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「お母様なんていらない」と八歳の娘が言うので、聞き役になることにしました

作者: 年商1億
掲載日:2026/11/07

「お母様なんていらない。あなたも、どうせすぐに出ていくんでしょう」


 公爵家の玄関広間で、八歳の女の子が、階段の上からわたしを見下ろしていた。


 亜麻色の巻き毛に、灰色の目。白い寝間着のまま、裸足で、手すりを握りしめている。


 頭の上で、ちりん、と小さな音がした。


 見上げると、天井の大きなシャンデリアが、かすかに揺れていた。風もないのに。硝子の飾りが一つ、また一つと震えて、ぴしり、とひびが入る。


「お嬢様、いけません!」


 侍女長が叫んだ。


 硝子の雨が、広間の床に降り注いだ。


 使用人たちが悲鳴を上げて柱の陰に逃げ込む。わたしは、その場から動かなかった。


 一つ。二つ。三つ。


 心の中で、ゆっくりと数える。


『エレノア。叱る前に、三つ数えなさい。それから、最後まで聞きなさい』


 亡くなった祖母の声が、耳の奥でした。


「承知いたしました」


 わたしは、硝子の破片の散らばる床の上で、膝を折って礼をした。


「わたくしは、お母様にはなりません」


 女の子の目が、丸くなった。


 何を言われると思っていたのだろう。叱られると思っていたのか。それとも、泣き出すと思っていたのか。


「……じゃあ、何になるの」


「聞き役に」


 女の子は、何か言い返そうとして口を開き、言葉が見つからなかったのか、くるりと背を向けて、廊下の奥へ駆けていった。


 広間に、しんと静けさが戻った。


 侍女長のミセス・ブルックが、柱の陰から出てきて、エプロンについた硝子の粉を払った。


「奥様。十三人目の方のお荷物は、ほどかずに置いておきましょうか」


「いいえ。ほどいてくださいませ」


 わたしは、玄関に置かれた自分の鞄を見た。


「三年は、ここにおりますので」


*


 わたし、エレノア・グレイは、今日からアシュフォード公爵夫人になった。


 三年間だけの、契約の妻だ。


「娘のことは、あなたに任せる」


 その日の午後、書斎でジュリアン・アシュフォード公爵閣下は、わたしの顔を見ずにそう言った。


 三十一歳。背が高く、整った顔立ちで、表情がない。二年前に奥様を亡くされてから、ほとんど笑わなくなったと聞いている。


「契約の内容は、書面のとおりだ。寝室は別。社交の務めは、最低限でいい。あなたに頼みたいのは、ただ一つ。この家の女主人として、娘の後見を務めてもらうことだ」


「存じております」


 この国では、魔力の暴走がある子どもは、家の女主人が後見を務めると法で決まっている。女主人がいなければ、いちばん近い女性の親族が後見人になる。


 お嬢様のリリアン様の場合、それは亡き奥様の姉君、クレイン子爵夫人だった。


「義姉に、娘を渡したくない。理由は、聞かないでくれ」


「かしこまりました」


「三年たったら離縁する。あなたが望んでいた礼法学校を開く資金は、こちらで用意する」


 王都で「鉄の礼法教師」と呼ばれてきたわたしに、この縁談が来たのは、それが理由だった。伯爵家の三女で、持参金もない。けれど、礼法を教えさせたら誰より厳しい。十二人の家庭教師が逃げ出した娘にも、怯まないだろう、と。


「閣下。ひとつだけ、お願いがございます」


「何だ」


「夕食を、お嬢様とご一緒に」


 閣下の手が、書類の上で止まった。


「……仕事がある」


 それきり、閣下は顔を上げなかった。


*


「一人目の先生は、三日もちました」


 その夜、わたしの部屋の荷ほどきを手伝いながら、ミセス・ブルックが指を折った。


「二人目は一日。三人目は、初日のお茶の時間に、ティーカップが手の中で割れまして。四人目と五人目は、そろって窓から……いえ、窓の外へ逃げていかれました」


「窓から」


「割れた窓の外へ、です。七人目の先生は、おかつらが風で飛んでいきまして。お嬢様の魔力の風で、です。お気の毒に、ご自分のおかつらを、庭の噴水から拾っていかれました」


 ミセス・ブルックは、真顔だった。


「十二人目の先生は、厳しい方でした。お嬢様をきつく叱って、罰として夕食を抜いたのです。その晩、屋敷じゅうの灯りが、一つ残らず割れました」


「一つ残らず」


「はい。わたくしども、ひと月、蝋燭で暮らしました」


 わたしは、窓の外の暗い庭を見た。


「お嬢様の灯りが割れるのは、どんなときですか」


 ミセス・ブルックは、少し考えた。


「怒ったときです。いつも、怒ったときですよ」


*


 それから数日、わたしはお嬢様のあとを、少し離れてついて歩いた。


 お嬢様は、わたしを試した。


 朝食の席でティーカップを割った。廊下ですれ違うたびに、壁の燭台の硝子にひびを入れた。わたしが礼法の本を開くと、本のそばの花瓶が割れた。


 そのたびに、わたしは三つ数えた。


 それから、尋ねた。


「今、何がおっしゃりたかったのですか」


 お嬢様は、答えなかった。ぷいと顔を背けて、どこかへ行ってしまう。


「では、言いたくなったら教えてください。わたくしは、ここにおります」


 毎朝、わたしはアイロンをかけたハンカチを一枚、お嬢様の枕元に置いた。


『品性というのはね、エレノア。毎朝、アイロンのかかったハンカチを持つところから始まるのよ』


 祖母は、そう言っていた。言葉遣いも所作も、まず自分の身の回りを整えることから。


 お嬢様は、毎朝ハンカチを床に投げ捨てた。


 わたしは毎晩それを拾って、洗って、また翌朝、アイロンをかけて枕元に置いた。


 礼法の授業も、もちろん受けてはくださらなかった。


「お辞儀なんて、しないわ」


「左様でございますか。では、わたくしが一人で練習いたします」


 わたしは、お嬢様の部屋の真ん中で、膝を折って礼をした。背筋を伸ばし、片足を引き、ゆっくりと膝を曲げて、三つ数えて、また伸ばす。


 一回。二回。十回。


「……何回やるの」


「三十回でございます」


「ばかみたい」


 お嬢様は、寝台の上で背を向けた。


 二十回目あたりで、背中の向こうから、衣擦れの音がした。振り向かなかった。二十五回目、鏡の端に、寝台の陰で膝を曲げている小さな影が映った。少し、ぐらついていた。


 三十回目を終えて、わたしは部屋を出た。扉を閉める直前に、小さな声が聞こえた。


「……足、痛い」


 初めて、お嬢様が自分から言った言葉だった。


 次の日、お嬢様はわたしの手首を指さした。


「それ、何」


 袖口から覗く、小さな白い傷痕だった。


「昔、ティーカップが割れたときの傷でございます」


「誰が割ったの」


 わたしは、少しだけ迷った。


「わたくしでございます。お嬢様と同じくらいの年のころに」


 お嬢様は、目を見開いて、何か聞きたそうな顔をした。けれど、結局何も聞かずに、ぷいと横を向いた。


*


 五日目に、わたしは気づいた。


 灯りが割れるのは、お嬢様が怒ったときではなかった。


 怒っていても、大声で「あっちへ行って」と叫んだときには、何も割れない。割れるのは、お嬢様が何かを言いかけて、飲み込んだときだった。


 朝、閣下の馬車が、お嬢様に声もかけずに出かけていったとき。食堂で、空っぽの閣下の椅子を見つめていたとき。わたしが「お母様は、どんな方でしたか」と尋ねて、お嬢様が唇を噛んだとき。


 言葉にならなかった気持ちが、溜まって、溢れて、硝子を割るのだ。


 確かめてみることにした。


「お嬢様。こちらを」


 午後のお茶の時間に、わたしはお嬢様の前に、丸い陶器のティーポットを置いた。


「何、これ」


「ティーポットでございます」


「見れば分かるわ」


「言いたいことがあったら、このポットに言ってごらんなさいませ。ポットは、誰にも言いつけません。わたくしも、聞かないふりをいたします」


 お嬢様は、わたしとポットを交互に見た。


「……ばかみたい」


 そう言って、お嬢様は部屋を出ていった。


 その日の夕方。閣下の馬車が、また夕食前に出かけていった。


 わたしは廊下の角で、足を止めた。お茶の間の扉が、少しだけ開いていた。


 中から、小さな声が聞こえた。


「……お父様の、ばか」


 ティーポットに向かって、お嬢様がささやいていた。


「ばか。ばか。いっつも、いないくせに」


 わたしは、廊下の燭台を見上げた。


 硝子は、一枚も割れていなかった。


*


「奥様は、お体の弱い方でございました」


 その夜、老執事のハリスが、わたしの部屋に紅茶を運んできながら言った。


「お嬢様がお生まれになる前から、ずっと。いつも長い袖のお召し物で、寒い寒いとおっしゃって」


「二年前に、肺の病で、と伺いました」


「……はい。そのように、お医者様は」


 ハリスは、何か言いたげに口を開き、それから閉じた。


「ハリス。お嬢様は、お母様のことを、一度もお話しにならないのですね」


「お亡くなりになってから、一度も。奥様のお部屋にも、近づかれません」


 ハリスは、銀の盆を胸に抱えて、静かに頭を下げた。


「どうか、お嬢様を、よろしくお願いいたします。十三人目の奥様」


 十三人目、は余計だと思った。


*


 その夜遅く、書斎の扉の隙間から、灯りが漏れていた。


 ノックをすると、少し間があって、「入れ」と声がした。


 閣下は、机に向かっていた。書類の山の脇に、小さな肖像画が一枚、伏せて置いてある。わたしが入ると、閣下はそれを引き出しにしまった。


「何の用だ」


「お嬢様のことで、ご報告を」


 わたしは、ティーポットのことを話した。言いたいことを飲み込んだときに、灯りが割れること。ポットに向かってなら言えること。今日、ポットに何と言っていたか。


「……『お父様の、ばか』、か」


 閣下は、低く繰り返した。怒るかと思った。けれど閣下は、ただ目を伏せただけだった。


「閣下は、お嬢様のお顔を、ご覧になりませんね」


 閣下の指が、机の上で止まった。


「妻に、似ている」


 長い沈黙のあとで、閣下は言った。


「あの子の顔を見ると、妻の最期に間に合わなかったことを思い出す。私は、国境にいた。知らせを受けて馬を飛ばしたが、着いたときには、もう」


 閣下は、それ以上言わなかった。


 一つ。二つ。三つ。


「閣下。お嬢様は毎朝、二階の窓から、閣下の馬車をお見送りになっていらっしゃいます」


 閣下が、顔を上げた。


「窓の端に隠れて。閣下が振り返らないか、馬車が門を出るまで、ずっと見ていらっしゃいます。それから、灯りが一つ割れます」


「……知らなかった」


「はい。ですから、ご報告に参りました」


 わたしは、礼をして書斎を出た。扉を閉めるとき、閣下が引き出しを開ける音がした。


*


 その翌日の夜、嵐が来た。


 閣下は昼過ぎから、郊外の領地の見回りに出かけていた。お嬢様は、その朝も二階の窓の端から、馬車を見送っていた。閣下は、門を出る前に一度だけ振り返った。お嬢様は、慌てて窓から隠れた。


 窓を叩く雨の音で目が覚めた。遠くで雷が鳴っている。


 それから、硝子の割れる音がした。


 一つではなかった。廊下の向こうで、続けざまに、ぱりん、ぱりん、ぱりん、と。


 わたしは燭台を持って部屋を飛び出した。


 お嬢様の部屋へ続く長い廊下で、壁の灯りが、端から順に割れていった。硝子の破片が、雨のように降ってくる。使用人たちが悲鳴を上げて、階段のほうへ逃げていく。


「奥様、危のうございます!」


 ミセス・ブルックの声を背中に聞きながら、わたしはお嬢様の部屋の扉を開けた。


 部屋の中は、真っ暗だった。窓硝子にも、鏡にも、ひびが走っている。


 寝台の隅で、小さな影がうずくまっていた。


「来ないで!」


 お嬢様の叫び声と同時に、枕元の水差しが砕けた。


「来ないで、来ないで! わたしの魔法は、人を殺すの!」


*


 わたしは、扉のそばで足を止めた。


 近づかなかった。抱きしめもしなかった。


 燭台を床に置いて、その場に膝をつき、お嬢様と同じ目の高さで、床に座った。


 一つ。二つ。三つ。


「聞かせてください」


 わたしは言った。


「最後まで、聞きます。途中で、何も言いません」


 お嬢様は、膝を抱えたまま、震えていた。


 雷が鳴った。窓の外が白く光って、お嬢様の顔が一瞬だけ見えた。泣いていた。


 長い沈黙のあとで、小さな声がした。


「……六歳の、お誕生日だったの」


 わたしは、黙って頷いた。


「お庭で、お祝いをしたの。お花がいっぱいで、ケーキがあって。でも、お母様は来なかった。お部屋で寝てるって。いつも寝てるの。わたしのお誕生日なのに」


 声が、震えていた。


「だから、お母様のお部屋に行って、言ったの。お母様なんか、嫌いって。大っ嫌いって」


 お嬢様は、膝に顔をうずめた。


「そうしたら、窓が割れたの。お母様のお部屋の窓が、全部。お母様は、すごく悲しそうな顔をして、わたしを見てた」


 わたしは、何も言わなかった。


「一週間たって、お母様は死んじゃった」


 小さな肩が、大きく震えた。


「わたしが、嫌いって言ったから。わたしの魔法が、窓を割ったから。わたしが、お母様を殺したの」


 嵐の音だけが、部屋に響いていた。


「だから、もう誰も、わたしのことを好きにならないでほしいの。好きになったら、また殺しちゃう。お父様も。ミセス・ブルックも。ハリスも。……あなたも」


*


 最後まで聞いた。


 お嬢様が、もう何も言わなくなるまで、待った。


 それから、わたしは口を開いた。


「お話ししてくださって、ありがとうございます」


 お嬢様が、顔を上げた。


「わたくしから、三つだけ、申し上げてもよろしいですか」


 お嬢様は、答えなかった。けれど、首を横にも振らなかった。


「一つ。窓の硝子が割れても、人は死にません。わたくしは、この五日間で、硝子の雨を十回は浴びました。このとおり、生きております」


 お嬢様の目が、わたしの髪に止まった。たぶん、硝子の粉がついている。


「二つ。お母様は、お嬢様がお生まれになる前から、ずっとお体が弱かったと、ハリスが申しておりました。お嬢様のお誕生日より、ずっと前から」


「……でも」


「三つ」


 わたしは、祖母の言葉を思い出していた。


「わたくしの祖母が、申しておりました。『嫌い』と言える相手は、本当は、大好きな人だけだ、と。どうでもいい人には、わざわざ嫌いなんて言いません。来てほしかったから、嫌いと言ったのでしょう」


 お嬢様の顔が、くしゃりと歪んだ。


「お母様に、本当は、何と言いたかったのですか」


 しばらくの沈黙のあと、お嬢様は、しゃくりあげながら言った。


「……ごめんなさいって。ほんとは、大好きだったって」


 その瞬間だった。


 床に散らばった硝子の破片が、ぽう、と光った。


*


 やわらかい、蜂蜜のような色の光だった。


 割れた水差しの欠片が、鏡の破片が、窓硝子のかけらが、一つずつ、小さな灯りのように光り始める。部屋じゅうが、あたたかい色に包まれていった。


 開いた扉の外を見ると、廊下に散らばった燭台の硝子も、同じように光っていた。割れた灯りが、割れたまま、灯っていた。


 お嬢様は、自分の両手を見つめていた。小さな手のひらが、ほんのりと光っている。


「これ、わたしが……?」


「はい」


 わたしは、言った。


「これが、お嬢様の魔法です。人を殺す魔法ではありません。灯りをともす魔法です」


 お嬢様は、光る手のひらを見つめたまま、ぽろぽろと涙をこぼした。


 そのとき、廊下で足音がした。


*


 扉の外に、ジュリアン閣下が立っていた。


 外套から、雨が滴っていた。嵐の中を、馬で戻ってきたのだろう。執事のハリスが、閣下の後ろに控えていた。


 閣下の顔が、真っ白だった。


 いつから、そこにいたのだろう。たぶん、最初から。


「……リリアン」


 閣下が、かすれた声で娘の名を呼んだ。


 お嬢様の肩が、びくりと跳ねた。


 閣下は、ゆっくりと部屋に入ってきた。光る硝子の破片を踏まないように、一歩ずつ。そして、寝台の前で膝をついた。


「すまなかった」


 閣下の声が、震えていた。


「お前のせいじゃない。お母様が死んだのは、お前のせいじゃない。私が……私が、そばにいなかったんだ」


 お嬢様は、しばらく父親の顔を見つめていた。


 それから、小さな腕を伸ばして、閣下の首に抱きついた。


 閣下は、娘を抱きしめた。雨に濡れた外套のまま、強く、強く。


 わたしは、そっと立ち上がって、部屋を出た。


 廊下の割れた燭台が、蜂蜜色に灯っていた。


「エレノア」


 背後で、閣下の声がした。


 振り向くと、閣下が娘を抱いたまま、こちらを見ていた。初めて、わたしの顔を見ていた。


「……ありがとう」


 名前で呼ばれたのも、初めてだった。


*


 翌朝、わたしはいつものように、アイロンをかけたハンカチを一枚、お嬢様の枕元に置いた。


 お嬢様は、眠そうな目でそれを見つめた。


 それから、手に取って、きちんと畳んで、寝間着のポケットにしまった。


「あなたのことは、お母様とは呼ばないから」


「ええ。存じております」


「……エレノア、って呼んでもいい?」


「どうぞ」


 お嬢様は、ほんの少しだけ、口の端を上げた。


 その朝の食堂には、三つの椅子に、三人が座っていた。


 閣下は、ずいぶん長いあいだ、何を話せばいいのか迷っているようだった。やがて、窓の外を見て、言った。


「……今日は、いい天気だな」


「雨でございます、閣下」


「お父様、まだ雨よ」


 閣下は、黙って紅茶を飲んだ。


 お嬢様が、ティーポットに向かって、小さな声で「へんなの」とささやいた。食堂の灯りは、一つも割れなかった。


 朝食のあと、ミセス・ブルックが箒と塵取りを持って、廊下の硝子を片づけ始めた。


 割れた硝子は、まだほんのりと光っていた。夜が明けて、少し弱くはなっていたけれど。


「これ、捨てちゃうの?」


 お嬢様が、ミセス・ブルックのエプロンを引っぱった。


「危のうございますからね」


「……捨てないで」


 お嬢様は、小さな声で言った。


「わたしの、初めての灯りだから」


 ミセス・ブルックは、目をぱちぱちさせて、それからわたしを見た。わたしは、小さく頷いた。


 厨房から、大きな硝子の瓶が運ばれてきた。お嬢様は、手袋をはめて、光る破片を一つずつ拾って、瓶に入れていった。わたしと、ミセス・ブルックと、なぜか途中から閣下も、黙ってそれを手伝った。


 瓶がいっぱいになると、蜂蜜色の光が、瓶の中でゆらゆらと揺れた。


「お部屋に、置いてもいい?」


「もちろんでございます」


 お嬢様は、両手で瓶を抱えて、階段を上っていった。一段ごとに、光が揺れた。


「……十二人の先生が、一人も見られなかったものですねえ」


 ミセス・ブルックが、しみじみと言った。


「十三人目にして、ようやく」


「その数え方は、もうおやめくださいませ」


*


 朝食のあと、ハリスが一通の手紙を持ってきた。


「クレイン子爵夫人からでございます」


 お嬢様の叔母君だ。封を切ると、丁寧な字で、こう書いてあった。


『新しい公爵夫人へ。リリアンの暴走のこと、さぞお困りでしょう。近いうちに、あの子のための腕輪をお持ちして伺います。リリアンのためを思って』


 腕輪。


 わたしは手紙を畳んで、屋敷の回廊を歩いた。


 回廊の突き当たりに、亡き奥様の肖像画が掛かっている。亜麻色の髪の、お嬢様によく似た、やさしい顔の女性。長い袖のドレス。


 その袖口から覗く、細い手首に、銀の腕輪がはまっていた。


 わたしは、肖像画の前に立ち尽くした。


 幼いころ、祖母に聞いたことがある。銀の腕輪をはめられた子どもは、話さなくなるのよ、と。


 お嬢様の魔法は、聞いてもらえなかった言葉で暴れる。


 では、聞いてもらえないまま、腕輪で塞がれた言葉は、どこへ行くのだろう。


 わたしは、三つ数えた。


 聞き役の仕事は、まだ始まったばかりだった。


お読みいただき、ありがとうございました。


亡き奥様の手首の、銀の腕輪。

「リリアンのためを思って」と書いてきた叔母様が、何を持ってやってくるのか。続きは連載版で書く予定です。


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