EP 14
逆鱗に触れる愚行
夜明け前、ポポロ村に焦げ臭い風が吹いた。
「火事やーーっ!! 畑が燃えとるで!!」
ニャングルの悲鳴で跳ね起きたリアンたちが広場へ駆けつけると、村の入り口付近が赤々とした炎に包まれていた。
黒蛇商会が、見せしめとして夜陰に乗じて放った下級の火炎魔獣『ファイア・ハウンド』の仕業だ。自警団が必死に水魔法とボーガンで応戦し、なんとか魔獣を追い払ったものの、被害は甚大だった。
リアンが大切に育てていた『米麦草』の畑の一部が黒焦げになり……そして何より。
「あ、あああ……あぁぁぁ……っ」
その場に膝から崩れ落ちたのは、限界地下アイドル人魚のリーザだった。
彼女の目の前にあるのは、無惨に焼け落ちた一つのテントの骨組み。
それは、村の有志が毎朝、見回りの自警団や貧しい者(主にリーザ)のために炊き出しを行っていた、彼女にとっての『命のテント』だった。
「私の……私の、タダ飯が……っ! 毎朝一番に並んでおばちゃんから貰ってた、熱々の豚汁と大盛りご飯がぁぁぁぁっ!!」
絶望のあまり、地面をバンバンと叩いて号泣するリーザ。
アイドルとしての誇りなど微塵もない、純度100%の「食い物の恨み」である。しかし、毎日のささやかな楽しみを理不尽に奪われた彼女の悲しみは、嘘偽りのない本物だった。
「……私のせいです。私がこの村に逃げ込んできたばかりに……っ!」
怯える村人たちを見て、クラウスが唇を噛み締めた。
「黒蛇商会の狙いは私だ。これ以上、皆さんに迷惑はかけられない。私が奴らの本陣に出向いて――」
「クラウス」
弟の悲壮な決意を遮ったのは、氷のように冷たく、ひたすらに静かな、リアンの声だった。
クラウスが顔を上げると、そこにいたのは「優しい三ツ星シェフの兄」ではなかった。
瞳孔から一切の光が消え去り、絶対零度の殺気を纏った『影の始末屋』。
周囲の空気が物理的に重くなり、泣き喚いていたリーザでさえ「ヒッ」と息を呑んで沈黙するほどの、底知れぬ怒りがそこにあった。
「あ、兄上……?」
「……俺は、この村で美味しい飯を作って、静かに暮らしたかっただけだ」
リアンはゆっくりと、真っ白なコックコートとエプロンを脱ぎ捨てた。
その下から現れたのは、暗殺稼業時代に身につけていた、機能性特化の漆黒の戦闘服。そして、魔法ポーチから取り出した重厚な『銃口剣』を腰に差す。
「食材の輸送ルートを絶ち、畑を焼き、あまつさえ……俺の店の常連から、飯の楽しみを奪った」
リアンの足元の影が、ぐにゃりと不気味に広がる。
中から、漆黒の騎士『影丸』と、底なしの胃袋を持つワーム『喰丸』が這い出し、主の殺意に呼応するように禍々しいオーラを放ち始めた。
「クラウス。今日の『ポポロ亭』は臨時休業だ。……少し、ゴミ掃除をしてくる」
「兄上……まさか、単身で黒蛇商会の本陣に!?」
「安心しろ。……一匹残らず、綺麗に片付けてやる」
ついに、過労死公爵の「究極のスローライフ防衛戦」の火蓋が切られた。
平和な村を理不尽に踏みにじった愚者たちは、この後、自らが呼び覚ましてしまった『最悪の死神』の恐怖を、身をもって知ることになる。




