真似事でもすごい技術
軽く柄を引き、抜けることを確認する。そして、案山子をまっすぐに見据えると、心を落ち着かせるように、大きく息を吐いた。
「……ん?あんた、何して……?」
「ふっ!」
気合と共に、抜き打ちに切り付ける。切り上げの軌道を描いた刃は、案山子の前面を大きく傷つけたが、片手ということもあり、両断には至らなかった。しかし、これまでより大きな傷を付けられたということで、リョウジは気持ちを切り替え、片手用の柄を無理矢理両手で掴んだ。
「せぇい!」
裂帛の気合と共に、傷をもう一度斬るように袈裟斬りを放つ。奇跡的に、先程傷つけた部分を正確に斬ることができ、案山子の上半分が吹き飛んだ。それを見届けると、リョウジは動画で見た居合の動作を真似、刃を鞘の上で滑らせると、先端を鞘の中へ導き、納刀する。
「ふぅ!どうですか?何とか斬れ……」
言いかけてリョウジは言葉に詰まった。ギルドマスターは目を見開いてリョウジを見ており、グルーガも目を真ん丸にしてサーベルを見ていた。
「あ……あんた、今のは一体なんだ!?」
「え?ど、どれがですか?」
「おめえ、いつ剣を抜いたんだ!?いや、抜きながら斬ったのか!?どこの技だ!?」
「え?あ、ああ、居合のことですか?ていうか、居合の真似事ですけど……」
「ちょ、ちょっと貸してくれ!俺にもやらせろ!」
「ど、どうぞ」
あまりの剣幕に、リョウジは呆気に取られつつサーベルを渡した。ギルドマスターはそれを受け取ると、リョウジと同じように左腰にサーベルを持ち、右手で柄を握った。
「確か、こう……」
その瞬間、辺りに異様な圧迫感が押し寄せ、リョウジは思わず息を飲んだ。これまでのギルドマスターからは感じたこともない、凄まじい圧だった。そんなリョウジの様子を見て、グルーガが声をかける。
「おめえ、よく見ときな。あいつは、あれでも元S級の冒険者だったんだ」
「S級……とんでもなくすごいってことですね?」
「ま、そういうこった。見てろ、あいつの剣の腕は、近衛兵の誘いが来るほどだったんだ」
直後、小さくシュッと音が鳴ったかと思うと、既にサーベルは頭上まで振り上げられており、かと思う間もなく、いつの間にか振り下ろされていた。案山子は最初の一撃で上半分が宙を舞い、二撃目で空中にあったそれがさらに両断されていた。
「す、すごい……!いつ抜いたのか、全く見えませんでした」
「……すげえ、すげえ技だこれは……!こんな技があったら……」
サーベルを鞘に戻しつつ、ギルドマスターは独り言のように続ける。
「国王だって殺せちまう……!」
「え、何て?」
「あんたの世界じゃ、これ普通の技なのか!?真似事って言ってたけどよ、みんなこんな技使えんのか!?」
「あ、いえ、居合自体は結構有名で……本当に使える人は少ないですけど、でも探せば普通に習えます」
「あんたの世界は平和なのか物騒なのかどっちなんだ!?これ考えた奴はマジの天才だぞ!そうだよ、抜いてから斬るんじゃなくて、抜きながら斬れば早えよな!なんで誰も思いつかなかったんだ!」
どうやら抜き打ちの技が存在していなかったらしく、ギルドマスターは驚くほど興奮していた。リョウジとしては、軽い気持ちでやった真似事がえらい騒ぎになり、もはやどうしていいかわからないでいた。
「あんたの動きだって、俺が普通に抜こうとしたらどっこいどっこいぐらいの早さだったぞ!ど素人のあんたが!俺と同等の斬り合いができちまう!この技はやばすぎる!」
「俺としては、それ用の剣を作ってみてえところだ!マスター、技術の献上に行ったらどうだ!?」
「行く行く!ぜっっってえ行く!おいあんた!この技は禁止だ!この先使うなよ!?」
「わ、わかりましたが……そんなにやばいんですか?」
「言っただろ!?ど素人が達人と同じ早さで斬りつけられるんだ!暗殺に使われたら、知ってねえと防ぎようがねえ!」
「あ、言われてみれば。私の世界でも、元々は護身と暗殺と、両方に使われてた技術でしたね。あと、あのやり方だと間合いが分かりにくいとか何とか……」
「あー、確かにそれもあるな……鞘より長くはないにしても……いや、鞘も体で隠せば……よし、本っ当に、絶対に使うな!すげえ技術なんだがやばい事だらけだ!」
少なくとも、現代日本より遥かに物騒な世界の住人の台詞である。本当にやばい事なんだろうなと思い、リョウジは何度も頷く。
「そうだよな……抜きながら斬って、最初は手で……二撃目で決めりゃいいんだもんな……隙がありゃ一撃でも決められる……」
頭の中で色々なパターンを考えているらしく、ギルドマスターはサーベルを握ったままぶつぶつ呟いている。
「形状は……やっぱりサーベルが一番妥当か?少なくとも直剣よりは……」
「あ、反りがあって短いのがやりやすいみたいですよ。私の世界だと、刀っていう剣で使う技なんですが」
「反りがあって短い……やっぱりサーベル、とタルワールもか。刀ってのも興味あるが、ひとまずはサーベルだな。グルーガ、気持ち短めで反り強めの奴作ってくれ。いいのが出来たら王都に献上に行く」
「おう、任しときな!あの動きなら、狙うのは首か手だろ?切れ味重視で打ってやる!」
何やら物騒な話が始まったと思っていると、ギルドマスターは心を落ち着けるように深く息を吐いた。
「はぁ……しかし、落ち着いて考えてみりゃ、あんたの世界は本当に平和なんだな」
「まあ、はい。え、そう思う要素ありました?」
思わずそう聞き返してしまうと、ギルドマスターは小さく笑った。
「そりゃ、あんな技術が普通に知れ渡ってるなんて、殺し合いが日常の世界か、それが知れたところで誰も使わない平和な世界かのどっちかだろ?んで、あんたは剣はど素人。と来りゃ、平和な世界なんだってのはすぐわかる」
そこまで言って、ギルドマスターは改めてリョウジの顔を見つめた。
「しかしよぉ、こんな技術もあるんだったら、もうちょっと早く教えてもらいたかったぜ」
「無茶言わないで下さいよ。この世界にどんな技術があってどんな技術が無いのか、まずそこからわからないんですから」
「いやまあ、わかる。わかるぞ。でも、こうも言いたくなっちまうんだよ、あんたといると」
「気持ちはわからないでもないですが……」
「……一応聞いとくが、さっきのイアイ?てのは、あの技だけか?」
「あーっと、抜刀術そのものは結構色々ありまして……」
「やっぱりあんのかよ!」
「といっても、私も抜き打ち以外はそこまで詳しくは……あ、でも逆手で抜いて、柄で相手の顔面殴って、そのまま後ろに突きを入れるとかいう技はあったはずです」
「ほーぉ、対多数を想定した技だな?柄で殴るのは、直剣でもいける……というか、そっちのがやりやすそうだな。鞘ごとぶん回すとか、柄で殴る自体はあるが、それを抜きながらやろうとは思わなかったなあ……」
結局、この後は居合関連の話になってしまい、主にギルドマスターとグルーガが大変に盛り上がっていた。とはいえリョウジにも収穫はあり、技術の提供と口止めという名目で大銀貨1枚が入り、コウタは気に入っていた弥次郎兵衛をもらっていた。一時間もしないで得られた収穫としては、破格と言える額である。
延々二時間ほど話してから、冒険者ギルドへと戻る。翌日からは、いよいよ新規冒険者の講習が始まるため、次はそれに関する打ち合わせである。
「いよいよ明日からだが、準備はどうだ、リョウジさんよ」
「まあ、ぼちぼちと言うところですね。私自身、知らないことだらけなので、出たとこ勝負と言いますか……ただ、基本的に私が請け負う部分では、読み書き計算、あと詐欺関連の防止を重点的にやろうと思っています」
「ほお、詐欺の防止。俺がちょっと言ったのを覚えててくれたのか?」
「むしろ、そこを期待してたんじゃないんですか?」
言いながら、リョウジは鞄の中から書類の束を取り出し、ギルドマスターへと渡した。
「ん、なんだこれ……お、おお……!?こりゃ……すげえな」
「開幕で、これから始めようと思ってるんですが、大丈夫そうですか?問題あるならやめときますが」
リョウジが言うと、ギルドマスターはにやりとした笑みを浮かべた。
「いや、むしろ是非やってくれ。ああ、安心しろ。俺も同席するから、変なことにはしねえよ」
「安心しました。では、こういった感じで進めていこうと思いますので、よろしくお願いしますね。あと、これ……授業計画というか、教科書ですね。これを使う予定なんですが、査読お願いします」
更なる書類の束を渡され、ギルドマスターは口をあんぐりと開けてそれを見つめる。
「あんた……これ、あんたが作ったのか!?」
「ええ。暇な時間は結構ありましたし、この世界の文字の練習にもなったんで、私としても得る物はありました。ただ、さすがに人数分作るのは無理だったので……申し訳ないんですが、これをコピー……写本?できる方がいればお願いしたいです」
「なるほど、もう既に手厚すぎるぐらいだ。明日までに全部やればいいのか?」
「いやいやいや!そこまで急がなくても、大体一日で3ページ分程度進める予定なので、ひとまず3ページあれば十分です。すみません、もっと早く提出したかったんですが、仕上がったのが昨日の夜だったんで……」
「十分すぎるぐらいだ。こんなの用意してもらえるなんて、正直これっぽっちも思ってなかったからな。これに関してはわかった。だが、予習したいって奴がいるかもしれねえし、急ぎで進めとく」
「ありがとうございます、お願いします」
「ギルドの一大事業だ、全力でやらせてもらうさ」
それから、細かいところを二人で詰めていき、日が傾く頃にリョウジとコウタは宿へと戻った。と言うより、コウタが愚図りだしたため、慌てて宿に戻ったという方が近い。
ギルドマスターはリョウジから預かった書類の束を持ち、一階へと降りた。帰り支度を進めている職員達を見つめ、そこに声をかける。
「お前等、特急で仕上げてもらいたい写本の依頼がある。残る奴には大銅貨3枚から払う用意があるが、受ける奴はいるか?」
「今からですか?期限は?」
「明日」
「無茶ぶり極まりないですね!?ていうか、マスターがやればいいじゃないですか!」
「もちろん、俺もやる。ただな、これ明日の講習に使う教科書なんだわ。だから最低10冊。できれば、その後を見据えて大量に欲しいんだわ」
「あれ?マスター、教科書なんて用意してたんですか?」
アイシャの質問に、ギルドマスターは首を振る。
「リョウジの仕事だ」
「神ですかあの人!?えっ、ちょっと見せてもらっていいですか!?」
「いいぞ、ほれ。じっくり読んでみな」
ギルドマスターから書類の束を渡され、アイシャはそれを読み始める。読み進むごとに、アイシャの眉間に深い皺が刻まれていき、その表情は険しくなっていく。
やがて、それを読み終えると、アイシャはそれを胸に抱えた。
「私やります、これ!それより、こんな素晴らしい物用意してもらったんだから、臨時手当ぐらい出さなきゃダメですよ絶対!」
「何?そんなにすごいもんだったの?」
別の職員の質問に、アイシャは目を剥いて答えた。
「素晴らしいなんてもんじゃないですよ!まず読み書きから始まって、どうしたら相手に自分の意図を伝えられるのか、どうやって強調するのかっていう技術!報告書、契約書の書き方!次に計算、優しい問題から始まって、実際の生活に即した文章問題!お金の計算方法!筆算のやり方!他にも、とにかく役に立つ技術がいっぱい詰まってるんです!これ一冊で、学校開けますからねほんとに!」
アイシャの言葉に、その場にいた全員が目を丸くした。そもそも、読み書きや計算などを、一人で全部教えられる人物というのが珍しいのだ。ところが、この教科書があれば、それを読むだけでもある程度教えることができてしまう。本来なら何人もの講師を雇わなければいけないところを、一冊の本だけで賄えてしまうのだ。
「まあこりゃ……確かに、大金貨って言われても納得するほどの代物だよなぁ」
「そうですよ!だから絶対にっ……!」
「けど、あいつはこれすら給料の範囲内だと思ってる。だから、精々豪華な夕飯奢る程度で済ませてもらうさ」
それを聞いたアイシャは、まるで般若のような表情になっていくが、ギルドマスターはそれに苦笑いで答える。
「いや、怒るなよ。俺だって金を出す価値はあると思ってる。けど、ギルドのマスターとしては、金を払わないに越したことはねえ」
「どういうつもりですか……!?」
「いや、マジで怒るなよ。そもそもアイシャ、もし今、大金貨1枚をあいつに払ったとして、今後どう遣り繰りするつもりだ?」
「それはっ……でも、それは……その……」
日本で言えば、一千万近い額の出費である。いかにギルドとはいえ、突然そんな出費があれば当然業務に支障を来す。アイシャもそのことはわかっているため、言葉に詰まってしまう。
「な、そうなるだろ?けど、あいつは給料の範囲内の仕事だと思ってる。だったら、豪華な飯でも奢ってやれば、あいつは十分満足する」
「で、ですけどっ……本来の価値に対して、あんまり安すぎませんか!?」
「安い。ぼったくりって言葉が生易しいぐらいには安い。けどな、お互いそれで納得してるなら、それは十分適正と言える」
「……納得できません」
「正直、わかるぞ。けどな、綺麗事だけで物事は進められねえ。ギルドの講習だって、そもそも失敗前提で許可されたようなもんだ。講師の人件費、教科書の写本代、その間止まるであろう業務の補填……そういった問題を、あいつが一人で全部解決してくれてんだ。これを利用しない手はねえだろ?」
「……」
そういった内情は、アイシャ自身もわかっていた。最低限の講習を、と主張するギルドマスターに対し『経験もしないで、本だけで学んだ知識なんて何の役に立つ』と笑った者は数知れず。それでも主張し続けた結果、試しに講習を行う許可は出たものの、本部からの補助は一切なし。掛けられた言葉は『いい加減に現実を見ろ』だった。
元冒険者であったギルドマスターに対し、アイシャは冒険者ではなかったが、ずっと受付をやっているため、依頼を受けて出発し、二度と戻ってこなかった者は数多く知っている。その内の半分以上は、初めての依頼でそうなるのだ。そのため、初心者に対する講習というギルドマスターの主張には、アイシャ自身も賛同している。
「あいつにとっては降って湧いた災難でも、俺達にとっちゃ降って湧いた幸運だ。これが成功すれば、ひよっこ共が初めての依頼で消えちまうのを、無くせるかもしれねえ。そんなチャンスを、棒に振るわけにはいかねえんだよ」
「それは……よく、わかりますけど」
「もちろん、あいつが納得しねえんなら、俺だって相応の対応はするさ。だが、あいつが納得してる以上、ぼったくりだろうが何だろうが、これで通す。問題あるか?」
「……いえ、無い、です」
どこか諦めたような、小さなため息をついてから、アイシャはギルドマスターの顔を見つめた。
「けど、私からも少し出しますから、本当に美味しい物ご馳走してあげてくださいよ?」
「そりゃ助かる!今日別件で、あいつに大銀貨1枚出したから、ちょっと金欠だったんだよな」
「これ以外にもまだ何かあったんですか。ほんっとに私、もうこの時点でリョウジさんに頭上がらないですよ」
「だよなあ。本当は、お前が担当するはずだったんだもんなあ」
「そうでなくても、次からは私の担当じゃないですか。この教科書があれば、すんごく楽になりますからね。はぁ……いっそ結婚してほしいくらいです……」
割と本気なトーンの言葉に、ギルドマスターは笑って答えた。
「残念ながら妻子持ちだぞあいつ」
「知ってますー!奥さんが羨ましいなんてものすごく思ってますー!私をまったく女性として見てない辺りが逆にいいとかすごく思いますー!昔の友達に、おじさんが好きとかいう子がいたけど、今になって気持ちがわかる気がしますー!」
「おじさんがいいなら俺は?」
「マスターは対象外です」
「世知辛いぜ」
そんな話をしつつも、二人は写本の用意を進めており、他の職員もリョウジが用意した教科書を確認し、ほぼ全員が写本に取り掛かっていた。
家族が家で待っている等、やむにやまれぬ事情で帰宅した者達も、全員が明日以降に写本を行うと宣言していた。
それほどに、リョウジが作った教科書は価値のあるものだった。ギルドの全員が、写本がてらそれで勉強をしようと考えていたのだ。勉強ができる上に大銅貨が手に入るなど、そんな美味しい仕事を逃す手はない。
こうして、リョウジが作った教科書は、本人の想定以上に凄まじい速度で写本されていくのだった。