聖女はもう要らない
百年以上も前のこと。
この国を建立した王は、初代ローゼンベルク公爵家と盟約を交わした。
それは、ローゼンベルク公爵家に代々生まれる聖女による結界術及び膨大な魔力量が目的のいわば政略的なもの。それに対する見返りとして、ローゼンベルクは重要な外国との窓口、つまり辺境にある領地と爵位を約束された。
以来、その盟約は揺るぎないものとされ、国の安全は未来永劫保証される……
筈だった。
豪華ではあるが上品な造りの室内。
煌めくシャンデリアの下では、着飾った貴族たちが静かに談笑を繰り広げている。
見た目も華やかな軽食に、グラスがシャンデリアの光を反射して静かに光っていた。
王宮での夜会……さらに重大な発表があるという噂に、貴族たちは少々色めき立っているようだ。そしてその噂の内容も、また推測されるようなものであれば尚更だ。
すると。
「皆の者、静まれ」
低く、威厳のある声が大広間に響き渡った。
ざわめきは瞬時に消え、貴族たちの視線が檀上へと向けられる。そこには国王陛下、そして王太子であるアレクシス・ルクシエルの姿があった。
柔らかな金色の髪は灯りに反射して煌めき、湖面のような澄んだ瞳は強い意志の光を湛えている。
傍らに控えているのは、彼の婚約者である公爵令嬢エミリア・シュガーレイン。
絹糸のように滑らかな銀髪に、光を受ける度に緩やかに青みを帯びて光り輝く。長い睫毛に縁どられた瞳は紫水晶のように煌めき、穏やかに見えるが軽々しく近づいてはならない凛とした気品を纏っている。
艶やかなアイスブルーのドレスの胸元には、大粒のサファイアのブローチ。アレクシスの胸元には、アメジストが嵌め込まれたタイピンが留められている。
「……発表することがある。アレクシス」
「はっ」
陛下の言葉を受け、アレクシスが前へと出る。
「聖女、アンジェリカ・ローゼンベルク公爵令嬢、前へ」
名を呼ばれた令嬢……アンジェリカは静かに前へ進み出た。柔らかな茶色の髪に、くりっとした大きな瞳の色は夜の湖を思わせせる深い黒。落ち着いたセージグリーンのドレスは、派手ではないが上品さを感じさせる。儚げで見る者の庇護欲をかきたてられるような容姿の彼女は、背筋を真っすぐに伸ばしたまま、アレクシスを静かに見つめ返していた。
その視線を受け、アレクシスは口を開く。
「今日この時をもって、其方を聖女の任から解く」
ざわり、と大広間中に衝撃が走った。
遂にこの時が来た、と。
それを受けても、アンジェリカの表情は変わらない。
「さようでございますか、拝命いたしました」
アンジェリカはそう答え、深々と一礼した。
そしてゆっくりと顔を上げ、淡々と言葉を紡ぎ出す。
「では、この時をもちまして、この国を建立された陛下の代に交わされておりました『盟約』も、同時に終了とさせていただきますが、よろしいでしょうか?」
アレクシアが口を開くよりも早く、アンジェリカは一枚の羊皮紙を取り出して開いた。
瞬間、それは柔らかな光を帯びて輝き出す。
「魔法契約……!」
誰かがそう囁いたのをきっかけに、ざわめきが大きくなった。
魔法契約とは単なる『約束』ではない。言葉を媒介としながらも、実際に結ばれるのは意思と魔力そのもの。
そのため契約を一方的に破った場合、その罰は容赦なく執行される。
果たしてどのような罰が、と会場中が戦々恐々とする中、アンジェリカは口を開いた。
「まず、私が王家との盟約の元に国中に張り巡らせていた結界の解除」
「そして、魔導炉に込めていた魔力の回収」
「さらにそれらにかかった労力……つまり、費用の請求をさせていただきます」
ざわっ、と衝撃が走った。
結界が解除される、それは魔物やこの国に攻め入ろうとする敵国の侵入、呪術などによる干渉等、とにかくあらゆる災害や人災に無防備になるということ。
さらに魔導炉。それはこの国の核といっても過言ではない。火力発電・魔力伝送・公共魔導設備の供給源、つまり水道や家庭の電灯、公共の街灯までを魔導炉からの魔力が循環していることによって機能している。
「それは、大事だぞ……」
「大丈夫なのかしら?」
いつ外敵から攻撃されるか分からない、そしてつい先程まで当たり前に使えていたものが使えなくなる。衝撃と不安に、会場中が騒めいた。
「私が結界及び魔導炉に魔力を込めたのは、聖女としての力が目覚めた8歳の頃。よって10年間の費用を請求いたします」
羊皮紙がまた輝き、金額を会場中に見えるよう浮かび上がらせる。
信じられない程の巨額に、また貴族たちの騒めきが大きくなった。
「国家予算の半分……いや、それ以上だぞ?」
「どうなさるおつもりなのかしら……?」
「この国を破滅させるつもりなのか!?」
「そのようなことが、許されると思っているのか!?」
不安と共に、アンジェリカへの批判の声があがったが、彼女は意に介さない。
「先程も申し上げた通り、こちらは『魔法契約』によるものです。何人たりとも逃れることはできません」
素っ気なくも冷たい声。
彼女はもう、この国を見限っているのだと嫌でも思い知らされた。
しかし、アレクシスとレミリア、そして陛下の表情は変わることがない。ただただ冷静な表情のまま、アンジェリカを真っすぐに見据えている。
さすがに疑問を感じたのか、アンジェリカの表情が怪訝そうなものに変わった。
「念を押すようですが、『一括』でのお支払いを求めます」
陛下は重々しく頷いた。
「構わぬ」
瞬間。
衝撃が会場中に走った。
「皆、静かに」
膨れ上がりそうになった不安を、アレクシスは一言で静めた。
青い瞳は、ただ静かな湖面のような光を宿したまま。それは深い信頼と覚悟あってのもの。
そう感じた群衆は、静かに口を閉じた。
「……それでは、回収させていただきます」
気を取り直したのか、アンジェリカがそう宣言する。それを国王陛下は無言で促した。
「……」
アンジェリカの瞳が閉じられる。
その身体が淡く光輝き……そしてすぐに消え去った。
「っ!?」
アンジェリカは目を見開き、驚愕の表情を浮かべる。
そして、会場内の灯りもそのままだ。結界が解除されたという様子もない。
「何故? と言いたげな顔だな、ローゼンベルク嬢」
その問いに答えるかのように、アレクシスは口を開いた。
「込めた筈の魔力が少なすぎる……それどころか、殆ど無かった。そうだろう?」
「なっ……!?」
アンジェリカの顔から、見る見る内に血の気が引いていく。図星を突かれた、と一目で分かる程に。
すると白衣を纏った男性が素早く駆け寄り、「失礼いたします」と陛下に小声で報告をした。それに陛下は頷き、口を開く。
「魔導炉及び結界に異常は無いとのことだ」
「そ、そんな筈は!?」
「ローゼンベルク公爵令嬢。其方は『異常があった方が良い』と考えておられるのか? 我が国を……其方が生まれ育った国をなんだと思っておる?」
ぎろり、と冷たい目線で見据えられ、アンジェリカはびくりと肩を震わせた。
それに、ふ、と呆れたと言わんばかりの溜息を吐き、陛下はアレクシスを見やった。その視線を受け、彼は口を開く。
「そもそも『一人だけ』に任せた……つまり依存している状態では国が長続きする筈がない。いずれ崩壊することになるだろう」
「それを危惧した先代の陛下は、聖女だけの力に頼らずとも済むよう、独自の魔力供給システムを構築するよう魔術師及び技術者たちに命じた」
「魔力供給システム……独自の……?」
呆然と呟くアンジェリカに、今度は「そうよ」とエミリアが答えた。
「我がシュガーレイン家は、古くから技術者や魔導工学の権威と呼ばれる方との縁が深うございますの。設計から構築、安定化の術式に至るまで、腕利きの方々が『国のためなら』と快く協力してくださいましてね」
柔らかく、しかしどこか誇らしく微笑むエミリア。
「ありがとう、エミリア。協力していただいた方々には、後日改めて謝礼を届けよう」
「まあ、光栄ですわ、アレクシア様」
微笑みあう2人の間には、信頼の絆がしっかりと感じられる。
「そ、そのような筈はありませんわ。結界と魔導炉はローゼンベルク家の『聖女』の魔力でしか起動しません。無理にそれを描きかえるようなことすれば、不具合を起こすだけでなく最悪破壊するおそれが」
「『先代の陛下』から、と先程言ったが、聞いていなかったのか?」
アンジェリカの反論に、アレクシスが冷静に答える。
「そして、そのようなリスクが伴うことを我々が把握していないと思ったのか?」
「そのリスクも考慮して、少しずつ少しずつ、何十年もかけて構築し、同時に魔力の『上書き』もしていったのです。聖女の魔力でなくても、起動するように」
エミリアの言葉に、は、とアンジェリカの喉から声にならない声が迸った。
「現在では、宮廷魔術師が交代で数分だけ込めることで起動することが可能となっておりますの」
「本当は私の代までかかると推測されていたのだが、エミリアとの婚約のおかげで早く完成することが出来た」
「お役にたてて、何よりですわ」
また見つめ合う2人。
それにアンジェリカは、ぐっと唇を噛みしめる。きょろきょろと目線を動かしているのは、何か突破口がないか探しているのだろう。
だが、容赦なくアレクシスは畳みかけた。
「そして完成し、起動したのは今から8年前のことだ」
「なっ……!?」
「これで分かっただろう? 其方の魔力が殆ど残っていなかった理由がな」
冷たく放たれた言葉は、容赦なくアンジェリカのプライドを粉々に砕いた。
毎年込めていた筈の魔力が、とっくに他人のものになっていた挙句、結界と魔導炉を正常に動かしていたのだから無理もないが。
「何故、そのようなものを開発していると教えていただけなかったのですか?」
気を取り直したのか、アンジェリカは睨みつけるような目を向けた。
「我がローゼンベルク家が王家を、そして国を支えて続けたことは紛れもない事実ですわ。それを蔑ろにするなど、到底許される筈がありません」
「確かに、その功績は認めよう。……だが」
「妨害されると知りながら、みすみす情報を明かすような真似をすると思ったのか?」
「そ、そのようなことは……!」
アンジェリカの反論を遮り、アレクシスは静かに片手を挙げた。
「捕らえよ」
ガシャンッ!
騎士たちが剣を、アンジェリカの喉元に突き付けた。
「は……?」
冴え冴えとした光が、容赦なく彼女の目を刺す。喉からは信じられない、とばかりに間の抜けた声があがったが、その剣が納められることはない。
「我が国は、盟約の下にローゼンベルク公爵家の意見を尊重し、常に感謝を忘れぬよう代々伝えられてきた」
陛下が重々しく口を開いた。
「しかし長い年月が経つにつれ、『国を守護している』という大義を盾に、高慢かつ尊大な態度が目につくようになった。それはゆっくりゆっくりと進行し、辺境の地を蝕んでいった」
「これが先代……我が父が魔導システムを開発せよと命じたもう一つの理由だ」
「役目が無くなれば大義を名分に甘い汁が啜れなくなる。妨害するには充分な理由だな」
後を引き継いだアレクシスが、陛下が、そしてエミリアが揃って冷たい視線を容赦なくアンジェリカに浴びせる。
「……そんな、そんなことは」
弱弱しい声で懇願するアンジェリカだが、それが聞き入れられることがない。
アレクシスは水晶に手を翳した。それは、フォン、という軽い音と共に起動し、画像を大きく投影させる。
「なっ……!」
見上げたアンジェリカの顔から、見る見る内に血の気が引いた。
そこに映し出されていたのは、ローゼンベルク家の帳簿……正しくは『裏帳簿』と呼ばれるものだったからだ。
「この帳簿により、先代からおよそ30年にわたり、納税の4割を意図的に隠匿していた事実を確認した」
その言葉に、ざわり、と群衆が不穏に騒めいた。
「未納総額は金貨百万枚。延滞利息および王権欺瞞の加重を加え」
アレクシスは一呼吸置いて、発言した。
「追徴、金貨二百五十万枚を即刻納めることを命ずる」
瞬間、さらに群衆が騒めく。
「国家予算の約2年分ではないか!?」
「それでは、先程ローゼンベルク嬢が請求した金額を大幅に超えますわよ?」
その言葉が耳にようやく入ったのだろう。
アンジェリカの身体が、がくがくと震え出した。大量の汗が頬を滴り落ちていくのが見える。
「そ、その、帳簿はっ……にせものっ、偽物ですわ!!」
それでも震える声で精一杯の抵抗をしたところは、ある意味立派というべきか。
だがそれは。
「ほう? 王家の影による調査を疑うか?」
陛下が鋭い視線でアンジェリカを見据えた。
「王家の影は、いずれの公爵家にも属さず、ましてや王太子の私兵でもない」
陛下の指が、玉座を軽く叩く。
「余--この王の直属の部隊である」
息を呑んだのは誰だったか。
「それを疑うということは、王命を偽りと断じることと同意。……不敬では済まぬ」
「……っ」
厳しく冷たい視線に囚われたかのように、アンジェリカは声を出すことすらできずにいた。
「皮肉なものだな、自身の発言で証明してしまうとは」
アレクシスもまた目を狭めて、彼女を見下ろす。
「王家との盟約を、軽く見ていたことを」
「ち、ちがいますっ、わたくしはっ、んぐっ!」
アンジェリカに容赦なく猿轡が噛まされた。
ガシャンッ!!
魔力封じの首輪と手錠がかけられた音が、高く響き渡る。
「連れて行け」
陛下が重々しく命じると、騎士たちは見苦しく暴れるアンジェリカを引きずるようにして連れて行った。
残された羊皮紙はさらさらと崩れ去り、後には塵も残っていない。魔法契約が『正しく』解除されたという証拠だ。
両開きの扉が静かに閉まるのを合図にしたかのように、陛下は口を開く。
「皆、騒がせてすまなかった。さらに魔力供給システムを秘匿していたこと、心から謝罪する」
陛下が頭を下げるのにならい、アレクシスとエミリアも礼をする。
その躊躇いのない謝罪に、貴族たちもまた最上級の礼を取った。
「未来永劫続く『保証』など無い。これで完成などと驕ることなく、さらなる精進が必要だと余は考えておる」
「それには国家だけではなく、国民の協力が必要不可欠だ」
「国の安全のため、これからも力を尽くしてくれるよう頼む」
静かに最上級の礼をとった会場中に、陛下は重々しく頷いた。
「では、改めて夜会を始めるとしよう。時間の許す限り、心ゆくまで楽しむと良い」
わあ、と静かな歓声があがる。
楽団が軽やかな音楽を奏で、あちこちで会話の花が咲いた。ワイングラスの澄んだ音が、心地良く響く。
「さ、私たちも楽しもうか」
「ええ、アレクシス様」
エミリアは微笑んで、アレクシスが差し出した手を取った。
その様子を陛下は、ワイングラスを受け取りながら目を細めて見つめていた。
そして。
聖女一人きりに頼っていたシステムを打開したこの国は、さらなる発展を遂げることとなった。
周辺の国からシステム構築の依頼が殺到し、それを聞きつけた新たな国とも繋がりを得ることが出来たからだ。
しかしそれに驕ることはなく、陛下は正しく国民を導き、国を治めた。
そして彼が引退し、後を継いだアレクシスと王妃エミリアは、その教えを胸に互いに協力し合い、国民を第一に考えた政治を心がけ、多くの支持を集めた。
その一方で、建国以来王家を支えていたと思われていたローゼンベルク公爵家は、全てを失うこととなった。
領地と財産は没収され、爵位も返上。それでも支払うことは不可能だったため、豊富な魔力を有効活用するため、その身柄は建築や採掘現場へ送られ、魔法補助の役割に従事することとなった。
そういった現場というのは、空気が悪く、精神的肉体的にもキツいのが相場だ。
よって。
「おい、早く肉体強化の魔法かけろよ!」
「ぐずぐずすんな!」
「ったく、使えねーなぁ!」
そこで働いている者たちの言葉は自然と荒い。
暴力こそ振るわれないが(魔法が使えなくなっては困るため)、元貴族の精神を擦り減らすには充分過ぎる程だった。
この力はこんな下賤な者たちに使われるものではなかった筈なのに。
この力はもっと高貴なことのために使われる筈だったのに。
「あ? なんだよ、睨みやがって」
考えが顔に出ていたのか、鉱夫にじろりと睨みつけられた。
「もうお前は貴族じゃねーんだよ、何勘違いしてやがんだ!?」
「そうそう、平民……いや、罪人のクセに偉そうにしてんじゃねぇよ」
「まだまだ追徴金残ってんだろ? 払う気あんのかよ?」
「分からねーんなら教えてやるよ」
「働かなきゃ、金は入ってこねーんだよ!!」
嘲笑が、げらげらと容赦なく降り注ぐ。
元ローゼンベルク公爵家の者たちは、そしてアンジェリカは唇を噛みしめて拳を強く握ることしか出来なかった。
その後、この家名は歴史の海に沈み、二度と日の目を見ることはなかったという。
(終)




