ドラゴン殺しの英雄
リョウジによって正気に戻った私兵は、それを信じられない気持ちで見ていた。
最初は、巻き込まれただけの哀れな中年にしか見えなかった。何とか逃がしてやれればな、等と考えていたほどで、とても強そうにも、そもそもB級にすら見えなかった。
その男は今、幾度となく放たれる強烈な魔法に、絶えず襲ってくる威圧をものともせず、木製のフレイルとバックラーだけで、あのドラゴンと渡り合っている。
「リョウジ……お前、何者なんだ……!?」
正直、戦いぶりは見ていて冷や冷やする。攻撃は全くできていないし、防戦一方である。だが、それでもあの化け物と立って戦えているだけで、英雄などという言葉が生ぬるいほどの傑物である。
そこで、ハッと我に返る。踵を返して逃げ出そうとして、しかし託された息子を見つめ、周囲に倒れ伏す者達を見つめ、一瞬迷ってから倒れた者達に駆け寄り、ポーションを使う。
「おい、起きろ!起きて一人でも多く叩き起こせ!あいつの頑張りを無駄にするな!」
決死の戦いを繰り広げるリョウジを横目で見ながら、私兵は一人でも多くの者を救おうと、必死に戦場を駆け回るのだった。
―――
頭と尻尾の薙ぎ払い。前足の爪の振り下ろしと振り払い。噛みつき。
言ってしまえば、気を付ける攻撃はたったのこれだけである。リョウジはドラゴンの動きに神経を集中し、一撃をもらうのは避けつつ、どこかに攻撃のチャンスが無いかと探し続ける。
『貴様、名を名乗れ。我を相手にここまで戦うとは、名前ぐらいは覚えておいてやるぞ』
ドラゴンは念話でそう言うも、魔法が一切通じないリョウジにはまったく届いていない。そしてその事実に、ドラゴンも気づかない。
『……ふん!無礼極まりない虫だ!いい加減、死ね!』
ドラゴンからすれば、馬鹿にされたとしか思えなかった。言葉をすべて無視され、時には食い気味に独り言を呟くリョウジの存在が、不快でたまらなかった。
その心の乱れは怒りに変わり、怒りは動きを雑にし、雑になった動きは攻撃の予兆としてリョウジが見切っていた。
「薙ぎ払い、叩きつけ、ブレス……から噛みつきか!」
ブレスはまったく効かないとはいえ、視界が塞がれるのはそれなりに恐怖である。なのでブレスは攻撃の隙とはなり得ず、リョウジはまだ相手の隙を探り続けていた。
「これはどうだ!?麻痺毒、瓶ごとどうぞ!」
ベルトに挟んであった麻痺毒の瓶を投げ、それをドラゴンの口めがけて蹴り込む。
『小賢しい!この程度の毒で、我をどうにかできると思うか!』
ドラゴンは怒りに任せてそれを瓶ごと飲み込むが、さすがに体が大きいだけあり、まったく効いていない。
「ダメかぁ。しっかし、ゲームだと楽しい初見攻略も、実際やるとめっちゃ怖いね。意外と雑な動きで助かるけど」
『雑っ……!?貴っ様ぁ!我の魔力操作が雑だと言うかぁ!!』
恐怖を押し殺すための独り言は、完全に挑発となっていた。ドラゴンはますます怒り狂い、周辺には普通の生物であればそれだけで死亡するほどの魔力による威圧が撒き散らされていたが、リョウジは文字通り何も感じてはいない。
そして、ドラゴンの動きははっきり言って雑であった。フェイントもなければ予備動作も大きい。魔力操作そのものは精緻なものだったが、如何せんドラゴンには『戦闘』の経験が無さ過ぎた。
そもそもが、最強の生物である。相手を威圧すればそれだけで動きが止まり、そうでなくとも鈍り、近づくまでもなく魔法で仕留めれば、狩りはそれで終わりである。同族と縄張り争いをしたこともあったが、最古のドラゴンと言われるだけあり、非常に長生きをしているこのドラゴンにとっては、ほとんどのドラゴンが『小僧』扱いである。
したがって、これまで戦闘らしい戦闘をほとんど経験せず、生物としての格と魔力によってしか狩りをしてこなかったこのドラゴンにとって、どちらも効かないリョウジは天敵ともいえる存在だった。
『殺す!貴様は絶対に殺す!我をここまでコケにしたことを、後悔する暇も与えん!存在そのものを消し去ってくれる!』
本人は意図しない言葉での挑発に、繰り出す攻撃が悉くかわされる苛立ち。ドラゴンの腸は煮えくり返るなどというものではなく、威厳も何もかもを捨て去ってでも、目の前の相手を殺したいと思っていた。その全力の怒りを乗せ、ドラゴンは激しい咆哮と共に最大の威圧を放った。
その瞬間、リョウジの顔にパッと笑顔が浮かんだ。
「おっ、威嚇。うるっさいけど耳栓必要なほどの咆哮じゃないし、ようやく隙が見えたね!」
サッカー仕込みの足捌きで走る方向を一瞬にして変えると、リョウジはフレイルを振り上げ、こちらに向かって咆哮を上げるドラゴンの頭に、思いきりフレイルを叩きつけた。
―――
「あいつは……一体何者なんだ!?本当に人間か!?」
度重なる威圧の余波を受けつつも、私兵は何とか生き残り達を救い出し、その戦いを遠巻きに見つめていた。
ドラゴンの動きは、思ったよりは雑だった。しかし合間合間に飛んでくる魔法やブレス、そして威圧は避けられるはずもなく、当たれば死は免れないもののはずだった。
しかし、リョウジはそれらを受けても平然と戦い続け、しかも相手を挑発して隙を作りだし、ついに一撃を叩き込んだのだ。
そして驚くべきことに、頭にリョウジの一撃を受けたドラゴンは、思いきり顎を地面に打ち付けていた。力が1000を超えていても、普通はそんなことをできるはずがない。
「とったった。とったおー」
その息子は何やら訳の分からない言葉を喋りながら上機嫌でいるが、それを気にする余裕は周囲にはなかった。
「ドラゴンの頭を、地面に叩きつけた!?フレイルで!?ありえねえ、化けもんかよ!?」
「ここにいたってチビるほどの威圧ん中で、なんであんなに動けるんだ!?あいつの心臓はオリハルコンで出来てるのか!?」
その時、ドラゴンの驚きに満ちた念話が辺りに響いた。
『痛っ!?なっ、痛い!?な、なぜだ!?我にあんな攻撃が通じるはずがっ……痛!?……なっ…………めろっ………………んかっ……!』
リョウジはドラゴンの頭をフレイルで滅多打ちにし、同時に念話は途切れ途切れになり、ドラゴンの動きも目に見えて鈍り始めた。その光景に、生き残り達は僅かな希望を見出した。
「お、おい……これって、もしかして……!?」
「まさか……勝つのか!?人間が、ドラゴンに!?」
「うおおぉぉ!!いけえリョウジ!!いけえぇぇぇ!!」
「リョウジ、頑張れええぇぇ!!勝てええぇぇ!!」
「リョウジぃぃぃ!!!」
自身の命を懸け、生き残り達は喉も張り裂けんばかりにリョウジを応援する。ドラゴンの咆哮にも負けないその声援は、周囲一帯に響き渡っていった。
―――
――何だ!?念話が遮られる!?いや、それ以前に……体が動かん!?
一方のドラゴンは、意外な痛みと自身の体の変調に戸惑っていた。
本来、ドラゴンのステータスは文字通りの桁違いであり、人間であれば力が500もあれば異常と言われる中で、10万を超えることも珍しくない。このドラゴンは自身のステータスを魔力で補っているが、それでも全ステータスが数千はあった。
なのに、力が100もなさそうな人間の一撃が、とんでもなく痛かった。魔力を帯びて強固な防御を誇るはずの鱗の上から、棘が容赦なく本体を叩く。普通ならば上空から落下しても傷一つ付かない身体が、軽く地面に叩きつけられただけで痛みを感じる。
そして、体中に巡らせている魔力が、どうやっても動かせない。魔力が動かせなければ攻撃もできず、今や身体すら動かせないほどに魔力頼りの身体なのだ。
「やっぱりそうか!痩せてるとは思ったけど、お前筋肉無いな!?そういうファンタジー生物なら、これでチェックメイトだ!」
リョウジはドラゴンの頭を踏みつけており、その状態でフレイルを振り回す。
――くそ!やめろ!なぜだ!?なぜ魔力が動かん!?ブレスも出せんのか!くそぉ!こいつ、一体何者だ!?
ここに来てようやく、ドラゴンは目の前の男が異常な能力を持っていることに気付いた。しかし、もう完全に手遅れである。
リョウジとしては、こんな危険生物を野放しにする気はない。そもそも殺されたくないので、死ぬまで足を離すつもりはない。
とはいえ、リョウジにも悩みはあった。何を隠そう、火力が足りないのだ。いくら魔力を無効化できるとはいえ、巨大なトカゲを殴り殺すには武器と本人が貧弱すぎるのだ。
「こいつ、死にもしないし気絶もしないか……参ったな、どうしよ。みんな呼べば来てくれるかな……?」
――くそぉ、ふざけるな!我は最古のドラゴンだぞ!人間如きが足蹴にしていい相手ではないわ!ああくそぉ!伝える手段もないのか!
筋肉は野蛮な物。発話は下級生物がやること。全ての活動を魔力で出来るようになってこそ至高の生物であり、それが出来ない者はドラゴンであろうと出来損ない。
それが、このドラゴンの持論だった。その持論に合わせて作り上げられた身体は、魔力を無効化するリョウジとの相性は最悪だった。頼みの綱の魔力は動かず、筋肉だけでは手を動かすことも、首を上げることも出来ない。今や最古のドラゴンは、ただの寝たきり老人と化していた。
――くそがくそがくそが!殺してやる!どうにかして絶対にこいつを……うおっ!?
「のあっ!?」
ドラゴンとリョウジが、同時に驚く。それもそのはずで、いつの間にか二人のそばに、身長が2メートル近い男が立っていたのだ。しかも、その男は異形の鎧兜に身を包み、自身の身長ほどの巨大な剣を持っていた。
その姿を見て、リョウジはぽつりと呟く。
「これ……俺のキャラ……!?」
バッとコウタの方を振り返ると、コウタは車から身を乗り出して楽しげにこちらを見つめていた。
「なるほどね……コウタにとっては、体験型ゲームだったわけか。お父さんとキャラの夢の共演ってとこだね」
日本にいる時、リョウジは妻とよくゲームをやっており、コウタもちょくちょくそれを見ていた。巨大生物との戦いが楽しいようで、攻撃を当てる度に楽しげな笑い声をあげるコウタを見て将来を危ぶんだものだったが、今この場にいたっては最高の援護だった。
――な、何だこいつは!?人間のようで人間ではない!?これは……危険だ!危険すぎる存在だ!
直感的に、ドラゴンはその危険性を悟った。見ているだけで言い様のない恐怖が腹の底から湧き上がり、これまでの生で初めて『逃げる』という選択肢が浮かぶ。しかし、リョウジに魔力を無効化されている今、ドラゴンに逃げる術はなかった。
「よぉしコウタ!ちゃんと動き真似してね!」
ドラゴンの頭に足をかけたまま、リョウジは抜刀しながらの溜めの動作をする。するとリョウジのキャラも全く同じ動きをし、その手がギュインと効果音付きで光った。
――やめろ……やめろ!やめろ!やめろ!頼むやめてくれ!やめろおおぉぉ!!
心の中で絶叫するも、それが伝わるわけもない。リョウジの顔には若干ながら笑みすら浮かんでおり、隣の大男の手が再び赤く光った。
――やめろやめろやめろ!!嫌だ!!死にたくない!!何でもくれてやる!!何でもするから殺さないでくれ!!やめてくれ!!助けてくれぇぇぇ!!!
「キュ、キュオオォォ!!キュイ、キュイ、キュイイィィ!!キィーーー!!!」
ドラゴンの口から、甲高い悲鳴が漏れた。それを見ていた周囲の生き残り達が、一気にどよめいた。
「い、今悲鳴が上がったぞ!?初めて聞いた!」
「ドラゴンの命乞いだ!本当にあんな声出すのか!」
「助けてやったら、何でも叶えてくれるとかだっけ!?すげえ!え、でもやめねえのか!?」
「すげえ!リョウジ、やめるつもりねえぞ!あいつマジでドラゴン殺しになるつもりだ!」
そんな喧騒に気付くこともなく、リョウジは最大の攻撃力を発揮する時間を計算し、そして攻撃の動作に入った。
「キイイイィィィーーー!!!」
――いやだあああぁぁぁ!!!
三度目の光と同時に、大剣がドラゴンの頭に振り下ろされた。
ブシュウ!と凄まじい血飛沫が上がり、同時にドラゴンは頭に振り下ろしを受けたにもかかわらず、頭を高く上げてその首を左右に振り、そして天を仰ぎながら再びどっかりとその首を横たえた。
「ふう。十分針で討伐完了、クエスト達成!ってとこかな」
自分のキャラにそう話しかけ、その胸をポンと叩いて消滅させる。最後に、ここまで来たらお約束、と口元に手を当てて何かを飲む動作をした後、グッと両手でガッツポーズをとる。
直後、ズドオオォォ!!と大地を揺るがす勢いで、生き残り達の歓声が辺りに響き渡った。そのあまりの反響に、リョウジは一人目を白黒させるのだった。