらさがっている。うち二つは液がなくなっていた。どうやら主任さんを信用したほうが良さそうだ。
「母さん、言うとおり休んでた方がいいよ。」
病院の先生も過労だと言われ、次の日から俺は、今までやってた朝刊に加え夕刊の配達、更にそのあとレストランの皿洗いまで始めた。一方母さんの夜の仕事である居酒屋には辞めさせてもらうように電話を入れておいた。母さんは一週間入院した後またスーパーにだけ復帰した。しかし母さんの体では過労とは別の病が蝕み始めていた。
高校三年の冬、珍しく母さんと一緒にご飯を食べていた。すると突然母さんが咳き込みはじめた。同時に血を吐いて倒れた。俺はすぐに救急車を呼び病院に運んだが治療室ではなく、病室に運ばれ先生に訳を聞くと
「君の母さんが去年運ばれて来たときは既に末期癌でね。」
何も聞かされていなかった俺はうろたえた。
「永くて半年の命と踏んでたんだが、母さんはがんばったんだね、一年も生きた。しかし今となってはどうすることもできないんだ。」
目の前が真っ暗になり一時何もかんがえることができなかった。
「先生、母さんはあとどのくらいもちますか?」
「わからん、あと何日もつかな。」
母さんのいる病室に向かった。目をつむっていた母さんがこっちを見て
「ごめんね、そういうことだったんだ、騙すつもりじゃなかったんだよ。」
俺は今できる精一杯の笑顔で
「分かってる。」
母さんも笑顔で応えてくれた。
「それともうひとつ、実はね、まあくんは私の実の子じゃないんだよ。」
その時、中学校時代に一度だけみせた、顔で泣き始めた。
「母さん、それも知ってたよ。」
「そうか、知ってたか。ごめんね誠、弱い母さんで。」
望月 誠、母さんたちが俺を引き取った時に改めてつけてくれた名前だ。あまり好きな名前じゃなかったが、今母さんから始めて名前で呼ばれて心地よかった。母さんは自分の泣き顔を隠すと肩を震わせた。そんな母さんを見ていると、
どこかへ消えてしまいそうな気がして
「母さん入るよ。」
俺はベッドの中に潜り込んだ。そして母さんを抱きしめた。
「誠、ありがとう。ホントにありがとう。」
母さんも泣きじゃくりながら弱々しく抱いてきた。
「母さん、俺母さんの子供でしあわせだった。母さん、俺を育ててくれてありがとう。」
その夜泣き疲れて二人はそのまま一緒に寝てしまった。
朝五時ごろさむくて起きてしまった。母さんは冷たくなっていた。俺は驚くこともなく、ナースコールを呼ぶ午前五時十八分に先生から臨終が告げられた。
「先生、あと一時間二人にさせてもらえますか?」
許しを得てまた布団に潜った。母さんの顔をみたり体を触ったり、もう二度と出来ないスキンシップをした。最後に母さんのやつれ切った顔に
「ありがとう母さん。」
と告げ口づけをした。それから父さんの時のように通夜から葬式まで淡々と済んでいった。
涙も枯れてしまったかのように、通夜から一滴も流れることなく、初七日、四十九日まで過ぎていた。
気が付けば二月も半をすぎ、進学も頭に無かった俺は、高校の先生の計らいで、北九州の鉄鋼所に就職することになった。新聞配達や皿洗いも三月半で辞めさせてもらい、その間に貯まったお金でバッグやちょっとした日用品などを買い揃えるなど色々してるとすぐに出発の日がやってきた。部屋を引き払い大家さんのところへ鍵を持って行った。
「そうかい、今日出るか。」
「はい、どうも長い間お世話になりました。」
と、挨拶を交すと、大家さんは奥の部屋から白い封筒を持って来た。
「これあんたの母さんがここ出るときに渡してくれって。」
その封筒を鞄に入れ大家さんに別れを告げて、もう一度借家の外観を見渡して駅に向かった。列車が走り出して少したったところで封筒を開けてみた。中には少し大きめの紙が入っていて何折りにもされていた。ゆっくり広げながら、
「何が書いてあるんだろう。」
広げると小さい頃にクレヨンで描いた父さんと母さんと俺の絵だ。
「母さん、大事にとっててくれたんだ。」
そして絵の下の方に、歪んだ大きな字が書いてあった。
「ガンバレ」
最後の力を振り絞って書いたであろうその言葉は、枯れたと思った俺の涙を誘った。
「母さん、母さん。」
小声で何度も呼び続けた。泣きながら今までの母さんとの思い出が走馬灯のようによみがえって来た。そうしているとあっという間に何時間が過ぎてたらしい。もう一度じっくり手紙を見て封筒にしまい大事に鞄の中に入れた。
外を見渡すと鉄鋼所の煙突が見えてきた。