国連人類滅亡管理委員会
某国の山脈。
その地下深くの外界から厳重に隔離された一室に、世界中からあらゆる分野の第一人者が集められた。
「我々の使命は人類の滅亡を管理することです。人類滅亡が避けられないと分かった以上、パニックを避け人類の最後を穏やかかつ尊厳あるものとしなくてはなりません。そのためにみなさんの力をお借りしたいのです」
普通なら信じがたい話。しかし、配布された資料は人類滅亡が不可避であること、それを踏まえて国連の秘密総会において人類滅亡を管理する超法規的専門機関が設立されたことを証明していた。
「ぜひ協力させてください。私は宗教家です。最後の日を人々が心穏やかに迎えられるようにするのは、私の使命でもあります」
最初に協力を表明したのは、ある世界的な宗教の権威だった。
「私も協力します。最後くらい、人類に真の平和があっていいと思います」
半生を国際平和に努力した某国の政治家がそこに加わる。
そこからは堰を切ったように科学者が、芸術家が、エンジニアが、軍人が、一人、また一人と委員会への協力を表明していった。
ここに居るのは、全員、各分野を牽引することで今まで人類に多大な貢献をしてきた自負のある者だ。滅亡が決まったくらいで人類を見放すような人物はその中には一人もいなかった。使命感だけでなく、人類滅亡という機会に自らの理想を実現できるかもしれないという野心も手伝い最後には全員が委員会への協力を承服した。
「ありがとう、同志諸君。諸君の人類愛に心からの敬意を表したい」
かくして委員会は各界の第一人者の助力を得て、その活動を本格的に開始させた。
まず、委員会が様々な手を打つ時間を稼ぐ必要がある。気温上昇には既に正のフィードバックが掛かっており、これを止める術はない。だが、少しでも温室効果ガスを削減し、気温上昇を緩やかなものとしなければならない。
「温室効果ガスの発生を抑制する方策を検討しよう」
「世界的に産業を停滞させればある程度の効果が見込めるはずだ」
「経済危機でも起こすか?」
「経済危機も有用なオプションだが、どのみち行わなくてはならない人口削減と合わせるなら新種のウイルス散布によるパンデミックでどうだ?」
「なるほど。パンデミック下での生活を経験しておけば、将来的に気温上昇によって屋外活動が困難になった場合に社会を維持する用意にもなって一石三鳥だ。パンデミック案を採用しよう」
即座に分子生物学者や医者、衛生当局者らのチームが結成されウイルスの開発が開始される。同時に、経済学者や産業界の重鎮、IT技術者、政治家のチームが屋内生活で社会や産業を維持する方策を検討する。
委員会の命令により関連の国連機関や国家機関、民間企業が徴発され、パンデミックプランは着々と進行する。その影では、委員会に協力する軍人やスパイ、暗殺者が暗躍し、抵抗した者や委員会の存在に気づきかけた記者はもれなく闇に葬られた。
通常なら許されないことだが、人類滅亡時の大混乱で数十億人規模の死者が予想されることを思えば必要な犠牲。委員会はそう判断した。
「パンデミック案は一定の成果を挙げたな。次はやはり人口問題に取り組まなくてはならないか」
地球環境の過酷化に伴い、人間が生きるために必要なリソースは激増する。最終的には、路上を歩くのに宇宙服が必要になると予想されている程だから人類のリソースでは明らかに現在の人口を維持できない。
生存のためのリソースを巡って世界大戦が発生する事を避けるには、とにかく人口を減らさなくてはならないのだ。
とは言え、積極的に生命を断つという手段は好ましくない。委員会はあくまでもヒューマニズムに基づいて設立されたのであって、パンデミック案も、行わなければ対策全体が間に合わず世界大戦を回避できないという厳密なシミュレーションに基づいて実行された。
そこで、人口対策としては人口増加を抑えるという方向性になってくる。
「リプロダクティブ・ライツに可能な限り配慮しつつ人口を絞るなら、人々が自主的に産まない選択をするよう社会構造を改革していく必要があるでしょうな」
「といいますと?」
「現状、途上国を中心に、人口増加が著しい国では、子どもは労働力であり、基本的には子供を産めば産むほど人手が増えて生活が楽になり、老後も安定という構造があります。この構造へのアプローチが必要です」
子どもを産む事への経済的インセンティブをディスインセンティブに逆転させる。
その方法を提案したのは、教育者だった。
「でしたら、すべての子どもに高等教育を普及させるというのはいかがでしょう。この案でしたら、子どもが労働力となる事をある程度防げますし、教育費用がかかることで子どもを産み育てる事の経済的負担が増します。それに、最後の人類には質の高い教育を受けてもらい、人類の滅亡という困難な時代にそれぞれの考えを持って対峙して欲しいと望みます」
「児童労働の問題やジェンダー格差の問題、慢性的な貧困問題といった人権問題への対応という観点でも、高等教育の普及は望ましいと考えます」
教育者の意見に賛同したのは著名な人権活動家だった。
「異議がなければ人口増抑制は、高等教育の普及でいきましょう」
「反対意見ではありませんが付け加えで、収入の抑制、家の解体をこの機に進めるべきでしょう。教育費用が積み上がっても収入が多額であれば、子どもを持つという選択肢が出てきます。加えて、家という制度の解体が決定的に重要です。ここもやはりある程度人権とも絡むところですが、家によって半強制的に婚姻関係に入り子を産むという形態が根強く残っています。加えて、家族の結びつきが強固、例えば同居している場合などには祖父母世代の経済的、人的援助があるとの前提で子育てが行いやすく、子を産むという選択に繋がっているのではないでしょうか」
「個人の尊重という視点から家の解体には賛同しますが、家族の解体までいくと行き過ぎなんじゃないですかね。やっぱり、人類滅亡を目の前にして生きていくには、家族に限定しないんですけどなんらかの人と人との繋がりがないと心がもたないんじゃないかと……」
会議は連日連夜継続され、会議場の電気が消えることはなかった。
委員会が決定した施策は直ちに実行に移され、人類社会で来るべきその日の準備が着々と進んでゆく。
委員や委員会に協力する専門家達は全能力を注いで任務に当たった。
その中でも特に必死だったのは、新人類開発部門の科学者や技術者達だった。
「人類が滅ぶことはもうどうしようもない。けれども、人類が積み上げた叡智をなかった事にするのは忍びない。なんとかして、過酷な環境下で生き延び、人類の叡智を引き継ぐ後継者が必要だ」
当初は人間の遺伝子を組み換え超高温で生存する人類を生み出す事が試みられたが、それでは突風が吹き荒れ豪雨が一切を洗い流す灼熱の惑星上で生き残れない可能性が高い事が明らかとなった。
「いっそこの路線は諦めて、人類の文明の粋を凝らしたモニュメントを建築するのはどうだろう?」
そう提案したのは芸術家だった。
「モニュメント案は現実的な案として採用するとしても、なんとか生きた形で文明を残したい」
「やはり、有機生命体では無理だ。宇宙とさして変わらない環境で生き物が生きていけるはずがない。ロボットでいかないか?」
「現状のロボットなんて問題にならない、無機生命体とでも言える程度に強力なものが必要だ。人類滅亡に間に合うか、かなりシビアだな」
研究は自己増殖型の機械に主軸を移す。
自己保存と増殖、叡智の記憶と拡大を原則とする超高性能AIと考えうる限り頑強なボディが用意された。それでも、数千年、数万年、数億年にわたって人類の叡智を引き継ぐには心許ない。
万全を期すためには人智を超えた技術が必要になる。
人類滅亡までに何としてもシンギュラリティに到達せねばならない。新人類開発チームは寝食を忘れてAI開発に邁進した。
一致団結している分野もあれば、大激論が継続されている分野もある。主に政治家や宗教家、心理学者、倫理学者、法学者らが参加しているこの論争のテーマは、人類滅亡が不可避である事実を最終的に公表するか否かだ。
「人類の全員が我々のように人類滅亡という事実を受け入れられるわけではないのだぞ。予期せぬ大混乱が生じて結局世界大戦が起こったらすべて水の泡だ」
「委員会の方針を思い出せ。ヒューマニティであり尊厳ある人類の最後だ。現状やむを得ぬにしても、用意が整った時点ですべてを公表すべきだ。滅びるべき人類は、滅びの運命を知らされるべきだ」
「それによって、混乱の末に自滅したら尊厳も何もないじゃないか!君こそ委員会の理念を思い出せ!」
※ ※ ※
「それで、この星の知的生命はどうなったんでしょう?」
「さあな。このモニュメントの記録は損傷していてこれ以上読み取れない」
地球から4光年を隔てたこの惑星を探査にやってきた第一次調査団は、地表に残る知的生命の痕跡を丹念に回収して回る。
この星の住民が穏やかな最後を迎えたか、機械生命は間に合ったのか、間に合ったなら機械生命の文明はどうなったのか。それはこれからの調査で明らかとなるだろう。
調査員は遥かな宇宙を見上げ、この星の人類の末裔である機械生命がそのどこかに息づいている事を願うのだった。