引きこもり令嬢と一軍男子
短編です。他作品を読まなくても問題ありません。
ここは帝光学園。
国内有数のお金持ちの学校で、学校にいる人間の総数は数万人規模になる。
幼稚舎から大学までの施設をもち、病院から製薬会社、商社、金融、観光、娯楽まで系列会社は多岐にわたる。
国内を支配するといってもいいこの学園は、一部の人間によって支配されていると言っても過言ではない。
学園を組織し、施設に莫大な費用を投資している人間には、特別に『プレジール』という組織に入ることが許される。
そのプレジールの中で、幼稚舎から在籍し大きな勢力のトップに君臨する者たちが数名いる。
男のトップは行く末、企業のトップや総理大臣候補。女のトップも同様であろう。
☆
「ねえ、あなたわかってらっしゃる? 全然釣り合ってないのよ……」
見上げれば、さらさらの髪が美しい女子生徒がにらみつけてきた。
「聞いてらっしゃる? いい? あなたには不釣り合いなの。麻生くんのこと」
ぼーっと相手を見つめていたら、ますます美しい女子生徒が美しい声を張り上げる。
(きれいだな……はあ、こんなきれいな子に怒られるなんて。漫画みたいな展開)
髪の毛は伸びっぱなしで前髪も長く、眼鏡をかけている。背が高いが猫背で、いつもうつむきがち。
しゃべっても声が小さいため、陰鬱な雰囲気にしか見えない。
この帝光学園には不釣り合いなほど不格好な女子生徒――**絵玲奈**は、美しい女子生徒を前にして、まったく違うことを考えていた。
「麻生……。」
「そう、あなた昨日ひとりでお昼を食べていたときに、麻生くんがあなたに話しかけていましたよね?
あなたが可哀想だから彼は話しかけてあげているのに、無視して。何様のつもり?」
「いえ、無視した、わけでは……なく」
「それに彼はみんなに優しいの。ちょっと話しかけられたくらいで図に乗らないことね。わかりましたこと?」
「は、はあ……」
くるっと踵を返し、取り巻きの女子生徒二人を引き連れてスタスタと離れていってしまう。
(帝光学園って、いじめも上品だよな。みんな品がいいというか……)
眼鏡をくいっと上げ、三人の美人ご令嬢を見送る。だが絵玲奈にとっては、まったく他人事のようだった。
最近、ずっと引きこもりがちで三か月ほど不登校だったが、先週から登校し始めた。
なかなか学校に行くのはめんどくさい。
帝光学園には親の懇意な人の紹介で、たまたま初等部からの編入を許可されたのだ。
それまで絵玲奈は公立校に通っていたが、その暗さからいじめの標的になりやすかった。
小学校の頃から時々学校を休むことがあり、それでもどうにか通っていたが――
あるとき、耳鳴りがひどくなり倒れてしまった。
それ以来、学校が怖くなった。
またあのひどい音が頭の中に響いて倒れるのではないかという恐怖が、教室の前に来ると襲ってくる。
幸い、両親は学校に行くことを強制しなかった。
家で勉強するためにオンライン塾を活用したおかげで、学業には支障がなかった。
その結果、編入試験も最低ラインで引っかかり、ありがたく編入できた。
それ以来、絵玲奈の聴覚は過敏になった。
人の気配や街の雑音などが過剰に聞こえ、気分が悪くなってしまうのだ。
だからこそ、この広い学園はまだ耐えられる。
それでも刺激が強いと、外に出るのが怖くなる。
「はあ、また明日から学校……どうしようかな……」
頑張って一週間登校したが、明日からまた部屋にこもろうかと考える。
いや、今の自分にはやるべきことがある。もう退くわけにはいかなかった。
「もう、寝たい……どこかに横になりたい……」
引きこもりの一番いいところは、疲れたらすぐ横になれること。
学校では、横になりたいときに寝られないのが不便だ。
「午後、さぼっちゃおうかな……」
ふらふらと中庭を歩いていくと、さっきの女子三人だけでなく、キラキラした男女グループが東屋でお茶を飲んでいた。
その中には、現プレジールのメンバーも何人かいるようだ。
絵玲奈はその横を通りたくなくて、遠回りをしようと踵を返した――が、勢い余って盛大に転んでしまった。
大きな物音がして、一軍キラキラ集団が一斉にこちらを見る。
「やあ、誰かと思えば……君か」
足元に輝く磨かれたローファー。足の長さで、誰かすぐにわかる。
絵玲奈はびくりと肩を震わせた。
「眞鍋……どうしたの? こんなところで、引きこもりのお姫様」
麻生怜司。
皮肉たっぷりに見下ろすその視線には、明らかに歓迎の色がなかった。
後ろでは女子がくすくす笑い、男子も「可哀想だろ〜」と茶化してくる。
「わ、わたし……行かないと」
「へえ、どこに? 家にでも帰るの? 君はずっと家にいた方がいいよ。これからも」
「………」
絵玲奈はぐっと唇をかみしめた。
悔しい……何も言い返せない。今しがた「家に帰りたい」と思っていたのだ。
「し、失礼します……!」
転んだ膝が痛むが、この視線には耐えられない。
どうにか立ち上がろうとしたとき、目の前に手が差し出された。
麻生が差し伸べた手だった。
見上げると、その顔には何の表情もない。
ぐっとにらみ返し、その手を取らずに走り去る。
絵玲奈の後ろ姿を見送りながら、一軍キラキラグループはまた楽しそうに笑った。
☆
「え、絵玲奈さん! そのマスコットどこで手に入れたの?」
「これ? もらった、かな」
「すごい! 今どこにも手に入らないレアものなんだよ」
クラスに戻ると、隣の席の松山さんが話しかけてきた。
彼女は一軍キラキラ集団がいるようなクラス違い、一般クラスの中でも気さくで、絵玲奈が久しぶりに登校しても偏見を持たない数少ない友人の一人だ。
松山は初等部からの付き合いである。
帝光学園は特殊な環境で、外交官や海外赴任の家庭も多い。
そのため、長期間日本を離れる生徒も珍しくなく、三か月程度の不登校など誰も気にしない。
家庭教師やオンライン授業も整っており、自主学習の制度が充実しているのが特徴だ。
「これ、カワイイよね! フリマでもすごい値段ついてるって聞いたよ」
「そう、なんだ……」
松山が見ているのは、七色のトカゲのマスコット。
カメレオンではなく、トカゲだ。目がぎょろぎょろしていて、正直かわいくはない。
だがSNSで拡散され、きもカワイイという口コミで、急に人気が上昇し、どこでも完売が続いているらしい。
「松山さんがよければ、いる?」
「いいの!?」
「家に行けば、まだ何個かあるかもしれないし」
「うれしい! 従妹がずっと探してて……ありがとう!」
「私も、たまたまたくさんもらっただけだから」
こんな陰気な自分にも分け隔てなく接してくれる松山は、まるで天使のようだ。
外交官の家庭で、来年から海外大学へ進学する予定だという。
「でも、ASOメディアすごいよね……今回の映画もそこからでしょ?」
松山がスマホをスクロールしながら、椅子に腰を下ろした。
「今アニメ上映してるじゃない? 興行収入、軒並み塗り替えてるよね。海外でも話題だって」
確かに、最近話題の超大作アニメ映画。
技術も物語も素晴らしく、今年の世界興行収入を塗り替えたという。
「ゲームも強いけど、最近はキャラクターものもすごい出してるよね。ニジーもASOメディアからだったよね」
絵玲奈が持っていたマスコットも、ASOメディアのキャラクター。
同社はキャラクター創出に強く、海外セレブがグッズを買いに訪れるほどだ。
ハイブランドとのコラボも多く、幅広い世代を魅了している。
七色トカゲのニジーもその一つ。
朝のショートアニメが放送されてから、子どもを中心に爆発的な人気を得た。
「ニジー、映画になるかも……」
「え、そうなの!?」
ぽそっと絵玲奈がつぶやくと、松山は身を乗り出した。
「そんな情報あったかな……わたし毎日チェックしてるけど……」
「ど、どうだろう? 気のせいだったかも」
ぷるぷると首を横に振る絵玲奈。
そのとき、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
午後からの授業が始まる。
教室では寝転がることもできないが、今日からまた頑張ろうと絵玲奈は気を引き締めた。
☆
水中で手を動かすと自由を感じる。
音が響く日常が、水の中だと静かになる気がするからだ。
絵玲奈は、引きこもり生活が長かったが体力を落とさないために、ずっと水泳だけは続けていた。
学校には行かなくてもスイミングスクールは嫌ではなく、送り迎えをしてもらいながら週に三〜五回ほど通っている。
四泳法はマスターしているが、記録会には出ない。ただ、黙って泳ぎ続けるのが好きだ。
今日も放課後いつものようにスイミングスクールに行き、一時間ほど泳いだあと、プール外のジャグジーへ向かう。
そこには先客がいた。
「おい、絵玲奈」
顔を見なくても、麻生だとわかる。
引き返そうかと思ったが、もう遅い。どうせ絡まれるのはわかっていた。
いつもはもっと遅い時間のはずなのに。しかも、彼には自宅にプールがある。ここに来る必要などないのに。
絵玲奈は麻生から離れた位置に入り、さっさと体を温めて帰ろうとした。
「お前、全然こっち見ないよな」
「……別にそんなんじゃ……」
「あれだけ学校行かないって言ってたのに、急に行きだして」
「だって、それは……」
「はあ? だから言ったよな? 無理に学校行かなくていいって」
「でも、それじゃだめ、かなって」
「耳鳴り、ひどくなったらまた倒れるぞ。今日だって転んでただろ?」
ぱっと顔を上げると、麻生が心配そうな顔をしていた。
その表情に、胸が少しだけ痛む。
「それは、耳鳴りじゃなくて……」
「それに絡まれてただろ? 絵玲奈は目つけられやすいから」
「それは……」
(半分は、あなたのせいなんだけど……)
心の中でつぶやく。
クラスメイトに絡まれる理由の半分は、麻生にある。
「だから、学校では話しかけない。我慢してやってんのに……ずっと既読無視しやがって」
「無視ではなくて……」
「まあ、仕事あるもんな……忙しかっただろ?」
「うん……」
麻生はそっと絵玲奈の頭をなでた。
その目は怒っていない。
理屈抜きの優しさに、絵玲奈は慌てて顔をうつむけた。
「すげえ、きれい……」
麻生の声が落ちる。
眼鏡を外し、髪をスイムキャップに押し込んだ絵玲奈の顔を、真っすぐに見つめている。
隠すものが何もない。
絵玲奈の顔立ちは、祖母ゆずりの繊細な美しさがある。
高身長も、祖母が外国出身でモデルだったからだ。
クオーターであり、目の色素は薄く、肌は透き通るように白い。
麻生いわく、“どストライク”な顔なのだという。
「仕事は嫌、ではなくて……」
「はあ? じゃあなんで学校行ったんだよ?」
絵玲奈は頭を抱えた。
もともと絵を描くのが好きで、有名漫画家と画家の両親のもとに生まれた彼女にとって、絵を描くことは呼吸のようなものだった。
両親の仕事の関係でASOメディアのパーティーに出たことがきっかけで、幼いころから麻生とのつながりがある。
麻生と眞鍋家は代々の関係であり、将来は両家の結びつきを強めるために婚約者を見つける流れができていた。
麻生は出会ったときから絵玲奈を何かと気にかけ、両親が絵玲奈が学校へ行きたくないことを話しのか、小学校のときには絵玲奈を守るために公立へ転校までした。
だが、絵玲奈がいじめられ、麻生がいじめた相手をこてんぱんにのしたことで、ふたりは孤立。
その後、帝光学園の初等部に編入したのだ。
絵玲奈は不登校気味で、家にこもって絵を描く生活をしていた。
それを許してくれる親に甘え、好きなことだけをして過ごした。
たくさん描いた絵の一部を麻生に見られ、勝手に商品化されたときは驚いた。
もちろん両親は知っていて、絵玲奈は事後報告を受けたが、それが中学生のころの話。
今ではASOメディアを代表するクリエイターの一人になっている。
ただし、両親の意向で名前や素性は非公開。限られた者しか知らない。
そう──昼に松山が話していた「ニジー」も、絵玲奈が生み出したキャラクターの一つだった。
「このまま家にいたら……よくないから」
「どうせ高校卒業したら就職だろ? いまと変わらないだろ?」
「一人暮らし、しよう、とか」
「できるわけないだろ? ゴミとか捨てられるのか? 料理は? 掃除は?」
「たぶん、できる……」
「やったことないだろう」
絵玲奈は、能力の九割を絵に、残り一割を水泳に振っている。
比べて麻生は、勉強もスポーツも家事も完璧だった。
たまに絵玲奈が引きこもると、掃除をしに入ってくるほどだ。
お手伝いの人もいるが、自分一人で生活できるかといえば自信はない。
「でも、このまま……家にいたら」
「そりゃ、結婚だろ」
絵玲奈は頭を抱えた。
それが一番嫌なのだ。
麻生と絵玲奈の両親は、ふたりが仲良いことから“きっと麻生なら絵玲奈を守ってくれる”と期待して、先日婚約を決めてしまった。
高校を卒業してから正式に発表──だが、自立しなければ、結婚は既定路線だ。
「それは、だめ、かな? って……」
「嫌なのかよ」
「いや、というか……うーん…わかんない」
「キス、したろ」
絵玲奈は思い出した。
中等部に上がるころ、麻生に呼び出され、放課後の教室でキスされた。
慌てて突き飛ばし帰ったが、その後も誕生日やクリスマスなどイベントのたびに呼び出され、
手をつなぎ、レストランや映画に行く“デートまがい”の時間を過ごした。
「絵玲奈にとって、俺ってなんなの?」
「うーん、幼馴染?」
「は、ふざけんな」
麻生が鼻で笑う。
人間関係が苦手で、友達も少ない絵玲奈にとって、麻生は特別な存在だが──異性としてどう思っているかは、まだわからなかった。
昔から背を丸め、目立たないようにしてきた。
人が怖いのかもしれない。麻生がこれ以上踏み込んでくるのは、単純に“怖い”のだ。
このまま幼馴染として、静かに生きていければそれでいい。
それが絵玲奈の理想だった。
「結婚とか、よくわからないし……たぶん私、変わらないよ。ずっと」
「別にそれでいいだろ」
「え、いいの?」
絵玲奈が顔を上げる。ぽんぽんと頭をなでられると、麻生は笑ってジャグジーから出ていった。
☆
「う……う……。」
涙が止まらない。絵玲奈は何度もハンカチでぬぐった。
周囲は真っ暗。目の前には巨大なスクリーン。
虹色のトカゲが大冒険の末、友人と再会して再び旅に出る──その再会劇に胸が熱くなる。
生み出したキャラクターではあるが、ここまで深く描いてもらえるとは思わなかった。
絵玲奈の中で、ニジーはもう“自分のもの”ではない。
見る人の想いに触れ、世界を広げていく──みんなで作り上げるキャラクター。
その事実が、嬉しくて涙があふれた。
映画『ニジー』は大ヒット。今年の興行収入一位は確実と評判だ。
人混みが苦手な絵玲奈は、映画館がもっと空いた頃に観ようと思っていたが、麻生に強制的に連行され、一緒に観る羽目になった。プラチナチケットなのか、革張りのカップル席でずっと手を握られての鑑賞だったわけだが。
結果的に楽しかった。
映画館を出て、運転手が待つ車に乗り込む。
「やっぱりよかったな」
「うん、すごくよかった……もう10回はみたい」
「まだ、俺は5回しか見てない」
「え、ずるい」
「じゃあ、また来週行くか」
「行きたい!」
涙をぬぐい、笑顔を向ける絵玲奈に、麻生は照れくさそうに笑った。
そのまま、不意打ちのキス。最近、キスの回数が増えている気がする。
どうやら彼は結婚に向けて、本格的に畳みかけてきているようだ。
「はやく、18歳にならねえかな」
「え? 私18歳だよ」
「違う、おれだよ」
「ああ、そうか、まだ先だね」
麻生は早生まれの三月生まれ。絵玲奈は八月生まれで、もう十八歳。
ぎゅっと手を握られ、熱っぽい瞳で見つめられる。
「早く、結婚したい。絵玲奈の両親から、結婚までは我慢しろって言われてるんだから」
「…………」
麻生が言わんとしていることがわかる。
その視線に宿る熱。結婚後の“それ”を意味していた。
車内で視線を下げ薬指を撫で、深呼吸の回数を数える。五つ数えて吐く。もう一度。
(逃げられないな……)
あれから学校には通っているが、仕事の関係で生活は不規則。
集中すると食事も睡眠も忘れてしまうのが絵玲奈の悪い癖だった。
「自立して一人暮らし」──その計画は進んでいない。
今の環境が居心地よすぎて、引きこもり生活を続けていいなら、それでもいいかもしれないとすら思ってしまう。
学校を卒業したら本格的に仕事一本。
麻生は大学に進学するが、結婚を機に眞鍋家に婿入りし、絵玲奈の両親の会社をASOメディアの子会社にして、その社長になる予定らしい。
麻生はすでに兄と姉がいて、学校卒業後すでにグループ経営に携わっている。
着々と周囲の準備は整い、結婚後のマンションも用意されている。
麻生は「絵玲奈の世話をしながら大学に通う」と言っている。
このままでは、麻生がいないと生きられない未来しか見えない。
自立など遠い先の話。
しかも、快適で穏やかな未来しか見えないことが──いちばん困る。
車が停まり、大通りのジュエリー店の前でドアが開いた。
八月に予約していた誕生日ジュエリーが届いたらしい。
ふたりの指に合わせて作られたペアリング。
もう、公然と隠す気はないらしい。
「指輪、しなくちゃだめ?」
「当たり前だろう」
絶対に逆らえない。
なんせ、引きこもりの絵玲奈では、一軍キラキラ男子には勝てないのである。
次回、怜司視点の短編があります。
引きこもり令嬢と一軍男子 ~side 怜司~
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