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主人公になれなかったオレたちの話

作者: 綿貫ソウ

 この世界が物語だということに気がついたのは、オレが高校一年のときだった。

 

 その夏、オレのクラスに転校生がやってきた。女子ということもあり、盛り上がるクラスメイトがいるなか、窓際に座る須藤だけは外を見ていた。根暗なやつだからしょうがねーなと思いながら、教卓の前に立つ転校生の自己紹介にオレは耳を傾けた。

 親が転勤族で学校を転々としているということ。だから友達と仲良くなれず困っているということ。話しかけてくれると嬉しいということ……。

 オレは彼女と仲良くなりたいと思った。話し方も堂々としていて、なにより顔が可愛い。ドラマに出ていてもおかしくないような顔立ちだ。それなのにどこか影のあるような、人生に深く傷ついたような雰囲気があって、もうほとんど、一目惚れに近かった。

 どうやって話しかけようか。緊張しながら考えていると彼女がなぜか最後に名前を言った。そして黒板に、すらすらと文字を書く。


 ――桜田結


 その瞬間、窓際の須藤が声を漏らした。

 ゆい?

 なに馴れ馴れしく呼んでんだよ。むかつきながらオレは桜田さんの方を見た。いきなり名前で呼ばれて、さぞかし困惑しているだろう。そう、思ったのとは裏腹に、彼女の顔には驚きと、困惑と、そして喜びがあった。

 かえでくん?

 二人は見つめ合ったまま、信じられないという顔をした。

 何かを察したのは、たぶんこの時だ。


 * * *


 クラスメイトで情報通の佐藤によると、二人は小学校が同じだったらしい。家も近く幼稚園の頃から家族ぐるみで交流がある、いわゆる幼なじみというやつだったそうだ。だけど桜田さんの親が転勤することになり、六年生の時、二人は離れ離れになった。それから時が過ぎ、この学校で、運命的な再開を果たした。

 まあ、確率的になくもないか。

 そのときは、まだ、そう思っていた。限りなく低い確率でも、たまたま同じ学校で、同じクラスになる可能性はゼロではない。だから、これはただの偶然だ、と。


 一月もすると、桜田さんはクラスに馴染んでいた。オレも何度か声をかけ、顔を見かけたら挨拶をする程度の関係にはなった。でもオレと話しているときも、彼女の目線は違う誰かに向けられていた。

 ある日、ペアで行う授業があったので、オレは勇気をだして桜田さんを誘った。彼女は申し訳なさそうに断り、一人ぼっちの須藤とペアを組んだ。幼なじみが一人だったから、優しい彼女が放っておけなかったのだろうとその時は思った。

 しかし彼女はいつになっても須藤にべったりで、他の男子に心を開こうとはしなかった。人を遠ざけていていつも一人だった須藤と、一緒に弁当を食べたり、ペアを組んだり、登下校を共にしていた。それだというのに須藤は、一切笑うこともなく、つまらなそうに毎日をすごしていた。オレは軽くキレそうだった。

 夏休みに入る前にオレは桜田さんを、勇気をだして遊びに誘った。もちろん二人きりではなく、男女のグループで遊ぶ約束があったので、もし良かったらという風に誘った。結果はペアを作るときと同じだった。彼女は憂いを帯びた瞳で、ごめんねと言った。

 

 その夏、桜田さんは、須藤と毎日いっしょにいた。後に佐藤に教えてもらうのだが、二人は須藤の母親の死の真相を探していたらしい。小六のとき須藤の母親が、なぜ殺されたのかを。

 須藤が人に心を開かなかったのは、その事件がきっかけだったらしい。だが、その夏に桜田さんと事件を解決したことによって、始業式の須藤の顔はずいぶん晴れやかだった。彼は徐々にクラスメイトに心を開くようになり、友達もできた。そして三月の終わり、須藤と桜田さんが付き合ったという話が、オレのもとに届いた。


 * * *


「この世界は物語だ」

 オレはジョッキを乱暴に置き、目の前に座る髭面の佐藤をみた。

 あれから時が経ち、オレたちは大人になった。高校を卒業したあと、オレは大学で就職をするための勉強をし、無難な一般企業に入社した。主観的に見ても、客観的に見ても、ごく普通のサラリーマンだ。

 不満は、ないと思う。

 仕事は確かに辛いこともあるが、やりがいも感じる。家に帰れば、同棲して二年になる彼女がご飯を作って待っている。平凡だが、確かに幸福だと言える生活だ。

 そんなある日、高校の同窓会の案内が届いた。オレはなんとなく、「参加」に投票した。


「おまえまだ言ってんのか、それ」

 居酒屋の、宴会用のテーブルの向こうで、佐藤はあきれるように言った。かつてのクラスメイトたちが酒に顔を赤くして騒いでいるなか、酒の強い佐藤は冷静だった。

 情報屋だった佐藤は、いまでは探偵事務所を開き不倫調査などを行っているらしい。やりたいことを仕事にできていいよな、と少しだけ思う。

「佐藤だって言ってたじゃないか、この世界はきっと物語のなかの世界だって」

 オレが不服をいうと、佐藤は大人の瞳でオレを見た。

「ああ、言ったさ。そんで今でも思ってるよ。周りに聞いたけど俺らだけじゃなくて、みんなも気付いてる。……でもよ、そんなこと言ったってしょうがねえんだよ。俺らはこの世界で生きていくしかないんだから。おまえもそろそろ大人になれってことだ」

 酒が回っているせいか、佐藤の言っている意味がよく分からなかった。なにがしょうがないんだ、と思った。そして佐藤の話す声が、徐々に若返り、青年の声になった。顔を見ると高校生の佐藤がそこにいた。


「桜田結の情報はもういいのか?」

 一年の秋になると、オレはもう桜田さんと親しくなることを諦めていた。

 夏休みを終え、須藤が人と関わるようになってから、クラスではいろいろな事件が起こるようになった。しかしそれは須藤の手によって、全て解決された。そのときにオレは確信した。この世界は物語の中の世界だと。

 だとしたら、オレが桜田さんと結ばれることは、一生ない。この世界では須藤が主人公で、桜田さんがヒロインだから。オレはただのクラスメイトで、二人が幸せになっていく光景をただ眺めているしかない。今まで事件に巻き込まれたこともないから、もしかしたらオレの名前さえ物語には登場していないのかもしれない。

 そう思うと沸々と怒りが湧いてきた。

 この物語を書いたのは誰なんだ。どうせ根暗で、自分は大きな傷を負っていると思っていて、それを言い訳に生きているような、クソ野郎だ。だから須藤という根暗な主人公を作り、桜田さんという明るいヒロインを作ったんだ。

 

 オレはそれ以来、桜田さんに話しかけることをやめた。

 彼女がオレのことを好きになることはないからだ。それでいいと思った。他にも女子はたくさんいる。そもそも一目惚れなんて、結局顔だけで判断したものだ。だから、桜田さんのことはもう、どうでも良かった。

 それなのに、須藤と笑い合っている彼女の姿を見ると、胸がズキンと痛んだ。だから彼女を忘れるために、オレは以前告白されていた、好きではない女の子と付き合うことにした。それから桜田さんとクラスが一緒になることはなく、オレの高校生活は終わった。


 * * *


「だがな、俺は少し思っていることがあるんだ」

 同窓会と言いつつ、オレと佐藤はずっと二人で話していた。

 時計の針は、十一時をさしている。

「おまえは物語に気付いて、桜田結を諦めた。それは良い判断だ。ヒロインが主人公を差し置いてモブと付き合うことなんてないからな」 

 ああそうだろう。オレは適当に返して、入口を見る。扉がスライドする音が聞こえたが、誰かが帰っていくだけだった。彼女は、まだ、来ていない。

「だがな、俺はこうも思うんだ。『物語が終わったあとの世界に、作者の手は介入しない』ってな。考えたことあるか、物語が終わったあとの世界。俺が思うに、それは現実と変わらない。世界を意図的に操作するやつは誰もいないからな」


 ジョッキが空き、佐藤は店員を呼ぶ。

「なにが言いたい?」

 遠回しに話をする佐藤に、オレは少しいらだっていた。

 佐藤は店員におかわりとつまみを頼んだ後、落ち着いた声で言った。

「須藤楓と桜田結の物語はもう終わっている。いろいろなツテを使って彼らのあらゆる情報を調べたんだが、高校卒業後は事件らしい事件は一つも起きていない。つまり、作者は高校で物語を完結させたと考えていい。……なにが言いたいか、もう分かるだろう?」

 その瞬間、彼女の顔が思い浮かんだ。

 高校のたった一年をともに過ごした同級生。

 転校初日に見せた、緊張した表情。友達と笑い合う楽しそうな顔。そして須藤といるときに見せる特別な微笑み。そのどれもが、どうしてか、いまでもありありと思い出せた。

 そして自分が、大きな嘘をついていたことに気付いた。

「どうするかはおまえ次第だ。世界はもう、誰のものでもない」

 その瞬間、扉が開く音がした。

 反射的に入口を見る。

 誰かが入ってくる。

 辺りから、歓声があがる。


 この世界は物語だ。どうしようもない作者によって作られた、どうしようもない世界だ。主人公は初めから決まっていて、その他大勢のオレたちにできることはない。でもだからって、オレたちの感情まで殺す必要はないのかもしれない。たとえそれが、作者によって書かれない感情だったとしても、オレたちはオレたちのまま生きればいいのかもしれない。そしていつか、物語が終わったとき、オレたちは作者の悪口を言えばいい。

 かつてのクラスメイトに気付いた彼女が、こっちにやってくる。

 心臓の動きが、一気に早くなる。 

 そして、期待と不安が入り混じった、不思議な感覚が胸をおした。


 オレは、ぎこちなく彼女の名前を呼んだ。

 教室で勇気をだして話しかけた、あの日のように。

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