EP 2
ポポロ村のヤバい奴ら
ルナミス帝国、ワイズ皇国、レオンハート獣人王国の三国が睨み合う緩衝地帯。
常に一触即発の緊張感が漂うはずのその場所で、リアンは深く、そして清々しい深呼吸をした。
「……最高だ。血の匂いも、インクの匂いもしない」
目の前に広がるのは、まんまるな『月見大根』の畑と、のどかな田園風景。
リアンが求めていた究極のスローライフの舞台、『ポポロ村』である。
身分を隠すための質素な外套のフードを下ろし、村の広場へと足を踏み入れたその時だった。
「――ッ!?」
パサッ、と書類の束が地面に落ちる音がした。
振り返ると、特徴的なウサギの耳(獣耳)をピンと逆立て、信じられないものを見るような目でリアンを凝視している美しい少女が立っていた。
彼女こそ、このポポロ村の村長であり、元レオンハート獣人王国の近衛騎士隊長候補――キャルルである。
彼女の並外れた動体視力と嗅覚は、目の前に立つ青年の正体を瞬時に見抜いていた。
かつての戦争で、獣人王国の無敵の兵站をたった一人で「下痢」と「爆破」によって壊滅させた、帝国最強にして最悪の暗殺者。
「リ、リアン様!? な、何故クライン公爵がポポロ村に!?」
キャルルが思わず臨戦態勢に入り、腰のダブルトンファーに手を掛けようとした瞬間。
「公爵様ぁ!?」
どこからともなく、ボロボロの服を着た美少女が地を這うような猛スピードでスライディングしてきた。
手には齧りかけのパンの耳。限界地下アイドル人魚のリーザである。
「ゲヘヘヘヘ……! 公爵様といえば、超絶お金持ち! 肩でもお揉みしましょうか? それとも靴を舐めましょうか? 対価は……金貨、いや、銀貨でも! なんなら炊き出しのカレーでも!」
ルナミス帝国のデパートや交番で鍛え上げられた「タダ働きの錬金術師」が、獲物を見つけたハイエナのようにリアンに擦り寄る。
「あらあら、お客さんかしら?」
さらにその後ろから、眩いほどの金髪を揺らしたエルフの美女、ルナがのんびりとした足取りで現れた。
彼女の手には、先ほど「善意」で生成して市場価格を崩壊させかけた最高級の光り輝くリンゴが握られている。
「ルナ、このお方は帝国の公爵様だよ! 粗相のないように!」とキャルルが慌てて注意するが、ヤンデレ世界樹の加護を受ける天然エルフには、人間の階級など全く通じない。
「こうしゃく? 公爵って何かしら? 美味しいのかしら?」
ルナは不思議そうに小首を傾げ、リアンの顔をまじまじと見つめた。
警戒する元騎士、たかりに来る寄生人魚、そして公爵を食べ物だと思っている天然災害エルフ。
普通なら頭を抱えるような状況だが、リアンの表情は極めて穏やかだった。彼はスッと右手を挙げ、敵意がないことを示す。
「そう気構えないでくれ。俺はもう公爵じゃない。ただのリアンだ」
「た、ただのリアン……?」
「ああ。身分は弟に押し付けて……いや、譲ってきた。呼び捨てにして構わない。俺は、ただ料理をして、のんびりしたいだけなんだ」
暗殺の道具でも、公爵の権威でもなく、ただフライパンと包丁を握るためのスローライフ。
そのリアンの瞳の奥にある「マジで疲労困憊している社会人の哀愁」を感じ取ったのか、キャルルはピーンと立てていたウサギ耳をパタリと寝かせ、深く、深くため息をついた。
「はぁ……。分かったよ、リアン君。色々事情があるみたいだし、村長として歓迎するよ」
「助かる。宿を探したいんだが」
リアンが尋ねると、キャルルは呆れたように足元のリーザ(まだリアンの靴を磨こうとしている)と、ルナを見た。
「宿屋はお金がかかるでしょ? どうせなら、私の家(村長宅)を使いなよ。すでにこの二人も入り浸ってて、部屋は余ってるからさ」
こうして、過労死寸前だった元公爵リアンは、最強にして最凶のポンコツ3人娘が住む村長宅での、騒がしい同居生活をスタートさせることになったのである。




