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口にしたものの話

※若干ホラー・異食っぽい要素があります

 女を見かけたのは偶然だった。

 老舗のデパートの催事場へ友も連れずふらりと出かけたところで、女はなにやら店員と話していた。ふくよかな女の店員がショーケースの前で何度か指し示す先には、大きなエメラルドのネックレスがあった。もしや大口の客だろうか? にしてはずいぶんと年若い。私は気になって彼女らの会話を盗み聞いた。

「……は……」

「ええ、取り扱いが……」

 フロアに並ぶ小店舗の幟を見ると、遠く離れた島国をテーマに輸入品の販売が行われているらしい。メインは食料品で、ケースに入ったエメラルドはどうやら展示用の非売品だ。

「……は、店長……渡して……」

「承知しました」

 スラックスと黒い上着の、地味な女であった。やや癖のある黒い髪が背中を覆い隠している。淡い桜色の唇と灰色の目。この女を色にしたら、東洋の墨を薄く水に伸ばしたようなグレーだろう。とくと見つめているとしみじみ美しい女だと思えた。

 女たちの隣りで暇を持て余していた男と目があった。意識を向けすぎたか。私はいくつかの店をひやかしながら催事場を後にした。

『――街のトラブルおまかせください、魔法で小さなお手伝い――』

 街頭テレビでCMが流れている。

 家に帰り着いた私は分厚い電話帳をめくった。

 目当ての行までしばらくページを探ると、受話器を上げた。


 *


 ジリリリリ、と黒電話が鳴った。

「はい、クラカウアー事務所でございます。……はい、……そうですが……」

 とある昼下がり、港湾都市の一角にある、住宅を兼ねた小さな事務所で、人の居ぬ間に来客用のソファに寝転んでいた男が立ち上がって受話器を上げた。

 彼が答えている間に「ただいま」と玄関から女の声。なにやら書き物をしていた老紳士がペンを止めて迎えに出る。

「お帰りなさいませ」

「ただいまシュテファンさん。はあ……」

 居間のソファを今度は女が陣取った。ふかふかの背もたれに沈み込む。

「ずいぶんとお疲れで」

「うん……」

 横に放っていた黒い上着を雑にまとめると、ようやく起き上がって長い髪をかき上げ、息をつく。

 どう見ても体力仕事には向かない見た目をしていた。

「今回はどういったご依頼で」

「どこで読んだのか知らないけど、箒で空を飛んでお父さんに荷物を運んでって……。小さい子だったから、絶対無理って言うのも、なんか、悪くて……」

 想像したのだろう、老紳士は穏やかに笑う。

「聞いてみたら『荷物が宙に浮いてお父さんに届く』ならいいって言うから、風で地面から3cmくらい浮かせて1kmくらい動かした……」

 男の声が飛んできた。

「レク、電話! 親戚の人から」

 女――レイ=クリーグ・クラカウアー、あだなはレク――は、街の人々の様々な依頼を受ける、駆け出しの魔法使いであった。

「こないだ催事場でもらったお茶が棚にあるから淹れて。あんたも飲んでいいから」

 と言ってレクは電話を変わった。


『レイちゃん? サマンサです。久しぶりねえ』

「おばさま。お久しぶりです」

 レクの母には弟がひとりいる。その奥方が電話口の女性だ。義理の叔母とでも言えばいいのか。

『今の男の子が事務所のお手伝いしてくれてるっていう?』

 話好きな叔母だ。レクが帰ってきてすぐにヨルダが受話器をよこしてこなかったということは、何やらいろいろ聞かれていたのだろう。

「……ああ、はい。ヨルダです」

 彼は自分の……知人? 友人? 部下? 相棒……とか? 迷ったが、ただ名前だけを口にした。

 まあ、彼とはなるべく長く穏当に仕事をしていければと思っている。

「ところで、どうかなさったんですか」

『ああそうそう! 電話がね、ほんとはそちら宛だと思うんだけど、こっちの事務所にかかってきたのよ』

「まあ、紛らわしいですからね……」

 この街、港湾都市エリスに『クラカウアー』のつく魔法系事務所は二つある。

 一つは今レクたちがいるほう。もう一つはこの叔母の配偶者であり、レクの母の弟……つまり叔父が立ち上げた、『エリス中央クラカウアー社』だ。

 その名の通りメインストリートにある、レンガ造りの大きな事務所で、テレビでも広告を打っている。外部からも社員として魔法使いを雇っていて、レクも学生時代にバイトさせてもらったことがある。

「これからはああいうほうが生き残るかもしれないからね」

 と祖母が言っていた気がするが、どうして母がこちらを継いで叔父が新しく事務所を作ったのか、事情はなんだかんだと聞きそびれている。

『ノウルズさんという方、ご存知?』

 聞き覚えがない。

「いいえ」

 あら、と叔母は意外そうな声音で相槌を打った。

『なんだかとっても親しげな様子で、そちらの事務所の代替わりをお祝いさせてくれっておっしゃるから、てっきりレイちゃんの大学のお知り合いとか、そういった方かしらって』

「ううん……。

 声を聞いたら思い出すかもしれないので、とりあえず折り返してみます。

 連絡先を教えてください」

『詐欺だったらすぐ切るのよ? 警察にも通報なさいね?』

 おしゃべりな叔母は心配しつつも電話番号を教えてくれた。


 受話器を置くと、三人分のティーセットをローテーブルに置いたヨルダが話しかけてきた。

「いやあ、お前のおばさんだっけ? ……すごいな」

「おばさま五分であたしの一年分くらい喋るから」

「もしかしてお前以外のクラカウアー家って全員あれ?」

 老紳士ことシュテファンがふふ、と笑った。電話口の声もきっと聞こえていたのだろう。

「サマンサ様とそれからルカ様……お嬢様の叔父君はよく話されますが、他の方はあれほどではございませんよ。ミランダ様(レクの母だ)も明るいお方ではありますがね」

 ソファに座り直したレクも茶の入ったカップを手に取った。

「……嗅いだことない香りがする」

 この都市から遠く離れた島国からの輸入品だというそれは、フレーバードティーというのか、オリエンタルな甘い香りをまとっている。依頼料のおまけとして渡されたものだった。

 そのまま口に含もうとしてヨルダに小突かれた。

「お前いい加減人から手渡しでもらったものを先に口つけるのやめろ」

 女は首を傾げた。

「デパートの売り物なのに……?」

「売り物でも。表に出てるやつをそのまま渡されたんじゃなかったろ、それ」

 たしかバックヤードから出てきた在庫品のはずだ。

「心配しすぎじゃない?」

 ヨルダは茶に口をつけた。

「プライベートなら何を食おうが気にしないけど、仕事だろ? 代替わりして一年経たない駆け出しなんて会う奴はほとんど初対面だし、心配しすぎでちょうどいいくらいじゃね」

 もう一口。

「大事な雇い主サマに何かあったら困りますし? ……これすげえ味だな」

 レクも茶に口をつけた。

「……ほんとだ、すごい味だ」

 としか表現しようがない。カロリーカット甘味料のようなすきっとした甘み、炒ってカラメルをまとわせたナッツのような香ばしさがあるのに舌には一向に甘さが落ちてこない。あるのは薬と感じる寸前まで煮詰まった苦みと果物のような酸味だ。つまり甘いのは香りだけなのだ。

「なんで甘くないのかわかんない。クッキー食べたら香りだけ重複しそう」

 シュテファンは若い二人の感想に笑ってしまっている。

「茶の世界は奥が深いですからね」


 *


『完全なる善意の申し出ですよ』

 電話口の男……ノウルズは言った。

 彼は個人事務所を構える弁護士だという。

『必要なら身元を調べていただいても構いません。電話帳にも載っています。

 以前そちらの……エリス中央クラカウアー社の社員の方と仕事をしたことがありましてね。せっかくの機会ですから、これからも良い関係を築くことができればと思いまして。

 是非一度お食事でもいかがかと』

「……あの、そちらは叔父の事務所で、代替わりしたほうのこちらは完全な別経営なんですが……」

 エリス中央クラカウアー社は広く浅くの経営方針で、身近な悩みから半ば法律相談のようなものまで取り扱う。叔母の知らぬうちに社員の誰かが関わっていてもおかしくはない。

 ノウルズはふふ、と笑った。

『俗っぽく営業です、と申したほうが伝わりやすいでしょうか。

 仕事はやはりコネが力を持つ世界です。以前の取引先に同じ系列のグループがあって、他人が祝っても不審でないタイミングが訪れたとなると、こちらとしては名前を売る良い機会なんですよ』

 そういうものか、とレクは思った。

『私も経営者ですからね、同じ方向を向ける可能性のある相手はなるべく多く知っておきたい。貴女だって味方は一人でも多くほしいとお思いでは?』

 全てを否定はしない。数の力というものが存在するのはわかる。

『もちろん話が合わなければそれきりで構いません。絶対にお一人でとも申しませんよ。必要でしたら車もお出しします。

 人助けと思って、どうか一度いらしてください。コース料理をご馳走しますよ』


 電話を切ると、横で聞いていたヨルダが言った。

「うまい話すぎねえか」

「そうだよねえ……」

 分厚い電話帳をめくる。たしかにノウルズの事務所は存在していた。山の上ではないがやや郊外にあたる立地だ。公共交通機関でも移動できるが、エリス中心部からちょい外れ、くらいのクラカウアー事務所からだと、マイカー持ちなら車を使ってもおかしくない。

 明確に詐欺だと断じる理由はないが行った先で何かが起きる可能性も否定はできない。しかしノウルズの言う『味方』はたしかに多いほうがいい。人に顔を売っておいたほうがいい、というのも事実だ。……レクのような、圧倒的な力でねじ伏せる術を使えない魔法使いは。

 一日考えた後、レクはヨルダを伴うことを条件に承諾の返事をした。


 *


 車は遠慮し、最寄りのバス停からノウルズの家へとぶらぶら歩く。

 レクがスラックスのポケットからハンカチを出そうとして、紙が何枚か飛び出した。

「あ」

 丁寧に紙を拾ったレクはまた同じポケットに仕舞う。ハンカチは反対のポケットに移動した。

 そのあわあわとした仕草にヨルダは頭を掻いた。

「……洗濯物紙だらけになるぞ」

「違うよ。入れっぱなしのゴミじゃなくて」

 彼女は一枚紙を開いてみせた。何やらおもちゃのような小さな陣が雑なペン書きで描かれている。

「護身用にいけるかと思って考えてみた。体液か体の一部で魔力を流し込むと即席の壁を作れるやつ」

 陣の円を破るように紙の端を歯でくわえてちぎりアスファルトの地面に放ると、地面が盛り上がってグレーの三角コーンのようなものが生えてきた。

「こんな感じ」

「へー……」

 古来、魔法は声に出す呪文――通称『声紋』しかなかったとされている。体があれば起動できる声紋に比べ、陣や文章で起動する方式は一段低く見られ、魔術師たちの中でもあまり評価されていなかった。

 クラカウアー家はこの図を描く魔法、通称『書紋』を得意とする一族だったが、人間社会の近代化を受けて秘匿されてきた術式を書物にまとめ、魔法は力があれば誰でも使えるものとすることで書紋の地位の向上に貢献した。その中心人物がレクの祖母・ゲルダと言われている。

 もちろん彼女一人の功績ではないが、学校でこの国の近代史を習う時は必ず入ってくる話だ。

 そしてこの孫娘も、祖母の叡智を大いに利用しているわけであった。

 コーンの頭をぽんぽんとはたくとゆっくり元の地面に戻っていく。

「邪魔としては使えるかも」

 ヨルダが考えながら言った。

 地面が完全に平たくなったところで歩みを進める。

「使わないに越したことはないけどね」


 呼び鈴を鳴らすと二人はあっけなく迎えられた。

 ノウルズという男は、中肉中背に少し巻いた栗毛の人好きのしそうな男だった。

「食堂へご案内します」

 と先導する召使いに続いて進み、椅子に座る。男性のシェフが一人。召使いは女性二人と男性二人だ。テーブルには既にメニューが三枚置かれていた。ヨルダが伸び上がって三枚確認する。

「同じか」

 それではコースを始めます、と言ってシェフはキッチンへと消えた。

「あの、ずっと家に料理人がいるんですか?」

 いやいや、とノウルズは手を振った。

「出張シェフというやつでね。手伝いをつれて、たまに来てもらっているんですよ。普段は……適当に自分で作ったり、街へ食べに出たり」

「そういえばおひとりですか?……あ、気を悪くされたらすみません」

 とヨルダ。

「ええ、独り身です。良い出会いがあるといいのですが」

 レクは食堂を見渡した。扉が二つある。一つは外に続くもの、もう一つは先ほど料理人が消えたキッチン直通の扉。窓がいくつかあって、外の植木が緑の葉を揺らしている。

 女の召使いがやってきて、それぞれの前にカトラリーを置いた。


 一品目が出てきた。

 オードブル。牛肉のカルパッチョ、ホタテの泳ぐコンソメのジュレにナッツとレバーのパテ、小ぶりの牡蠣のコンフィと白身魚のタルタルソース。

「ジュレは昆布の出汁も入っているそうですよ」

「へー。ではいただきまーす」

 まだ食うなよ?と目で圧をかけられて。レクはスプーンを持った手を止めた。

 ヨルダがジュレを一口飲み込む。

「ううん?」

 なんだかはっきりとしない返事だが、特に様子がおかしいわけでもないのでレクも口にする。

 そして同じく首をひねった。

 なんだろう、薄い塩味で、ちょっとだけ甘くて、食べる……というより飲んだことがあるような味がする。

「すいません、いい舌じゃなくて。……なんかスポーツドリンクみたいっすね」

 納得した。スポーツドリンクだ。疲れた体に染み渡りそうな気配がある。

 ノウルズは笑った。

「うちはバス停から遠いでしょう。歩いてきた方には、こういう味がいいかと思いまして」

 そのうちにレクはパテを眺めている。なんだかこう見ると、学生時代に顕微鏡で体組織を見た時のようにも思えてくる。

 レクはフォークで小さなパテを差すと、ぱくりと口に入れた。レバーが入っているからか、ちょっと血の味がする。

 美味しい。

「あ、お前な」

 ヨルダがなにか言いかけた時、外で発砲音のようなものが聞こえた。

 食卓が静まり返る。ガタリとヨルダは腰を上げて聞き耳を立てた。

「このあたりってクマでも出るんですか」

「いやあ、そこまで田舎ではないはずだけれどね」

「ちょっと見てきます。レク、ちゃんと自分で気をつけろよ」

「失礼な……」

「構いませんよ」

 ノウルズが笑う。

 ヨルダは大股で外に通じる扉を出ていった。

 ……かすかに、鍵の落ちる音がした気がした。

 レクは思わず腰を浮かす。

「……ところで、私も貴女をレクさんとお呼びしても?」

 館の主は変わらずに笑う。

「え?ああ……構いませんけど……愛称ですよ?」

「ではレクさん。

 彼を待つ間、ゲームをしませんか」

 ノウルズは言った。

「コース料理とは会話を楽しむものです。

 私は貴女と親交を深めたい。

 話を聞かせてほしいし、私の話も聞いて、私をわかってほしい。

 ここに来てくださったということは、そのご準備があるとお見受けしますが、いかがか?」

 その通りだ。眼の前にいるのがただの善良な弁護士であったとしたら、こんなに良い話もない。

 しかし……。

 なんだか性急に手を掴まれて握手させられているような気がする。

「……私は、ゲームでなくても、お話しますし……ええと、連れが気になるのでちょっと」

「おや」

 立ち上がろうとしたレクの首筋に、後ろにいた召使いのひやりとしたナイフが触れた。

「コースはもう始まっているんですよ。どうぞ最後までお楽しみください」

 ――図られた。

 一人になった魔法使いは、静かに椅子へ腰を下ろした。


「水平思考ゲーム、というものをご存知ですか。

 出題された謎に対して『はい』『いいえ』もしくは『関係ない』で答えられる質問を積み重ね、真相を解き明かすゲームです。代表的な問題から「ウミガメのスープ」と呼ばれたりもしますね」

 知っている。レクはおそるおそる頷いた。

「お題は……そうですね、『私が貴女をここに招いた理由』としましょうか。

 貴女には、わかった上で私の手を取ってほしい」

 口を挟むすきもなく勝手にルールが積み上げられていく。

「質問の回数は最大二十としましょう。残り五品を用意していますから、最初に一つ、それからあなたが四つ聞くごとに一つ、料理をお出しします。

 コースが終わる前に貴女が答えを当てられたら貴女の勝ちです。このお話はなかったこととしましょう。

 デザートまで全て美味しく食べられたら、私の勝ち。今後も良きパートナーとして……

『契約』をいたしましょう」

 男は運ばれてきたスープに目を細め、それからレクへと問いを投げた。

「問題です。

『弁護士の男は、魔法使いの女を自宅に招いた。彼は彼女とある契約をしようとした。なぜか』」


 *


 二品目は白濁したスープだ。そういえば東洋のらあめんとやらがこんな感じの汁に縮れたパスタを入れて食べる方式だったような。

「質問です。あなたとあたし……私は、知り合いですか」

「いいえ」

 知り合いじゃないんだ……。眼前の奇妙な男の行動に首を傾げながらレクはスープを口に運んだ。

 濃厚なうまみが舌に広がる。

「動物の骨から出汁を取ったスープです。骨髄ごと焼いてから砕いて煮込むのだそうですよ」

「はあ」

 レクは持ってきた召使いの顔を見た。違和感を覚えて首をかしげる。

 召使いの……たしか女だった気がするが、男のような気もする……が次の料理のためキッチンへ消える。

 ……ところで知り合いではないならこの男はどういった経緯でレクを招いたのだろう。

「……恋愛感情は、関係あります、か?」

「いいえ」

 紳士はあっさりと答えた。

「貴女にそういった感情は持っていません」

「じゃあなんで」

 反射的に言い返そうとして口をつぐんだ。回数制限がある、いたずらに数を重ねるわけにはいかない。

「……今のは質問ではありません、忘れてください」

「いいでしょう」

 メニューが進むまであと二つ。

 緊張のせいかひどく喉が乾いて、レクはスープを何度かに分けて口に運んだ。

 ちらちらとノウルズを盗み見る。

「どうかされましたか。口に合わない?」

 男は柔和な顔で微笑んだ。

「いえ……」

 日の暮れかけた外で風に揺られた木々がざわりと揺れる。窓ガラスが明るい室内のレクたちを映していた。

 ふと思いついたレクは口を開いた。

「これはゲームの質問です。……あなたは、私を『自分に似ている』と思っている?」

 男の目がきらりと光った。

「ええ、ええ!答えは『はい』です」

 無邪気に笑う男に問いを重ねる。

「では、私を呼んだ理由は、『自分によく似た人を見かけたから』ですか?」

 男が笑顔を止めて、ううん、と頬をかいた。

「否定はしません。が、このゲームの答えとしては的を射ていない。ジョッキもマグもティーカップも、全てを『コップ』と呼ぶような……。

 ですので『いいえ』とさせてください」

 ノウルズは召使いを呼び寄せた。

「次の料理を持ってきてくれるかな」


 三品目、白身魚のポワレ。

「ポワレというのは、外はカリッと中はふっくら焼く手法のことだそうですよ。

 上から魚本体の油をかけたりするんだとか」

 テレビの料理番組で見たことがあるような気がする。

 事務所を一人でどうにかするようになってから、シュテファンがいるとはいえ全ての世話を頼むわけにはいかないと、そういった番組を片っ端から見て食事くらいは自分で作ろうとしてみた時期があるのだ。

 結果、プロの惣菜はすごいというところに落ち着いた。

「さあ、どうぞ」

 手を付けないでいると、うっすらと圧のある言葉が降ってくる。仕方なくレクはナイフを柔らかな肉へ沈めた。

 口に含むと薄い皮目のうちからじわりと魚の脂が溢れ出す。

 ……美味しい。悔しいことに。

 いくら上質の油といえどもあまりたくさん口にしては胸焼けがしそうだ、と思うタイミングで、上に載せられたレモンがかすかな酸味で油を洗い流す。

 なんだろう、ずいぶん旨味を強く感じる。美味しい魚ってこういうものだろうか?

 ……いやいやいやいや。食事を楽しんでいる場合ではない。質問を考えなくては。

「質問です。私以外の方ともこういった……『この』会食みたいなことはされているんですか?」

 魚の最後の一切れを食べようとした男が手を止めて笑みを作った。

「はい。ありますよ」

「その中で、望んでその……『契約』?……をした方はいらっしゃいますか」

 笑みは深くなった。

「ええ、いらっしゃいますとも。会食を切り上げて進まれた方もいましたよ」

 ということは、脅されているレクはともかく、それ以外の人には本当にメリットになる場合もあるのか。

 レクはふと口にした。

「先ほど恋愛は関係ないとおっしゃっていましたが、私が女でノウルズさんが男であることに必然性はありますか」

「それは『関係のない』質問です。

 ついでにお答えすると、仮にレクさんが老若男女どの属性でも、太っていても痩せていても関係がない。私はそれを『契約』の理由にすることはない」

 白い最後の一欠片が、男の口へ吸い込まれていく。

「さて、もう一問はどうされますか?」

「え、ええと」


「これで半分」

 口直しのソルベが運ばれてきた。

 シャリシャリと心地よく口内を冷やすそれは、最初に出てきたオードブルのジュレと同じく、スポーツドリンクというより風邪を引いたときに飲む経口補水液のような味がした。

 先ほど質問が何も思いつかず「ヨルダには興味がないのか」と聞いたところ、『関係ない』という答えが返ってきた。

(あたしにだけ関係ある、でもあたし以外にも関係のある人がいる、喜ぶ人もいる、性別や年齢や体格は関係ない、『契約』)

 もう一口すくってスプーンを口に含む。

「気に入られましたか」

「あの、ええと……。これはゲームではなくて、料理に対しての質問なんですが」

「おや」

 ノウルズは嬉しそうに先を促した。

「さっきは疲れた客人に……とおっしゃっていましたけど、ノウルズさん自身はこういう味がお好きなんですか?なんだかこう、体液の補充みたいな気持ちになる……」

 彼はにこにこと笑った。

「私自身に興味を持っていただいたお礼として、ゲームのヒントをお出ししましょう。

『最後までよく、味わって食べていただきたい』」

 レクは薄い塩味のようなソルベをもう一度口に含んだ。それからメニューを手繰り寄せ、とくと眺めた。

「――質問です。今私たちが口にしている料理は、ゲームに関係がありますか?」

 男はぱっと顔を輝かせた。

「ええ、ええ。ありがとうございます」


 ソルベはあっけなく胃に消えてしまったので、召使いが器を下げに来た。

 はい、お願いします、と答えて顔を上げたレクは、

「……質問です。私たちが来たときから、召使いの皆さんの男女比は変わっていますか」

 とこぼした。

「いいえ?」

 男は首を振る。

「じゃあ、人数は」

「それもいいえ。シェフと召使いはずっと同じ者たちが働いていますよ。……どうやら、貴女にもようやく共有を始められそうだ」

 召使いたちの男と女の輪郭は溶け、みな『ノウルズの』顔に近づいてきていた。

「あなたは魔法を使える!?」

 ちいさな悲鳴のような声に、男は穏やかに答える。

「ええ、少しだけ。もちろん本職の方には劣りますが」


 できる質問の数は半分を切っている。

「私からも聞かせてください、レクさん。もちろんこれはゲームの質問には数えなくていい。

 ……貴女が名誉あるクラカウアーの跡取りと聞いて、私は興味を持ちました。

 ですが調べていくうちに呆然とした。

 貴女があまりに弱いからです」

 ご自分でも、おわかりでしょう?

「魔力は少なくできることも少ない。魔法科を出たわけでもない。有能な後進を育てるには若く、薫陶を受けようにも大人だ。

 ……どうして貴女は今そこに立っているのですか?」

 ちっぽけなプライドとアイデンティティ。手に余る過去の功績。

 ぺた、と女の手が自身の顔に触れた。

 長い髪。灰色の瞳。地味ではあるが均整の取れた顔つき、桜色の唇。

 彼女の両手は、自らの相貌を感じ取れなくなっていた。


「メインディッシュです」

 もしかしてと思っていた予想が見事に当たった。

 知らない男の顔をしていたはずのシェフは、今やノウルズの顔にしか見えない。

「牛肉のロースト、赤ワインソースです」

 天井の明かりをてらてらと跳ね返して光る、ソースに映る顔は目の前の男だ。ノウルズが染み込んでくる。奇妙な安らぎがある、そのことが余計にレクの脳髄をおびやかした。食事は関係ある。魔法を使える。この人は弁護士。みんなノウルズになる。あたしもノウルズになる。あたしは……質問、質問をしなければ。悲鳴を噛み砕いてレクは口を開いた。

「この『ゲーム』の開始前から、あなたの計画は始まっていますか」

「はい」

 霧に巻かれたように、遠くでガチャガチャと耳障りな音が聞こえる気がする。

 もう一度レクはメニューを、ヨルダも共に食べていたところから順に眺めた。

 臓物や牡蠣を含んだオードブル。濃厚な骨のスープ。良質なタンパク質の摂れる白身魚。体液のようなシャーベット。赤い、ソースの、肉……。

「このコースって、要素を拾ったら『何かが完成する』?」

 男は笑みを深めた。

「……『はい』」

 構成するのは多くが水、次に炭素、それからタンパク質……を構成するアミノ酸、各種微量の金属、それから、それから……。

「『それ』は、ヒトを模していますか」

「はい。……さあ、食べて」

「あなたはなにかになりたいの」

 レクは操られるように分厚い肉を切り、小さな口へと押し込んだ。ミディアムレアの牛肉はわずかに血の味がした。

「それとも『だれか』に、なりたいの?」

「前提が違うかもしれません」

 男は女の耳元で囁いた。

「それを区別しているのは、貴女の側です」


 最後の一品だった。

 ラズベリーソースのかかったチョコレートケーキ。

 それはあきらかに、前の男の首から上と同じ形をしていた。

「あなたは、寂しいの?」

「昔は、はい。今はいいえ」

「あなたは、『みんな』になりたかった?」

「そうですね、はい」

「……誰か隣に立ってほしかった?」

「……はい」

 ぷつぷつと小さな種子をたたえたラズベリーが、よく濾されたソースの中にぽちゃりと落ちた。

 これまで口にしてきたからわかる。シェフも召使いたちも、誘惑に勝てなかった人だろう。つらい個など投げ捨てて男と溶け合いたい。これを平らげれば「そう」なれる。顔貌は違っても、契約を結べば魂が同質になる。そうなれば孤独を感じることはない。生涯、ずっと。

「あなたは……あなたを、拡張したい?」

 人の良さそうな顔が笑った。目には同じ顔が反射していた。


 ノウルズは孤独だった。

 弁護士の家に生まれたが、父よりも母よりも頭の出来は良くはなく、配偶者にも恵まれない。兄には心配され、妹の目には表立ってはいないものの蔑みがあった。

 しかしノウルズはただ無能なだけではなかった。尊敬する父母に手を伸ばしても彼らの足元にも及ばないことがわかるだけの、知性があった。それゆえ、ノウルズは孤独だった。

 ノウルズは知っていた。数は力だ。署名運動の手助けをしたこともある。数が集まると、時々世界を動かせる。

 ある時ノウルズは思いついた。同じ環境や職業ではなくても、老若男女どんな人でも、ノウルズと同じような孤独を抱えた人はいるはずだ。彼らと『同じ』になろう。

 きっと頷いてくれる人はいる。

 彼らもまた『ノウルズ』なのだから。


「食えよ」

 にゅっと伸びてきた男の手が、フォークを持ったまま止まっていた女の手を通り越し、口を掴んだ。割り開かせようと両の頬に力を込める。皿ごとつかみ、顔の前へ押し付ける。

「い、やだ」

「あと一口さ」

「いらない」

「美味そうだろう? 君は私なんだからわかるはずさ」

「ちが……」

 肘掛けに押し付けられた左手が震えている。ノウルズの瞳に映るノウルズがいる。違う。ノウルズではない。輪郭が歪む。短い髪の男ではなく、長い髪の女が映る。

 レクはノウルズの腕を掴んだ。

「違う。誰も周りにいなくても……誰と同じになれなくても……私は、あたしはあんたじゃ、ない。

 あたしは、あたしとして、ここにいる。寂しくなんかない」

 震えは止まった。

「あたしの勝ちだ」


 ぱん、と泡の弾けるような音がした。

「レク!」

 後ろからナイフが飛んできてノウルズの肩に刺さった。

 扉を蹴り飛ばしたヨルダが、入口近くの召使いの持ったカトラリー入れからひっつかんだものだった。

 止めようとする召使いたちを跳ね飛ばすように走ってきた男はそのまま魔法使いを椅子からさらい、頭を後ろに抱えると一番近い窓へ一直線に走り出す。

 レクは持っていたフォークで勢いよく自身の右手のひらを突き刺した。赤い血が滲む。吸い取らせるようにポケットの中の紙をばらまいた。

 血を通して魔力の流れ込んだ魔法陣は床に舞い降りると床の素材を引き伸ばし、追ってくる召使いたちを跳ね除ける縦横無尽な壁の役割を果たした。

 窓ガラスごと外へと飛び出した二人は、人気のない一本道を走り、ようやくぽつんと現れた交番に駆け込んだ。

「どうしました!?」

 座って書き物をしていた婦警が慌てて立ち上がる。

 奥で休憩していたらしい中年の警察官も顔を出し、二人の姿を見てぎょっとした。レシーバーに応援要請を叫びながら交番の入口に立ち、あたりを見回す。

 ヨルダがレクを下ろす。

 パイプ椅子にすらうまく座れずに床にへたり込んだ。

「……あの、……犯罪者、が」

 緊張からの解放とひどく揺さぶられた衝撃でレクは胃の中のものを全て吐き出した。

 顔を上げると、窓ガラスには青い顔をした自分が映っていた。


 *


 長い取り調べから解放されたあと。

 あ、とヨルダが口を開いた。

「デパートだ」

「え?」

「ほら、茶をもらってきた催事の。……あそこにいたよ、あいつ。ノウルズ」

「ああ……」

 たしか、催事場に展示品としてエメラルドのネックレスを飾るから、通常のボディガードたちがジュラルミンケースで駅からデパートまで運ぶ際に念のため上から魔法でロックを掛けてくれという依頼だった。ずいぶんご丁寧なことだと思った記憶がある。

「気づかなかった」

「お前ずっと店員と話してたから。やけにこっち見てんなとは思ったけど」

「そうなんだ。……もしかして、それだけ?……それだけ!?」

 きっかけに対してこちらの損害が大きすぎる。せいぜい数分ではないか。

 ノウルズがその後いかにレクのことを調べていたとしてもそれは一方的な知識だ。レクからしたらまだまだ彼を本当に理解したとは言い難いはずだ。なのに、ひどい目にあったというインパクトだけ残して彼は逮捕されてしまった。

「もっといろいろいろいろやりようあったんじゃないの!?」

「まあ、そうだな……身も蓋もなさすぎるけどさ……」

 ノウルズと同質の魂として働いていた召使いとシェフたちも後ほど警察へ連行されたそうだが、帰り際の警官曰く彼らは口々にこう言っているらしい。

「幸せな日々だった」「『何者か』になれて嬉しかった」「また一人になってしまう」。

 あたしは、たまたまそう思わなくて済んでいるのかもしれない。

 老大家の平凡な跡取りは親譲りの灰色の目を細めた。

 その長い髪に覆われた丸い頭を、隣の男ががしりと掴んだ。

「わあ」

「腹減ったろ、朝飯奢ってやるよ。俺の懐には今雇い主サマにいただいたお給料があるから、な」

「それ実質あたしのお金じゃ……」

「細かいことはいいっこなしってな」

 朝焼けにでこぼこな二人の影が伸びる。


 街には今日も、孤独な男の残滓が漂っている。

私は レクを 怖がらせたい

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