講師の仮面、親の仮面、善人の仮面
「……すみませんでした……」
完全に叱られた子供の声で、ジェイルが謝った。そこで一区切りを付けるため、リョウジも大きく息をつき、少し声のトーンを下げる。
「鍛えることや勉強すること、それ自体を悪い事だとは言いません。ただ、限度があります。最低でも、周囲に迷惑をかける可能性があるのなら、やるべきではないですよね」
「はい……」
「鍛錬をしないと気持ちが悪い、というのであれば、血行を良くする程度、あるいは普段よりやや少ない程度の鍛錬に留めてください。それであれば、むしろ疲労回復にも繋がりますので、私も推奨します」
「はい……」
完全に親子のような絵面になっていることに気付き、リョウジは苦笑いを浮かべる。
「……頑張る、というのは良いことです。貴方には努力できる才能があります。そこを否定する気はありません。ただジェイルさん、絶対に覚えてほしいのは、休みとサボりは同じではありません」
再びリョウジの声がやや低くなり、ジェイルは無意識に身構える。
「私の世界でもそうだったんですよ。休みとサボりを混同して、ただただ鍛錬しまくることが美徳だっていう馬鹿が腐るほどいました。頑張ることはいいことだ、お前は何を休んでるんだ、あいつは休みを返上して頑張ってるぞ……クソ食らえだ!」
突然の叫びに、ジェイルの身体がビクッと跳ねた。
「それで怪我しやがったあの屑には『そんなになるまでよく頑張った!』で、怪我しねえように細心の注意を払って万全のコンディションにした俺には『お前もあれぐらい頑張れ』だ!あのクソ共は、頑張りを称える癖に見えねえ頑張りは見ていやしねえ!」
どんどん口調が荒くなるリョウジに、ジェイルは町中で魔物でも見たかのような視線を向けている。
「挙句の果てに、体力も技術も上の俺は『頑張ってないから』試合に出られねえで、技術も体力も劣った上に怪我して周りに迷惑かけた屑は『頑張ったから』試合に出られる……クソ共が!何が『最後だから頑張った奴が報われないと』だ!自分の限界も知らねえでただ体動かしてただけの馬鹿が何を頑張ったってんだ!怪我しねえ調整は頑張りじゃねえのか!最後はこっちも同じだ、くそったれ共が!」
もう自分の話から遥か遠い所に行ってしまったのはよくわかったが、それを止めることもできず、さっきとはまた違う意味で泣きたい気持ちのまま、ジェイルはただリョウジの話に耳を傾けている。
「とた?」
だいぶ口調が荒れたからか、コウタが不安げに呼ぶ。そこでようやく、随分と脱線していることに気付いたリョウジは、盛大な苦笑いを浮かべてコウタの頭を撫で、ジェイルに頭を下げた。
「……すみません、ちょっと口調が乱れました」
「ちょっと……?」
「ちょっとです。少しです。僅かです。まあ……昔やってたサッカー……という競技で、恨……心残りがありましてね」
「そ、そうみたいですね……」
「えーと……とにかく、休みは休みです。そもそも、力を付けたいなら休みが絶対必要なんですよ」
「そうなのか?」
ようやくいつものリョウジに戻ったこともあり、ジェイルも少しずついつもの調子が戻り始める。
「ええ。筋肉は最大まで使った時、少し繊維が千切れるんです。そして繋ぎ直すときに、それまでより少しだけ強くなって治る……いわゆる超回復というものなんですが、この治る間に負荷をかけてしまうと、超回復を邪魔してしまうわけです」
「マジで!?それ、初めて聞いた!」
「そういう知識がある人がいないのかもしれませんね。私の世界でも知らない人いましたし。でも、サボったり休んだりした後に調子がいいとか、そういう話聞きません?」
「あ、聞いたことある!なんか、サボった奴の言い訳ぐらいに考えてたけど」
「人に寄りますが、一日から三日を空けてやると良いそうです。あと、そもそも力を付けたいなら、どう頑張っても一回しかできない負荷を掛けて一回だけやって、休んだ後もう一回という形で三セットぐらいやるのがいいらしいです」
「ちょっ……待って!メモ、メモ取る!」
それから、ジェイルはリョウジに効率的な筋トレの方法を習い、それをしっかりメモに残していく。今までは、とにかくがむしゃらに鍛えることしかできなかったが、こうして知識を得ると鍛錬の計画すらできることに気付き、ジェイルは驚きと共に深く感心する。
これまではどんなに筋肉痛が起きていようと、疲れた体に鞭打って頑張っていた。しかし、痛いのならそこは休ませ、痛くないところを鍛えればいい。言葉にすれば実に簡単なことだが、ジェイルにとっては目から鱗が落ちる様な思いだった。
「つまり……外側の次は内側、腕の次は足、みたいにやれば、毎日でもいいってこと?」
「そうですね。上半身の翌日は下半身、でもいいです。要はそこの筋肉が休めればいいので。あと、持久系の運動なら毎日でも大丈夫、というより毎日やるのがいいです。なので強度が強すぎたなーとかいう翌日は、持久系だけやって終わるのも手です。その方が血流が良くなって、回復も促されますしね」
この人の知識は一体どこまで広いのかと、ジェイルは純粋に尊敬してしまう。そして、知識の割には筋肉ついてないな、という疑問も浮かぶ。
「あの……リョウジ先生は、今は鍛えてねえの?」
「……馬鹿らしくなったんで」
一瞬にして表情が消え、吐き捨てるように言ったリョウジに、ジェイルは慌てて話題を変える。
「あっ、その、それで!身体鍛えた後って、やっぱ肉食った方がいいの?」
「あー、肉はいいですね。できればささみとか、脂分の少ないところがお勧めです。豆でもいいですよ。あとは果物、特に柑橘系は筋肉痛を起きにくくしたり、疲れが取れるのでお勧めしておきます」
そう言ってから、リョウジは改めてジェイルを見つめる。
「ところで、ジェイルさんは今18ぐらいですか?」
「歳?今は15で、今年で16」
「15でしたか、失礼しました。雰囲気が大人びているもので、もう少しいってるものかと」
「そう言われると、ちょっと嬉しいな」
15と言えば、リョウジがちょうどサッカーと決別した歳である。その頃の自分を思い出し、リョウジは小さく笑った。
「その歳だったら、かなり強度強めの筋トレしても、早めに寝れば疲れは残らなかったかもしれませんね」
「あ、いやいや!そんなことはねえ……と、思います!」
「どうしても、今の自分を基準にして考えてしまうんですよねえ。20代中盤くらいまでは、とんでもない無茶しても、早めに寝るだけで大体大丈夫でしたが……」
どこか遠くを見るような目つきで、リョウジは続ける。
「30前後から、疲れが抜けにくくなってきて、中盤になるとそもそもの体力が無くなってきて……今や筋肉痛が二日後に出る始末ですよ……」
「えー、そんな風になんの?」
「今のキレのある体を、楽しんでおいた方がいいですよ。キレと言えば、30になるとおしっこの勢いがびっくりするほどなくなってきて、後半にもなると、全部出し切ったと思ってサッとしまうと、尿道に残ってた伏兵が飛び出すことすらありますからね……キレのある体を楽しんでおいてください」
あまりにリアルな老化話に、ジェイルは笑うに笑えない。そして、自分もいつかそうなるということに戦慄する。
「……肝に銘じます」
「そうしてください」
「あと、一つ質問していい?」
「何でしょう?」
「リョウジ先生って……実は、口めっちゃ悪い方?丁寧語と子供相手の口調しか聞いたことなかったけど……」
その質問に、リョウジは再び苦笑いを浮かべる。
「あ~……本来の口調は、ウェーバーさん……前のウェーバーさんの口調に近いですよ。その口調で喋るのは、家族と幼馴染程度ですね。あまり会ったことのない人と、仕事をしている最中と、仲良くなる気が無い人にはこの口調で対応してます」
「ちょっと待って、俺達どれ!?」
「ご想像にお任せします」
それから少し和やかに話を続け、リョウジはジェイルと別れて散歩に戻る。ジェイルは整理運動をしてから家に戻るとのことだったため、特に注意するようなこともない。
しばらく歩いてから、リョウジは口を開いた。
「で、いるんですよね、ギルドマスター?」
「……あんたはどこに目を付けてんだよ?背中か?頭か?」
気配もなく、近くの建物の陰からギルドマスターがのっそりと姿を現した。
「そこですか!?いや、びっくりしました」
「知ってて言ったんじゃねえのかよ!?」
「いや、いるような気はしてたんですが、もっとあっちかと……まあ、勘が当たって良かったです」
「潜んでたのを勘で見破られるとか、元冒険者として自信無くしそうなんだが」
「まーた」
ギルドマスターを指さし、コウタが言う。その手をやんわりと下げさせつつ、リョウジはコウタの頭を撫でた。
「そう、ギルドマスター。コウタもお世話になってるよね」
「お、おう。覚えてもらえて何よりだ……」
やや腰が引けつつも、ギルドマスターはリョウジに並びかけ、一緒に歩き出す。
「やっぱり、あんたに講師やってもらって本当に良かったと思うぜ。鍛錬自体、悪い事じゃねえから何て言おうかすんげえ悩んでたんだ」
「それ自体は悪い事じゃないっていうの、叱るのに苦労しますよね。もっとも、『時と場所を考えろ』で大体は解決できますけど」
「それ以上に、あんたの経験談っつうか、愚痴が効いたと思うぜ」
「あれは忘れてください……」
「いや、貴重な話だったぞ。いやな、俺マジでわかんなかったんだよ!休めっつってんのに休まねえ馬鹿共を、どうやったら休ませられんのか!頑張ってるってだけで全てが肯定されるって思ってる奴、意外と多いんだよこの界隈!」
「本当に意外ですね。何となく結果主義なイメージありましたけど」
「何つーかなぁ、全体で見りゃそうなんだが……小狡く立ち回ってでも結果を出す奴の方が、そりゃ優秀ではあるんだが……ただなあ、自分等もそうだったからか、頑張る奴を肯定しすぎる奴等が結構いるんだよなあ……」
「きっちり潰しといてください」
しれっと言い放つリョウジに、ギルドマスターは楽しげに笑う。
「あんた、本当に恨んでるんだな。俺としても、悪い風習は潰せるもんなら潰してえ。で、よかったらなんだが、さっきの愚痴を教科書に載せてもらえねえかな?」
「うわ~何たる羞恥プレイ。ただ、まあ、いいですよ。こういう事があって、こういう風に言われました。こうなりました。貴方はどう思いますか、みたいな感じで入れときます」
「無茶言って悪いな。代わりに、夕飯は今回も俺の奢りだ」
「いいんですか?じゃあ、クリムゾンバッファローを美味しく食べられるところがあれば、そこがいいです」
「あんた、割と通好みな肉知ってんなあ。いいぞ、どうやってんだか知らねえが、そいつの柔らかい肉食わせてくれる店連れてってやる」
そうして、おっさん二人と子供一人はクリムゾンバッファローの柔らかステーキに舌鼓を打ち、試験前日を穏やかに過ごすのだった。ちなみにリョウジの肉は、例の如くコウタに半分ほど奪われていた。
その後、リョウジの作った教科書には彼の体験談が簡単な内容で記載されたが、後にギルドマスターの写本によって、リョウジの一言一句をきっちりと再現されて載ることになった。
その内容は、むしろ教育者側に強く刺さり、休養の大切さと、がむしゃらに鍛える者ではなく、自身の限界を把握してきちんと休める者を評価するということに繋がっていく。
なお、無断でリョウジの言葉を記載したギルドマスターに関しては、アイシャが文字通りの鉄拳を落としていたが、当のリョウジは知らぬ話である。